前回の大多喜城のあと、房総の山道を急ぎ此の「久留里城」に行きました。
この城が歴史に出てきたのは、戦国期なかごろからこの地域に勢力を伸ばした「里見義堯(さとみよしたか)」の代からで、この頃敵対勢力となった北条氏と攻防をくりひろげた場となったそうです。
天正十八年に徳川家康が江戸に入ると、外様大名の里見氏は安房一国のみ領有とされ、この城は徳川譜代大名の「大須賀氏」が入り、近世の久留里城の歴史が始まりました。
明治に廃城にされた時には「黒田氏」が治めていたと言う事です。
駐車場に着いた時には4時近くになってしまったのですが、急ぎ天守に向かって登っていきました。ここは「山城」なので坂がけっこうきつかったです!
駐車場からは、人工的に造られた「堀切」が道路になっていて、登りやすくはなっていましたが・・・。
この山は痩せ尾根が細長く連なっていて、曲輪(廓)の殆んどは小規模にならざるを得ない地形です。
途中綺麗に咲いていたツツジの花
天守真下の天神曲輪、トイレが建っていました。
その天神曲輪から更に、この階段を登りきった所に
「模擬天守」が・・・
2月の大雪で瓦が落ちたりして、修理中で入れませんでした。
本当に有った天守は
模擬天守の隣りの土塁に建っていたと言う事です。
天守下の二の丸には資料館(右の建て物)がありますが
時間が過ぎて閉館していました。
今度早くきて見たいと思いました。
駐車場へ戻るコースを、堀切ではなく尾根伝いに変えて下りていくと、こんな木々に囲まれた小道になっていて、途中には
倉庫などがあった跡がありました。
山城の造りが良く分かって、ここを歩いて良かったです。
中世、北条氏に幾度も攻められながら、ついに落ちなかった難攻不落のお城だったそうです。