続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

大多喜城

2014-04-16 | お城・史跡

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これは千葉県の夷隅郡・大多喜町にある大多喜城(千葉県立中央博物館・大多喜城分館)です。
ちょうど満開の桜が迎えてくれましたが、どんよりとした花曇りで、たまに薄日が差す天気でした。人出も殆んど無くのんびり観て回れました。

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駐車場の入口にある石碑
ここから「平山城」らしく緩やかに登って行きます。

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この看板から右上はこんな

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「空濠」が造られています。

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天守の手前にあった「二の丸公園」、写真の右奥が階段で、登った所が「曲輪」でした。

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あるのは鐘楼と休憩所だけで、当時の面影は見出せませんでした。

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本丸のこの三重櫓天守と附櫓は、近世の徳川時代に家康の重臣「本多忠勝」が10万石で入城し、近世城郭として整備(呼び名も大多喜と変更)されたときの城を再現し中を博物館としたものです。
それ以前の中世には天守は無く、城名も「小田喜城」と呼ばれていたそうです。

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復興天守の多くが、このような鉄筋コンクリート造りの博物館や展示館にされているのは、寂しい感じがするのはクーだけではないようですが、創建当時のままに木造で再建するのは木材確保や維持など大変なのでしょうね!
また、当時の設計図などがないと忠実に復元できませんからね!

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3階に展示されていた、当時のジオラマ。
写真では、天守の真上に「夷隅川」、そのすぐ左の広場には「御殿」が建っていましたが、現在は「県立大多喜高校」の校舎が建っています。
大多喜高校には、当時の「大井戸跡」や移築された「薬醫門」が現存しています。

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これがお城には珍しい、規模の大きな井戸です。
校舎のすぐ脇にドーンとあって圧巻!
いちばん上の写真は、この傍からこちら側を撮ったものです。

ここで写真を撮っていたら、ここの生徒さん達数人から「こんにちはー!」と挨拶され、驚いたのと感心したのとで、「この高校は教育が出来ているなぁ!」って嬉しくなってしまいました!
勿論クーも「はい!こんにちは!」って挨拶し返しましたよ!

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これが当時の「薬醫門」、風格ありますね!

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・・・と言う事です。

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大多喜城天守、側面からの姿。

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3階の窓から附櫓を見下ろした景色。
ジオラマ以外の展示品は撮影禁止になっていますが、ネットで検索すると見られますよ!

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今回、この「図説、房総の城郭」の「大多喜城跡」を参照させていただきました。
千葉県内に、こんなに多くのお城があったとは驚きでした。

つづく


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