先日、サンパウロのカーニバル2008年のCD発売記念フェスタが、市内有数の大きなサンバチーム、「ホーザス・ジ・オウロ」で行われました。
何しろ、初めて、私たちオ・ペイシで選曲会に参加し、その曲が優勝し、今回のCDに収録されたのですから、こんなに嬉しいことはありません。
サンパウロの上位22チームのサンバがCD2枚に録音され、その中に、沖縄をテーマとした私たちの曲が入っているという、恐らく我々のサンバ生涯、これほど名誉なことはないと思います。
CD発売記念フェスタでは、22チームすべてが、新しい曲を発表し、正式にサンバ協会に曲を公表する、というオフィシャルな行事です。この記念すべきイベントに自分がどう出場するか、というのも色々苦労がありました。
22チームもあるのですから、各チームのパフォーマンスはコンパクトでなくてはならず、大人数で出場することはできません。打楽器隊(バテリア)は、各チーム6名、と限定されていました。打楽器隊の前で踊る女の子も女王(ハイーニャ)のみと言われ、今年初めてこのチーム「プローバ」に加わった自分は出ることができないかと、あきらめかけていました。
それでもチームの会長に「出ていいですか?」とダメもとで聞いてみたところ、「あんたならいいよ」と快くOKがもらえました。しかし、それからが大変です。気軽に選曲会のときの衣装でいいかと思っていたら、「羽根つきのサンバ衣装で出ること」と会長に言われてしまいました。
これが、イベント2日前のことです。大急ぎで、オ・ペイシの売り物用の衣装やパーツを集め、自分の衣装制作に取りかかりました。といっても、徹夜で苦労したのは、夫の方でありますが。
このCD発売記念フェスタの日は、小学生の息子の劇の発表の日でもありました。劇場に大きなサンバ衣装を見えないように黒いビニールに包んで持って行ったのですが、息子の友達の親戚の人にまで「ルーカスのお母さん、カーニバルにはまだ早いんじゃないの」と大ばれで、冷やかされていました。
親子共々、大舞台を踏んだ1日でした。
何しろ、初めて、私たちオ・ペイシで選曲会に参加し、その曲が優勝し、今回のCDに収録されたのですから、こんなに嬉しいことはありません。
サンパウロの上位22チームのサンバがCD2枚に録音され、その中に、沖縄をテーマとした私たちの曲が入っているという、恐らく我々のサンバ生涯、これほど名誉なことはないと思います。
CD発売記念フェスタでは、22チームすべてが、新しい曲を発表し、正式にサンバ協会に曲を公表する、というオフィシャルな行事です。この記念すべきイベントに自分がどう出場するか、というのも色々苦労がありました。
22チームもあるのですから、各チームのパフォーマンスはコンパクトでなくてはならず、大人数で出場することはできません。打楽器隊(バテリア)は、各チーム6名、と限定されていました。打楽器隊の前で踊る女の子も女王(ハイーニャ)のみと言われ、今年初めてこのチーム「プローバ」に加わった自分は出ることができないかと、あきらめかけていました。
それでもチームの会長に「出ていいですか?」とダメもとで聞いてみたところ、「あんたならいいよ」と快くOKがもらえました。しかし、それからが大変です。気軽に選曲会のときの衣装でいいかと思っていたら、「羽根つきのサンバ衣装で出ること」と会長に言われてしまいました。
これが、イベント2日前のことです。大急ぎで、オ・ペイシの売り物用の衣装やパーツを集め、自分の衣装制作に取りかかりました。といっても、徹夜で苦労したのは、夫の方でありますが。
このCD発売記念フェスタの日は、小学生の息子の劇の発表の日でもありました。劇場に大きなサンバ衣装を見えないように黒いビニールに包んで持って行ったのですが、息子の友達の親戚の人にまで「ルーカスのお母さん、カーニバルにはまだ早いんじゃないの」と大ばれで、冷やかされていました。
親子共々、大舞台を踏んだ1日でした。