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ブラジル観光フェアでもサンバ出演

2008-07-22 | サンバ
 日本ブラジル移住100周年の準備をしている最中、私は、ブラジル観光フェアのステージに誘われて、無謀にも2箇所並行して、練習をしていました。

 この観光フェアのステージは、ブラジルの大統領も来賓で見に来ることになっており、大変嬉しいお誘いだったのですが、同時期に大イベント2つもこなせるのか、かなりの賭けでした。しかも、この観光フェアの1回目のステージは、100周年イベントの3日前、2回目のステージは、100周年イベント2日目と同じ日でした。唯一の救いは、いずれのイベントもサンバ会場、アニェンビーの施設内で行う、ということでした。

 同時期に、あまりにも忙しすぎるので、最初は断りモードだったのですが、せっかく、サンバチームを介して、いただいた話なので、無理をしているとは思いながらも、受けることにしました。

「ブラジルの鼓動」と題するイベントで、各地の音楽と踊りをパーカッションとダンスで紹介するショーでした。15人ほどの打楽器隊が楽器を次々に取替えて演奏し、貫禄ある黒人女性の歌とダンサー60人のコーラスに合わせて、ペルナンブコ州のマラカトゥから、アシェ、カポエイラ、リオ・グランジ・ド・スウ州の民族舞踊まで見せる、というとても面白い構成でした。

 そこで私の役割は、日本人ダンサーとしてサンバを踊り、移住して100年になる日本人もブラジルの音楽に融合している、ということを表すシーンに出ることでした。このイベントの舞台指導も兼任していた名男性ダンサーとペアで踊ることができたので、とてもいい経験になりました。

 1回目の公演は、ブラジルでこんなにネクタイ姿の人を見たことがない、と思うほど、お役人さんばかりが見に来ており、少々かたい雰囲気でした。
 2回目の公演は、100周年2日目の出演の後、ハイヒールで痛い足を引きづりながら、観光フェアの会場へと向かいました。土踏まずが痛くて痛くて、とてもサンバなどできない、という状態でしたが、いざ出番になると踊れるから不思議なものです。

 公演のパンフレットには、みんな所属グループの名前しか入っていない、というのに、私だけ単独で名前を入れてもらってしまいました。体力的には、かなり無理をしましたが、とても記念になるイベントとなりました。

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