現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

エーリヒ・ケストナー「エーミールと三人のふたご」

2024-03-03 12:36:19 | 作品論

 1934年に書かれた児童文学の古典です。
 前作の「エーミールと探偵たち」の五年後に書かれたのですが、作品世界の中では二年後ということになっています。
 もちろん単独でも楽しめるのですが、読者に親切なケストナーは、前作を読んでない読者(彼の言葉によると門外漢)も、読んでいる読者(彼の言葉では専門家)も、ともに楽しめるように二種類のまえがきを用意しています。
 作品世界の中でも、「エーミールと探偵たち」はベストセラーになり映画化もされています(それは現実でも同様でした)。
 わかりやすく現代の児童文学界に置き換えれば、あさのあつこの「バッテリー」がベストセラーになって映画化されたようなものです。
 ただし、娯楽の少なかった当時の児童文学や映画は、現在とは比べ物にならないほどインパクトは持っていたでしょう。
 あさのあつこは映画に出演しましたが、ケストナーは作品の中に登場します。
 これは、彼の作品の大きな特徴で、「エーミールと探偵たち」でも「飛ぶ教室」でも本人が登場します。
 それは、彼が出たがりなばかりではなく、作品に大きくコミットしているからです。

 作品を紹介するために、彼の手法にならって、この作品の最初に掲げられている十枚の絵を使いましょう。
 第一は、エーミール自身。
 前作から二年後なので、日本でいえば中学一年生ぐらいです。
 相変わらず優等生でおかあさん思いですが、そういった言葉から連想されるような嫌な奴ではなく、正義感にあふれた愛すべき少年です。
 第二は、イェシュケ警部です。
 エーミールのおかあさんにプロポーズしています。
 とてもいい人なのですが、そのためにエーミールも、おかあさんも悩んでいます。
 本当は、二人で水入らずで暮らしたいのですが、将来のこと(おかあさんはエーミールの将来、エーミールはおかあさんの将来)を考えると再婚をした方がいいと思っています。
 第三は、教授くんが受け継いだ遺産
 バルト海の保養地にある大きな別荘で、教授くんは大おばさんから遺産としてもらいました。
 教授くんは、「探偵たち」の主要メンバーで主に知性を代表しています。
 児童文学の世界では、いかに「教授くん」のキャラの追随者が多いことか。
 教授くんは、法律顧問官の息子でこのような高額の遺産を受け取るほど裕福です。
 一方、エーミールは、おかあさんが自宅の台所で美容師の仕事をして、苦労して育てられています。
 ケストナーの作品の大きな特徴としては、このような貧富の差を軽々と乗り越えて少年たちが友だちになることであり、その一方でお金を汚いものとして扱わずに生きていくのに必要なものとして淡々と描いていることです。
 第四は、警笛のグスタフ
 彼は前作では警笛しか持っていませんでしたが、今ではオートバイを持っています(彼は14歳ぐらいなのですが、当時のドイツでは一定排気量以下のオートバイには免許はいらなかったようです)。
 警笛のグスタフも、「探偵たち」の主要メンバーで、主に体力と食欲を代表しています。
 彼もまた、児童文学の世界に多くの追随者を持っています。
 第五は、ヒュートヘン嬢
 エーミールのいとこで14歳です。
 この年齢では、男の子より女の子の方が成熟するのが早いのは、古今東西を問いません。
 作品では、少年たちと大人たちを結ぶ役割を果たしています。
 第六は、汽車をつむ汽船
 バルト海沿岸や対岸のスウェーデンを結んでいました。
 ここを舞台にエーミールと探偵たちは大活躍するはずでしたが、ハプニングが起きて半分が参加できませんでした。
 第七は、三人のバイロン
 ホテルの出し物として出演していた軽業師とその双子(実は親子や双子というのは出し物上の設定で、三人とも赤の他人です)です。
 大きくなりすぎて軽業ができなくなった双子の一人を置き去りにして夜逃げしようとして、それを阻止しようとする探偵たちと対決します。
 第八は、おなじみのピコロ
 ピコロとは、ホテルの見習いボーイの少年のことです。
 彼は、前作でも探偵たちを助けて活躍しました。
 小柄で身の軽いところを見込まれて、新しい双子の一人になって一緒に逃げるように軽業師に誘われています(「三人のふたご」という変わったタイトルは、このように三人の少年が双子の役をするところからきています)。
 第九は、シュマウフ船長
 ピコロのおじさんで、商船の船長ですが自分のヨットも持っています。
 第十は、ヤシの木のある島
 バルト海にある無人の小島で、ヤシの木は植木鉢に植わっています。
 教授くんとグスタフとピコロが、シュマウフ船長のヨットでセイリングしていて、この島にのりあげたために、三人は軽業師との対決に参加できませんでした。

 この作品は、ケストナーの母国ドイツではなく、スイスで出版されています。
 この当時、ケストナーは、ナチスの弾圧を受けていて、国内での出版ができなかったからです。
 そんな過酷な状況の中で、こんなユーモアに富んだ明るい作品を書いたケストナーに敬意をはらいたいと思います。
 90年前に書かれた作品ですので、今の感覚には合わないところや若い読者にはわかりにくいところもたくさんあるでしょうが、以下のような児童文学としての普遍的な価値を持っていると思います。
1.子どもたちを一人の人間として尊重している。
2.常に大人側ではなく子どもの立場に立っている。
3.現実の大人たちには失望していても、子どもたちの未来には限りない信頼を置いている。
 私事になりますが、私が幼いころに愛読していた「講談社版少年少女世界文学全集」にはケストナーの巻があり、「飛ぶ教室」、「点子ちゃんとアントン」と共にこの作品(「エーミールとかるわざ師」というタイトルになっていました)が入っていました。
 病弱で学校を休みがちで友だちがいなかった小学校低学年の頃の私にとって、この作品のエーミールたちや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーたちが、本当の友人でした。
 そして、病気が治り学校へも休まずに通えるようになった時に、新たに友達を作る上で、彼らから学んだ友だちへの信頼やいい奴の見分け方などは大いに役立ちました。
 今、友だちがいなくて悩んでいる男の子たちには、ぜひこの本を読んでもらいたいと思っています。
 あいことばエーミール!(前作とこの作品で使われた少年たちの合言葉です)
 

エーミールと三人のふたご (ケストナー少年文学全集 (2))
クリエーター情報なし
岩波書店








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芦原すなお「青春デンデケデケデケ」

2024-02-09 08:54:49 | 作品論

 1990年に発表され、翌年の直木賞を受賞した、題名どおりに王道を行く青春小説です。 
 今ならば、ヤングアダルトの範疇にはいりますが、視野の狭い児童文学界ではほとんど無視されています。
 しかし、1992年には、大林宣彦監督によって、ほぼ原作どおり忠実に実写映画化(その記事を参照してください)されたので、そういった意味では実写化において安易な改変を許している既存の児童文学作品と比べて幸せな作品とも言えます。
 1965年に香川県立観音寺第一高等学校に入学した四人の高校生が、とことんロックにのめり込んだ三年間を、その周辺の人々も含めて、ディテイルにこだわって描いています。
 ロックファンを除くと、こんな細かな部分はいらないのじゃないかと思われるかと思われるシーンもたくさんあるのですが、実はこれでも「文藝賞」に応募するために、泣く泣く四百字詰め原稿用紙四百枚以内に削った後なので、1995年に出版された「私家版青春デンデケデケ」はその二倍の783枚あります。
 さすがに、そちらはマニアックすぎるので、クラシック・ロックや「青春デンデケデケ」のファンにしか薦められません。
 演奏や練習以外に、バイト(楽器を買うため)や女の子のことも書かれていますが、なにしろ1960年代の地方都市が舞台なので、純朴そのものです。
 しかし、表面上は大きく変化したものの、その本質は今の高校生たちと変わりません。
 ファッションやコミュニケーション方法などが大きく変化しても、学校、友人関係、部活、バイト、進学問題、異性関係などが、生活のほとんどを占めています。
 ただひとつ大きく違うのは、洋楽(特にロック)がもっと生活の大きな部分を占めていたことでしょう。
 作者は私より五学年上なので、メインのバンド(私が一番好きだったのは、レッドツエッペリン、クリーム、ドアーズ、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、レーナード・スキナードなどでした)は違いますが、それでもビートルズやローリングストーンズは共通しています。

青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)
芦原 すなお
河出書房新社
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ガブリエル・ゼヴィン「トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー」

2024-02-05 10:59:05 | 作品論

様々な人種的背景を持つ学生たちが、後に世界的ヒットをするゲームを開発する作品です。

その過程で人種や男女の違いを超えた愛や友情とその挫折が描かれています。

彼らの子ども時代の部分もあって、児童文学的な要素もあります。

ただし、20年間以上の時間が経過する作品で、大人になってからは、性的な描写やドラッグや暴力シーンもあるので、児童文学としては適さないかもしれません。

この本を取り上げた理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由はゲーム的リアリズムとでも呼べるようなビデオゲームの世界に立脚した作品であることです。

日本の児童文学では、エンターテインメントの分野において漫画的リアリズム(作者と読者が共有する漫画的な世界に立脚した世界を描いている。例えば那須正幹のずっこけシリーズなど)で描かれている作品がありますが、ビデオゲームも数十年の歴史を持っているので、そういった世界に立脚した作品が可能になっているのです。

残念ながら私はビデオゲームの世界に詳しくないのですが、もっと若い年代でゲーム好きであれば、この作品はもっと楽しめたことでしょう。ドンキーコングやマリオやストリートファイターなど、私でも知っているようなゲームもたくさん登場します。

次に、男女の違いを超えた80年代の終わりから2010年代までの20年以上に及ぶ愛と友情が描かれている点です。

主人公の男性は、子供のころに交通事故で母を失い、自身も左足を何十箇所も骨折して、長い期間入院しています(大人になってからついに切断します)。

そして、ショックで誰とも口を利かなくなっていました。それがふとしたことから、病院を毎日のように訪れている同い年の少女(小児がんの姉を見舞っている)と一緒にビデオゲームをやるようになります。そして、主人公は立ち直り、二人は親友同士になるのですが、少女がその訪問をボランティアとして公式に時間をカウントされて表彰されていたことが判明して絶交します。

主人公は、その少女と大学生(男性はハーバードで女性はMITです)の時に再開し、「イチゴ」という日本名のゲームを開発することになります。そのゲームはのちに世界的なヒット作になります。

彼女は、主人公の男性の親友の、二人のプロデューサー役にもなる男性と結婚して妊娠します。

しかし、その男性は会社に訪れてきた保守主義者に射殺され、彼女は出産後にうつ病になってしまいます。

そんな彼女を救ったのは、主人公の男性が作ったロールプレイングゲームでした。彼は彼女のためにそのゲームを作って世界にリリースしたのです。

三番目の理由はグローバルな視点で描かれている点です。

主人公の男性は、ユダヤ系アメリカ人の父親と韓国系アメリカ人の母親をもち、母親の両親である韓国人の祖父母にロサンゼルスのコリアタウンで育てられました。

相手役の女性は、裕福なユダヤ系のアメリカ人です。

プロデューサー役の男性は、投資家の日本人とデザイナーの韓国系アメリカ人の両親をもっています。

こう見てみると、全員がアメリカ社会ではマイノリティです。

また、主人公の男性ははっきりとはしていませんが、LGBTQ的な傾向(彼の作ったロールプレイングゲームの中では、現実より早く同性婚が認められています)を持っています。

このような、様々な考え方を持った登場人物がぶつかりあって、ゲーム作成に没頭します。はじめは三人でスタートしますがやがては会社組織になり、後には女性は母校のMITでゲーム創作を教えたりしています。

以上のように、非常に今日的な要素を含んだ作品になっています。

 

 

 

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デ・アミーチス「クオレ」

2024-01-06 09:18:55 | 作品論

 「愛の学校」という副題でも知られている、1886年に書かれた児童文学の古典です。
 私は、子どものころに講談社版少年少女世界文学全集に入っていた抄訳を読んだだけで、全訳は今回初めて読みました。
 この作品は、イタリアの小学四年生の一年間の日記の形態をとっていて、そこに両親や姉のコメントを付け加えたり、担任の先生がしてくれる毎月のお話としてイタリア各地の英雄的な行為をした少年たちを紹介する短編(全部で9編あって一番有名なものはあのマルコの「母を訪ねて三千里」です)が挿入されていて、単調になるのを防いでいます。
 あとがきで訳者も述べているのですが、かなり軍国主義的だったり、過度に愛国的だったり、教訓的すぎる部分もあって、そういった個所を削除した抄訳の方が60年前の私にとっても読みやすかったと思います。
 なにしろ130年以上前に書かれた作品で、この訳者による初訳も100年以上前(改訂版も私が生まれた翌年の1955年です)なので、今の基準に照らすと、差別的だったり、子どもへの虐待(少年労働や少年兵士など)があったりして、現代には適していない描写や表現もありますし、今の子どもたちに理解してもらうのは難しいかもしれませんが、ここで描かれた死や別れなどは、今でも普遍的な価値を持っていると思われます。
 現代の日本の子どもたちに手渡すのには、抄訳や翻案ということも考えられますが、適切なまえがきとあとがきと詳しい注釈をつけて、原作のまま紹介する方が望ましいでしょう。
 作中の少年たちが、まだ近代的不幸(戦争、貧困、飢餓、病気など)が克服されていない社会でどのように生きてきたかを知ることは、現代の子どもたちにとっても意味のあることだと思います。

クオレ―愛の学校 (上) (岩波少年文庫 (2008))
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岩波書店



クオレ―愛の学校 (下) (岩波少年文庫 (2009))
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岩波書店
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鳥野美知子「桜色の遊園地」いつも元気で自分の世界を持っている女の子所収

2023-12-31 09:30:31 | 作品論

 主人公の女の子は、春休みに、ママが働いている山の上遊園地に遊びに行きます。

 ひょんなことから、けがをしたママの代理で、ウサギの着ぐるみに入って、ヒーローショーに出演することになります。

 そこで、相手に気が付かれないうちに、憧れの男の子である「王子」と知り合いになります。

 小学校高学年の元気な女の子の様子が素直に描かれていて、好きな男の子に対する気持ちも自然に読み取れました。

 

 

 

 

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鳥野美知子「女正月」ふろむ第13号所収

2023-12-28 10:14:00 | 作品論

 雪国の冬景色を背景に、老女と彼女の亡き夫の教え子(知的障害があると思われます)との交流、そして不思議な居酒屋や雪女(外国人の若い女性の姿をしています)などとの関りが描かれています。

 著者得意の雪国(山形県と思われます)の風習や雪国の描写がふんだんに用いられ、幻想的な雰囲気を漂わせています。

 事実、この作品のもとになるものは、雪の町幻想文学賞で準長編賞に選ばれています。

 

 

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ばん ひろこ作 近藤薫美子絵 「たいへんなおひっこし」

2023-12-21 11:40:33 | 作品論

 幼稚園や保育園で購入できる「こどものくに」の一冊です。

 ありたちが巣から引っ越すことになり、その大変な様子が、絵に膨大なセリフが書かれていて、詳しく語られます。

 特に、ありたちが一番危険な奴としているあっくんという男の子との攻防は、なかなかスリルがあります。

 最後は、あっくんが落としたクッキーを手に入れて、めでたしめでたしです。

 幼い読者たちが興味を持てるような工夫が、全編になされています。

 

 

 

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安東みきえ 文、牧野千穂 絵「へそまがりの魔女」

2023-12-14 13:34:25 | 作品論

 呪うことしかゆるされない魔女と、道に迷った少女のふれあいを描いた絵本です。

 へそまがりで素直にやさしくできない魔女と、いっしょに暮らし始めた少女は、しだいに心を寄せ合うようになります。

 そして、やっと生まれた国王の世継ぎに、魔女はへそまがりの呪いをかける形で幸いをもたらす贈り物をします。

そのおかげで、それまで乱れていた国には平和が訪れるのでした。

作家の巧妙な文章と、画家の魔女以外を動物で表した卓越したアイデアで、しゃれた絵本に仕上がっています。

 

 

 

 

 

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岡沢ゆみ「さよならといえないぼく」百物語5畏怖の恐怖所収

2023-12-12 08:13:47 | 作品論

怖い物語を集めた百物語の第85話です。

急逝したおじいちゃんの死を受け入れられない主人公は、おじいちゃんの死に顔や様子をなかなか見ることができません。

生前のおじちゃんとの思い出がいろいろと思い出されます。

なかなかさよならを言えない主人公のために、おじいちゃんの幽霊が表れてお別れを告げてくれます。

怖いお話というよりは、しみじみとした趣のある短編です。

 

 

 

 

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庄野英二「日光魚止小屋」ファンタジー童話傑作選1所収

2023-06-27 08:55:40 | 作品論

 「誰も知らない小さな国」で、現代児童文学(定義などは他の記事を参照してください)のスタートを飾ったと言われている佐藤さとる(創作だけでなく、「ファンタジーの世界」のような啓蒙的な専門書の著作もあります)が編集したアンソロジーの巻頭作です。
 この作品の初出は、1970年6月に出版された作者の短編集「ユングフラウの月」です。
 主人公(作者の分身と思われます)と狐の親子との交流を、彼の山小屋(別荘)を舞台にして描いています。
 作者自身が好きなアウトドアライフと動物ファンタジーを融合させた、作者独自のおしゃれな短編になっています。
 野外調理用のスウェーデン鍋や固形スープなどともに、がんもどきを登場させるなど、和洋折衷のユニークな作品世界を展開しています。
 編者は、巻末の解説でこの作品について、
「こんなタイプの作品を書く作家は、おそらくこの人をおいてほかにいないのではないかと思う。澄んだシロホンの音色のようにハイカラな作風だが、その底には江戸以来の日本人のユーモアが漂っていて、思わずひきこまれてしまう」
と、書いていますが、全く同感です。

 

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高村有「Sビル3号室」百物語3嘆きの恐怖所収

2023-06-17 09:19:09 | 作品論

 怖いお話のアンソロジーに入っている短編です。

 入居した人々が次々と行方不明になる部屋の謎に迫ります。

 巧妙に伏線が張られていて、読者の恐怖をそそります。

 

 

 

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最上一平「ようかい村のようかいばあちゃん」

2023-01-14 11:18:26 | 作品論

 主人公の女の子と、そのひいばあちゃんであるようかいばあちゃんとの交流を描いたシリーズの三作目です(他の本については、それぞれの記事を参照してください)。

 今回は、雪に閉ざされたようかい村(ようかいばあちゃんが一人で暮らしている山奥の集落)での暮らしの様子が描かれています。

 いろりや雪の坂道などで、三世代を超えて交流する二人の様子が楽しく紹介されています。

 こうした雪国での暮らしや、昔の暮らしについて、主人公だけでなく読者たちも、興味津々にしてくれます。

 

 

 

 

 

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丘修三「ぼくのお姉さん」

2022-10-29 12:39:12 | 作品論

 偶然、この本が2015年の神奈川県の読書感想文コンクールの課題図書になったことを知り、再読したくなりました。
 こうしたいろいろな読書感想文の課題図書は、純文学的な「現代児童文学」をたくさん売るほとんど唯一の方法です。
 どういういきさつで、1986年に初版が出たこの本が30年近くたった2015年の神奈川県の課題図書になったかは知りませんが、今でも苦労しながら(時には自費出版で)「現代児童文学」の創作を続けていらっしゃる作者のために素直に喜びたいと思いました。
 この本の冒頭には、以下のような「はじめに」という文章があります。
「人生は、たのしいもの。
 けれども、くるしいことや、
 かなしいことや、心をなやますことも
 また、たくさんあります。
 人は、そのようなさまざまなことを
 体験しながら、ほんとうの<人間>
 になるのだと思います。
 ひとの心のいたみがわかる
 <人間>に。」
 30年の間に、子どもたちが読書に求めるものは大きく変化し、たんなる一時の暇つぶし的な娯楽にすぎない場合が多くなっています(大人たちも同様ですが)。
 しかし、時には本書に載っているような作品群を読むことは、今の時代だからこそ大切なことなのではないでしょうか。

ぼくのお姉さん (偕成社の創作)
クリエーター情報なし
偕成社
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リンダ・ニューベリー「おもちゃ屋のねこ」

2022-08-14 15:59:54 | 作品論

 2009年にイギリスで書かれた、不思議な味わいを持った中編です。

 主人公のハティは小学生ぐらいの女の子です。

 ハティは、放課後、おかあさんが仕事を終えるまでの間、大叔父さんのやっているおもちゃ屋「テディとメイ」の手伝いをしています。

 テオ(テディ)おじさんは、メイ大叔母さんが亡くなった後、一人でお店をやっているのです。

 そんな「テディとメイ」に一匹の猫クルリンがやってきて、居ついてしまいます。

 それ以来、お店は、おおにぎわいになります。

 そうです。

 クルリンは、まさに福をよぶ招き猫だったのです。

 その猫を中心に、いくつかの小さな事件(怪しい老年のカップルが、お店に謎の箱を置いていきます。ハティがクルリンを家にもらったために、お店の商売がうまくいかなくなります)が起こり、やがて収まるところに収まってハッピーエンドを迎えます。

 登場人物はみんないい人ばかりなのですが、中でもテオおじさんが魅力的です。

 商売は下手(お金を取りはぐれてばかりです)なのですが、おもちゃと子どもたちが大好きで、こんなテオおじさんだからこそ、クルリンのような福をよぶ猫が居ついたのでしょう。

 この作品はファンタジーではないのですが、不思議な魅力に富んでいます。

 

 

 

 

 

 

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森 忠明「末弱記者」

2022-08-13 11:33:53 | 作品論

 作者にとっては、数十年ぶりの新刊です。

 掲載されている作品と発表年度は、以下の通りです。

 末弱記者 2021年

 兄よ銃をとれ 1990年

 三月の湖 1992年

 花笛 1992年

 わせだだいがく 1993年

 死にっかす 1994年

 迫田明の美しい十代 2006年

 どれも作者らしい、人生の負の部分に目を向けた短編になっています。

 その他に、2010年代に発表された詩が三編、合わせて掲載されています。

 作者は、この数十年の間、ほとんど現役を退いているわけですが、それでもこうして本を出そうという熱烈なファン(お弟子?)はいるわけで、また、その本を買う一定数の読者(私自身も含めて)が存在するのです。

 作者やその作品に関しては、関連する記事を参照してください。

 

 

 

 

 

 

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