現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ヤングケアラー(若年介護者)

2020-08-31 08:25:06 | 作品

優香は中学三年生。ジャニーズ事務所のアイドルグループが好きな、ごく普通の女の子だ。

学校の休み時間には、クラスの女の子たちと、ネットや雑誌で仕入れたお気に入りのメンバーの噂話で盛り上がっていた。
しかし、優香には、クラスの他の子たちとは違う点がひとつだけあった。
 それは、クラスメートがどんなに誘っても、放課後は寄り道せずにまっすぐ家に帰ることだ。
学校では禁止されているけれど、他の子たちは、時々はコンビニやファンシーショップやショッピングセンターなどに寄り道している。
でも、優香だけは、それに加わらなかった。
 もちろん、部活は帰宅部だったし、塾にも通っていない。
「まったくユウったら、付き合いが悪いんだから」
 みんなに文句を言われても、
「ごめーん」
といって、先に帰ってしまう。
 しかも、その理由を誰にも話さなかった。
実は、優香は、自宅でおとうさんを介護していたのだ。
優香の帰宅を待って仕事に出るおかあさんと交代しなければならないから、帰宅を急いでいたのだ。

おとうさんは、五年前の四十八歳の時に、若年性認知症を発症していた。

その後、なんとか二年間は会社に勤めていた。
でも、その間に症状が悪化して、とうとう休職を余儀なくされてしまった。
おとうさんが休職中は、母親が自宅で介護していたので、優香には過度な負担はなかった。せいぜいおかあさんの代わりに買い物へ行ったり、ご飯の支度をしたりするぐらいだ。
おとうさんが休職している間は、健康保険組合から傷病手当金というお金が出ていた。
給与の85%ももらえたので、おかあさんが働かないでも、そのまま生活をすることができた。
 しかし、二年間の休職期間が過ぎると、おとうさんは退職しなければならなくなった。
その間に認知症の進行を抑える治療は受けていて、会社には復職の希望は出したのだが、こうした休職者が復帰する際の条件は思いのほか厳しかった。会社には、若年性認知症を発病した社員に対応する体制は、まだ整備されていなかった。
 それでも、会社からは、退職金以外に見舞金まで出た。
しかし、それだけでは生活を賄えなかった。
 それに、優香や弟の俊平の将来の学資に、それらのお金は取っておかなければならない。
 そのため、今は母親が働いて、生活を支えなければならなくなっている。
おかあさんは、昼間は今まで通りにおとうさんの介護をしていたが、夕方から深夜まではコンビニで働いている。それまで専業主婦だったおかあさんには、就職に有利な資格などなかった。
 優香は、学校から急いで帰ると、出勤するおかあさんと入れ替わりにおとうさんの介護をしている。
 夕食の支度、食事の補助、トイレの補助、着替え、入浴の補助、洗濯など、やらなくてはいけないことは山ほどあった。
 おかあさんが帰ってくる深夜になって、大急ぎで自分が入浴してから、ようやく寝ることができる毎日だった。
 とても、勉強をしている暇はなかった。
 弟の俊平も、学童クラブから帰ると手伝ってくれたが、まだ小学三年生なので、簡単なことしかできなかった。夕食の配膳や、優香が手の離せない時に、おとうさんの相手をするくらいだった。
優香は、父親っ子でおとうさんの事が大好きだったので、介護自体は嫌じゃなかった。
優香の悩みは、宿題や受験勉強をする時間がないことだ。
 それに、いつも寝不足なので、学校も遅刻しがちだった。
 経済的な理由もあり、今の優香には将来の進路に、希望がぜんぜん持てなかった。

 二学期になると、進路相談についての三者面談が行われることになった。
 しかし、優香の場合は、おとうさんの介護があるので、おかあさんは三者面談にも出られなかった。
そのこと自体は、大きな問題ではなかった。優香の家庭の状況は、去年の途中から優香が本格的な介護を始める時に、おかあさんから担任に説明してあった。そのため、本来はこの学校にはない帰宅部も、優香の場合は特例として認められていたのだ。
 優香の志望校は、地元の公立高校だった。
その学校に、特別な魅力を感じていたわけではない。現実問題として、授業が終わってから、おかあさんが仕事へ出かける前に帰宅できるのは、その学校しかなかったからだ。
その学校のレベルはそれほど特に高くなく、二年生のころまでの優香の成績だったら十分合格できるはずだった。
二人だけの三者面談が始まった。
 担任の宮本先生は、最近の優香の成績と、それによる志望校の合格確率について、データを使って説明してくれた。
 優香の成績は、介護を始めてから目に見えて下がっていた。二年生の時の内申点は、介護を始める前の貯金もあってそれほど悪くなかった。
 しかし、本格的な介護が始まった三年の一学期の成績は大幅に下がっていた。内心で重視される時だっただけに痛かった。それに、二学期もそれを回復できる見込みは全くなかった。
 合計の内申点が悪いので、宮本先生の分析では、志望校に合格できる確率はかなり低かった。
「あなたの置かれている状況は、本当に気の毒だと思っています。でもね。今の入試制度では、そういったことは一切考慮されないのよ」
 担任の山本先生はそう言って、優香に志望校のランクを落とすように指示した。もともと、経済的な理由で優香の場合は私立高校を受ける選択肢はなかった。そのため、先生がますます公立校の受験には慎重にならざるを得ないのも、その理由だった。
 ショックだった。
 その学校が嫌なのではない。そもそも、そういったえり好みをしている状況ではないのは、優香も十分承知していた。
 それよりも問題なのは、その学校だと、自転車を使っても通学に三十分以上かかってしまうことだ。これでは、おかあさんが仕事に出るのに間に合わない。徘徊する可能性のあるおとうさんを、その間、家に一人っきりにしなければならなくなる。 

「それじゃ、おとうさんをお願いね」
 すでに身支度を済ませていたおかあさんは、大急ぎで帰宅した優香にそう言うと、入れ替わりにあわただしく仕事に出かけていった。
 三者面談での志望校変更について、おかあさんと相談する余裕はまったくなかった。
 おかあさんが帰ってくるのは、12時過ぎだ。いつも疲れ切って帰ってくるおかあさんには、その時もとても言えやしない。ましてや、学校からの帰宅が大幅に遅れることになるのは、おかあさんの仕事にも大きな影響が出るだろう。優香だけでなく、おかあさんにもショックに違いない。
 優香は、着替えもせずに、最近はあまり使わなくなった勉強机の椅子に、ぼんやりと腰を下ろしていた。
 本当だったら、いつも早い時間に食事をしたがるおとうさんのために、すぐに着替えて、夕ご飯の支度にかからなければならなかった。
 でも、今日だけはそのエネルギーがわいてこなかった。
 こんな時、(電話かLINEで、愚痴を聞いてくれる友だちがいたらなあ)と、優香はつい思ってしまった。
 介護をするようになってからいつも一緒に遊べなくなったので、いつのまにか親しい友達がいなくなっていた。
「………」
おとうさんが、大声で何か叫んでいるのが聞こえてきた。
「はーい。今、行きます」
 優香は努めて明るい声を出して、おとうさんの部屋に向った。

      

 

 

 

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