ここにおいては、二種類の「楽園」が混在して論じられています。
ひとつは、日本の高度成長に伴って失われていった、農村や都市周辺のはらっぱなどです。
もうひとつは、「子ども時代」です。
これら二つをからませて描くことは、昔からの児童文学の大事なモチーフで、主人公の少年の死(第二の主人公である彼の友人にとっては、少年期の終わりを象徴しています)と都会に残されていた空き地(主人公の少年が自分の死を賭して敵グループから守ったもので、「楽園」そのものです)の喪失を描いたモルナール「パール街の少年たち」が書かれたのは1907年のことです。
「楽園」としての故郷(農村)の喪失の例として著者があげたのは、後藤竜二の「天使で大地はいっぱいだ」(1967年)と「故郷」(1979年)です。
前者が貧しいながらも労働の喜びにあふれていた「楽園」(農村)の子どもたちを明るく描いたのに対して、わずか十二年後には、母の死、父の離農といった「楽園」(故郷)が失われていく姿を敗北感いっぱいに描いています。
これら二つの作品では、書かれている対象だけでなく、文体や視点も大きく変化して、子どもを仮装(これは著者がこの作品を語るときにいつも使う用語です)した話し言葉から、同じ一人称でも昔をしのぶ大人の言葉へ、大きく変化していると指摘しています。
著者は、こうした「楽園」の喪失及び後藤の書き方の変化を、高度成長期による農村の破壊によるものとしていますが、それだけではないように思います。
背景には、「故郷」の主人公たちの現在でもある1970年代における若者たちの閉塞感(70年安保の敗北と革新勢力の衰退、大学のマスプロ化への幻滅、アイデンティティの喪失など)があると思われます。
社会主義的リアリズムの作品の書き手でもあった(彼は非常に才能のある書き手で、子どもたちの周辺に取材した作品や時代物やエンターテインメントに近い作品まで書き分ける多面的な能力の持ち主でした)後藤の敗北感の投影を抜きにしては、この大きな変化は説明できないでしょう。
都市部の原っぱの喪失の例としては、古田足日「モグラ原っぱのなかまたち」(1968年)をあげて、この作品では「楽園」(はらっぱ)そのものと、その喪失(市営住宅の建設)の両方を書ききったとしています。
他の「楽園」の例として、自分や仲間だけの閉じた世界(これは児童文学の世界では、「子ども時代」の比喩で、この世界を描いたほとんどの作品のラストでは、この世界からの自立(「子ども時代」の終わり)が描かれています。そのもっとも有名な例は、ミルン「クマのプーさん」(正確には「プー横丁にたった家」)のラストシーンでしょう)を描いた「現代児童文学」の始まりとされる1959年出版の二つの小人物語(佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」)を挙げています。
そして、前者はいつまでもその「楽園」が失われない(そのかわりに閉鎖的(著者は「牢獄」という言葉を使っています)になったとしています。この論文の初出は「日本児童文学」1984年2月号なのですが、その直前だった1983年9月(「だれも知らない小さな国」の出版から二十四年後)にコロボックル・シリーズの完結編が出版されたので、特に印象が強かったのかもしれません)のに対して、後者は「楽園」の消滅と小人たちの自立までが描かれていると評価しています(言うまでもありませんが、この「楽園」の消滅も、主人公たちの「子ども期の終わり」を意味しています)。
最後に、著者は、現在(1980年代前半)における「楽園」や「子ども期の終わり」の描かれ方として、いくつかの問題点を指摘しています。
後藤竜二の「キャプテンはつらいぜ」(1979年)に始まるキャプテンシリーズの少年野球チームの世界を、「大人たちの愛情にささえられて、かろうじて成り立つ(ずいぶん手狭な)「楽園」なのだ」と批判しています。
後藤の作品の中ではエンターテインメントに近いキャプテン・シリーズを、他の「現代児童文学」の作品と同じ切り口で論じるのも問題(これは著者だけの問題ではなく、エンターテインメント系の作品を批評する方法論は今でも確立されていません)ですが、都市部の少年たちの「楽園」の姿とかつての農村部の少年たちの「楽園」をそのまま比較すること自体が、著者の(というよりは高度成長期以前に生まれた日本人全体の)ノスタルジーにすぎないのではないでしょうか。
そのことは、著者も気づいていたようで、「都市のなかで生きる像がもっともっと書かれてもよいのではないか」(川北亮司「ひびわれ団地4号館」や日野啓三の小説「天窓のあるガレージ」を例として示しています)とも指摘しています。
初稿が書かれた1984年の段階では確かにそうだった思われますが、その後、日本の児童文学で描かれる世界には都市に住む子どもたちが非常に増えて(都市部で成長した作家が増えたこともその一因だと思われます)、1996年にこの本が発行された段階では状況はかなり変化していたので、少なくともこの部分は加筆訂正するべきだったでしょう。
また、著者は、現実の閉塞感の中で生きる中学生たちの状況を描いた後藤竜二(どうも取り上げる書き手が偏っている気がするのですが)「少年たち」や横沢彰「まなざし」を、「抒情的な雰囲気でごまかしている」と批判していますが、ならばこうした状況を「叙事的」に描くにはどうしたらよいのかの可能性を示さないと、たんなる現象(作品)の後追いになってしまっていると思われます。
最初に述べたように。「楽園」の喪失は特に新しいことではなく、児童文学にとって重要なモチーフの一つです。
スマホなどの携帯機器とSNSの爆発的な普及(その裏には通信技術、半導体技術、VR、AIなどの飛躍的な進化があります)によって、大きく変化している子どもたちの世界における、新たな「楽園」およびその喪失をどのように描くかの方法論が、今一番求められています。
ひとつは、日本の高度成長に伴って失われていった、農村や都市周辺のはらっぱなどです。
もうひとつは、「子ども時代」です。
これら二つをからませて描くことは、昔からの児童文学の大事なモチーフで、主人公の少年の死(第二の主人公である彼の友人にとっては、少年期の終わりを象徴しています)と都会に残されていた空き地(主人公の少年が自分の死を賭して敵グループから守ったもので、「楽園」そのものです)の喪失を描いたモルナール「パール街の少年たち」が書かれたのは1907年のことです。
「楽園」としての故郷(農村)の喪失の例として著者があげたのは、後藤竜二の「天使で大地はいっぱいだ」(1967年)と「故郷」(1979年)です。
前者が貧しいながらも労働の喜びにあふれていた「楽園」(農村)の子どもたちを明るく描いたのに対して、わずか十二年後には、母の死、父の離農といった「楽園」(故郷)が失われていく姿を敗北感いっぱいに描いています。
これら二つの作品では、書かれている対象だけでなく、文体や視点も大きく変化して、子どもを仮装(これは著者がこの作品を語るときにいつも使う用語です)した話し言葉から、同じ一人称でも昔をしのぶ大人の言葉へ、大きく変化していると指摘しています。
著者は、こうした「楽園」の喪失及び後藤の書き方の変化を、高度成長期による農村の破壊によるものとしていますが、それだけではないように思います。
背景には、「故郷」の主人公たちの現在でもある1970年代における若者たちの閉塞感(70年安保の敗北と革新勢力の衰退、大学のマスプロ化への幻滅、アイデンティティの喪失など)があると思われます。
社会主義的リアリズムの作品の書き手でもあった(彼は非常に才能のある書き手で、子どもたちの周辺に取材した作品や時代物やエンターテインメントに近い作品まで書き分ける多面的な能力の持ち主でした)後藤の敗北感の投影を抜きにしては、この大きな変化は説明できないでしょう。
都市部の原っぱの喪失の例としては、古田足日「モグラ原っぱのなかまたち」(1968年)をあげて、この作品では「楽園」(はらっぱ)そのものと、その喪失(市営住宅の建設)の両方を書ききったとしています。
他の「楽園」の例として、自分や仲間だけの閉じた世界(これは児童文学の世界では、「子ども時代」の比喩で、この世界を描いたほとんどの作品のラストでは、この世界からの自立(「子ども時代」の終わり)が描かれています。そのもっとも有名な例は、ミルン「クマのプーさん」(正確には「プー横丁にたった家」)のラストシーンでしょう)を描いた「現代児童文学」の始まりとされる1959年出版の二つの小人物語(佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」)を挙げています。
そして、前者はいつまでもその「楽園」が失われない(そのかわりに閉鎖的(著者は「牢獄」という言葉を使っています)になったとしています。この論文の初出は「日本児童文学」1984年2月号なのですが、その直前だった1983年9月(「だれも知らない小さな国」の出版から二十四年後)にコロボックル・シリーズの完結編が出版されたので、特に印象が強かったのかもしれません)のに対して、後者は「楽園」の消滅と小人たちの自立までが描かれていると評価しています(言うまでもありませんが、この「楽園」の消滅も、主人公たちの「子ども期の終わり」を意味しています)。
最後に、著者は、現在(1980年代前半)における「楽園」や「子ども期の終わり」の描かれ方として、いくつかの問題点を指摘しています。
後藤竜二の「キャプテンはつらいぜ」(1979年)に始まるキャプテンシリーズの少年野球チームの世界を、「大人たちの愛情にささえられて、かろうじて成り立つ(ずいぶん手狭な)「楽園」なのだ」と批判しています。
後藤の作品の中ではエンターテインメントに近いキャプテン・シリーズを、他の「現代児童文学」の作品と同じ切り口で論じるのも問題(これは著者だけの問題ではなく、エンターテインメント系の作品を批評する方法論は今でも確立されていません)ですが、都市部の少年たちの「楽園」の姿とかつての農村部の少年たちの「楽園」をそのまま比較すること自体が、著者の(というよりは高度成長期以前に生まれた日本人全体の)ノスタルジーにすぎないのではないでしょうか。
そのことは、著者も気づいていたようで、「都市のなかで生きる像がもっともっと書かれてもよいのではないか」(川北亮司「ひびわれ団地4号館」や日野啓三の小説「天窓のあるガレージ」を例として示しています)とも指摘しています。
初稿が書かれた1984年の段階では確かにそうだった思われますが、その後、日本の児童文学で描かれる世界には都市に住む子どもたちが非常に増えて(都市部で成長した作家が増えたこともその一因だと思われます)、1996年にこの本が発行された段階では状況はかなり変化していたので、少なくともこの部分は加筆訂正するべきだったでしょう。
また、著者は、現実の閉塞感の中で生きる中学生たちの状況を描いた後藤竜二(どうも取り上げる書き手が偏っている気がするのですが)「少年たち」や横沢彰「まなざし」を、「抒情的な雰囲気でごまかしている」と批判していますが、ならばこうした状況を「叙事的」に描くにはどうしたらよいのかの可能性を示さないと、たんなる現象(作品)の後追いになってしまっていると思われます。
最初に述べたように。「楽園」の喪失は特に新しいことではなく、児童文学にとって重要なモチーフの一つです。
スマホなどの携帯機器とSNSの爆発的な普及(その裏には通信技術、半導体技術、VR、AIなどの飛躍的な進化があります)によって、大きく変化している子どもたちの世界における、新たな「楽園」およびその喪失をどのように描くかの方法論が、今一番求められています。
現代児童文学の語るもの (NHKブックス) | |
クリエーター情報なし | |
日本放送出版協会 |