2001年のドイツ映画です。
ケストナーの児童文学の古典の、何度目かになる映画化です(初めは出版されてからすぐにされました)。
原作は1929年に書かれた本ですから、それを現代のベルリンを舞台にして大胆な設定変更を行っています。
主人公のエーミールは、原作では母子家庭(父親は亡くなっています)の母親想い(母親は自宅で美容師の仕事をしながら苦労してエーミールを育てています)の少年でしたが、この映画では離婚した父子家庭(母親はもうじき再婚しようとしています)の父親想い(父親は失業していてなんとか仕事を手に入れようとしています)の少年に変更されています。
悪漢に盗まれたのは、140マルクから1500マルク(今ならユーロにするところですね)にインフレしています。
探偵たちには、男の子だけでなく女の子も、白人だけでなく移民の子もいます。
探偵の知性派のリーダーだった教授くんは登場しなくて、映画ではIQ145の知性派の少年の名前は、少々ややこしいのですが原作では体力派のリーダーだったグスタフという名前をもらっています。
原作の警笛のグスタフの役割を映画で引き受けているのは、ポニー(原作ではエーミールのいとこのあだ名であるポニー・ヒュートヘンから来ています)という女の子です。
原作では、自宅の電話でみんなの連絡係に徹した「ちびの火曜日くん」は、映画では携帯電話を持っていてみんなと一緒に行動できます(2001年当時では携帯電話はまだ高価でしたが、彼の家は原作同様お金持ちなのです)。
犯人を捕まえた賞金は、1000マークから5000マークにインフレしています。
事件後に、原作(実際には続編の「エーミールと三人のふたご」において)では、エーミールはバルト海沿いの教授くんの別荘(彼はこれを祖母から遺産としてもらった!彼の家もお金持ちです)に招待されるのですが、映画ではエーミールのおとうさん(就職できました!)が賞金を使って探偵たちを招待します(そのため、エーミールの故郷をバルト海沿いの町に変えています)
しかし、こうした変更にも関わらず、というよりはこれらのおかげもあって、この物語の本質や、ケストナーの精神は、みごとに再現されています。
この物語の本質を標語的に言うと、「友情、団結、勝利」です(少年ジャンプと一緒ですね)。
貧しい家の子もお金持ちの子も(映画ではさらに男の子も女の子も、白人の子も移民の子も)、そんなことに関係ない「友情」で、目的に向かって「団結」し、悪い大人たちに「勝利」します。
ケストナーの精神とは、常に子供の立場に立つことです。
この映画でも、大人に抑圧されている子供たちを描きながら、それに立ち向かっていく子供たちの姿が繰り返し描かれています。
特に、離婚、失業、貧困、家庭不和など、今日の子供たちを取り巻く困難な状況をしっかり描いていることで、たんなる子供向けのエンターテインメントを超えた作品になっています。