夜寝ていると、現実なのか夢なのかはっきりしない膝の痛み。
朝起きて今朝はどうかなと足を下ろすと何とか歩けてほっとします。
「 足を引きずる 」 と言いますけど、この膝の痛みはまさに引きずるがぴったりです。
曲げ伸ばしがしにくいので痛いほうの足をかばって歩くのであまり上げずに引きずっているがぴったりだなと思います。
良く歩いていると一歩一歩足を引きずって歩くおじいさんを見かけます。
私は歩く速度が速いほうなのでその人をさっさと追い抜いて行くのですけど、追い抜かれる立場になりました。
私は病院へ行くのが嫌いで、お薬手帳は10年前に車にはねられて骨折したときの湿布薬の記録しかありませんでした。
それが昨年の歯科から始まって眼科、内科、整形外科とかかっています。
お薬手帳はまだ骨折の湿布の後、整形外科の湿布薬と鎮痛剤と胃薬だけですが、これから増えていくのでしょう。
給食用のアルマイト食器を買いました。
平皿とおかず用のお椀、脱脂粉乳用のカップ の3個です。
給食も世代によって変化していると思いますけど、私の時代はアルマイトの食器でした。
最初のうちは箸でしたがそのうちに先割れスプーンになりました。
ご飯とか麺は無く、コッペパン、たまに揚げパン。
おかずもカレーシチュー、ぜんざいとたくあん、クジラの竜田揚げ、ひじきの煮物 ・・・・このあたりを思い出します。
脱脂粉乳の頃も長かったですが、牛乳もありました。
今思うと素朴な献立でしたが楽しみだったです。
学校を休むと友達がパンだけ届けてくれました。
アルマイト食器、熱いものを入れるとやっかいですけど、楽しいですよ。
アルミの弁当箱も買いました。
いわゆる ドカベンです。
汁物は入れられないし、仕切りもおおざっぱですけどこれも楽しいです。
道具には機能だけでなく 味 があります。
便利だけの追求では面白くない、使いにくいものを使いこなす楽しみ、最近どうもそのあたりのいわゆる 使いこなす 使い慣れる が忘れられていると感じています。
たとえば車にしても昔の車は手間がかかりました、でもアクセルとブレーキを間違えるなどは無かった。
人間がコントロールする楽しみ、それは便利だから良いと言うわけではありません。
今、私は言います 「 機械は道具であれ 」 と。
使いこなす、つまり人間がコントロールするプライドを捨ててはなりません。
過信しすぎた事故(自動運転とか)を防ぐためです。
私はオートマチックの車は運転する気がしません。
昨年車は手放しました。
バイクで十分と言うのもありますけど、今の車にはまったく魅力を感じなくなったのです。
バイクはスクーターでオートマチックですが運転に関しては人間が主導権を持っています。
自分がコントロールしている、使いこなしている、育てている と感じられる物を使いたいです。