矮小化(わいしょうか)
本質的でない部分を強調して、末端の取るに足らない事柄にすること。
【政治資金問題】
政治資金パーティーが献金の抜け道になっている。政治活動に金がかかっているのが本質である。
それを「派閥の政治資金パーティー」に限定したり、会計処理の「なんちゃって連座制」にしたり、「5万円か10万円か」で揉めたり、本質的な議論から離れ末端の議論に終始している。
秘書を沢山雇っているからという評論家がいたが、必要な秘書を雇う費用は国が負担すればよい。もし今の秘書の費用が足りなければしっかり議論すればよいのだ。秘書の費用を工面するために裏金を作っていい訳はない。
政治活動に必要な額を検討して、国がそれを保障すればよい。
(参考)
公設秘書…個人給与を国費で負担する国会議員の秘書。政策担当秘書、公設第一秘書、公設第二秘書の3人を置くことが国会法で認められている。身分は特別職国家公務員。
【教員働き方問題】
学校現場での長時間労働が本質である。
長時間労働の実態が世の中に明るみなり、希望者が激減した。教員免許更新制度も相まって教員不足が慢性化している。
給特法での4%を10%にしたからと言って長時間労働が短縮される訳ではない。
教員数を増やすか仕事内容を整理する必要があるのだ。
公立学校の教員数は法律で決まっている。法律が決まった時代と現在の状況は大きく異なるはずだ。現在の状況にそくしているかを検討する必要があろう。また、「なぜ忙しい」のかの調査しないのか不思議だ。ゼロから授業を作るため、心配な児童生徒に寄り添うためには時間が必要なのだ。心にゆとりが持てるような環境を整備するのが行政の仕事だ。教員に心の余裕があるのことは良い教育には必要条件だ。
(2024/5/31)
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