ヨガに行く前に、たっぷり活元運動をする。
半年以上も前に傷めた手首に、むりな圧をかけてヨガをし続けていたら治らなくなった。
あってはならないことだ。
やっとはいけないことだ。
思うように動いてくれないからだは、思い通りにならないわが子のようで、裏切りのテーマを歌いたくなる。
ぎゅっと変な力を入れてこっちを向かせようとして失敗する。
手首には手首の事情があり、なにごとによらずからだの叡智は、認めなくてはならないのだが、しゃしゃりでてくるのは自己・セルフ・エゴ・ミエ・プライド、なんだっていい、不都合な現実である。
「整体法の基礎」野口晴哉著は、昔、整体協会でしか手に入らなかった時代に所有していたが、どこかで手放したようで見当たらない。
アマゾンで購入した古書が、あまりに赤鉛筆だらけ、鉛筆の書き込みが行間を這っていてクレームした。
送り返す必要はない、とのことだったので返金だけして、タダならしょうがないや、とありがたく読ませてもらっている。
これまでに読んだはずのことばが、いま意味をもちはじめる。
《気というのは、細かい物質の分散ではなく、分散する力なのです。
からだを動かすと気も旺になります。
整体指導は、この気をどう使うかということだけで心とかからだとかにはこだわりません。
からだに現れる以前のもの、物以前のものを物以前の力で処理していくのです。》