池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

簡単タンドリー風チキン、キャベツのカレー蒸し

2019-04-20 09:24:50 | 料理・グルメ

今朝もいい天気で、呑川から洗足池を歩いてきました。

桜の季節は概ね終了しましたが、

次々と咲くものですね。そのように植樹されているのは、大田区の取り組みなのでしょうか。

(その取り組みに、ちょっと参加してきましたので、明日にでも紹介します)

ところで、この濃いピンクのモコモコはなんの花でしょうか。

小さな花が固まって、重さのせいか下を向いて咲いています。

桜が過ぎて、「ようやく俺の出番だぜ」ってアピールかな。

 

さて、昨日は金曜でしたし、早めに帰宅したこともあり、楽天レシピに投稿できるくらいにはちゃんとした料理を作りました。

自分で買ったカレー粉があるところに、カレー粉を頂戴し、ターメリックとかインド料理系スパイスも増えつつあるので、まずは最初に買ったカレー粉を使わねば、という意識から、二品作って、二品ともカレー味です。

ですが、味、香りは変えていますし、食感が全く違うものなので、ビールさえあれば、自分的には(自分で食べるんだし)問題なし。

「簡単タンドリー風チキン」と「キャベツのカレー蒸し」です。

タンドリーの方は、普段は気合を入れて、ヨーグルトの水切りから始め、各種スパイスをブレンドして炒めて馴染ませ、レモンで下味つけた鶏肉とマリネして、冷蔵庫で一昼夜、水分を飛ばして、ようやく焼く、なんて段取りをとりますが、

簡単にささっと作りたい時もあるので、その簡単バージョンです。

キャベツの方は、シンガポールに駐在している頃、アパート下のホーカー(屋台村)で、よくぶっかけ飯を食べていたのですが、その副菜によく見かけて、選んで食べていたものです。

さあ、効率よく作っていきましょう。

鶏肉を切り分け、塩を振って、〆ます。

その間、キャベツを切っておきます。

薄揚げも切って、冷凍インゲンも用意します(長ければ、5cmに切ります)

鶏肉の噴き出た水分とぬめりをキッチンペーパーで拭き取り、ボールにカレー粉を加えて揉み込みます。

続いて、マヨネーズをケチャップでマリネして、冷蔵庫で30分から1時間馴染ませます。

キャベツの方に移って、

薄揚げとインゲンを炒めて、

キャベツをわさっと盛って、カレー粉、鶏がらスープの素、水を加え、蓋をして蒸します。

その間に、タンドリーの付け合わせの、玉ねぎをスライスして、水にさらしておきます。

キャベツ、インゲン、薄揚げにもカレーが馴染んだら、水分を飛ばして、

「キャベツのカレー蒸し」の出来上がりです。

マリネした鶏肉を魚焼きグリルで焼きます。(オーブンでもいいのですが、火力の調整がしやすく、焦げるのを防ぐために)

両面それぞれ弱火で10分ずつ焼いて、玉ねぎとともに器に装い

仕上げに、鶏肉にはガラムマサラを、鶏肉と玉ねぎの両方にPOKKAレモンをふりかけて完成です。

どちらも、シンガポール駐在によく食べたもので、実物とは味は異なりますが、いろいろ蘇った思い出と共に、ビールが進みました。

次は、本格的なタンドリーチキンも久しぶりに作ってみることにします。

それぞれ、楽天レシピに掲載していますので、ご興味があれば。

ではでは



簡単タンドリー風チキン

簡単タンドリー風チキン

 

作者:Chayank(ちゃやんく)

 

■材料(2人分)

鶏胸肉 / 300g

塩 / 適量

カレー粉 / 小さじ1.5

マヨネーズ / 小さじ1

ケチャップ / 小さじ1

玉ねぎ(付け合わせ) / 小半個

ガラムマアラ / 少々

POKKAレモン(レモンがあれば尚良し) / 適量

 

■レシピを考えた人のコメント

手間をかけずにタンドリー風に鶏肉を焼いて、食べます。

 

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キャベツのカレー蒸し

キャベツのカレー蒸し

 

作者:Chayank(ちゃやんく)

 

■材料(2人分)

キャベツ / 芯の近い1/4弱

薄揚げ / 1枚

冷凍インゲン(普通のインゲンでOK) / 5本分

カレー粉 / 小さじ2

塩 / 少々

鶏がらスープの素 / 小さじ0.5

水 / 100ml

 

■レシピを考えた人のコメント

シンガポール駐在時代に、ホーカーのぶっかけ飯の副菜によくあったものを復元しました。

 

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社会保険、税金控除の観点での退職シミュレーション

2019-04-18 19:55:17 | 知識・学習

今日は、雲が立体的で、夏の空のようでしたね。

私は朝の日課で、一緒に家を出る奥さんを待つ間、携帯アプリで各種ポイントを稼いでいるのですが、その中で、最も効率が悪い、JREポイントの鉄道すごろくで、全コースを走破しました。

ひとつ駅を進むごとに、三択でカードをめくって、当たっても1ポイント(しかも翌月末までの期間限定)、コースを終えるとボーナスが出ますが、コースの駅数に応じて、それほどは出ないので、ポイント履歴を見ると去年の7月から、10ヶ月、毎日一回サイコロを振って、一体いくらJREポイントを得たのでしょう。

まあ、その金銭的価値を考えたら、むしろ楽しくありませんね。さあ、2ラウンド目へ。

 

さて、昨日は、社会保険の扶養と、税金の扶養を整理しましたが、

じゃあ、実際に、会社を辞めて扶養に入るとしたら、どうするのか?という興味がわきまして、失業保険も絡めて、シミュレーションをしてみることにしました。

 

0. まず、会社を辞めます。

(いろいろな手続きに必要な書類は、全部もらったとします)

 

ちなみに、月末で辞めると、先月、当月の2か月分の厚生年金保険料が、最後の給与から控除されます。

月中であれば、先月分だけ。これは月末日に加入していたかどうかが基準だからです。

会社を辞めて、第1号被保険者として、国民健康保険に切り替える場合は、こちらは日割りも何もなく、加入した月の保険料を、満額払わねばならないので、厚生年金保険料を免れても、国民健康保険料・国民年金掛金でオフセットされる感はあります。

しかし、扶養に入る場合は、退職以降、保険料を払うことはないので、ボーナス月の途中で辞めたら、短期的なお得感は感じられるでしょうね。

 

さて、

 

1. 社会保険の扶養に入る

 

第2号被保険者である奥さんの厚生年金保険の「扶養」に入れてもらいます。奥さんに申請してもらいます。

 

これは速やかに行わないと、健康保険証がもらえないので、医療費3割負担が効かず、病気や怪我をしたら、医療費、薬代が高くつきます。(以前の保険証は、退職時に返納しますので)

 

2. 失業保険給付の申請

 

これまで折角、保険料を払ってきたので、今後、再就職するしないはともかく、ハローワークに行って、失業保険給付の申請を行います。

自己都合退職の場合、3か月間の待期期間があり、収入がないので、上記、社会保険の扶養に入れます。

 

3. 失業保険給付で、国民健康保険に切り替え

 

失業給付が始まると、給付金額が日額3,612円を超える場合は、受給期間は扶養になれないので、その間は国民年金・国民健康保険に加入することになり、保険料を支払う必要があります。

ちなみに大田区の「国民健康保険」(計算は面倒くさそうだけど、収入が失業保険だけだとシンプルかな)

日本年金機構の「国民年金保険料

(失業給付開始の)事実発生から14日以内に市町村の国民健康保険の担当窓口に届け出が必要。

ここは「nanacoで固定資産税(日付)」で学んだ通り、保険料はnanacoで支払い、ポイントを貯めましょう。

奥さんには、扶養から外れる手続き(任意継続被保険者被扶養者(異動)届)を会社で取ってもらいます。

(保険証の切り替えがまた発生します)

 

4. 再扶養

 

失業給付期間は、ハローワーク通ったり、再就職活動をしつつも、最大150日であるので、それを過ぎたら、再び扶養に入ります。

奥さんの会社で手続きをしてもらいます。

(またまた保険証が切り替わります)

新しい保険証を持って、市町村の窓口で、国民健康保険喪失手続きを行います。

 

5. 年末調整

 

上記のどのタイミングで年末調整があるかは想定していませんが、その年の1〜12月の収入で判断し、条件内であれば、年末調整で、扶養申請(平成〇〇年給与所得者の扶養控除等移動申告書)を、奥さんが行います。

なお、退職金は含まれないそうです。

仮に、平成32年(もはや平成ではないはずだが)の年末調整で扶養申請を行えるのであれば、平成32年度分から、奥さんが所得税控除を受けて、年末調整で還付金があります。

そして、平成33年から、奥さんが月給で住民税控除を受けることになります。

他に、奥さんの会社では、給与制度に扶養手当があるようなので、申請してもらう。

 

こう考えると、扶養や再扶養の手続きの面倒はかけるものの、税金は控除されるし、手当ももらえるなら、奥さんはお得じゃないかと思う始末です(実際に、私を養うのでない限り)

さて、こんな日は来るのかな?

ではでは


社会保険の扶養と税金の扶養

2019-04-17 18:37:25 | 知識・学習

六郷橋のちょっと下流のあたりですが、土手の麓に桜並木が続いています。

今年の桜の季節は、六郷橋よりは下流に行かなかったので、見逃したと昨日の朝、ちょっと悔やみつつ

でも、まだかなり咲いているなあ、と通り過ぎました。

そして、今朝、写真撮っておこうかな、と行ってみたところ、

あれ?こんな葉桜だったっけ?

昨日は天気も良かったので、その分、まだ咲いているように見えていたのか、

一日中、天気がよく、暖かかったため、一気に葉桜が進んだのでか、、、自分の記憶がおかしいのか?

今朝の曇り空のように、なんだかしっくりきません。

 

さて、昨日、「公的年金保険(2019.4.16)」の回で、国民年金の第3号被保険者について触れました。

第3号被保険者とは、厚生年金に加入する第2号被保険者に「扶養」されている専業主婦(夫)です。

うちは共働きサラリーマン夫婦で、二人とも第2号被保険者であるものの、いつか、どちらかが「扶養」に入る可能性がなきにしもあらずですので、

「扶養」の条件についてWEBで検索してみたところ、

「社会保険における扶養」と「税金における扶養」の混同と、その説明をしてくれているサイトが多くありましたので、それぞれの「扶養」について、ちゃんと理解しようと思います。

前者は、年金における扶養のことです。

先の回では、年金の切り口で語りましたが、正確には「国民年金保険」「厚生年金保険」と公的なものは、年金と保険はセットです。

後者は、年末調整の時に、申告するもの程度の知識しかありませんでした(毎年、被扶養者なし、なので)

社会人として、会社員としても、それではいけませんね。

 

1. 社会保険における扶養

 

第2号被保険者の扶養に入る条件は、扶養に入ろうという時点から先の12か月の収入が、130万円以下であるかどうかで判断されます。

過去の収入は関係なく、例えば、会社を辞めて、配偶者の扶養に入る前場合、その年の1月から辞めるまでの収入は全く関係なく、先の収入の見込みだけが判断材料になります。

第2号被保険者である配偶者に、務める会社で申請をしてもらいます。

第3号被保険者は、国民年金と国民健康保険に加入したことと同じ扱いで、保険料は発生しません。

逆に、扶養から外れる場合は、

・就職して、厚生年金保険に加入し、第2号被保険者になる場合

・自営、フリーランサーなどで年収が130万円を超えると、第1号被保険者になる場合

・第2号被保険者である配偶者が、起業するなどして第1号被保険者になる場合

 

第2号被保険者になるには、就職した会社で申請してもらいますが、第1号被保険者になる場合、自ら市町村の国民健康保険の担当窓口に申請をしなければなりません。

それと、130万円を超える前に、週あたりの労働時間が20時間を超え、月収が8万8千円を超えると、扶養を外れることになります。

なお、厚生年金保険は、対象が、家計を共にする世帯であるので、扶養という考え方があり、被扶養者は保険料を払わなくていいのですが、

国民年金は個人が対象であるので、自営業の第1号被保険者である配偶者に、扶養の考えは当てはまりませんので、それぞれ国民年金保険料を払う必要があります。

受給に関してですが、扶養に入っていれば、国民年金(基礎年金)が受け取れます。

扶養に入る前に働いていて、厚生年金への加入期間が10年以上あれば、自分が払っていた金額、期間に応じた額が加算されます。

また、働いている時、確定拠出型年金(DC年金)に入って、引き続き個人型(iDeCo)を続けていれば、国民年金+厚生年金+確定拠出型年金の三階建てになります。(財形とかやっていたら、4階建てにもなります)

 

2. 税金における扶養

 

配偶者の年間所得が、38万円以下であれば「配偶者控除」として(給与のみの場合は、給与収入が103万円以下。というのは、103万円以下の場合の、給与所得控除額が65万円であるため、103百万円−65万円=38万円) 

納税者の所得金額

控除対象配偶者

老人控除対象配偶者

900万円以下

38万円

48万円

900万円超950万円以下

26万円

32万円

950万円超1000万円以下

13万円

16万円 

 

配偶者の年間所得が、38万円超123万円以下であれば「配偶者特別控除」として

(給与所得だけの場合は、103万円超201万6千円未満。給与所得控除額を引いて、下記の控除枠)

 

納税者の所得金額

配偶者の所得金額

900万円以下

900万円超

950万円以下

950万円超

1000万円以下

38万円超 85万円以下

38万円

26万円

13万円

85万円超 90万円以下

36万円

24万円

12万円

90万円超 95万円以下

31万円

21万円

11万円

95万円超 100万円以下

26万円

18万円

9万円

100万円超 105万円以下

21万円

14万円

7万円

105万円超 110万円以下

16万円

11万円

6万円

110万円超 115万円以下

11万円

8万円

4万円

115万円超 120万円以下

6万円

4万円

2万円

120万円超 123万円以下

3万円

2万円

1万円

 

いずれの場合も、生計を一にする、民法の規定による配偶者(内縁は該当しない)が対象であり

納税者本人の所得合計が1,000万円を超える場合、控除は適用されません。

(給与所得だけの場合は、1,220万円。給与所得控除を引いて上記の納税者の所得金額)

なお、配偶者控除、配偶者特別控除の改定に関しては、紛らわしいところがあるので、

国税庁の「配偶者控除及び配偶者特別控除の見直しについて

国税庁の「平成30年度以降の配偶者控除及び配偶者特別控除の取り扱いについて

国税庁の「平成30年度版 給与所得者と年末調整

All Aboutの「配偶者控除って何?2018年からどう変わる?

あたりが、わかりやすいかと、参考に記載します。

 

まあ、控除の仕組みは、そんなに難しいものではなく、私が想像するに、専業主婦の奥さんがパートやアルバイトで得た所得の給与明細を取り揃えれば済むようなケースがほとんどかと思います。

しかし、配偶者も納税者も、給与所得だけでない場合、不動産所得などがあった場合は厄介かなとは思います。(国税庁の「配偶者の所得がいくらまでなら配偶者控除が受けられるか」)

以上、社会保険の扶養と、税金の扶養の整理でした。

ではでは。


公的年金保険

2019-04-16 20:32:16 | 知識・学習

今朝もいい天気でしたね。

ベランダにプランターを置いて、家庭菜園を開始したことは「家庭菜園始めました(2019.3.30)」でお話ましたが(その後、苗を追加したり)、

なにぶん園芸素人ですから、

試行錯誤、成功失敗(失敗される野菜には迷惑な話)を繰り返して、というところですが、ひとつ身を以てわかったことがありました。

苗を選ぶ時、一、二年草、多年草を分けるとか、一応かじりましたが、

今朝、プランターを見て、苗が必要とする水の多寡も重要であることがわかりました。

追加のプランターで、唐辛子達は元気ですが、ちょっと土が乾燥したら、ベビーリーフはしなしな〜っと(慌てて、水やりをしました)

ハーブ達は、葉物でも水はあまり与えないとあったのですが、ベビールーフは必要なようです。

同じプランターに、水がそんなに要らない苗と、水が必要な苗を混在させてはいけませんでした。

まあ、植え替えるのもリスキーなので、このまま頑張ってもらって、ベビーリーフを収穫したら、他とバランスの取られる苗を選ぶことにしましょう。

 

さて、家庭菜園について勉強になったところですが、

ここ暫く、梅、桜の季節ゆえ、散歩(あと、遠足)カテゴリーが多く、社会人としての知識習得が、おざなりになっていました。

しかし、勉強はちまちま続けていましたので、ここから数日、お勉強の成果を発表します。

 

これまで、固定資産税相続税相続時の所得税と、“いい大人”が知っておくべき税の知識を深めてまいりました。

今回は「公的年金保険」の制度についてです。

 

サラリーマンをおよそ30年間続けてきまものの、年金保険料は、天引きされることがデフォルトで、まあ、会社に任せておけば、定年退職後の老後はOK、くらいの感覚でしたが、年齢的には、年金制度をちゃんと理解して、自分が受給年齢になったときにどうなるのかなどは、“いい大人”として知っておくべきことと、知命(50歳)に至って、ようやく思ったわけです。

 

この図は、いい塩梅に、サラリーマンの年金の仕組み、および自営業の場合、被扶養者(配偶者など)の関係を表しているなと思い、転用させてもらいました。

 

年金制度は3種類あります。

・20歳以上60歳未満の全国民共通の国民年金

・会社員が加入する厚生年金

・公務員が加入する共済年金

 

自営業の人は国民年金のみ。

会社員や公務員は国民年金と厚生年金の両方の制度に加入しています。

厚生年金に上乗せされる3階部分は企業年金です。

その他に自助努力で老後に備える個人年金や財形年金貯蓄等があります。

国民年金の加入対象者は、図の一番下、加入者の種類を見るとわかりやすいと思いますが、私は四年生大学をストレートで出て、企業で働き始めたので、最初の2年間は親が国民年金を払ってもらう第1号被保険者となり、就職と同時に、年金手帳を会社に提出して(現在は、個人保管に代わっていますが)、厚生年金に加入した第2号被保険者になりました。

扶養されている配偶者は、第3号被保険者ですが、うちは共働きであるので、日本の年金基金には、ずいぶん貢献してきたはずです。(第3号被保険者は、個別に保険料を払う必要がなく、第2号被保険者の保険料でカバーされるので)

さて、自分が当てはまる厚生年金にフォーカスしますと、

1階部分は、国民年金(厚生年金の基礎部分とも呼ぶようですが)で、20から60まで40年間払えば満額がいただけるとこのこと。

2階部分は、厚生年金(厚生年金の報酬比例分とも呼ぶようですが)で、サラリーマンそれぞれ給与が異なるので、その金額に応じて毎月支払っている額、それと支払い(加入)期間に応じて、上乗せされる部分です。

年金保険料の額は、日本年金機構のページ厚生年金保険料額表をみると一応わかります。

そのまま見て、理解があっているとすれば、18.3%で、会社と折半ですから、9.15%が天引きされている金額のはずです。

しかし、まあ、改めて、この料率を見ると、「高っかいなぁ」と思わずにいられません。

これに加えて、所得税、市町村民税、任意の医療保険料などを、ごっそり引かれると、手取りが額面の半分くらいになる印象を受ける訳です。

標準報酬月額の通知票を渡された時、諸々控除前、自分の年収を見て、実際の手取りの金額感とのギャップって大きいですよね。

まあ、色々仕方ないところです。

他方、じゃあ、いくらもらえるのかは、自分で計算するのはほぼ不可能と思わるので、挑戦もしませんが

ねんきん定期便というものが届きますので、いくらもらえるかはこれでわかります。

 

受け取る年金には種類は、次の図のようになっており、

一般に年金としてイメージしている「老齢年金」は、年金制度に10年以上加入すると受け取ることができます。

受給開始年齢は、現在のところ65歳ですね。

60歳まで払って、5年間をおいて、65歳からもらえると。

早めることも遅らせることもでき、受給額に影響します。

あと、あまり意識したことはなかったのですが、「遺族年金」。

あって当然と言えば当然ですが、年金額は、遺族基礎年金は、老齢基礎年金の満額で、遺族厚生年金は、本人が受け取るはずであった老齢厚生年金の4分の3を、一生貰い続けられるものです。

受給の条件はいろいろあるものの(詳述は避けますが)、私が死んだら、奥さんがもらえるのか?(あるいは、逆)と思いしらべてみたところ、

年金の二重取りはないそうで、自分の年金と、遺族年金のどちらか高い方になるとのことでした。(まあ、生きているうちはそれぞれ貰えるし、先に死なねば、遺産で受け取ることになるので、先には死ねないな。でも、先に調べた遺産相続の手続きとか色々面倒だから、先に死んだ方がいいな、私の場合)

 

あと、3階部分の確定拠出年金(DC年金)ですが、

厚生労働省のページがわかりやすくできています。

私の会社も企業型でやっています。導入されるとき、赴任先のハノイに、大量の説明書類とDVDが送られてきて、(DVDが)税関で止められ、受け取るにもベトナムの税関職員はDC年金なんて知らないし、通信情報省から輸入許可をとるまで大変な思いをしました。

簡単に仕組みを語ると、会社が積み立てる退職手当累積額の一部を個人の負担として、それに会社負担分を足した掛金(合計で27,500円(月額)が上限)を、DC年金専用口座に拠出し、自分で選んだ金融商品の運用を銀行証券会社に委託して、増やす(または、減らす)もので、掛金、運用収益が非課税と言うメリットもあります。

受給は、60歳以降の退職後からで、加入期間に応じて開始期間が異なります(10年以上で、60歳から)

平成26年4月から開始の制度であることを考えると、すぐに受給できるのは、平成36年で60歳以上で退職した場合ですね。

国民年金、厚生年金同様に、老齢給付金の他、障害給付金、遺族給付金があります。

ただ、国の制度とは異なり、DC年金では、受給開始時に、5年、10年、15年、20年、終身の中から受け取り期間を選択します。(終身を選択した時は、金融商品としては、保険会社の「支払保証付き終身年金保険」を選択することになります。)

障害給付金も、年金か一時金。遺族給付金は一時金です。

運用状況はWEBで確認できます。

加入者口座番号、インターネットパスワードは加入時に、ハガキで受け取った記憶がありますが、どこにあるかな。。。

それ以外に、務める企業に規約型の企業年金制度があり、それがDC年金に移行した場合、移行以前の分は規約型から、移行後はDC年金から、受給されることになり、3階部分は、2部屋あるような感じです。

 

最後に、ちょっとまとめてみると

・自営業の方は、国民年金の一階建て(ただし、国民年金基金個人型確定拠出年金(iDeCo)で、二階建て、三階建てにできます)

・サラリーマンの方は、基礎年金+厚生年金の二階建て

・企業年金がある場合は、基礎年金+厚生年金+確定拠出型年金/規約型企業年金の三階建て

 

その他、銀行、保険会社などが提供する年金型の積み立て、保険などがあれば、更に四階建て以上に、年金生活はより豊かになります。

ただし、長い期間、その原資(掛金)を払い続けなければならないので、そこまでの負担は、家族含めての人生設計上の必要性をよく考慮して、となるものの、公的年金は、積み立てではなく、現在の労働者が、現在の年金生活者を支える仕組みであるので、年金保険料を払い続けたのに、受給期間が遅くなっていくとか、年金自体がもらえなくなるとかは、ありえないことではないので、公的年金だけにたよらず、金融商品も含めた年金ポートフォリオ、自身の蓄えも重要ですね。

ではでは。


トマトソース煮込みハンバーグ

2019-04-15 19:14:26 | 料理・グルメ

先週だったか、白菜を切りながら、夕飯のキムチ餃子鍋の用意をしている時、奥さん(B型)から

「今日の晩御飯は、ハンバーグが食べたい」という発言があり、

君の目には一体何が映っているのだ???

「あのな、アレクサだってそんなん対応できんぞ!」と

今週末に作ることをお約束していまして(なんて良い旦那さん(O型)なんでしょう)

 

トマトソースと、ハンバーグを同時進行で作って、最後に煮込み合わせます。

トマトソースは、基本のトマトソースと称して、楽天レシピに掲載済みですので、作り方はそちらを参照してください。

トマトソースとハンバーグ、別物と考えれば、二品を同時に作ると、なんか効率アップしているようで、気分も乗ってくるのはなぜでしょう(笑)

玉ねぎも、1個みじん切りにして、トマトソースとハンバーグで半分こ。

トマトソースを作っている(煮込んでいる)間に、

ハンバーグ種を作って、

トマトソースができたら、今回使う1/3を取り分けて、水とコンソメで伸ばして、

(残る2/3は、冷凍保存して別利用)

ハンバーグの両面に焼き目をつけて、軽く火を通したら、

トマトソースで煮込むこと15分。

作り置きの温野菜、レタス、キャベツ、ゆで卵で盛り付けて出来上がりです。

色合いもよく、肉、野菜、卵と栄養バランスもよし、っと自画自賛♪

ちなみに、温野菜は、業務スーパーの冷凍野菜を

まとめて、茹でて、タッパーに小分けにしておきます。

食べる時間に合わせて冷蔵庫で自然解凍します(レンジでやると水っぽくなるので)

今回も、前夜寝る前に、冷凍庫から冷蔵庫に移しました。我ながら何とマメな。

これで、奥さんの予定や気分が変わったりしたら、一人で冷たい温野菜を二人分を肴にビールを飲むことになるのですが。

以下、新規にアップした、トマト煮込みハンバーグのレシピです。

もしご興味があれば。

ではでは

 

トマトソース煮込みハンバーグ

トマトソース煮込みハンバーグ

 

作者:Chayank(ちゃやんく)

 

■材料(2人分)

基本のトマトソース(3回分) /

トマト缶 / 1個

玉ねぎ / 中半個

にんにく / 数欠片

ローレル / 3、4枚

オリーブオイル / 鍋底ひたひた

塩胡椒 / 少々

水 / 200ml

ハンバーグ種 /

合挽肉 / 200g

玉ねぎ / 中半個

卵 / 小1個

パン粉 / 1カップ

ナツメグ / 小さじ1

塩胡椒 / 少々

コンソメ(煮込みソース用) / 1個

水(煮込みソース用) / 300ml

付け合わせ(温野菜、キャベツ、茹で卵等) / 適宜

 

■レシピを考えた人のコメント

基本のトマトソースで煮込んだ、トマトソース煮込みハンバーグです。

 

詳細を楽天レシピで見る

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三鷹の森ジブリ美術館

2019-04-14 16:40:19 | 見学・観賞

先々週の福島に続いて、妻の実家の葬儀に行ってきました。

その間の記事、科学技術館、国立科学博物館と、ちょっと佐賀旅行からの流れから唐突感が感じられたかもしれませんが、

しばらく前に行った時、書き留めておいたものをこのタイミングでアップし、間を埋めさせていただきました。

なんだか、こういうのは続くもので、続くのも嫌なものです。

とりわけ、娘の旦那に対して、非常に好意を持ってくださり、歴史などの趣味も合った義父の他界は、妻の実家を往復する体力的な疲れよりも、後を引く心の疲れが重くのしかかります。

しかし、大往生であったと思いますし、一年前に先立った義母と共に、高いところから見守って頂きたいと思います。

他方、うちの方は、父母ともに元気過ぎ、活動的過ぎて心配です(山で遭難して、救助ヘリの費用何百万円とか請求が来ても困るし)

 

さて、そんな慌ただしい先週の後半でしたが、

三鷹の森ジブリ美術館に行ってきました。

ナウシカもトトロも好きですし、見ないわけではないのですが、私的にはそれほど、、、しかも、作品リストで確認したら、いくつか飛ばしつつ、最後に劇場で観たのは「ゲド戦記(2006)」でした。

では何故、というと、奥さんが行きたい行きたいと主張して、先月、ようやくチケットが取れたのが、この日時だったので、

実家からの帰宅で疲れてはいたものの、せっかくなので三鷹まで足を運びました。

 

ところで、池上から三鷹まで、車(もしくは私の徒歩)であれば、環八を上って、府中街道に曲がれば近いような思えますが、電車となると新宿に出るか、川崎から南武線で立川行って(ないない)、と割と面倒です。

その新宿に出て、中央線で行くことにしました。

30年近く前、初期配属が三鷹であったので、なんとなく懐かしさがあります。駅前は記憶と全く異なっていましたが、

その南口から、送迎バスでもいいのですが、有料だし、早めについたのと、自分の思い出から玉川上水に沿って歩いて行きたかったので、奥さんを騙してそうしました。

駅からは1kmちょっと。徒歩15分くらいです。

それでも、トトロの受付に早く到着してしまったのですが

混んでいなければ、前倒しで入れるのでしょうか。

「◯時のチケットをお持ちの方、早めに入れますよ〜」との案内に誘われて、入口へ。

予定時間より、30分ほど早く入ります。

でも、空いてはいませんね。。。

外観からも、思ったより大きくはないな、と。

入れば、やはり狭いな、

人多いな、と。

中は、写真を撮るよりは、ジブリの世界を感じてください、と撮影禁止(その通り)

でも、屋外と、屋内から屋外は可。

ふと思いましたが、「ジブリの世界観」って、なんとなくわかる気はしますが、ディズニーのように多様なキャラクターがいても、シンデレラ城の周りに集合すれば、それがディズニーのイメージあったり、ムーミンやピーナッツのように、固定のキャラクターが、固定の世界の中に収まっているのと違って、ジブリって、全く異なる、独立したストーリー、キャラクター、背景だから、こういう建物で表現するのって難しいよな、とこの建物のデザインを見て思いました。

建物だけみて、「ジブリだ」とは思わないはず。

そんな中、数少ないキャラクターものは、偽の受付のトトロと、

ラピュタの兵隊。唯一のフォトスポットかもしれない。

私としても、おふざけができたのは、この一箇所。ムスカの真似で「読める、読めるぞ!」

 

それ故にかな、ネコバスルームでは、ふかふかのネコバスに子供が入れるのですが、そのハシャギようたるや。

だって、抱きつくトトロ(TDLならミッキー)がいないんだものね。

そこで、奥さんと

「ここ、美術館だった」と。

展示も、どうやってアニメが作られるのか、の流れで構成され、その一部がセル画展のようにもなっていますが

展示のセル画も、こうやって作っていきますのサンプルで。デパートでやっているようなものではありません。

我々も、TDLのような、ジブリのキャラクターと触れ合える場所のような勘違いをしていました。

とすると、

アニメーターの仕事場的な狭さやごちゃごちゃ感はいいのですが、

さらに入場制限をきつくして、ゆっくり見られるようであったもいいのではないかと思いました。

美術館というコンセプトは理解できましたが、美術館としての運営はどうかな?

お土産というかグッズ売り場もぎゅう混みでしたし。

というか、グッズ売り場がぎゅう混みなことで、やはり「美術館」という認知ではなく、

私たち含めて、来場者の認識はジブリグッズショップに近いのかもしれません。

もっと、ゆっくり、ゆったりした時間で、美術館として見学できるチャンスはないものかな。

前日の長距離移動のせいもありますが、足の重たい帰宅となりました。

ではでは

 


国立科学博物館

2019-04-13 22:11:34 | 見学・観賞

先に「科学技術館(2019.4.12)」に書きかした通り、先に九段下の科学技術館に行きましたが、

上野にある、国立科学博物館にも行ってきました。

おそらく、国立科学博物館に行くのは、人生初のはず。

ほんとうに幼い頃、上野動物園にカンカン、ランランを見にきたことはあっても、科学博物館にうちの親が立ち寄るとは思えないし、そもそもそんな頃のあったのだろうか、と思いきや、沿革を確認するとオープニングは昭和6年(両親すら生まれていない)とのこと。歴史があったのですね、失礼しました。

さて、開館時間は9:00。ちょっと早く着いたので、表をうろつきます。

上野動物園の方は、シャンシャンが人気ですから結構な数の人が並んでします。

他方、国立科学館も負けてはおらず、企画展の大哺乳類展の方に並んでいる人たちが結構います。

私は、初心者ですので、今日はとりあえず常設展から。

館の表には、左に等身大シロナガスクジラ、右には、子供の頃大好きだったデコイチが展示されています。

(大きさからして、建物内部には展示しにくいのかな。零戦は入ったものの)

それと、科学博物館と直接関与しているのかどうかはわかりませんでしたが

(自然科学系のノーベル賞受賞者は、内部で紹介されていたのですが)

郷土の偉人、野口英世博士。彼の家は田舎の小学校の遠足コースです。手が開けない火傷の原因となった囲炉裏とかあってね、懐かしいね。

 

さて、開館したようなので、大人ひとり620円で入館します。

日本館(昭和6年に開館した大元)と地球館(新館、平成11年常設展示開始)があります。

日本館のテーマは、日本列島の自然と私たち。

”日本列島の自然と生い立ち、そこに暮らす生き物たちの進化、日本人の形成過程、そして私たちと自然の関わりの歴史を展示しています”

地球館のテーマは、地球生命史と人間。

”地球の多様な生き物がお互いに深く関わりあって生きている姿、地球環境の変動の中で生命が誕生と絶滅を繰り返しながら進化していく道のり、そして、人類の知恵の歴史を展示しています”

 

とにかく、展示物が充実しているというか、大量なので、ひとつひとつを丁寧に見ていくというよりは

古代から現代への歴史の流れに沿って、生き物がどのように変わっていったかを、標本(はく製、骨格標本など)やジオラマで、自然科学の発展を展示物で追っていくような感じです。それでも一通り見て歩くのに午前中を悠に使いました。

 

先の科学技術館は、技術的な展示を体感するようなものでしたが、こちらは自然科学(主に生物)の迫力ある展示を見るような違いがあります。

個別詳細なことを語ってはキリがないので、ざっと行きますので、写真からは、雰囲気と迫力を感じ取っていただければと思います。

そして生の感動は是非、現地でご自身の目で。

 

日本館のスタートは「自然をみる技」のコーナーです。

最新ではなく、レトロな望遠鏡、時計、天球儀などが大量に展示されています。 

この物量というかコレクションが、さすが国立博物館ですね。

「生き物たちの日本列島」「日本列島の素顔」では、日本で独自の進化を遂げた動物たちの歴史を追います。

リアルで迫力がありますね。はく製でしょうか。

なんだか表情も感じ取られます。

骨格標本もあると、(専門的なことは抜きにしても)違いや進化の具合が、わかりやすいですね。

「日本人と自然」では、古代人の骨格標本と、

ジオラマで、古代日本人の体格とか生活風景を知ることができます。

この頃から犬と一緒に生活していたんですね。

縄文時代の土器だったかな。

こちらは、吉野ヶ里遺跡で見た甕棺でしょうか。

ハチ公って剥製になって展示されているんですね。 ちょっと複雑な感覚。

こちらは魚の進化の過程でしたかね。

いろいろな動物が日本にはいたんですね。

そして「日本列島の生い立ち」では、とりわけ福島県人には有名な「フタバスズキリュウ(双葉鈴木竜)」の化石の標本です。実物もここに保管されているようですね。本物はいわきにある博物館にあるもののかと思いきや、あっちがレプリカでした。

噛みついていたサメの歯も化石になっていたとは驚きです。

アンモナイトも多種多様。

これもフタバスズキリュウと同じところで、発掘された巨大なアンモナイト。

ただ、それがきっかけで発掘者が大勢やってきて、発掘場が荒らされてしましったとか。

同時期の哺乳類だったかな。日本館ですから、日本に生息していた恐竜や哺乳類の標本でした。

さて、世界館の方はどうでしょうか。色々あることでしょう。

オオツノジカかな。日本の代表的な大型化石哺乳類。

 

以上、日本館ですが、地球館(新館)に移動する前に、「シアター36◯」ドームシアターでオリジナルプログラムを見ます。

科学技術館でもドームシアターで観ましたね。こういうのは、子供だけでなく大人も楽しめますね。

そして、地球館(新館)に移動します。

 

地下の「自然のしくみを探る」から見はじめますが

う〜ん、すごいものなのでしょうけど、ちょっとわかりませんね。かぶりつきで見ている人たちもいるのですが。

これは、、、黒点の観察するやつだったか、、、

すみません。これに限らず、写真とコメントがあっていないのが所々あるはずです。

細かにメモを取っていなかったので。

言い訳すると、個別にそんな細かに見切れません。特別興味のある分野がある方はいいのですが

先に書いた通り、多数の標本をおーっという感覚で楽しんでいると、このような感じになってしまいます。

でも、それでいいかと。それで十二分に楽しいです(子供なんか絶対に)

 

「地球環境の変動と生物の進化 誕生と絶滅の不思議」ということで、魚の化石の展示に到達しました。

恐竜の化石コーナーに近づいてきた気がします。 

骨が、細かい。。。発掘って繊細な作業なんでしょうね。

空を飛んでいるのではなく、大型の水中生物の化石標本。

これは大型の亀だったかな。

大型哺乳類は、比較的暖かいところを好むナウマンゾウやオオツノジカは氷河期に入って絶滅し、氷河期を生き抜いたマンモスは、氷河期が終わった温暖化で絶滅したそうな。

人も多様化しています。中学生の頃、ジャワ原人とか勉強しましたね。

ジャワ原人の骨格は、ジャカルタの博物館で見たことがあります。小さいんですよね。

これはポリネシアの古代カヌーの模型ですが、これで太平洋を移動して人間の生存範囲が広がっていったと。

これはアジアから、アラスカを渡って、アメリカ大陸に移動した人間の家だったかな。

マンモスの骨でできている。

 

そして、私的には、フタバスズキリュウと共に、国立科学博物館で主に見たかった、恐竜の化石コーナー「地球環境の変動と生物の進化 恐竜の謎を探る」です。

恐竜の化石は、他の化石や標本より、なんかテンション上がりませんか?

翼竜が飛んでいます。

恐竜には羽毛があったと、一時有名になった化石ですね。

おお、まさに恐竜。ラプトルっぽい。

首長竜系。大きい。

みんな大好きトリケラトプス。グラント博士もそういっていませんでしたっけ。

説明板にはトリケラトプスは実物化石と書いてあったのですが、これでしょうか。

こっちだったか。。。(すみません)

ティラノザウルス(Tレックス)

これも子供の頃好きだったな、ステゴザウルス。

骨格を裏側(腹側)からも見られるよう、BBQのように回せます。

しっかりみたかったのです、子供たちが、回すことだけ面白がってぐるぐる回すので、おじさんは不満足。

「地球史ナビゲーター」では、囲まれた大きなスクリーンで、地球の成り立ちを映像を観ることができます。 

「地球の多様な生き物たち」では、多くの種に別れて進化し、様々な環境に適応していた過程を大量の標本から見ることができます。

なんかパターン模様のよう。

でも、地理的な分化の説明で、その背景を知ることができます。

「科学と技術の歩み」では、まず、一昔前の機械が見られて面白いです、

日本初の電子計算機のこの大きさ。

はやぶさ2が話題ですが、こちらははやぶさの復元模型

零戦もありました。

そして「大地を駆ける生命」では、迫力ある哺乳類の大群ディスプレイです。

そして、締めは上野ですから(?)、パンダで。

 

以上、国立科学博物館の紹介です。

本文中にもしつこく言い訳していましたが、個々にじっくり見ているときりがないので

半日、一日でみるには、生物史を古代から現代に追っていき、標本でイメージを掴んでいくような楽しみ方十分楽しめると思います。

そして、一回でおしまいではなく、何度か来たいですね、そして何度きても楽しめるものと思います。

ぐるっとパス2019」 を買ってまた来ようと思います。

ではでは 

 


科学技術館

2019-04-12 19:54:00 | 見学・観賞

毎朝、皇居は歩いていますし、

通り過ぎる美術館、博物館の類に、最近は興味を持って、参観していますが、

もう一つ残っていましたね。

科学技術館

千鳥ヶ淵緑道を遠回りして、九段下の方に行くと、道標に「科学技術館」とありますし、「昭和館(2019.3.23)」に先に行った方が、なぜ?と聞かれても回答のしようがありません。

科学技術館へ最後に行ったのも、随分と昔の事のように思えます。

うちの会社が技術(製品)展覧会のような事をしていた時代があって、よく使っていて、そのスタッフで何度か行った記憶がありますが、それも靖国神社の花見の場所取りと同じ事ですから、二十数年前でしょうね。

まして、”子供向き”と思っていましたから、自ら見に行った事はありません。

さて、九段下からであれば、田安門から武道館をすぎて、北の丸公園を突っ切っていきますし、

いつもの皇居散歩コースであれば、工芸館と公文書館の間の道から、北の丸公園に入ってすぐです。

 

9:30オープンで、入口に行ったら、結構開くの待っている家族連れがいましたね。

(あと、ここは月曜に開いているのですね、珍しい)

で、奥さんは付き合ってくれなかったので、私は”大人ひとり”

係りの人は、「何者?」と思った事でしょう。ちなみに、大人は720円。

返す返すもの、「ぐるっとパス2018」が買えなかったことが残円ですが

ぐるっとパス2019」の発売、価格も公示されているので、頭に入れておきたいと思います。

(最近、いろいろ行ったので、すぐに買っても、同じ企画展を観る事になってしまうので)

 

さて、私の段取りとしては、シンラドームという、円形のドーム型シアターで観るプログラムの時間に合わせて、間に各階、各ブースを一通りまわってみようと。

ただ、最初の回(プログラムは全部で6回、4種類のプログラで、うち2つは、3Dでの上映と、普通の上映)が10:30なので、まだ空いている場内を、順序よく2回から回ることにしました。

後に気がつきましたが、各ブースで、ワークショップの時間があり(子供数人に、スタッフ・指導員がいろいろ体験させてくれる)、その予約のために、朝一から並んで、ダッシュでまずは、参加したいところを回っている感がありました。

 

各ブースを回ってみると、基本的には子供向けで、体験できるもの、パネルやタブレット(スクリーン)で勉強できるもの、展示物、そしてワークショップでした。

いい大人として、子供に混じってワークスショップとか、一緒に並んで体験型というのは、憚れましたが、

ちょっとだけタブレットを操作してみたり、主に、パネルや展示物を見ていると、わかりやすく、大人でも楽しめる内容に思えました。

ちゃんとした美術館、博物館は、説明文を読んでも、あいにく頭に入ってきませんし、すぐ忘れてしまいますが

子供の頃一度は勉強した事を思い出したり、改めて(本当はもっと難しい)科学技術のさわりを勉強し直すのは、かなり楽しかったです。

いくつか写真を撮った例で、雰囲気を感じていただければと思います。

展示物ですが、自転車の歴史で、前輪のでかい自転車。なお、後輪を回すようになったのは、革新的であったと。

時を過ぎて、ハイブリット車です。

これは、無人の潜水艇で、4000m(だったかな?)の海底の地形を調査するコンテストに参加した実物で、コンテストの結果が6月に出るので、その結果次第で商用化されるのだとか(商用化はされているの?と係員の方に聞いたところ)

体験ものはいろいろな種類、レベルがありますが

ドライビングゲームのようなゲーセンの最新型のようなものもあれば、これはシンプルですが、リアル感は高く感じるかも。

頑張って自転車を漕いで、電気を起こしてみたり。

ワークショップの模様です。

大きな鉄球を、機械的な仕掛けのコースを動かしていく、自分の腕力が必要な、重量級のピタギオらスイッチ。

こちらは小型。

さらに、小型ですが、街の設備、建物での、ギアの使われ方などがわかる模型。

パネル展示もシンプルでわかりやすく(ただ、読んでいる子供は、ほとんどいなかったかな(苦))

科学的、化学的になると、子供にはちょっと敬遠されるかも。

でも、触れたりすると、興味は持ってもらえるんでしょうね。

これは、車の部品のリサイクルのプロセスですが、大人の僕にはちょうどいい、専門性とわかりやすさでした。

IoTなんかもテーマになっていました(中身は、音声や画像認識がメインでしたが、子供が実感するにはそのくらいが丁度かも)

あと、これは個人的に非常に勉強になった薬に関するブースでした。

パネルを読んでいる人は、私以外いませんでしたが、液晶パネルのところで、クイズに答えていくので、最終的な知識習得レベルは一緒だったかも。

こういう、個別スクリーンやタブレットでの説明も多かったですね。

実際の機械の展示や操作との組み合わせもいいですね(これは原子力について)

と、子供にとっては、少なくとも(科学的な知識はともかく)楽しめますし、

保護者はそれどころではないものの、”大人”も、手ごろになレベルで勉強になる、楽しめるものかと思います。

(かと言って、そう何度も行かなくていいですけどね)

 

さて、最後に”シンラドーム”のプログラムですが

◆上映時間◆ (日曜日~金曜日、但し毎月第3日曜日を除きます)

 

10:30~10:45 コズミック・ディスカバリーズ[立体投影]

11:15~11:30 セントラルドグマ

12:45~13:00 コズミック・ディスカバリーズ

13:30~13:45 元素の起源を探る ~理研RIビームファクトリー~[立体投影]

14:15~14:22 Journey to the Centre of the Milky Way(新番組)

15:00~15:15 セントラルドグマ[立体投影]

「コズミック・デスカバリー」は宇宙の話ですが、これは3D(立体投影)で観ると迫力があります。

(子供が「おおおおお」とか言うし、触ろうと立ち上がったりするので、係員が「静かに」と注意します)

「Journey to the Center of the Milky Way」も、宇宙の話です。3Dではないのですが、ドームスクリーンなので、星に囲まれているような迫力を感じます。ただ、これだけは7分なので、終わった途端、周囲から「これだけ?」の苦笑いが。

残る「セントラルドグマ」と「元素の機嫌を探る」ですが、、、内容が専門的で、難しくてよくわかりませんでした。

「セントラルドグマ」は、難しい話を、SFチックにしているのでが、、、

この理化学研究所のブースで勉強してからならわかったかもしれないのですが、無理かな。。。

ブース展示の説明も難しくて、、、無料配布の資料を一通りもらってきたので、勉強しようと思います。

「元素の機嫌を探る」は、ドキュメンタリーちっくでした。ただ、こちらは3Dである意味があったのかどうか。。。

 

シンラドームのプログラム、各ワークショップ、展示ブースを観てまわるには、丸一日はかかりますね。

といいますか、疲労で一日では無理でしょう。特に大人は。

各階に休憩(食事)用のテーブル、椅子が結構あるのですが、午後は、疲れ切った大人だらけでした。

それでも、コンプリートするには、先の「ぐるっとパス」か「リピーターズチケット」なども必要ですね。

しかし、私としては、もう少し、ちゃんと見て、体験してまわりたかったので、”大人向けの日”を作って欲しいですね>日本科学技術振興財団さん

ではでは 

 


佐賀旅行(6)太宰府・福岡城

2019-04-11 23:26:00 | 遠足・旅行

さて、ようやく佐賀旅行の最終回、そして佐賀ではなく、福岡の観光地です。

しかし、今回の旅行は、まだ行ったことのない佐賀に行こうと思ったのが切欠で、5/6(6分の5)は佐賀ですので、佐賀旅行と銘打っています。

さて、吉野ヶ里遺跡を見終えて、吉野ヶ里公園駅に戻ってきて、鳥栖行きの電車を待ちます。

これまで、九州に出張できた時、何度となく乗り換えた(酒の飲み過ぎで、乗り換え損ないそうになった)鳥栖。今回も乗り換えだけです。

鳥栖で鹿児島本線に乗り換え、二日市駅に行き、そこで歩いて西鉄二日市駅に行き、西鉄で太宰府天満宮へ行きます。

時刻表は確認済みで、色々な乗り換え時間のパターンは控えてありますので、馴染みのない土地でも大丈夫と、万全を期していたはずが、不安なアナウンスが、、、

「鹿児島本線で車が橋桁に衝突した関係で、安全確認の為、運転を見合わせて・・・」

これでは、事前に確認した乗り換えのパターンが無意味に。。。

不安一杯で鳥栖に向かい、鳥栖でも、来た電車に乗っていいものか(二日市まで行くのか、快速って二日市で止まるのか、、、)焦りましたが

吉野ヶ里に二時間もいなかった場合の、一本前の電車が遅れてやってきたので、それなら二日市には行くし、止まるはずなので、一安心して乗ることができました(まだ、詳細は言えないのですが、ホント、段取りが変わってしまうと、不安感が半端なく襲いかかってくるのです)

さて、二日市駅でも、マップアプリを頼りに、商店街をギザギザ曲がりつつ、無事、西鉄二日市駅につくことができ、こちらの駅での電車の時間は、事前に調べてあったものにリンクさせることができました。

しかしまあ、鳥栖では毎度焦らされる(苦)

 

さて、太宰府駅に到着しました。太宰府らしいというか、、、個人的な意見ですが、こういうデコが安っぽくさせていませんかね。

由緒ある天満宮なんですから、厳かに格調高く行って欲しいのは、私だけ?

まあ、外国人には”それらしくて”いいんでしょうけど。駅の外観もなあ。。。

門前の装いも、、、まあ、仕方ないですね。

他方、今回の旅行で、一番観光地らしい賑わいですね。

しかしまあ、外国人だらけ。平日だから余計に、かな。

人は多いけど、朱色の橋を見て、やっと神様のいる場所っぽく感じます。

にしても騒がしい。外国語ばかり聞こえる、韓国語が多いかな。声がでかいんだよね。だから、大勢いるように感じる。

それと、和装の若者がたくさんいるけど、日本人ではないですね。ツアーや土産物屋のサービスなんでしょうね。

池の水全部抜く大作戦(テレビ東京)で水を抜いた池ですね。

駅から、随分な数の鳥居をくぐってきて

ようやく山門です。距離があるわけではなく、スムーズに歩けない観光客の数、というか今日の観光客のマナーのなさ?

本殿ですが、こうしてみると、そんなに大勢の人で混雑している風ではないんですけどね。

やはり、自然渋滞というよりは、路駐渋滞のようなものですね(苦)

立て札に参詣のガイダンスが書かれてあるものの、日本語だけで、ベトナムやインドで見慣れた光景のようにならないのか、と思ったものの、不思議と、ちゃんと四列で進む行列でした(失礼)。叶えてはもらえないとは思いますが、歳をとって頭が悪くなりましたが、歳のせいだけではないので、その歳のせいではない部分だけ何とかならないものでしょうか、とお祈りしました(これも背景はまだ説明できませんが、いずれ)

駅からの参道で、「梅ヶ枝餅」という餅?饅頭?が至る所で売られていて、箱でも買えるし、一個120円で買い食いもできるようでしたが、太宰府天満宮と梅の関係は?

と思ったところ本殿に向かって右側の梅のところに、「飛梅」御神木との案内が。

菅原道真が、太宰府に左遷されるときに、梅の木の花かけるように歌を詠んだら、梅の木が道真を追って、飛んできたから「飛梅」で、それをネタにすたお土産のお菓子でした。飼い主を追って、遠くからやってきた犬のような梅ですね。そして、飼い主の道真が死んでも、境内で待ち続けるハチ公のような。

 

天気がいいので、日陰で休んでいるのかと思いきや、人が集まっているのは、猿回し。。。

猿回しはともかく、欅が立派です。山門と比べて、いかに巨木かがわかりますね。

さて、喧騒に当てられ疲れたので、もう少しいるかと思った太宰府を30分かそこらで退却します。

めっきり人混みがダメになったわ。。。

昼時でお腹も空いたので、梅ヶ枝餅を買い食いしようかとも思いましたが、

奥さんへのお土産に良さそうなので、空港で買うことにしよう、手荷物で持ち込めるかわからないし、と思ってスルー

したのが、大きな過ちであったことを知るのは5時間後のことでした(苦)

 

太宰府駅に戻り、西鉄で、西鉄福岡(天神)へ。福岡に近くにつれ、車窓から見る景色が都会化してきます。

スケジュールの前倒し感があったので、福岡城址(舞鶴公園)へは、天神から歩いて行くことに。

明治通りを歩いていきますが、なんだか”とっぽい”おじさん、派手なおばさんが多いような。

それと、歩道が広いにしては、片側に寄るとか、すれ違い時に避けるとかしないけど、そういうもん?

 

さて、福岡城址、上之橋御門に到着。なんか桜が凄くない? 

東御門から入場します。桜が満開、超見頃。

そして、「福岡城さくらまつり」開催中。

木曜の午後にこの人出は何でしょう。私もその一人ですが。

歴史館の類は、この「福岡城むかし探訪館」だけっぽいのと、ネットで評判が良かったので、まずは情報収集。

城の模型です。さすが52万石の城ですね。ちなみに模型では天守閣がありますね。

幕府に遠慮して作らなかったとか、作ったけど十数年で壊したとか、はっきりしていないようです。

どちらにしても、外様の一二位を争う石高ですし、長政はともかく、如水は秀吉にも家康にも敬遠された経緯があるので、遠慮して然るべきですね。福島正則なんかは、広島城の無断改修で改易ですから。

官兵衛といえば、この兜。長政のでかい「銀箔押一の谷形兜」や「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」に比べると、小ぶりですし、戦闘向きでもないように見えますが、有岡城幽閉で足を悪くしていましたし、軍師ですから、兜で存在感をアピールする必要もなかったのでしょうね。

信長に拝謁した時に拝領した「へし切」のレプリカ。

福岡城の紹介ビデオを見て、城巡りに出発です。

本丸の鬼門(東北)に配置された祈念櫓を、桜越しに撮ってみました。

本丸に入っていますが、桜並木がすごいです。

こちらは天守閣があったのかなかったのかが議論中の天守台です。

天守台に登ります。

天守台からみる公園は、桜が満開でびっしり、登ってきた人が皆、私も含め、おーっと感嘆の声を上げています。

ここへ登ってくる人も半端なく多く、隣の人が「平日これじゃあ、週末はどんなんじゃろ」と話していましたが、全く同感です。

お隣の大濠公園の方角です。

その右側(北側)に目を向けると、「福岡タワー」と「ヤフオクドーム」でしょうか。ちょっと遠いな、この後行くには。

史跡を観るはずが、桜に目を奪われ、様相が異なってしまいましたが、改めて城跡に目を向けていきます。

まずは、足元の天守台跡。柱石が並んでいます。

埋門を潜って、裏側に回ります。

回り込んで、裏御門。迷路のようです。

私見ですが、文禄・慶長の役の後に建てられた城(熊本城、松山城など)は、朝鮮で得た技術を駆使した石垣が特徴的で、関ヶ原の後に建てられた城(この福岡城、姫路城など)は、城の構造で防御力を上げている感があります。

それしにしても、決して隈なく見ようとしている訳ではないのですが、迷うがごとく歩いていると、いろいろ矢印が誘うので、いちいち見て回ることになってしまいます。

名護屋城とはまた別の感覚でスケールがでかい。佐賀城も唐津城よりは大きかったのですが、構造はシンプルでしたね。30万石と52万石の差でしょうか、あるいは、幕府の警戒度の読み方、対応の仕方の違いでしょうか。

多聞櫓です。

ここで、一旦、城址の外に出ます。多聞櫓は、外側から見ませんと。

それで気づきましたが、石垣の外側も、綺麗に整備された公園(庭園風)になっています。

石垣の上、本丸も桜に覆われていましたが、石垣の外(下)も桜が綺麗です。

そして、三の丸の石垣の上に、多聞櫓を外から見上げます。

城の規模にしては、現存する(あるいは再建された)櫓が少なくて、天守もないのはちょっと物足りないかな。大きい大手門もなかったし。

太宰府もそうでしたが、欅が立派。

石垣と桜、そして青い空が綺麗。石垣の内側と異なり、人も少ないし。こちらは憩いの場です。

明治通りの方へ歩いてくると、外堀のところに、「潮見櫓」があります。しかし、移設前に本当に潮見櫓として使用されていたものかはっきりしないらしく「(伝)潮見櫓」と記載されています。

こちらは下之橋御門。大手門というのはなくて、上之橋御門と下之橋御門が、二つの大手門のようなものなのかな。

ちょっと離れたところに、外国人観光客が集まって写真を撮っていたので、行ってみましたが

なるほど、いい構図で写真が撮れます。

福岡城は以上ですが、兜とかはどこに保管、展示されてるのだろう。

と思いつつ、時間もないので、ちょっとだけ、大濠公園で時間を潰して空港へ向かったのでした。

大濠公園は、まさにその名の通り、大きな濠というか池。こちらも平日の午後に人がたっくさん。

なお、気づかないのが不思議なくらいですが、鎧兜などは「福岡市博物館」にあったんですね。

それと、「金印」ですよね、漢の倭の奴の国王、見逃した。。。これは心残りができた。

そして、空港で梅ヶ枝餅買おうと思ったのですが、保安検査場を過ぎたら、JALとANAの小さな土産物コーナーしかなくて、買えませんでした。

帰ってきてから調べると、空港で買えたはず。保安検査に直行してしまったからな。。。

それに、国際線の感覚で、液体とか液体を含むものが持ち込めない思い込みがありましたが、他の乗客の皆さん、山ほどお土産をX線通していますね。飲みかけペットボトルもOKなんだ、、、

ただ、東京交通会館の「ザ・福岡」で買えるようなので、行く機会があれば買い求めることにしましょう。

 

さて、これで初めての佐賀旅行はお終いです。

心残りもありましたが、計画通りには楽しむことができました。

次は、どの”まだ行っていない”県(城)に行きましょうかね。

いろいろ調べて計画を立てるのもまた楽しいものです。

 

最後に、早朝の蒲田駅から京急蒲田駅へのダッシュ、疲れきって羽田に着いてからの、京急蒲田駅から蒲田駅への歩きは、早く何とかなりませんかね。

東急多摩川線が京急蒲田駅まで伸びるとういう、蒲蒲線は実現しないのかな。。。

ではでは。

 

 

 

 


佐賀旅行(5)吉野ヶ里遺跡

2019-04-10 19:22:07 | 遠足・旅行

佐賀旅行の第五回は、三日目、最終日の午前中、吉野ヶ里遺跡です。

私が高校生ぐらいの時、工業団地作ろうとしたら、すごい遺跡が発見された、というようなニュースで一躍有名になった記憶がありますが、ご存知ない方のために、以下、ご覧ください。

”吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されている。およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された。現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている。”(Wikipediaから引用)

私の興味は、第一には戦国時代ですが、古代も興味があるので、行ってみたかったのです。

まあ、ディスプレイ、ジオラマ好きなので、遺構に建築物が再現されているという点では、城と同様な理由から惹かれるのでしょうね。

さて、佐賀駅から長崎本線で、鳥栖行きに乗ります。佐賀駅からは数駅です。

「混雑時リックサックは前に・・・」というアナウンスが流れます。昨日と同じ、二両編成ですが、混雑する時があるのかどうか、、、

ところで、吉野ヶ里遺跡は「吉野ヶ里歴史公園」として整備されているのですが、公園としては広大で、最寄駅が、手前の神前駅なのか、その名を冠した吉野ヶ里公園駅なのか、地図上では微妙でしたが、まあ、名前が付いている方で遠いとか、迷うことはあるまいと思い、吉野ヶ里公園駅で降りるつもりで電車に乗ります。

しかし、神崎駅を過ぎる時、駅前に古代人の大きな像が立っていて、吉野ヶ里遺跡の方を指差していたので、すでに遅いのですが、神埼駅の方が近いのか疑念が、、、

そして吉野ヶ里公園駅でおりましたが、こちらは駅前に特にオブジェはなく、、、

どちらが近いか比較しようもないので、案内板に従って、吉野ヶ里歴史公園に向かいます。

どっちの駅からもちょっと距離があるんですよね。

一応、遺跡に近いのは吉野ヶ里公園駅という情報はありました。

この種の看板は、辻々に建てられてあり、方角(矢印)と、「あと◯m」と案内してくれるので、道に迷う心配はありませんでした。

歴史公園センターに到着しました。

9:00開園で、現在(この時)9:10。平日ですし、駐車場にはほぼ車がなく、ゆったり、サクッと二時間程度見回ることにします。

(11:32の鳥栖行きに乗って、次の目的地に向かう予定)

古代人の格好した係員が、所々にいて、いい感じ(鬱陶しくない、しつこくない)で案内をしてくれます。

その適当な指示に従って、遺跡エリアに入っていきます。

ジュラシックパークの入口とは大分、異なります(笑)

逆茂木があります。堀もあれば、柵もありますね。。。

係員さんのアドバイスに従って、まず展示室で基礎的な勉強をします。

これらは、甕棺です。

遺跡をひと通り観てわかりましたが、遺構に再現された建物もそれはそれで見所ではあるのですが、この甕棺こそが考古学的な観点で、この遺跡のメインでしたね。

甕棺は北部九州の特徴的な墓制とのこと。大きいのは成人用、小さいのは子供用。

このように入っているということは、甕を二つ合わせるようにして埋葬したんですね。

身分の高い人の甕棺は黒く塗られていて、弥生時代に農耕(定住、集団生活)が始まったことで、身分の差ができてきたんですね。

そして、入口に柵、堀、逆茂木があったのは、集団というか国というものができていて、他の国や集団からの防衛の必要があったのでしょう。

多分、刈り入れの時は、奪い合いが起きたはず。それは戦国時代まで続いていましたからね。武田や上杉の出陣の時期をみると明白です。

 

表に出て、「南内郭」から観て回ります。櫓門があります。

物見櫓もありますね。

それにしても、今日も青空です。

この三日間、本当に天候には恵まれました。晴れて空は青く、でも適度に寒くて、歩き回ってもそんなに汗をかかず、気温が低いので空気が澄んで、遠くの景色も鮮明に見えました。これが奥さんと一緒の旅行だと、なんで?というほど雨にやられます。(当日降られたり、予報で降ることになって日程を変更したり)

ほんと、日頃の行い、あるいは、奥さんの丙午生まれの性ですね。

さて「南内郭」は、王族の居住空間であったようです。

物見櫓には登れますよ、と声をかけていただき、登って景色を楽しみます。

「倉と市」のエリアです。

こちら側は「南のムラ」

足元の王族の家々です。

家は内部もちゃんと作られていて、こちらは大人(たいじん)の妻の家の内部。

大人というのは役割毎のリーダー、すなわち大臣のような立場の人らしいです。

遺跡を見て回ると、祭祀儀式を取り仕切る、外交を取り仕切る、裁定(裁判)を行うなど、大人の役割の記載がありました。

そして、王の身内だったのかな。王家の居住空間に住んでいることを考えると。

大人の家の中。夫婦で別の家に住んでいたんですね。みんなそうなのかな?このあと見て回る家々も”対”になっている感じでしたし。

王家の家屋は、さらに柵で囲われいます。

やはり、王様と王妃様は別居。

王様の家は、王の力を示す品々が枕元にあるのが、大人の家とは異なると説明がありましたが、それは遺跡からわかったんでしょうかね?恐竜の化石もそうですが、そのような品が置かれた状態で、この家が遺跡化した、その状況はなんだったんでしょうね。

これは何だったけな?会議とかで集合する建物だったけ?

 

お堀ですが、「環濠」というのが正式名称です。ぐるっと廓を囲っていますからね。

土塁にも囲われ、柵もあって、ほんと城です。

「中のムラ」というエリアですが、見た目は同じ家ですが、養蚕、機織りなど家には何かしらの機能、役割があてがわれていたようです。

 

「北内郭 」へ進みます。 

「北内郭」は、政治でもあり、祭礼でもある、”まつりごと”が行われた場所で、

祭殿が復元されています。中に入ることができます。

説明ビデオによると、王様が報告を聞いて、刈り取りの日を決める会議を行っているところを再現しています。

しかし、王様が決めるというより、王様は司祭に、いつがいいかを尋ねて、このような儀式を経て、王様にご託宣を伝え、刈り取りの日が決定されると。

結局、決めているのは司祭ということですね。王様は、決定というより、決裁権と責任がかかっていたようです。

それと、司祭は、おそらく神様の声を聞くことができるエスパーとより、天文、気象に詳しい一族だったのではないですかね。

(三国志で、赤壁の戦いの時、孔明が東南の風を吹かせたみたいに、神がかりではなく、独自の知識体系があって)

その後、朝廷で、暦を決める陰陽寮(占いもする)に変遷していったのでは?

これは、衛士の家だったかな。北内郭に住む必要があったのは兵士だけ、と説明があったような。

「墳丘墓はこっちですよ」という案内に、ちょっと逆らって、この遺跡のメインの前に、「中のムラ」にある倉庫をみるとに。

面白いのは、人の住む家は、地下とまでは言いませんが、地面を掘って、地面より低いところが居住空間になっています。

湿気がこもったり、雨水とか流れ込んで来ないのか、と疑問に思いますが、

そちらの方が、夏涼しかったり、冬暖かかったりしたのかもしれません。

他方、高床式なのは、倉庫です。

こちらは食料、穀物にしても、干し肉、干し魚にしても、湿度が低く、風通しのよい環境(腐らないよう)が望まれたはず。

それと、ネズミとかに食べられないよう、支柱を垂直に建て、ねずみ返しを設置しています。

昔、シンガポールに住んでいて、ラオスのシェンクアン(奇遇にも、石棺が大量に発見された村)に観光で行った時、

やはり倉庫は、高床式になっていたことを思い出しました。

ただ、その地は、ベトナム戦争中、北ベトナムの補給路を断つために、アメリカ軍が、山の形が変わるほど、ナパーム弾を投下した場所で、当時もボム・クレータ(爆弾による穴)がそこら中にありましたが、もっと驚いたのが、不発弾の鉄の薬莢を、倉庫の柱というか支柱に使っていたことでした。

理由としては、木だとねずみが登ってこれるが、鉄だと、滑って登れないから、とのこと。

 

さて、遺跡のメイン、「北墳丘墓」へ向かいます。 

手前には、「甕棺墓列」があります。なんかボコボコしているのが写真からもわかると思います。

こんな風に、甕棺が埋まっていた場所です。

その先、「北墳丘墓」の前には、祀堂があり、ここで祖先へのお供え、お祈りを行ったそうです。

盛りあがった「北墳丘墓」は、2100年前の時代の、王様やそれに近い身分の高い人が埋葬された墓地です。

裏側に入口が設けられいて、入ることができます。

14基の甕棺が出土したとのこと。

内部は湿度が高いと感じたのですが、遺跡の保存実験の結果から、そのように制御しているとのこと。最初に発見された時は、保存方法がわかっていなかったので、一旦、埋め戻したと説明ビデオが言っていました。

それにしても、本格発掘調査が始まったのは平成元年(私の記憶と大体あっている)だったんですね。

これまで訪問したことのある戦国時代の遺構なんかは、割と昭和の早い時期に行われていたりしていましたが、

あるとわかっていた場所と、工業団地の造成をしてみたら出てきた、のとでは大きく違いますね。

 

入口の展示室で、どのように二つの甕棺を合わせたのかという疑問は、この絵で解けました。

高貴な人の黒い甕棺の模型。

展示室からここまで、この黒い色がなんなのか説明を見かけなかったので、係員の方に質問してみたのですが、わかっていないとのこと。

内側の赤は漆らしいのですが、後でネットで調べたら、炭化物という情報だけありましたね。単純に考えれば炭(墨)のはずですが、わかっていないと敢えていうところが謎です。(そん人が知らないだけだったのか、本当にわかっていないのか)

外に出ます。

この側溝のようなのは、お参りのための道とのこと。まあ、科学ではなく、祭祀による時代ですから、自由気ままにお墓に近づくものではなかったはず。

「倉と市」のゾーンです。

これは、兵士の詰所だったかな。

結構、兵士(衛士含めて)が多かったのかな。集団の内部でも、外部からも争いは多くあったような気はします。決して豊かであったはずはないので。

「市楼」というものです。市の管理事務所的な。

それにしても、北内郭の祭殿もそうですが、このような建物(二階建てとか三階建て)を建設する技術があったんですかね?

展示されている、発見された青銅器とかから推測して、こういう建築ができる道具、工具があったかどうか。。。ただ、ここが北部九州であることを考慮すれば、大陸の文化や技術は、この時代、圧倒的に日本より進んでいるので、渡来人が住み着いての国造りであれば、可能性は否定できませんね。始皇帝が万里の長城を作った頃でしょうから。

しかし、絵があったわけではないと思うので、遺構から、どこまで建物高さや外観がわかるのかわかりませんが、忠実な再現なのか、ある程度推測や期待込みで再現しているのかは、気になるところです。

まあ、個人的には、平らな遺構、柱石を見るよりは、多少盛っているとしても、古代ロマンを掻き立てられるような再現が好きですね。

 

最後のゾーン「南のムラ」に行きます。

ここまで、偉い人の家、職人の作業場、祭殿、市の建物、倉、兵士の詰所などを見てきましたが、偉い人たちと同じような家に、一般の人たちも住んでいたのでしょうか?

王様の家があれなら、一般人はもっと粗末な感じか、というと再現されているのは同じような家屋ですね。

それと、一般の村にも「環濠」はあるんですね。

ずいぶんんと防備が、、、と思いましたが、日本で、街ごと城に入れてしまう「総構え」ができたのは、北条氏の小田原城からで、それを秀吉が真似て大阪城を総構えにしたのは16世紀ですが、

史記、項羽と劉邦、三国志などを見ると、村や町を城壁で囲んでいましたから、大陸からの文化と考えれば、「環濠」で囲むのも(勝手ながら)納得できます。

一般の人の家屋も、王族の家屋と変わらないように見えますよね。

それと、割と距離を置いて、いくつかの家屋のまとまりが見られますが、

何軒かの”集落”があって、それがまとまって”村”となって、またいくつかの村をまとめて、統治する王様がいたというヒエラルキーですね。

祭殿でも、村の代表から、報告を聞いているシーンがジオラマ化されていましたし。

そう考えると、王様は支配者(所有者)というより、行政官に近かったのかもしれませんね。

律令制度、荘園、一所懸命のような土地を所有し、人を支配するところまでは進んでいないのかな(あくまで私の感覚ですが)

 
さて、ざっと二時間、とても面白く、為になりました。
もう二十数年前になりますが、岡山の「中世夢が原」もこんな感じで楽しかったなあ、と懐かしく思い出しました。
(リンク貼ろうと検索したら、まだ存在していてよかった)
 
では、吉野ヶ里公園駅に向かいます。

次の目的地は太宰府、そして福岡城を観て、東京に帰ります。

ではでは。


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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