実家の庭から見る向かいの雑木林。朝日を浴びて温そう。庭の掃除をしながらパチリと一枚8時44分
生まれたときからず~っとみてきた山。頂上付近は私が生まれる前はイモ畑にしていたと言う名残の石垣がある。その畑には植林をしてあったが、他は雑木林のまま。農閑期には切り出して炭も焼いていた。父が元気なころはナラの木を切ってシイタケを植えてくれた。
そして冬休みこの山の斜面に小鳥の集まりそうな場所を見つけて「こぼて」を張った。
↓右は夕方の雑木林。山の裾には山菜が生える。
今日はお風呂の話を書こうと思っていたのに山の写真を貼り付けたら話がそれた。
実家はまだ薪でお風呂を沸かしている。
子供のころはお風呂を沸かすのは子供の仕事だった。マッチを擦るのが怖かったのがおかしく思い出される。今はライターでつける。杉の枯葉を拾ってきて焚きつけにしているがこれは本当に良い焚きつけになる。私たちは「すぎしば」と言っている。強い風が吹くとあちこちに落ちる。
常緑の杉も葉を落として成長していく。久しぶりに自分で沸かして入ったお風呂は心地よくいつまでも入っていたかった。
今日は冷え込んだ。我が家の温水器のお風呂は何度と決めればそのお湯が出るが温もりのない気がする。便利さは温もりに欠ける?そんなんことを思った。
生まれたときからず~っとみてきた山。頂上付近は私が生まれる前はイモ畑にしていたと言う名残の石垣がある。その畑には植林をしてあったが、他は雑木林のまま。農閑期には切り出して炭も焼いていた。父が元気なころはナラの木を切ってシイタケを植えてくれた。
そして冬休みこの山の斜面に小鳥の集まりそうな場所を見つけて「こぼて」を張った。
↓右は夕方の雑木林。山の裾には山菜が生える。
今日はお風呂の話を書こうと思っていたのに山の写真を貼り付けたら話がそれた。
実家はまだ薪でお風呂を沸かしている。
子供のころはお風呂を沸かすのは子供の仕事だった。マッチを擦るのが怖かったのがおかしく思い出される。今はライターでつける。杉の枯葉を拾ってきて焚きつけにしているがこれは本当に良い焚きつけになる。私たちは「すぎしば」と言っている。強い風が吹くとあちこちに落ちる。
常緑の杉も葉を落として成長していく。久しぶりに自分で沸かして入ったお風呂は心地よくいつまでも入っていたかった。
今日は冷え込んだ。我が家の温水器のお風呂は何度と決めればそのお湯が出るが温もりのない気がする。便利さは温もりに欠ける?そんなんことを思った。
ほんと、懐かしいねえ。
私も子供の頃は夏はウナギ取り、冬はツグミなどを取って食べました。
学校から帰ると近所の子供たちと裏山へ行って焚付け用の杉の落ち葉や枯れ枝を取ってくるのが日課となっていました。
お風呂を焚いた残り火でトウモロコシや栗、サツマイモを焼いて食べたのが昨日のように思い出されます。
お父様の思い出に繋がる景色何時までも見ていたいでしょうね。”こぼて”って何ですか?
岐阜へ疎開したのですが五右衛門風呂でした、凭れられないの 緊張したなー
ボタン一つで湯が出てくる時代に育つ子供は、薪の温もりは知らんろうねえ。お風呂だけじゃなくいろんな意味での温もりを知らんがじゃないろうかと思うときがある。
「熾き」はいろいろに使えた。焚きすぎたときは火消し壷に入れて消え炭にしちょったら便利やった。こんな話は誰彼に通じんなったねえ。
>まーにゃさん、冬休み朝日を受ける雑木林は、暖房などのいきわたらない子供のころは良い遊び場でした。太陽のぬくもりと雑木林独特の匂いが蘇ってきます。
「こぼて」これは土佐弁というか。。。
こういう雑木林の中に鳥を捕まえる仕掛けをするのですが、簡単な仕掛けですが上手な人は毎日のように捕れたと思います。もちろん今はこれは禁じられていると思います。
実家の五右衛門風呂は底は釜でしたが周りは板でしたのでそういう心配はなかったのですが、「底板」をうまく沈めるのがちょっとコツがありましたね。
今はホーローで底板は最初から沈んでいます(笑)
昼間は元気に遊んでいても夕暮れになると寂しくて・・・風さんの写真を見てそんな小さい頃の事を思い出しました。
私のお風呂デビュー?はガスだったと思う。
母の実家では薪のお風呂でした。
懐かしいなあ
昼間従妹たちと賑やかに遊んでいても、日暮れると何となく家が恋しくなったりしましたよね。
hanaさんガス風呂デビューですか?ずっと文化的やったねえ。ガスのお風呂で下から沸かすのは温水器より温もりがありますね。
昨今のすぐキレるというのも生活の質が変わったことも原因があるんじゃないかと思いながらおせっかいおばさん、この薪風呂沸かすところから経験させてやりたいと思いながら温もりました。
私も風さんのおっしゃるとおり、何でもすぐに思うようになる生活の仕方が、すぐキレる原因になっていると思います。風呂を沸かしていても、沸かしてもらっても、そこには思いやりや感謝の気持ちが生まれますものね。そういう機会が失われているように思います。
お風呂のお湯も、薪で沸かすのと温水器ではずいぶん違いますね、確かに。感じるだけではなくて、科学的にも違うらしいですよ。
やはり家族としてできることは手伝う。焚きつける工夫、野良仕事から帰る頃に丁度になるにはどのくらいの火力で燃やせばよいかなども考えて、入口の調節穴?を回して加減したり。子供なりにも考えるし、ちょうどの湯加減だと言ってもらえれば嬉しくてもっと上手に沸かそうと考えたりね(笑)
今は何でもリモコンスイッチ一つですぐできることが多い。それが当然と思っているし、待つことを訓練されてない?
スピード化されて時間はたっぷりあるはずなのに、人との触れ合いはあまりなく話す前に刺殺してしまうという親子関係。
残忍な事件も、もう少し人と会話があったら避けられたのではないかと思うのは私だけでしょうか。
山の陽だまりで枯れ枝や枯葉を拾い、風呂を沸かすそんな経験をさせてやりたいと思いますね。
薪のお風呂と温水器では科学的にも違うんですか?体に感じる温もりは断然違いますね。
私はお燗が下手で困ります(笑)愛情が足らんがやねえ。ちなみに私は冷でいただきます。チョビットね
炭を熾して鉄瓶をかけてお湯を沸かしたら お茶も美味しく、お燗も美味しいことでしょうね。
小学生の時 冬になると 日直さんは早めに学校に行って 用務員室から石炭をもらって来て ストーブに火をつけるのが仕事でした。
杉の皮があると 最初の火が簡単につけられました。
それで薪を燃やし、薪の火を石炭に。
学校で一番下手だったのは私です(笑)。
植林された一色の山ではない、雑木林の複雑で賑やかな色合いは美しいと思います。
風さんの山が美しい山で、やっぱり!と思って拝見しました。
冬でもこんなに色彩豊かなんですね!