風と友達

山の中が私の故郷。風の良く通り抜けていく場所に生家がある。

東平を訪ねて

2014-04-24 | 山歩き
別子銅山跡東原(とうなる)地区トップ策動停車場跡
新居浜に住む従兄に、送り迎えしてもらい、2泊3 日の新居浜の旅、お天気のよさそうな日を選んで、前もって知らせるから、都合の悪い日はいつかとの電話があり、19日はスミレセミナーに申し込んであったので、それ以外ならということで、週間予報の晴れの日を選び、15日16日と行ってきた。

1660年(元禄3年)~1973年(昭和48年)閉山するまでの、283年間に70万トンの銅を産出したとのことだが、70万トンがどれだけの物か、多いのか少ないのかすぐには想像がつかないが、機械など無い時代、手でコツコツと掘っていくとなれば、一日に掘り出す量はそう多くはなかったのかもしれない。
銅の露頭(地上に出ていた鉱石)の発見から始まって、別子山村はにぎわう山の町となった。多い時は1万2千人の人口だったと説明されている。
14年2月末の、故郷北川村の人口は1413人
↓貯蔵庫跡




↓インクライン跡を利用した、220段の石段一気に登れなかった(汗)
従兄にこれを一気に登れないようでは山は歩けんぞと言われたが、急すぎるよね。体重減らさんといかんとこういう時には思うんだけど・・
石段わきにはヤマザクラが満開、なぜか帰化植物のヒメオドリコソウも群生していた。

↓こうゆう道なら平気だけどねえ。植物には興味のない従兄と、遺跡も興味はあるが、植物にはもっと興味のある私、植物見ながら、撮影しながら遺構も見ながらの山歩き。ここでカメラのトラブル(涙)で、あまり撮影は出来なかった。

↓ヒガンマムシグサ、そんなもの撮影してと笑われた。

↓ショウジョウバカマ、そばにはミヤマウズラもぼつぼつと見られた。



↑↓社宅跡、今はわずかに石垣に、面影が残る。まだ社宅が取り壊されてない時に来たことのある従兄は、この狭い場所によくもまあこれだけの家が建っているとびっくりしたと、当時を思い出していた。東平地区には大正14年には、835戸3649人が住んでいたと書かれている。


↓第三変電所跡 中に入ってみた。ここで生活していたのだろうか、かまどの跡と居間だったろうかと思うような小さく区切られた場所があった。

↓籠電車、これに乗ろうと思っているうちに廃止となったと、残念そうに言っていたが、今観光用に、鉱山鉄道が時速10キロでで当時のままのトンネルや鉄橋を渡るとパンフレットにある。午後からは従兄の嫁さんの親類が経営している、今治のタオル美術館に行こうと言うことになっていたので、そこそこに引き返す。

どこかにカタクリでもないかなあとぶつくさ言っていたら、カタクリってどんな花やというので、カタクリも知らんかね、私も自生は見たことないけんど・・と言いながら東平を下りる途中で、寄り道してくれた場所にカタクリの花が咲いていましたが、此処は管理されている場所、植えられたものだと思うが、落ちた雪がまだ残る庭で見るカタクリは感激だった。でも撮影がいまいちなのが残念。

シャクヤクの咲くお寺にも行こうかと言われたが、ここまで来て、園芸植物を見んでも、カタクリを見たしもうえいわということで山を下り従兄の嫁さんと合流して、一路今治に向かう。立派なタオル美術館ゆっくり見て回るには時間が足りなかった。

ボタンだか、シャクヤクだかが見事なお寺があるから、明日はそこに行ってから高知に送っていくと言うことだったが、そんな園芸植物見んでもえい、カタクリ見たきもうえいということで、帰りも伯母の所に寄っ、たけのこからイタドリ、野菜からお肉まで沢山車に積み込んで、高知まで送って貰った。
今度はキレンゲショウマ、ツガザクラを見るために、体重減らしてチャレンジの予定。

15日から17日のこと と年号間違い等多々ありましたすみません 26日追記
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21 コメント

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改めまして ()
2014-05-07 23:43:54
rimi iwasakiさん。私も新居浜に伯母たちが行ってから、別子銅山の話は聞いていましたが、行ったのは初めてでした。

千葉に住むお孫さんお二人とも、大学と高校に合格されたんですね。おめでとうございます。
希望とされる学校に進まれたことでしょうね。

お近くに住まわれているお孫さんは、結納の運びとか、おめでとうございます。
嬉しいことの忙しさは良いですが、これもお元気で有っての事、無理なさらずrimiさんたちが元気で喜んであげることが、一番のお祝いかと思いますね。
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rimi iwasakiさん ()
2014-05-06 23:55:17
コメントありがとう。高速バスでついさっき帰ってきましたので、明日ゆっくりコメント書かせていただきますね。おやすみなさい。
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別子銅山に行かれてたんですね (rimi iwasaki)
2014-05-05 14:50:20
伊予に別子銅山があるなんて初めて知りました
凄い階段大変だったでしょう。今のわたしだったらとても登れません。知らないところに行くと色んな発見があってとても楽しいものです。だから旅に出ても、ご当地産のお料理も良いですが、私はその周辺の様子をしっかり調べて行きます今年は千葉の孫娘2人の大学、高校の進学があり、近くに住む孫娘もこの5月に結納が決まり秋から冬にかけて結婚の予定、何かと忙しく、あまり遠出は出来ず、夏は次男一家が帰阪で又忙しくなりそうです。風さんはいつでもさっと出かけられて良いですね。
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マスカットさん ()
2014-04-29 13:16:57
マスカットさんは、鉱山の町を知っているがやねえ。けんど、すぐ町に下宿して学校に行ったと以前書いていたように思うので、あんまり長くはおらんかったですよね。

昔は山の中の交通手段には、軌道が一般的だったのか、風の山近くでもトロッコ走っていました。
私たちは、『がそ』と言っていました。マスカットさんたちは、『バッテリー』ながですねえ。

時代の流れで、廃止になって来たもの、これからなるもの色々だと思いますが、100年後どんなものが廃止となって、思い出話になっているでしょうかねえ。
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ステイゴさん ()
2014-04-29 12:43:28
世間は大型連休とか、我が家には関係はないですけどね。ステイゴさんは、お休みでしょうか。
30代最後のお誕生日迎えましたね。おめでとうございます。

10年近くの、ブログお付き合いでしか知らないのですが、大変なことが多かった今までだったと思いますが、30代最後良い一年でありますようにと、遠く高知より思っています

ステイゴさん、廃墟好きだったとは知りませんでしたよ。

今は人のいないこの山も、多くの人が行きかっていた。この景色を見ていたんだと感慨深く思いました。
北海道は、これから桜の季節になるんですね。カタクリの花も、桜の花もブログアップしていただけると嬉しいです。
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紀州鉱山 (マスカット)
2014-04-29 10:53:31
規模はぐんと小さくなるかもしれませんが、紀州鉱山も1934年から1978年まで銅を産出していました。父はその銅山で働いていて、私は社宅で育ちました。閉山と共に同じく廃墟と化し、私の通った小学校や、真っ黒になって走り回った広っぱは石垣やプールの跡などでかろうじてわかる位です。3100吉さんの所にも書き込んだけど、トロッコの事はバッテリーと呼んで、町民の足となっていました。
なんだか懐かしくなる様な写真ばかりでしたよ。
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廃墟マニアなのです (ステイゴ)
2014-04-29 00:49:37
なかなか活動できないのですが、廃墟大好きなのです。
タイムスリップした気分だったり、昔の生活を感じる事ができますよね。

カタクリの花は小さい頃よく見ていました。今も北海道でも結構見ると思います。

今日自転車で走っていると桜が咲き始めました。
こちらももう春です。
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3100吉さん ()
2014-04-28 09:27:57
おはようございます。
あの時、高知城で泊まった?時ですね。
3100吉さんって、国内外、本当にあちこち旅しているんですねえ。

道は今でも広くはなく、観光バスは入れないようで、麓からマイクロバスというか、小型バスで送迎しているようです。

3100吉さんが行った頃は、まだ町の名残があったでしょうね。

別子銅山も、煙害を出しながら、周囲の環境も配慮したとも聞きますが、何事もいい事ばかりはないだろうと思いますね。

でも、別子銅山跡は、どの山も綺麗に樹木が茂り、桜やツツジが沢山咲いていました。
連休ですね。我が家は普段と変わらぬ連休ですが、後半皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。よろしくお願いします。
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あかちょうちんさん ()
2014-04-28 09:05:51
おはようございます。わざわざ恐れ入ります。私も再々風邪と変換されて間違います(汗)

別子にも、お出でたことが有るがですねえ。あっという間のトロッコ体験でしたか。

私はトロッコまでは行かず、良く調べないままの、走り走りの見学で下山したが、なんか惹かれるものがあり、もう一度あの山を歩いてみたいと思うようになりました。
従兄曰く『山の中で育って、まだ山でもないだろうって』
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別子銅山 (3100吉)
2014-04-27 23:29:51
昔、40数年前、甲子園のあの延長再試合の年のバイクでの四国一周の夏、帰る途中に訪れました。

その時の記憶では、
広くはないそれなりの道をくねくねと登り、手前にバイクを置き、トンネルをあるいて通ったら、眼前に昔の町、工場が広がっていたかと思います。その建物群まではいかず、廃墟を眺めていました。

銅鉱山跡は、足尾銅山のことなどとともに、日本の繁栄の陰とも感じられます。
いいことばかりが歴史ではないとおもいます。

連休になりました。
その最後の日、京都、楽しみにしております。
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Unknown (あかちょうちん)
2014-04-27 22:42:41
風さん

風さんを風邪さんと間違えて、ごめんなさい。

もう何年も前、トロッコに乗った記憶があります。

別子だったのかな?

トンネルを抜けたら、あっという間に終点だった

記憶があります。
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多摩NTの住人さん ()
2014-04-27 21:46:33
昔々地上に出た岩を見て、銅が採れると思った人、それを実行に移した人がいて今がある、不思議ですよね。

地中深く、潜って働くことの多い人たち、可愛い花にほっとしたかなと思いますね。
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こんにちは (多摩NTの住人)
2014-04-27 16:30:20
こういうものは興味津々ですね。
カタクリが歴史の語り部のようです。
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鳥やない(汗) ()
2014-04-26 22:28:27
シコクカッコウソウと書くつもりが・・・(大汗)
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karinaさん ()
2014-04-26 22:26:31
別子銅山跡、2回も行ったがやねえ。
私は、植物目的じゃない遺跡のお勉強やった。半日じゃなかったら、もっと植物がみられたかもしれんけんど、カメラの調子が悪かったし、これはこれで良かったということ?

カタクリの群生場所と、違うところにポツンと2株カタクリがあって、そのそばに、あれはイワザクラ?シコクカッコウやなかったろうか、植物に興味のない従兄では、話も盛り上がらん(笑)
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hanaさん ()
2014-04-26 22:16:39
hanaさん所の『富岡製糸場』世界遺産に登録が決まったねえ。おめでとう
足尾銅山も煙害で、緑が失われちょったねえ。

今は昔、いろんなことが積み重なって今がある。積み重なり具合がようなかったろうかと思うような、ほころびも見えるものもあるけんど、正義ばかりが通る世の中でもないしねえ。

そうそう、ジュリーの音楽劇、昨日のこと新聞に出ちょった。ジュリーもえらい恰幅がようなったと思うて見たことでした。そして、hanaさんも思いながら、やっぱりhanaさん、観にいくがやねえ。
楽しんできてください。
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団子3兄弟 (karina)
2014-04-26 22:06:05
風さん こんばんわ~♪

別子銅山跡へは2回行ったけんど、なかなか感慨深いところやねぇ。
花より団子というけんど、このカタクリを見ていると団子より花やね~♪
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こんばんは♪ (hana)
2014-04-26 20:45:50
こちらには閉山した足尾銅山が近くにありますが、当時のことがいろいろと想像できるところが今もあちこちで見られます。
山肌が見えていた山は緑が多くなりました。
この地に行くとやはり思うところがありますね~。

カタクリ綺麗に撮影されていますね!
私は吾妻公園のカタクリを撮りましたが、ピンボケばかりでUPできませんでした
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ohisamaさん ()
2014-04-26 12:27:39
別子銅山、まじめに勉強してない私は、銅山、ふ~んてものでしたが、今こうして訪ねてみると感慨深いものがありました。長い年月には技術の向上もあったろうとは思いますが、地下900メートルまで掘り進んで、暑さに(地熱は凄いねえ)負けて閉山としたようです(勿論そればかりではないと思いますが)

銅製錬時に出る亜硫酸ガスで、木が枯れて山の地力が弱くなっている時に、大きな台風が来て、山津波が起きて500人以上の犠牲者が出たとの説明もありました(明治32年)

昭和14年硫黄分を完全に除去できる装置が出来、煙害はなくなったようです。
住友林業は、枯れた山に木を植えるために出来たらしい。
語れば尽きん(笑)
カタクリまさかここで見られると思ってなかったので、大感激でした。

訂正にもよばんのに(訂正しなくても良いのに)と書いて間違いやった、ohisamaさんが最初コメントしてくれた1660年が開山ですねえ。ありがとう。おおのう・・・です。
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訂正 (ohisama)
2014-04-26 11:12:04
逆算すると1690年から開山されたのですね。
元禄時代から長女の生まれた年まで
稼働されていたなんてすごいですね。
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別子銅山 (ohisama)
2014-04-26 11:01:42
普通の民家の廃墟どころじゃない
かつて栄えた鉱山や銅山の廃墟は
心がシンとするようです。
社会の授業で聞いたことのある別子銅山も
1660年から283年間も稼働していたのですか。すごいですね。
事故とかもいろいろあったんだろうね。
急な石段、一気に登るのは難儀やねえ。
かたくりの花につかれも吹っ飛んだでしょう。
よい景色を見られてよかったね。
小樽の旭山展望台で、雪を押しのけて出ていたカタクリの群生地は感激でした。
カタクリの芽が出ていたのは感激でした。
見れば見るほどかわいい花ですね。
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