お正月も終わりあっという間にもう17日になった。
昨日は、暖かくなるとの予報通り暖かかったので、いろんな用事を兼ねて出かける。トップの写真は昭和館 巡回特別企画展『戦中戦後のくらし』を見たいと思い会場に足を運ぶ。写真撮影は出来なかったが、資料を入れたファイルを頂きそれを撮影したもの。沢山の企画展示は丁寧にみていると時間が足りなくなって、ゆっくり説明を読まないで帰ってきた。普段はアンケートも書くのだが、パスして帰ってくる。無料で見せて貰ってアンケートでも書いて来るべきだったと反省。もう一度出かけたいと思っているが
↓この袖のない外套はの実物を展示してあった。シベリア抑留で食べ物もなくお腹が空いて片袖と黒パン一個と交換を2度したとか。メモも取らなかったので正確なことは分からないが、極寒の中で、外套の袖がないことがどれだけ支障をきたすか、頭では分かっているつもりでも、暖房の利いた展示会場では、自分の袖を切る人、わずかな食べ物より寒さをしのぐ袖がほしかった人、どちらの気持ちも切なく思った。
子どもの頃、大叔母の夫が戦後6年も帰ってこなく、誰もう生きて帰ることはないと覚悟していたらしいが、1951年だったか2年だったかに帰ってきたと後から聞いた話では、シベリアに抑留され寒さと飢えで多くの人が亡くなったと、ひもじさで馬のフンも食べたという話を聞いて、いくら何でもと思ったが、数年前テレビでもそんな話をしていた。フンの中に混じったジャガイモの塊などはご馳走だったらしい。戦争の悲惨さを改めて思う展示だった。
歩道に植えられているハクモクレン、11月20に撮影したときは、割合と温い周りだったし、ほどなく咲くのかと思ったが、さほどつぼみに変化はなく、つまんでみたら随分と硬かった。
地面には、ミミナグサやキュウリグサ、そして小さなナズナが咲いていた。今食べ物がなくなれば、こんな草でも奪い合いになるかもしれないと思いながら、今『防災植物』という講座があちこちで開催されている。災害時食べるものがないとき、身近な植物を役立てようということらしいが、思うような調理道具や、調味料などのない中でどれだけ役立つだろうか、私の好きな山菜も十分なあく抜きや、味付け、てんぷらなどで美味しく食べられていると思う。
お腹がすいたら、否応もなく何でも食べるようにはなると思うが、飽食にどっぷりつかっている私耐えられるだろうか。
手芸店に寄って、折角娘が買ってくれたカシミアの帽子を、虫に食わしてしまったので、それを直そうと、似たような糸を買ってくる。軽くて暖かくてお気に入りだったのに。綺麗に直そうと思っているが、まだ手付かず。
↑↓お見舞いを買ったついでに、1っ個だけこのお菓子を自分用に買う。11日の病院外来ではまた体重が増えていた(涙)一口でパクッと食べる所だったが、写真もないので、撮影してみた。
口に入れるとあれ?と思う微かな酸味があった。『吉祥梅』ウメシロップを使っている?美しい和菓子も平和なればこそ、戦後の食品価格で一番高かったのが砂糖だった。甘いものがご馳走と言われたのがわかるような価格表展示だった。
シクラメン、ほのかな香りがする。つぼみも多く、まだ楽しめそう。
今日は暖かな雨だった。お昼頃一時日が射してきたので、このまま雨が上がるかと思ったが、また雨になった。
昨日は、暖かくなるとの予報通り暖かかったので、いろんな用事を兼ねて出かける。トップの写真は昭和館 巡回特別企画展『戦中戦後のくらし』を見たいと思い会場に足を運ぶ。写真撮影は出来なかったが、資料を入れたファイルを頂きそれを撮影したもの。沢山の企画展示は丁寧にみていると時間が足りなくなって、ゆっくり説明を読まないで帰ってきた。普段はアンケートも書くのだが、パスして帰ってくる。無料で見せて貰ってアンケートでも書いて来るべきだったと反省。もう一度出かけたいと思っているが
↓この袖のない外套はの実物を展示してあった。シベリア抑留で食べ物もなくお腹が空いて片袖と黒パン一個と交換を2度したとか。メモも取らなかったので正確なことは分からないが、極寒の中で、外套の袖がないことがどれだけ支障をきたすか、頭では分かっているつもりでも、暖房の利いた展示会場では、自分の袖を切る人、わずかな食べ物より寒さをしのぐ袖がほしかった人、どちらの気持ちも切なく思った。
子どもの頃、大叔母の夫が戦後6年も帰ってこなく、誰もう生きて帰ることはないと覚悟していたらしいが、1951年だったか2年だったかに帰ってきたと後から聞いた話では、シベリアに抑留され寒さと飢えで多くの人が亡くなったと、ひもじさで馬のフンも食べたという話を聞いて、いくら何でもと思ったが、数年前テレビでもそんな話をしていた。フンの中に混じったジャガイモの塊などはご馳走だったらしい。戦争の悲惨さを改めて思う展示だった。
歩道に植えられているハクモクレン、11月20に撮影したときは、割合と温い周りだったし、ほどなく咲くのかと思ったが、さほどつぼみに変化はなく、つまんでみたら随分と硬かった。
地面には、ミミナグサやキュウリグサ、そして小さなナズナが咲いていた。今食べ物がなくなれば、こんな草でも奪い合いになるかもしれないと思いながら、今『防災植物』という講座があちこちで開催されている。災害時食べるものがないとき、身近な植物を役立てようということらしいが、思うような調理道具や、調味料などのない中でどれだけ役立つだろうか、私の好きな山菜も十分なあく抜きや、味付け、てんぷらなどで美味しく食べられていると思う。
お腹がすいたら、否応もなく何でも食べるようにはなると思うが、飽食にどっぷりつかっている私耐えられるだろうか。
手芸店に寄って、折角娘が買ってくれたカシミアの帽子を、虫に食わしてしまったので、それを直そうと、似たような糸を買ってくる。軽くて暖かくてお気に入りだったのに。綺麗に直そうと思っているが、まだ手付かず。
↑↓お見舞いを買ったついでに、1っ個だけこのお菓子を自分用に買う。11日の病院外来ではまた体重が増えていた(涙)一口でパクッと食べる所だったが、写真もないので、撮影してみた。
口に入れるとあれ?と思う微かな酸味があった。『吉祥梅』ウメシロップを使っている?美しい和菓子も平和なればこそ、戦後の食品価格で一番高かったのが砂糖だった。甘いものがご馳走と言われたのがわかるような価格表展示だった。
シクラメン、ほのかな香りがする。つぼみも多く、まだ楽しめそう。
今日は暖かな雨だった。お昼頃一時日が射してきたので、このまま雨が上がるかと思ったが、また雨になった。
綺麗な花ですね。戦争の悲惨差は時々話に出ますが本当にこんなことがあったのかと
信じられない気持ちです。
こちらで梅の花を見ました。私の所も見てください。
今朝は靄がかかっていて幻想的なあさです。
沢山咲いているウメの花を見せていただき、先にコメント書いて、返事を書こうと思っていたら、先輩から電話が入り、平和展見に行きたいということで、また出かけてきました。
先輩は92歳、戦争・戦後、展示してあることは、日常だったようです。
おみやさん所、靄がかかっていたんですか。
靄、幻想的ですよね。
そうですね。パンフレットに九段下駅出口4から歩いて1分と書かれています。巡回企画展をしながら、各地で資料などの寄付も募っているようです。総務省委託と書いてありますが、国の施設でしょうか。戦争の事だけでなく、その時代に使った日用品などもありました。
東京はいっぱい見るものがありいいですよね。
また寒さが厳しくなるとか、春の花堂々と?咲くのはもう少し先でしょうか。
いろいろ見て楽しめました。
眺めてほっとし、心和みました。
ありがとうございました。
色々ものに、好奇心をもってとらえていくことは、人生を有意義にしますね。
昭和館は戦中戦後のくらしの品々を展示されているところなんですね。
私は戦前生まれなので、仙台空襲を遠くから見てますのですごく痛ましい気持ちになります。
あの時は3歳で防空頭巾をかぶってお寺に逃げた覚えがあります。その頭巾の模様もいまだに記憶にあるんですよ。
あの時代はナズナ ゲルッパ スカンポなど食べたとはなしに聴いています。
わが家は米穀 燃料を営んでいたので、食べる心配はなかったようです。
梅シロップを使った和菓子 きれいで美味しそうですね。
ひとりのんびりいただくのも至福の時ですね。
経験者の話や、本やテレビ映画で見るにつけ、自分にはそんな生活は耐えられないと思います。
kikiさん、空襲の経験ありなんですね。3歳でも異様な雰囲気、しっかり記憶に残っているんですね。
触ってもいい体験用の防空頭巾もありました。戦争で逃げ惑う生活、もう二度とないようにと思います。
kikiさん所は、生活の要の商品を扱うお店だったんですね。
ゲルッパ?仙台の方言で調べてみたら、オオバコと出ましたが・・
綺麗な和菓子は、食べるのが勿体ないですよね。