15日西赤石山に行かん?黄葉が綺麗ぜと誘っていただいた。『そんな険しい山、よう登らん』と言いつつも、無謀にも約束してしまったのは13日。翌日は、散策仲間にOさん(先輩)所に行こうと誘われ、昼間のお見舞いとなった。
その時、私明日西赤石山に行くぜと言ったら、先輩も含め3人が『えぇ・・』『あなた大丈夫なの』『きついぜ』と暗に無理だと・・それも、5時出発(汗)その他の散策仲間にも、電話があったついでに伝えると、あんた大丈夫と心配、そりゃそうよね。私の普段を知っている皆さんですもの。
何時もならお弁当も、道の駅などで調達するが、このグループの方たちはちゃんとお弁当も作り、準備万端山登りのベテランたち、4時に目覚ましをかけて、前の晩大体の準備はしてあったので、お弁当や、飲み物、果物などリュックに入れる。この際重たいカメラはやはり無理だと、コンパクトに変更。先輩が、これ持って行きなさいとチューブ入りの飲み物を冷蔵庫から出して下さった。
登山開始7時20分、急な石ころ道だし、3時間ぐらい上るというので途中早くも挫折しそうになる(汗)
これじゃ遅くなってしまうと思い、先に行って私はゆっくり行ける所まで行って、適当に下山して待っているからと、先に行ってもらいゆっくり上って行くが、初めての道どのくらい行ったら目的地かもわからず、見晴らしの良いところに、丁度良い切り株もあったので、そこで休んでゆっくり下山。
↓この山にしかないアカモノがあると、春に来たとき教えて貰っていたので、もしやと思ったが、これは刈られて短くなったスノキ?カンサイスノキ?聞く人もいないので、適当に撮影してみる。
アクシバではないかと、この山に何回も登っている方から教えていただきました。ありがとうございます。
もしかしたら『ケ』が付くかもしれないとのことですが、こんな写真からじゃわかりませんね。『アクシバ・灰汁柴 ツツジ科 スノキ属』 高知県植物誌によると、高知県内の物は殆どケアクシバらしいが、ここは愛媛県どちらでしょうか。 18日追記
下りは楽だけど、石車に乗って転んでは、骨に影響が出ると慎重に下りながら、まだ時間はたっぷりある(目的地でご飯を食べて下山するということだった)林の中あまり花はないが、それでも木の実や、アサマリンドウ、アキノキリンソウ、麓の方ではイヨフウロウや、咲き残ったというか、上を刈られてもう一度咲いた小さく可愛い姿が見られたが撮影は今一つ(汗)
↓登山道近く、銅山が盛んなころには社宅などもあったろうと思える場所に、大きなアキグミの木が何本か有り、たわわに実をつけていた。一時期は小中学生600余人もいたというこの山、子どもたちの格好のおやつではなかったかと思いながら、故郷では川原に沢山あって、山の上にはあまりなかった記憶がある。
登山者用駐車場から、歩いて東平(とうなる)に向かう。(10時ごろだったと思う)
このあたりはこの春、アケボノツツジが少し咲き始めた頃に、従兄に連れてきてもらっていたので、なつかしく思いながらゆっくり散策。
この狭い場所に、6畳一間の長屋が沢山建てられていたと、資料館の映像で説明していた。これに、歩けるだけの道幅もつけて建てていたのかと、上がってみたが、家が建つことが不思議なくらいの空間だった。
共同浴場、共同炊事場等は別にあったと説明していたが、冬は積雪もかなりあったという寒さの中での生活は大変だったろうと思うが、多くの人々と助け合って、家の鍵をかけるなどと言うこともない生活だったと説明していた。今はすべて取り壊されている。
東平は今、東洋のマチュ・ピチュと言われ、観光客も多く来ている。資料館に入ってみると(無料)近代産業遺産に登録されていると書かれていたような気がするが確信はない(汗)
当時の生活用具や、手堀りで作業していた様子。子どもたちの学校での様子など、映像で紹介されていた。かなりの人数が見ることのできる映像室も誰もいなく、一人で鑑賞してきた(春に来たときは急いでいたので見てなかった)
資料館、隣接する駐車場の周りには、沢山木が植えられ、ナナカマドやコブシの果実がきれいに色づいていたが、撮影は上手くできなかった。シラカバの木なども植えられ整備されていたが、元々あの山に有った植物を植えたらいいのにと思いながら見てきた。
赤石山ってあそこかなと見上げて、あんなところには行けん(行けない)と思いながら、少し早いがお弁当にする。まだ下りては来ないだろうと思ったら、12時半ごろには下りてきたのでびっくり。気を使って早く下りてきてくれたのか、お弁当も食べてないという。お先に食べて申し訳なかった。
私は結構楽しめて良かったんですけど、一人で登る羽目になったkarinaさんには申し訳なかったです。すみませんでした。
昨日病院に行ったら、先輩が良かった無事帰られてと・・実はこうこうでと話して大笑い。
もう一度挑戦はしたくない怠け者の私です
明日はまた、高知県の東の端までお出かけですが、山登りでないから大丈夫でしょう。
その時、私明日西赤石山に行くぜと言ったら、先輩も含め3人が『えぇ・・』『あなた大丈夫なの』『きついぜ』と暗に無理だと・・それも、5時出発(汗)その他の散策仲間にも、電話があったついでに伝えると、あんた大丈夫と心配、そりゃそうよね。私の普段を知っている皆さんですもの。
何時もならお弁当も、道の駅などで調達するが、このグループの方たちはちゃんとお弁当も作り、準備万端山登りのベテランたち、4時に目覚ましをかけて、前の晩大体の準備はしてあったので、お弁当や、飲み物、果物などリュックに入れる。この際重たいカメラはやはり無理だと、コンパクトに変更。先輩が、これ持って行きなさいとチューブ入りの飲み物を冷蔵庫から出して下さった。
登山開始7時20分、急な石ころ道だし、3時間ぐらい上るというので途中早くも挫折しそうになる(汗)
これじゃ遅くなってしまうと思い、先に行って私はゆっくり行ける所まで行って、適当に下山して待っているからと、先に行ってもらいゆっくり上って行くが、初めての道どのくらい行ったら目的地かもわからず、見晴らしの良いところに、丁度良い切り株もあったので、そこで休んでゆっくり下山。
↓この山にしかないアカモノがあると、春に来たとき教えて貰っていたので、もしやと思ったが、これは刈られて短くなったスノキ?カンサイスノキ?聞く人もいないので、適当に撮影してみる。
アクシバではないかと、この山に何回も登っている方から教えていただきました。ありがとうございます。
もしかしたら『ケ』が付くかもしれないとのことですが、こんな写真からじゃわかりませんね。『アクシバ・灰汁柴 ツツジ科 スノキ属』 高知県植物誌によると、高知県内の物は殆どケアクシバらしいが、ここは愛媛県どちらでしょうか。 18日追記
下りは楽だけど、石車に乗って転んでは、骨に影響が出ると慎重に下りながら、まだ時間はたっぷりある(目的地でご飯を食べて下山するということだった)林の中あまり花はないが、それでも木の実や、アサマリンドウ、アキノキリンソウ、麓の方ではイヨフウロウや、咲き残ったというか、上を刈られてもう一度咲いた小さく可愛い姿が見られたが撮影は今一つ(汗)
↓登山道近く、銅山が盛んなころには社宅などもあったろうと思える場所に、大きなアキグミの木が何本か有り、たわわに実をつけていた。一時期は小中学生600余人もいたというこの山、子どもたちの格好のおやつではなかったかと思いながら、故郷では川原に沢山あって、山の上にはあまりなかった記憶がある。
登山者用駐車場から、歩いて東平(とうなる)に向かう。(10時ごろだったと思う)
このあたりはこの春、アケボノツツジが少し咲き始めた頃に、従兄に連れてきてもらっていたので、なつかしく思いながらゆっくり散策。
この狭い場所に、6畳一間の長屋が沢山建てられていたと、資料館の映像で説明していた。これに、歩けるだけの道幅もつけて建てていたのかと、上がってみたが、家が建つことが不思議なくらいの空間だった。
共同浴場、共同炊事場等は別にあったと説明していたが、冬は積雪もかなりあったという寒さの中での生活は大変だったろうと思うが、多くの人々と助け合って、家の鍵をかけるなどと言うこともない生活だったと説明していた。今はすべて取り壊されている。
東平は今、東洋のマチュ・ピチュと言われ、観光客も多く来ている。資料館に入ってみると(無料)近代産業遺産に登録されていると書かれていたような気がするが確信はない(汗)
当時の生活用具や、手堀りで作業していた様子。子どもたちの学校での様子など、映像で紹介されていた。かなりの人数が見ることのできる映像室も誰もいなく、一人で鑑賞してきた(春に来たときは急いでいたので見てなかった)
資料館、隣接する駐車場の周りには、沢山木が植えられ、ナナカマドやコブシの果実がきれいに色づいていたが、撮影は上手くできなかった。シラカバの木なども植えられ整備されていたが、元々あの山に有った植物を植えたらいいのにと思いながら見てきた。
赤石山ってあそこかなと見上げて、あんなところには行けん(行けない)と思いながら、少し早いがお弁当にする。まだ下りては来ないだろうと思ったら、12時半ごろには下りてきたのでびっくり。気を使って早く下りてきてくれたのか、お弁当も食べてないという。お先に食べて申し訳なかった。
私は結構楽しめて良かったんですけど、一人で登る羽目になったkarinaさんには申し訳なかったです。すみませんでした。
昨日病院に行ったら、先輩が良かった無事帰られてと・・実はこうこうでと話して大笑い。
もう一度挑戦はしたくない怠け者の私です
明日はまた、高知県の東の端までお出かけですが、山登りでないから大丈夫でしょう。
天城峠じゃ物足りんでしょう
小学生の頃、50年後の自分なんて考えもしなかったけんど、今50年前の記憶は、ついこの間のようにも思えるねえ。
シゲ爺さんのブログはまだお邪魔してないですが、マスカットさんの懐かしく思う風景が有ったがですねえ。
私も後でお邪魔してみましょう。
東赤石山は、標高1700メートルぐらいのようです。
東平(とうなる)駐車場のある場所は、標高750メートル前後との説明がありますので、残り1000メートル上るわけだと思いますが、私はすそ野を徘徊(汗)しただけです。
それでも、険しい山道も、ゆっくり降りた分、いろんな植物が見られましたが、撮影はせんばんでした(いまいち)
四国の山も、紅葉見ごろを迎えたところはあると思いますが、やはり東北には敵いませんねえ。
山のてっぺんから見る景色は良いですよね。
最近は車でかなり高いところまで行けるのですが、やはり汗を流して登っての山でしょうか。
うふふ小学校高学年かな?
学校帰りに発破を知らせる警告のサイレンが鳴ると、山の上から猿の群れがダダーッと一斉に逃げる様子を何度も見かけました。山に張り巡らされた原石を運ぶ為の野猿(ヤエン=ロープウェイ)やトロッコ、選鉱場、記憶の中には鮮やかに残っています。学生さん向けに構内見学なども実施されていましたっけ。閉山して久しいので今では道路も荒れ果て近づくのさへ難儀な程です。
そう言えば3100吉さんのブログ経由で行ったシゲ爺さんのブログにも懐かしい景色が沢山有りました。
風さん経由でも何度か皆さんのブログにお邪魔して、ちょっとした偶然に出会う事が有りますが、長く生きているとあちこちで繋がるものですね。
10月の紅葉時期に西赤石山の登山されたとのこと良かったですね。
アクシバの赤い実 きれいですね。
アキグミもあんなにたくさんなっていてすごいわ!
この山は聞いてははいましたが、結構きつい山何でしょうね。
秋の紅葉 四国はちょっと早いかしら?
東北は今が見ごろになっています。
山にはここ登ってませんので、登れたあの当時が懐かしく思い出しているんですよ。
阿波踊りも、見物されたんですか、編笠を深く被り、下駄をはいての足さばき、ちらりと見える裾除けも色っぽいですよねえ。
私も折角近くにいるので、一度本場で阿波踊り楽しみたいなと、3100吉さんのお話で思いました。
マスカットさんはまだ生まれてなかった
タムタムボーイさんも、その頃は、後に千鳥足さんたちと、イワチドリでつながるなんて思わなかったでしょう。
50年前の思い出が、ついこの間のようによみがえったのではないでしょうか。
ちょっとしたレールがあった?トンネルのような通路のところを通り抜けたら、鉱山の集落などを全景に眺めたような記憶があります。
白黒で、阿波踊りの美人さんを写していましたので、ここの写真もあるはずですが、もう、昔の写真どこに行ったかわかりません。
紀州鉱山は50年程前になりますか採集に訪れた事が有ります。坑内の現場まで案内して頂いた事や発破掛ける音の凄かった事等懐かしく思い出してます。採れる鉱石は別子と同じ様な物だったと思います。領家変成帯の銅山だからかな?奈良(東吉野)にも小さな銅山がありましたネ、とにかく懐かしい!
山の中空気から違いますよね。
勤続30年のご褒美休暇、山形の温泉はいかがでしたか、紅葉には少し早かったでしょうか。
高知はここ数日、日差しがきつく少しでも日陰を選んで歩いています。
忘れず来ていただきありがとう。
先々週、車で山のドライブに出かけてきました。
自然の中は気持ちいいですね。
マスカットさんなら、これくらいの山簡単に上れると思います。
お姉ちゃんは本格的な山登りされているんですよね。
別子銅山は、1690年からだそうですから、マスカットさんたちの時代からは、かなり昔の話やないろうか。
3部屋もあり、風呂付と言うのはかなりの高待遇やと思うねえ。
勿論別子銅山でも、それなりの方は一戸建ての社宅に住む方もいたと思います。
タムタムボーイさんが鉱石集めていたと聞いてびっくりですが、千鳥足さんも集めていたんですか。
まあ、お父様は御仕事柄分かりますが。
その石マスカットさんに、おすそ分けはなかったですか。
イワチドリの、寄せ植えに添えたら良さそう。
紅葉の方はkarinaさんの掲示板で楽しませていただきました。11月は秋津渓谷、12月は筑波山を予定していますが、もう少し遠出してみたい気もします。兎に角低いところばかりなので、今あれだけ紅葉している西明石山はそれだけ高いのですね。
紀州銅山で育ったので、社宅跡の事など目に浮ぶ様でした。でも、私が住んでいた社宅は3部屋あり、炊事場は勿論、風呂も付いていましたので少し前の時代かな?でも共同浴場もあり、水道代、電気代も掛からず呑気なものでしたよ。
タムタムボーイさんが、鉱石を集めていらっしゃったと聞き、驚きました。父や兄もやはり綺麗な鉱石を沢山持っていました。植物に石、共通するなぁ
台風お互いこともなく良かったですねえ。
タムタムボーイさんが、石が好きだったんですか、それなら別子山に沢山転がっている石も、タムタムボーイさんが見たら、価値のある石かどうかわかるんじゃないでしょうか。
私は、今日は東の端、野根川迄行ってきました。
珍しい石ではないと思いますが、綺麗な小さな石を拾ってきました。
寄せ植えなどの風景に使いたいなと思ってはいるんですが、思うだけで実行には移せないかもです(笑)
穴内に鉱山?私の知っている安芸の穴内ではないですね。お宝見つかりましたか。
今日一緒に入った方も、石のことも興味を持っている方でしたが、私は一切分かりません(汗)
台風19号の時は御心配いただきましたが無事
に通過してくれました。有難う御座いました。
若い時(石蒐集~鉱物・鉱石に夢中だった)に愛媛・新居浜辺りの鉱山へ一度は行きたかった事を懐かしく思い出しまいた。四国で行った鉱山は高知・穴内のマンガン鉱山だけでしたね。当時の新発見(新鉱物)が目的でした。
私は途中でも十分楽しんだし、東平でも時間を気にせんと、資料館でゆっくり、この山の中にこんな空間があったがや、私立小学校、中学校から始まった山の学校、600人もの生徒がいた時代もあったとか、興味深く見てきました。
風さんは麓で楽しんだようやね~。
紅葉はちょっと早い気がしたけど、カリちゃんは兜岩で紅葉を独り占めしてきた。
今日行ってきたがですか、兜岩まででもしんどいと聞いていましたが、頂上まで行ってきたとはさすが健脚、流れ星さんですねえ。
本格的な山登りもしたことのない私が、登れる山ではないと思い、途中で引き返すことにしました。
今日〇木さん、〇田さんがお見舞い一緒になって、私の撤退話に、そりゃそうでしょうという結果になりました(笑)
今日登ってきましたよ。
兜岩から紅葉(せんばんよくない)を見て西赤石頂上それからぐるりと回って2時15分下山。
尾根から見ると山並みが気持ちよいから登山はやめられません~。
風さんにはあの急な登山道は無理です。
無理しなくてよかったです。
登山じゃのうて麓歩きやった(大汗)
もうこればあ身が重かったら、上り坂はいかん。
脛が悪かったら、下りるとき堪えるかもしれんねえ。
まあ、上まで行かんでも、それなりにいろいろ見て楽しめる。昔の暮らしぶりに興味のある仲間は、山じゃなく資料館とか、社宅跡などそういうところを見て回りたいと言いよった。
高知から近い場所やけんど、雰囲気は違う山やねえ。九州も綺麗なツツジの咲く山があるけんど、アケボノツツジはきれいですよ。私は時期が早かったので、咲き始めやった。
登山して来たんやね~
アカモノやツガザクラが咲く登山道、時期が合えば楽しそうな山やねぇ。
けど、登山道は結構厳しい?
別子銅山、小学校やったか中学校やったかさえ忘れたけど社会で習った。その名前だけははっきり覚えちょう。これもはっきり覚えてないけど小説でも読んだなぁ・・(脳みそがどんどん縮んで行く感じ・・)
一度は訪ねてみたい遺産やねぇ。
若葉の季節も良いですが、紅葉や、綺麗な果実の季節もいいですよね。
rimiさんも、お子様たちと、山歩きを楽しまれたのですね。
私の子どもの頃は、親子でお弁当持って遊びに行く事はなかったですが、山の畑にお弁当を持って農作業に行くのについて行って、大したお弁当でもなかったのですが、おいしく思って食べたことでした。
秋長く楽しめるでしょうか。嬉しいですね。
私は良かったのですが、一人で登る羽目になった方には気の毒でした。
今日何時もの散策仲間と、先輩の所にお見舞いに行って、事の顛末を話しても、誰も私が登りきるとは思ってもなく、当然と思っています。
かえって、上ったと言ったら驚いたでしょう。
骨は普段の生活には、支障はないくらいになっていますが、骨粗鬆症と言われたら、用心してしまいます。
いろいろ収穫もあって良かったですね。
腰ももう大丈夫そうですが、引き続きお気を付け下さい。