『庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし』 成松佐恵子 2000年 ミネルヴァ書房
江戸時代、人びとは旅を楽しんだという。庄屋日記には、西松権兵衛が1800年代前半約50年の間に、60回以上の旅をしていることが記されている。そのうち、伊勢神宮へは7回も旅している。
第七章 趣味の世界 「旅を楽しむ」 社寺参詣の旅
「さて当時の伊勢参りは、古代から親しまれてきた熊野詣でにかわるものとして、この時期の社寺参詣を代表するものであった。いわゆるおかげ参りについては、すでに述べたのでここではふれないが、各地に残される道中記の類から、上層農民の間で伊勢参宮が流行していたことがわかる。それを駆り立てたのは、御師と呼ばれる人たちであった。
名前に「太夫」とつくことが多い御師は、「西松日記」の中にもときどき登場する。彼らは伊勢の場合に限り、とくに「おんし」呼ばれていたようである。全国各地から参詣のために集まってくる男女に、宿泊の世話をするほか、伊勢神宮を案内したり、神楽のような見世物を楽しませるなどした。また、御札や暦を配布しつつ全国をまわって、宣伝にも一役買っていたのである。人びとは伊勢講と呼ばれる講を結んで、旅費を積み立て、かわり合って参宮し、伊勢名物を携えて無事に帰着すれば、それを祝って宴を設け、土産話が披露され、ともに参宮した気分にひたるのであった。」
人びとが旅を楽しめたのは、五街道の整備、治安の向上のためだったという。そして、筆者はこの章を次のような言葉で締めくくっている。
「こうして人びとは旅に出ると、必ず土産物を求め、帰ればその地の話に花を咲かせ、さらに旅への熱は高まっていった。平和な時代を生きていた庶民の姿が感じられるのである。」