夜のしじま チリの人々の慟哭を思う
『光のノスタルジア』(パトリシオ・グスマン)によせて 関川宗英
宇宙の話は、静謐な夜を思わせる。
夜のしじま、星は悠久の時間の流れを感じさせる。
映画『光のノスタルジア』は、巨大な天体望遠鏡の映像から始まる。
宇宙の誕生は138億年前とか言われるが、
はるかかなたの星には、私たちの体の中と同じカルシュウムがあるという。
天文学者が天体のスペクトルの分析から、カルシュウムのことを語るくだりが、映画に出てくる。
骨のカルシュウムがどのようにしてできたのか。
それが私たちの起源の物語なのです。
私の骨のカルシュウムは、ビッグバン直後につくられた。
我々は星の中に住む。
我々は宇宙の一部なのです。
骨のカルシュウムは初めから存在した。
チリのアタカマ砂漠で宇宙を探索する天文学者たちの話は、私たちを宇宙の果てまで誘っていく。
何億年も続く時間の流れ、無数の星、その中の一つの偶然が私たちだ。
しかし、『光のノスタルジア』は宇宙のロマンを語るためだけの映画ではない。
『光のノスタルジア』には、何億年という時間の中の、南米チリのほんの数十年間が刻まれている。
チリのアタカマ砂漠は、空気の透明度が高く、世界の天文学者が集まる場所だ。
映画にはたくさんの天文学者が登場する。
そして、チリのそのアタカマ砂漠で、ピノチェト軍事政権下、行方不明になった遺族の骨を探す女性たちが登場する。
彼女らは、もう20年近くも遺族の骨を探しているという。
砂漠の砂の中から、骨と思われる白い欠片、小指の爪よりも小さい白い欠片を拾い集める。
いくつかの白い欠片、骨の欠片を、掌に載せる。
表面が滑らかな欠片は、太ももか腕の骨…
小さな穴がたくさん空いている欠片は、骨の内側…
そうやって、骨を探し続ける女性たち。
『光のノスタルジア』は20世紀末、政治に翻弄されたチリの人々の鎮魂の物語でもある。
1970年、チリに、民主的な選挙による、世界初の社会主義政権「アジェンデ政権」が誕生する。
折しもキューバ革命直後、キューバ危機が1962年に起き、世界は、冷戦の真只中にあった。
米国政府と米国多国籍企業は、チリの右派に肩入れし、アジェンデ政権の転覆をはかろうとする。
アジェンデ政権は長くは続かない。
1973年、軍事クーデターが起き、ピノチェト軍事政権が誕生する。アジェンデ政権は3年で崩壊した。
政権を握った軍部は、左翼狩りを始める。労働組合員や学生、芸術家など左翼と見られた人物の多くが監禁、拷問、殺害、あるいは行方不明となった。その数は3000人以上になる。
左翼狩りによって処刑された人たちは、アタカマ砂漠に捨てられたという。
ピノチェト政権は1990年に崩壊する。
それから20年後の2010年に、『光のノスタルジア』は発表された。
アタカマ砂漠で遺族の骨を探す女性たちは、ピノチェト政権が崩壊してから20年、ずっと行方不明となった遺族を探していることになる。
砂漠で、行方不明だった弟の骨を見つけたという女性が語る。
靴の中に足の骨が入っていました
額と鼻の骨も見つけました
頭がい骨の左側をほとんど全部です
銃で撃たれた跡が耳の後ろにありました
弾はこちら側(右側)から出たのです
つまり(左側の)下から撃たれたということです
どんな姿勢だったか分かりませんが
とどめに額を撃たれて死んだ
頭がい骨のこの部分(額のあたり)は粉々になっていました
頭を2回撃たれたのです
あの優しい眼差しが忘れられません
でも私に残されたのは歯と頭の骨のかけら
そして足の骨
最後に一緒にいたのは骨を持ち帰ったときです
集団墓地が発見されて
そこで弟の靴と骨を見つけました
その夜、私は目を覚まして
弟の足に触れに行きました
骨が朽ちたにおいが満ちていました
骨は靴下の中に
ワインのような深い赤の靴下でした
私は骨を出して見つめました
それから2時間ほど居間の椅子に座っていました
頭の中が真っ白でした
ショックのあまり何も考えられなくなって
次の日は夫が仕事に行ったあと
昼まで弟の足と過ごしました
やっと再会できた喜び
同時に現実が突きつけられました
弟は本当に死んだと思い知らされたのです
軍事政権に連れ去られ、そのまま帰らない家族。
その家族の帰りを待ち続け、軍事政権崩壊後は20年も砂漠を探し続ける。
そして、砂漠の砂の中から、家族の骨をやっと見つける。
ようやく再会できた喜び・・・
しかしそれ以上に、待ち続けた家族はやっぱり死んでいたという絶望が彼女を襲う。
彼女の悲しみや怒りは、その胸を何度も突き上げたことだろう。
しかし、彼女は感情的になって、憎しみの言葉を吐き出すようなことはしない。
静かにその悲しみを語るのだ。
それが余計に、絶望の深さを思わせる。
グスマンの言葉も、激することはない。
夜のしじまの中、静かにチリの歴史の一齣を伝えようとしている。
映画のラスト、チリの人々の悲しみを次のように伝えている。
宇宙の壮大さに比べたら
チリの人々が抱える問題はちっぽけに見えるだろう
でもテーブルの上に並べれば
銀河と同じくらい大きい
この映画を撮りながら過去を振り返り
ビー玉を見て少年時代のチリを思い出す
あの頃は――
誰もがポケットの奥に持つことができた
完全なる宇宙を
記憶はあたかも重力のような力で――
私たちの心を捉え続ける
思い出を持つ者は
はかない現在を生き抜くことができる
思い出のない者は
生きてさえいない
今夜もゆっくりと
そして悠然と――
サンディアゴの空を
銀河の中心は通りすぎる
グスマンの映画『光のノスタルジア』は、歴史に翻弄されながら、それでも誇り高く生きようとした人々の物語だ。