chuo1976

心のたねを言の葉として

水の地球すこしはなれて春の月      正木ゆう子

2020-03-11 07:59:52 | 文学

水の地球すこしはなれて春の月      正木ゆう子

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三月は人の高さに歩み来る         榎本好宏

2020-03-10 06:00:48 | 文学

三月は人の高さに歩み来る         榎本好宏

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅤ「2つ目の窓」を見る聴く、   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/3/9

2020-03-09 04:04:10 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅤ「2つ目の窓」を見る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/3/9

  南の島、海、波、空、風、風景、青、白、白い羊が吊されて捌かれる、赤い血が流れて、老人の生活、昔ながらの生活、南の島生活、漁師であり、猟師でもある、嵐、荒れた波間の揺れる死体、何故にこの嵐のなか海辺にやって来たのか、見いだしてしまう少年、周章てて逃れ走る、翌朝、海は収まっている、警察、集まってくる人々、噂話、そこに少年と少女、なんで昨日来なかったと少女、少年は走り去った、何故かは何も判らないままに、学校、教室、授業が終わって、始まりの捌き老人が釣り糸を垂れる、そこに少年が自転車で、少女は制服のままに泳いでいる、海の中の映像、素晴らしいです、海面に現れる少女、老人と少年、また服のままに泳いだのかと少年、何が悪いとばかりの表情で、自転車に乗せてと少女、こうして二人の自転車の疾走、風、空気、移動、動き、愉しさ、映画の愉しさ、美しさ、背景の海、濡れたスカートが靡く、後ろに立って少年の肩に手を置いて、娘の家ではカフェレストランを経営している、父親が料理、母は病に伏して、もはや永くない様子、少年も心配顔、母は村の巫女さんなのだ、神がかっているのだから、大丈夫と何処か夢見心地、だが、既に母こそは現実を判っている、そして語る、内地の人は、必至に手当てして生き延びるのだと、だが、此処では、時期が来れば、そのままに召されるのだと、死する覚悟で退院を決意している、家の庭の前の大木、素晴らしい、退院して戻って、娘の膝に母の頭、娘は父の膝に、父は俺は如何すればと、心地よく頭を横にして寝そべる母と娘、大木を見詰めて、悟りの境地、ベッドの母の回りには、村人が集まって、母の願いで、男が歌ってくれる、村の歌、始まりのシーンでも、祭りの歌と踊りのシーンが在った、三味の音、歌う娘、旨くなったと、母と父、少女もまた、母の後を継ぐのだろうか、少年と少女、積極的な少女、何処か求める顔、唇、拒む少年、浜から自転車で送って来た少年に、、好きだよと娘、ありがとうと少年、娘はキスして欲しい、抱いて欲しい、君はと少女、好きだよと、笑みの娘、娘は父親には、何処まで行ったと問われて、気恥ずかしい、だが、未だ、少年は、何もしてくれない、勇気が無いのか、海にも入らない、都会の子なのだ、少年は母と二人暮らし、母は仕事に、父は別れて都会暮らし、母は他の男と電話して居る、面白くない少年、父に会いたいと少年、こうして母の許しを得て東京に、街中で、彫り物の仕事をしている父親、ならば、あの死体の背の彫り物とは、誰、少年の幻想、父では無かったか、まさか、此処に居るでは無いか、風呂の二人、背中の彫り物の父親、父の姿に安心したか、戻ってきた少年、心配そうに向かえる母、母は少年を手放したくないのだろう、此処に、この島で育てたい、少女の母の死、悲しみ、少年を求める娘、だが、出来ない、飛び出す少年、後を追う娘、母を呪う、己を呪う少年、淫売と、飛び込んで来た娘が、己の母親をそんな風に云うなと、見たのだと、あの死体は、嵐の死体は母と抱き合っていた男の死体だったと、そして、男が死したら、また次なる男とでれでれと電話で話している、淫売だと、罵る少年、飛び出して行く少年、何も語れない娘と少年の母、だが、母にも、父にも欲望が、恋が、必要なのだ、生きるとは、理屈では無い、求めてしまう事なのだから、この母の叫びをもっと欲しかったとも、少女の母と対比して、共に二人の島の女として、そんな女を支える娘の父、東京の少年の父もまた、理解している、だが、未だ、少年には判らない、島に台風が、大嵐、仕事先から戻らない母親、あれほど詰った母だが、心配で、外を巡るが、どこにもいない、仕事場に連絡が繋がらない、娘もまた心配して、翌朝、娘の父親の車で仕事場に、走る走る、やってきた丘のレストラン、店の主人だろうか、シェフが立っている、少年は叫ぶ、母を呼ぶ、消えた母、求めて止まない母、俺が守るのだと、俺しか無いのだと、佇む男の後ろのドアからから現れた母、娘は居たと、この主人があの電話の相手なのだろうか、少年の元に、ゆっくり近寄って頭を抱きかかえる母、涙の少年と母、かくて、少女も、少年も、両親の元で、島で、成長して、裸で海の中を遊泳する、何処までも、美しい若い二人の肉体、今、島の、木々の中、豊かな木々の中、裸の二人は抱き合うのだ、島の祈り、音曲、欲望を、生きるのだ、少年が詰ったときに、母は違うと云った、死した死体は誰だったろうか、誰でも良い、女にも、男にもまた、欲望がある、含めて、祈りなのだ、島の、私たちの、この祈りを生きるしか無い、二人は、両親らと共に、新しい世界に、始まる、だが、これは解決では無い、新しい欲望の、時には地獄の欲望の世界でも在るのだ、血まみれの、二人は、老人と娘の父と共に白い羊の捌きを目にする、目を剥いて見詰める少女、これもまた、島の欲望なのだ、悲しみなのだ、喜びなのだ、祈りなのだ、これが島なのだ、

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Fukushima50ーはどう見ればいいか?=よく出来ているが、誘導されてしまう危険性

2020-03-08 05:31:30 | 映画

Fukushima50ーはどう見ればいいか?=よく出来ているが、誘導されてしまう危険性
 
 原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」監督日記
2020/3/6   太田隆文   https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-06

 


 

cinemacinema.blog.ss-blog.jp
以前に原発事故の映画を作った者として、とても興味があった。映画はオープニングから地震が起こり。パニック映画等でありがちな長い人物紹介はない。有名俳優を多数起用しているので、誰が誰でという混乱もなく見れる。それぞれの役者が個性的なので、その俳優を知らなくても役どころも分かる。
金も時間もかけている。津波はCG。福島第一原発もリアルに再現。原発内もよく出てきている。事故のことも、とてもよく調べて再現。僕も徹底取材したので、それが分かる。それでいて専門知識がなくても分かる表現。退屈させないスピーディな展開。感動の場面もある。俳優も熱演。「なんで、この人がこの役?」というよくあるミスキャストもない。全てがよく出来ているのだが、色々と疑問が残る。ひっかかるものがある。
吉田所長も東電も実名で出てくる。ただ、あるべき事実で描かれていないものがある。ここは難しい。その事実を描くのも描かないのも作家の選択。だが、その事実を描かないことで意味が違ってしまうことがある。その代表が菅直人総理。ヒットラーを悪役として描くために、エキセントリックな部分ばかりを見せるように、この映画の菅直人も怒ってばかりいる(確か、彼だけ実名ではなく総理という表現だったはず)
 
また、彼が福1に乗り込んだことでベントが遅れたというのは、当時の野党が流したデマのはずだが、そのまま描いている。政府が「海水を使うな」と指示したという話も、本当は東電の判断。炉心が塩水で使えなくなるのを恐れて止めたというのが真相と聞く。なのに政府からの指示と描いている。つまり、これらは当時言われたこと。のちにデマだとわかったことをベースにして、共に菅総理。あるいは民主党の失態だと指摘している。が、どちらも事実ではない。なぜ、デマをそのまま描くのか?
映画では官邸が邪魔ばかり、東電本社は翻弄。現場は大混乱という描き方。だが、当時、東電は官邸に情報を上げず、そのことで総理は苛立ち、現場に乗り込んだ。その辺の背景も描かれていない。ただ、吉田所長を始めてとする職員の活躍は映画の通りで、吉田所長は信頼のできるボスであったことは、僕も元職員に取材して聞いている。
けど、この映画だけ見ると「彼らの活躍で原発事故は終息した!」という印象を持つ。実際は今も事故は続き、放射能を出し続け、近所の人たちは家に帰れないでいる。放射能被害も出てる。その部分は全く描かず、日本を救ったヒーローであるかのようなエンディング。
ただ、それは作家の自由。「俺は職員の活躍だけを描きたかった」ということかもしれない。それが映画だ。でも「原発の危険性」「不十分な安全性」「電気は足りている」「安倍が津波対策を止めたことで起きた事件」ということには全く触れない。災害で起きた不幸な事故という描き方。人災ではなく天災。それを素晴らしい50人が命をかけて日本を救ったという話に集約している。
これは「特攻隊は国を守るために死んだ」と美化するのと同じ手法。人の命を犠牲にした攻撃ー残虐性を見つめず、死んで行く若者を英雄として賞賛するのと同じ。「原発はやはり危険」「やめるべきだ」とのメッセージもない。注意して見ないとヤバイ。

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三月の旅程少しは遠出して 稲畑廣太郎

2020-03-07 06:31:33 | 文学

三月の旅程少しは遠出して            稲畑廣太郎

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水とりや氷の僧の沓の音       芭蕉

2020-03-06 07:49:13 | 文学

水とりや氷の僧の沓の音       芭蕉

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蓮實重彦氏、是枝裕和監督が絶賛 フレディ・M・ムーラー監督が語る「マウンテン・トリロジー」

2020-03-05 05:52:28 | 映画

蓮實重彦氏、是枝裕和監督が絶賛 フレディ・M・ムーラー監督が語る「マウンテン・トリロジー」
2020年2月22日

https://eiga.com/news/20200222/3/

 
 2月22日から開催されるフレディ・M・ムーラーの特集上映「マウンテン・トリロジー」。ヌーボー・シネマ・スイスの旗手として知られる名匠で、1985年にロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)を獲得し、世界にムーラーの名を轟かせた「山の焚火」デジタルリマスター版と、「我ら山人たち」(74)、「緑の山」(90)の3作品が上映される。
映画評論家の蓮實重彦氏は、ムーラーの映画作家としての資質を「主題を選択しただけでは映画はいささかも始まらず、それが具体的なイメージとしてフィルムの表層に定着されないかぎり、何事も起りはしないだろうという聡明な認識に属している」と語り、是枝裕和監督は、聾唖の息子とともに、ほぼ自給自足の生活を送る4人家族を描く「山の焚火」について「聖書に描かれているような原初の人の営みを、サイレントという映画の原初の形を想起しながら観る。そんな稀有な体験を、この『山の焚火』は恩寵のように私たちに与えてくれる。貧しい家族の営みを目にしながら、私たちがそこに感じるのは祈りにも似た畏怖である。残酷な暴力も、不幸さえも含めて、映画が描く時間のなんと豊かであることか」とコメントを寄せている。このほど、映画.comがムーラー監督が自作を語るインタビューを入手した。

--あなたにとって「マウンテン・トリロジー」(『山の焚火』『我ら山人たち』『緑の山』によって構成される山三部作)とは?
「マウンテン・トリロジー」 の舞台となった高い山と深い谷を持つ地域は、スイスの地理的な中心であると同時に、1291年にスイスが建国された場所でもあります。私はこの歴史ある地で子供時代を過ごしました。そしてその経験が、のちに映画監督となった私に大きな影響を与えました。この3本の映画は、私の祖先である農民、才能ある職人、そしてそこに根付いている国際的なホテル経営者たちを間接的に伝えています。写真と映画を勉強するために、17歳のときにビジネスの街チューリッヒに引っ越してきたのですが、そのときチューリッヒの人々は、私が本当にスイスのあの原始的な地方の出身なのかと、何度も何度も嘲笑するかのように質問をしてきました。それから80歳になる今までチューリッヒで働き、生きてきましたが、私にとって最も重要な3本の映画を故郷で撮りました。「マウンテン・トリロジー」は私の映画の真髄です。
--「緑の山」には非常に普遍的で、現代社会において、とても重要なテーマが描かれています。あなたはこの映画を作った時に、現代社会を予見していたのでしょうか?
この映画の中心テーマは、人類の歴史と同じくらい長い、未来への責任です。この責任は、世界中で急速かつグローバルにネットワーク化された技術開発により、最近、非常に普遍的な話題となっています。私が1990年に未来を予見したかどうかという問題は、未来を見通せたかという言葉に置き換える必要があります。1970年から1980年にかけて、スイス政府が国民の過半数の支持を得て、放射性廃棄物を40年後、50年後にどこで、どのように安全に処理できるかという具体的なアイデアを持たずに原子力発電所を五基建設することを決定したとき、今日のジレンマを予見するのは極めて容易いことで、先見の明など持つ必要がありませんでした。
--日本とスイスで似ていると思うのはどんなところでしょうか?
調和を願う気持ち、完璧を愛する心、勤勉なところなどです。
--日本の観客へのメッセージをお願いします。
「山の焚火」「我ら山人たち」「緑の山」、これらの山三部作の映画は、文字通り「人間の条件」について表現しています。だからこそ、この3作には、時間を超越した次元が未だ眠っているのだと思います。そして、スイスの都市部や国境をはるかに越えた映画館で上映されたとき、これらの映画は、概してセンセーションとして、またその上映される場所の社会が持つ現在と過去へのエキサイティングな発見の旅として、観客の皆さんに体験されることになります。
私の映画監督としてのキャリアは日本映画に大きく影響されたので、この映画をご覧になった日本の観客の皆さんが、私の日本との映画文化的なつながりを感じ、評価してくれることを願っています。

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雛飾る向ひ合はせにしてみたり       喜田礼以子

2020-03-04 05:44:35 | 文学

雛飾る向ひ合はせにしてみたり       喜田礼以子

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分校に山羊生まれ雪解けにけり        原槙恭子

2020-03-03 06:51:50 | 文学

分校に山羊生まれ雪解けにけり        原槙恭子

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三月の甘納豆のうふふふふ     坪内稔典

2020-03-02 03:05:22 | 文学

三月の甘納豆のうふふふふ      坪内稔典

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf