青い空に、まっすぐ天まで届くようなポプラ並木。強制収容所に60年前蒔かれた種が、その悲惨さが故に手付かずの大地にどこまでも育ってゆく。時間の止まった収容所と時を刻むメジャーのように、コントラストを織り成している。
内部の展示物は痛ましいものであるが、それでも戦争の悲惨さを何万分の1かに縮小して保存しているということを忘れてはならない。全部を見てしまったらとても正気ではいられないだろう。
ヨーロッパではカギ十字など、ヒトラーを連想させることは、ご法度であり、ヨーロッパで大流行のアニメ「ドラゴンボール」等でも、そのマークの使用はモザイクをかけるなどの配慮がなされるとのことだ。
なぜ、このような常軌を逸したことが、起きたのか。ヒトラーを正式な民主主義の選挙で選択したのはドイツ国民である。ただし、当時のドイツの経済状況は、ハイパーインフレがおきており、多くの若者も含め10人に4人が失業者であった。ユダヤ人は人口が3%で富の40%を握っていた。そのような中、アウトバーン建設による公共工事、HUGO BOSSデザインの軍服など若者に夢と食事を与えるリーダとして登場し、ユダヤ人を非難した。我々であれば、絶対にそこで思いとどまれたと断言できるであろうか。我々が学ぶべきことは、教科書の表層的な結果ではなく、そのような結果にいたるプロセスとして、国民はどのような選択をしたかであり、その選択した政治家や官僚の作為、不作為が歴史に与えた影響をよく理解しなくてはならない。