夕べは満月だったので、もしかして大きな余震が来るかな?と思っていたんですが、来ませんでした。地震から日にちが経って、二次被害というのでしょうか?鳴子や松島や秋保などの温泉地で宿泊予約のキャンセルが相次いだり、地震で地形が変わって田んぼに水が行かなくなったり、源泉を引いていたパイプが途切れて温泉が止まったりと、あらたな被害が出てきました。中国の四川大地震と同じく、崩れた土砂で川がせき止められ水が溜まり、それが切れた時の被害も心配されています。
次男の担任の先生のご実家は栗駒にあって、地震のあったその日、お父様は花山に山菜を取りに行っていたそうです。(今の時期は、細くて柔らかいタケノコが取れるのだとか)地震が来た当初は、まわりの草や木につかまっていたそうですが、揺れが酷くなるにつれて立っていられなくなり、地面にふせてしまったそうです。
すっかり崩れた山を、落石や足場の悪い場所を越えて歩いたら、300mの距離を1時間半もかかったそうです。乗って来た軽トラックを置いた山道もさっぱり判らなくなり、とにかく下へと歩いていたら、救援隊の皆さんに出会い「最初の生還者だ」と言われたそうです。その後、市職員の方が車でご自宅に送ってくれたそうですが・・・・取った30kgの山菜はしっかり持って帰って来たそうですよ(ため息)
思い返すと、行きの山道の途中で、知り合いにあって立ち話をしたぶんだけ、山の奥に進まなかったのが良かったそうです。その奥とは、あの一面に崩れた場所だったそうですから。
それと、熊がおかしかったそうです。山菜を取っていたら、近くで熊の低い唸り声がするので、熊除けの爆竹を一つ鳴らしたそうですが唸り声は止まず、三つ四つと鳴らしてようやく声は遠のいたそうです。普段なら、一つ鳴らせばピタッと声は止むそうで、何かを感じ取っていたのかもしれません。
主人の職場の方が、あの日海へ一人で磯釣りに行かれたそうです。(港で船に乗って磯まで送ってもらい、時間が来るとまた迎えに来てもらうのが磯釣りというのだそうです)地震が来ましたが、幸いにも落石などはなかったそうです。ところが、携帯は繋がらず、迎えの船が来るまで時間はまだまだあって、いつ崩れるかもしれない場所に一人待つ間の恐かった事!しばらくして、約束の時間よりも早く、船は迎えに来てくれたそうですが、まったく同じ状況で一人亡くなられておいでですから、本当に運が良かったです。
都会のど真ん中の歩行者天国で人災に遭われた方々も、山奥の静かな森の中で天災に遭われた方々も、よもやその不幸を思ってもみなかった事でしょう。そう考えると、私達は大きな幸運の中で生きているんですよね・・・。
次男の担任の先生のご実家は栗駒にあって、地震のあったその日、お父様は花山に山菜を取りに行っていたそうです。(今の時期は、細くて柔らかいタケノコが取れるのだとか)地震が来た当初は、まわりの草や木につかまっていたそうですが、揺れが酷くなるにつれて立っていられなくなり、地面にふせてしまったそうです。
すっかり崩れた山を、落石や足場の悪い場所を越えて歩いたら、300mの距離を1時間半もかかったそうです。乗って来た軽トラックを置いた山道もさっぱり判らなくなり、とにかく下へと歩いていたら、救援隊の皆さんに出会い「最初の生還者だ」と言われたそうです。その後、市職員の方が車でご自宅に送ってくれたそうですが・・・・取った30kgの山菜はしっかり持って帰って来たそうですよ(ため息)
思い返すと、行きの山道の途中で、知り合いにあって立ち話をしたぶんだけ、山の奥に進まなかったのが良かったそうです。その奥とは、あの一面に崩れた場所だったそうですから。
それと、熊がおかしかったそうです。山菜を取っていたら、近くで熊の低い唸り声がするので、熊除けの爆竹を一つ鳴らしたそうですが唸り声は止まず、三つ四つと鳴らしてようやく声は遠のいたそうです。普段なら、一つ鳴らせばピタッと声は止むそうで、何かを感じ取っていたのかもしれません。
主人の職場の方が、あの日海へ一人で磯釣りに行かれたそうです。(港で船に乗って磯まで送ってもらい、時間が来るとまた迎えに来てもらうのが磯釣りというのだそうです)地震が来ましたが、幸いにも落石などはなかったそうです。ところが、携帯は繋がらず、迎えの船が来るまで時間はまだまだあって、いつ崩れるかもしれない場所に一人待つ間の恐かった事!しばらくして、約束の時間よりも早く、船は迎えに来てくれたそうですが、まったく同じ状況で一人亡くなられておいでですから、本当に運が良かったです。
都会のど真ん中の歩行者天国で人災に遭われた方々も、山奥の静かな森の中で天災に遭われた方々も、よもやその不幸を思ってもみなかった事でしょう。そう考えると、私達は大きな幸運の中で生きているんですよね・・・。