ここ最近、会社から雇用契約について「更新可」と言われたかと思えば「いや、やはり契約終了」と言われたり、「最長6年まで可」「いや、やはり3年」などという気まぐれで不安定な状況に精神的・身体的にかなり参っていました。家族や友人たちにまで嫌な思いをさせてしまったりもしました。
でもこの特攻隊員達が経験した思いは、そんな生易しいレベルではないのですよね…。「今日出撃だ」「いや、敵艦がいないから明日に延期だ」「いや、やはり今夜」というような状況とは一体どんなものなのか、想像を超えています…。そんな状態でも、最期の最期まで遺される家族の心配をしている。
比べられる種類のものではないことはわかっていますが(レベル云々じゃなく中身が全然違うので)、ふとそんなことを考えて、最近の自分が恥ずかしくなりました。
(大塚あき夫 1945年4月28日特別攻撃隊員として沖縄嘉手納沖にて戦死 23歳)
昭和二十年四月二十一日
はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない。国の前途が心配でたまらない。いやそれよりも父上、母上、そして君達の前途が心配だ。心配で心配でたまらない。……俺は君たちの胸の中に生きている。会いたくば我が名を呼び給え。
四月二十五日
人間の幸福なんてものはその人の考え一つで捉えることが出来るものだ。俺が消えたとて何も悲しむ事はない。俺がもし生きていて、家の者の誰かが死んでも俺はかえって家のために尽くそうと努力するだろう。
四月二十八日
今日は午前六時に起きて清々しい山頂の空気を吸った。朝気の吸い納めである。今日やる事は何もかもやり納めである。
書きたいことがあるようでないようで変だ。
どうも死ぬような気がしない。ちょっと旅行に行くような軽い気だ。鏡を見たって死相などどこにも表われていない。……泣きっぽい母上ですからちょっと心配ですが泣かないで下さい。私は笑って死にますよ。「人が笑えば自分も笑う」って父上によく言われたでしょう。私が笑いますから母上も笑って下さい。……
午前十一時
これから昼食をとって飛行場へ行く。
飛行場の整備でもう書く暇ない。
これでおさらばする。
皆元気でゆこう。
大東亜戦争の必勝を信じ、君たちの多幸を祈り、今までの不幸をお詫びし、さて俺はニッコリ笑って出撃する。
(『きけ わだつみのこえ』より)