現代社会の基礎に存在するのは西欧近代である。その近代をどのように理解するかは、今や喫緊の課題とされる。押し寄せる国際化の波の中で、今こそ、その課題に応えてくれる歴史上の人物に学ぶ必要があるのではないか。信義と力、国際社会を律する普遍的法則の表と裏を明確にわきまえたうえで、西欧近代を導入し、日本の国家自立を促そうと考えた井上馨、その人間像を、多彩な留学生群像とともに多角的に描いてみようと思う。
国のかたちはどうあるべきか、世界的視野の中で問い続けてきた幕末留学生たちの熱い思いとその志を、新しい世紀に向けてつなげて行く、それがわれわれの使命であり、また義務ではなかろうか。
(犬塚孝明 『密航留学生たちの明治維新(井上馨と幕末藩士)』)
英国に留学中の井上聞多(後の馨)は、故郷の長州藩が外国船を砲撃したため四ケ国連合艦隊(英仏蘭米)との間で緊張状態にあることを知り、急遽伊藤俊輔(後の博文)とともに帰国する。
西欧近代文明をつぶさに見てきた井上は、藩政府に対し、攘夷戦争がいかに無謀であるかを訴え、今必要なのは攘夷ではなく開国であると涙を流して説得する。しかし完全に攘夷に傾いている彼らの心を変えることはできなかった。
しかしこの頃長州の主力部隊はすべて京へ行ってしまっており今はとても戦争などする余裕のない藩政府は、「外国船砲撃は朝廷の命令でやったにすぎない」と言い、戦争の引き延ばし作戦に入る。
井上はこの卑劣なやり方に憤慨しつつも、その旨を英国艦隊へ報告するが、交渉は物別れに終わる。
その直後、京において「禁門の変」が勃発する。
これにより長州は、外国艦隊のみならず、朝廷・幕府をも敵にまわすことになってしまった。
そうこうするうちに四ケ国連合艦隊との間でついに開戦(下関戦争)。
藩政府は、まずは幕府の征討軍と戦うのが先決と判断し、井上に連合艦隊との止戦交渉を命じる。
しかし井上は、「一旦開戦したからには国が滅びるまで徹底して戦うことこそ武士の面目・人の信義というものではないか」とあくまで徹底抗戦を主張し、次のように言うのである。
外国人は「信義を重んずる人間」である。もし、信義を軽んじて、約束を破るようなことがあれば、彼らは徹底して膺懲を加えるであろう。
君位が明確でなくては主義の貫徹は難しい。このような「飄々たる国是」では藩国の維持など到底できるものではない。
本当に「信義」をもって和を議するつもりであるならば、たとえ攘夷の勅命が下ろうとも、死を覚悟で諫諍申し上げるのが筋であろう。そもそも国家に尽くす道とは、「利害のある所を審かにして、君主をして其害を避け利に就くやうになす」ことではないのか。
攘夷は「国家の危害」であり、開国が「安全の策」であることを御理解いただけたなら、勅命といえども拒絶する覚悟で事にあたってほしい。それが「信義」というものである。(p163)
まぁ戦争を続けるべきか否かはともかくとして、この場面を読んで、以前、元国連大使の方がTVで次のように話していたのを思い出した。
「大切なのは自己のアイデンティティを持つことである。アメリカ人と同じように流暢な英語を話し、同じような価値観を持つことは要求されてはいない。自国に対する認識をしっかり持って初めて彼らと同じテーブルを囲むことができる」
「日本人として、一人の人間として、自分の意見をいつもはっきり持つこと。そうでなければ、これから日本人が立っていく国際社会の舞台で意見を言うことはできない」
こういう態度は、外交においてのみ言えることではなく、人と人の関係、一人の人間としてのあり方にも言えることだと思う。
自己のアイデンティティを確立するということは、同時にそれに対して責任を持つということだ。他人から批判される覚悟を持つということだ。
じゃあ私自身は?
責任や批判を避けるために、いつも自分のアイデンティティをわざと曖昧なままにしてこなかっただろうか。
そうすることでいつも逃げ道を用意していたような気がする。
幕末と異なり、膨大な情報が行き交っている現代で、自分の確固たるアイデンティティを持つのは、それ自体大変な労力がいる。
世の中の価値観をそのまま自分の価値観としてしまう方がずっと楽なのだ。
でも、こんな世の中だからこそ、常に感性のアンテナを伸ばし、自分の価値観をしっかり育くむことが、国にとっても、自分にとっても、大切になるんじゃないだろうか。
いままでは「井上馨」=「鹿鳴館」「西洋かぶれ」という印象が強かったのだけれど、この本を読んで、そんな印象をすっかり改めさせられました。
彼が行った政策の評価は別にして、彼もまた、当時の多くの志士達と同じように、その命を賭けてこの国のあり方を追求しつづけた人間だった。
この本は、先日ご紹介した『薩摩藩英国留学生』の長州版といった感じです。
なので彼らの出会いの場面など、重なる場面も多い。
もっともこちらはパイナップルに喜んだり、アイスリームに驚いたりというシーンは殆どありません。これは藩性の違い(笑)なのか、あるいは薩摩藩とは異なり悲惨の一言に尽きる極貧生活を送っていた彼らにはそんな余裕はなかったのかもしれません。
そんな彼らを金銭的に助けたのが薩摩藩留学生だったという点も感動的です。
井上や伊藤の師であった吉田松陰は、彼らより10年ほど前に同じように密航を計画して、捕縛されました。井上たちの頃でも命がけだった密航ですが、10年前はそれさえも不可能だった。
もし松陰が10年ほど遅く生まれていて無事留学をしていたら、歴史はどう変わっていただろうと想像する。松陰は処刑されることはなかった。そのかわり松下村塾も開かれることはなく、多くの志士達が育つこともなかった。
けれど歴史に「もしも」はないわけで、みんな生まれたその時代を精一杯に生きるしかないのですよね。
この本を読んだのはやはり数年前なんですが、まさか彼らの話が映画(=長州ファイブ)になるとはびっくり!
もうすぐTSUTAYAでレンタル開始なのですごく楽しみです(^^)