風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

滝口康彦 『一命』

2013-03-28 13:47:26 | 



 「時世などとは言わせませんぞ」
 事実、わずか十年のちには、武家諸法度の中に、殉死は古より、不義無益のことにしてと、はっきりうたわれたではないか――。
 愚かな慣習、古い道徳を捨て去るにも、世間はしばしば、権力の裏づけを要求する。

 心の底からほとばしった高柳織部の、切実な訴えは平然と抹殺しても、同じことが、幕府という、一つの大いなる権力によって打ち出されると、唯々諾々として肯定したのである。真実は、ただ一人の声であっても、真実に違いないものを――。

(「高柳父子」より)

映画『一命』の原作である「異聞浪人記」を含む全6編が収録された、滝口康彦による短編集『一命』。
その殆どが武士の悲哀をテーマとしているため少々一本調子な感はありますが、いつの世も強き者により黙殺される“弱き者達”の想いがひとつひとつ丁寧に描かれた、優しく、そして哀しい作品集です。

どの作品も秀作揃いですが、なかでも私が特に好きだったのは、「高柳父子」。
主君が死ぬと家臣も「追い腹」を切ることが正義とされた時代に、高柳織部は最後までその無意味さ愚かさを訴えながらも、周囲から不忠者と罵られ、詰め腹を切らされる。
だがそれからわずか十年後、幕府により「追い腹」禁止令が出されると、途端に世間は掌を返したように追い腹を非難しはじめる。
主君の死に際し追い腹を切ろうとする織部の息子外記を、織部に詰め腹を切らせた人間達がその同じ口で平然と非難するのである。

権力が方針を変えると、人々も平然とその意見を変える。
これは一体どういうわけか。
この作家は、決して「権力」の残虐性だけを訴えているのではない。
それよりもっとタチの悪いもの。権力や集団の力を笠に着たときの「一人一人の人間」の無責任さ、愚かさ、残虐さを描いているのである。
江戸時代も、戦中も、戦後も、そして今も変わることのない、日本人に特に強く見られる悪しき性質である。

作品の最後、空から降る雪の描写がとても美しい。
人間がどうであろうと変わらずに降る雪は、権力とその名の下に平然と弱者を切り捨てることに何の疑問も抱かない人々の冷たさを象徴しているようでもあり、またその大いなる力に踏み躙られた弱き者達への鎮魂のようにも見える。
映画『一命』のラストで津雲半四郎の上に降る雪も、高柳父子の上に降る雪も、おそらく同じ雪である。
弱き者達の上に、ただ深深と、雪は降る。

人それぞれの心は、とうていはたからはうかがい知れぬものである。笑う者はどこまでも笑うがよい。幕府の仮借ない政略のため罪なくして主家を亡ぼされ、奈落の底にうごめいている浪人達の悲哀は、衣食に憂いのない人々には、しょせんわかってもらえることではなかった。血迷った求女のみれんをあざけり笑ったその人々が、同じ立場に立たされた時、どれだけのことができるというのか――。

(「異聞浪人記」より)

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