風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『一命』

2013-03-29 00:07:32 | 映画



「武士が妻子のために金子を頼んだその心底を、誰か哀れとは思わなかったか。これだけの武士が揃うていて、我が身に置き換え思い遣る気持ちをお持ちの方が、一人くらいおられなかったものか」

(映画 『一命』より)

この映画が言いたいこと、それは半四郎のこの言葉に尽きると思う。
確かに狂言切腹などをまかり通したらキリがなく、「自分達は切腹したいと言う人間にそうさせただけ」という勧解由の言い分は間違っていない。
間違ってはいないけれども、“情がない”のである。
何を甘いことを、と多くの現代人は言うだろう。
それを承知の上で、だけれども、と敢えてこの映画は言っているのだ。
“武士の面目”などという理由のために平然と一つの命を死に追いやった者達に、半四郎は悔いと怒りと悲しみと命をもって問うているのである。

誰も好き好んで狂言切腹をする武士などいない。
幕府の思惑ひとつで主家を潰され、路頭に迷い、武士の誇りを捨て狂言切腹をしなければ生活ができないところまで追い詰められた浪人達を、衣食に憂いのない者達が笑う。だが、両者の間に一体どれほどの違いがあるというのか。そこに項垂れている浪人は、あるいは彼らだったかもしれないのだ。
何でも「自己責任」という言葉で片付け、いま目の前でその人が苦しんでいても何の感情も動かない。弱者を平然と切り捨てることに慣れきってしまった、そんな今の日本にこそ、必要な映画ではないかと私は思う。

悲しい映画であることは確かだが、救いのない映画では決してない。
私がこの映画を思うとき、なぜか頭に浮かぶのは、梅や桃の花の咲く温かな春の景色である。
家族の描写はあくまで温かく、紅葉や雪はあくまで清らかで、何より求女や半四郎の中に人間の美しさと希望を感じることができるからかもしれない。

最後に、賛否両論ある海老蔵ですが、私はとてもよかったと思う。半四郎はただ一人他と異なった空気を纏わねばならぬ役であり、その点彼の存在感はぴったり。また、着物での所作や佇まいの美しさに、はっとさせられること幾度。多少台詞が聞こえずらいところがあるのは残念だったが、低く深みのある声も良かった。

★原作の小説ついてはこちら

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