風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ギレリス、リヴィエラ、ブラームス

2020-07-04 17:26:57 | クラシック音楽




 ザークが教えたのは音楽の中の空間で、ギレリスが教えたのは音楽の中の時間でした。

 ギレリスはいつも音楽に深く浸り、ピアノの前で考え込んでいました。彼は音楽の中の「静寂」がいかに大切かを知っていました。彼の話し方もそうでした。彼はレッスンで、私の演奏を聴きながらときどき止めて、しばらく考えてから話し始めました。彼が考えているとき、静寂の中に音楽があふれ、彼の言葉もまるで音楽のようでした。
 ギレリスは、レッスンでよく演奏を聴かせてくれました。彼のコンサートにも足を運び、リハーサルも聴き、レコードも買って、彼が音と音の間をどのように処理しているかを聴き取ろうと努力しました。ギレリスはトリルを弾いているときでさえ、その中に静寂を感じさせ、音と音の間で思索を巡らせているのがわかりました。演奏はきわめて自然なのに……。(中略)
 彼と共に過ごした日々を振り返って、ギレリスはきわめて自然な人間だったのだと思います。深い思考と芸術の持ち主で、作為的なところは少しもありませんでした。指導者として、彼は私に音楽と人生を教えてくれました。言い換えれば、彼は私に人生の中で音楽を聴くことを教えてくれたのです。(中略)
 ギレリスのすべての音には意味があり、最小の音から最大の音まで、さまざまな音色のグラデーションを駆使して、彼の想いのすべてを鮮やかに描き出していました。静寂を原点とする彼のピアニズムを、心から尊敬しています。

(ヴァレリー・アファナシエフ。焦 元溥著、森岡 葉訳『静寂の中に、音楽があふれる』より)

ピアニストが語る!シリーズ第4巻のタイトルは、『静寂の中に、音楽があふれる』。
読む前はシフの言葉かな?と思っていたのですが、アファナシエフがギレリスについて語った言葉からだったんですね。




 驟雨が走った直後に、光が雲間から燦然と漏れ出してくるのは、このアイルランドの空を身近に知っている者の音なのだと、ジャックは思ってきた。シンクレアが実際にこの地を知っていたのはほんの幼少のころであったはずだが、予め血の中に土地の記憶は埋め込まれているのか。あるいは、ウィーンやパリにいて、未だ見ぬアイルランドを追い続けていた音なのか。

 (高村薫 『リヴィエラを撃て』より)

突然ですが、私が今のようにクラシック音楽を聴くようになったのは、ロンドンのプロムスでピアノ協奏曲を聴いて感動したのがきっかけでした。
なぜピアノ協奏曲の日を選んだかというと、高村薫さんの『リヴィエラを撃て』という小説がとても好きだったから。ロンドン滞在中も小説に出てくる場所をあちこち訪ね歩いたものでした(訪問記はこちら)。
この小説のなかで非常に重要な位置を占めているのが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番です。ネット情報によると、高村女史が参考にされたのは、1976年録音のアバド×ポリーニ×ウィーンフィルによる演奏とのこと。
youtubeで聴くことができますが、アバド&ポリーニらしい明快で勢いのある非常にいい演奏で、小説終盤のサントリーホールの場面の演奏としてもピッタリに感じられます。
ポリーニの特徴って正確無比な技巧のように語られることが多いように思うのですが、録音では私もその印象が強かったけれど、初めて彼のピアノを生で聴いた瞬間に驚いたのは、その音色の多彩さと、コントロールをコントロールと感じさせない鮮やかさでした。アファナシエフがギレリスについて語っている「最小の音から最大の音まで、さまざまな音色のグラデーションを駆使して、彼の想いのすべてを鮮やかに描き出している」は、私はポリーニのピアノにも当てはまるように思うのです。

一方で、私がこのブラームスのピアノ協奏曲第2番という曲の演奏で最も好きなピアニストは、ギレリスです。
1972年のヨッフム×ギレリス×ベルリンフィルによる演奏が、とても好き(オケの演奏が少々重い、3楽章のチェロがそっけないなどの面はあるものの)。
「ブラームスそのもの」に感じられる、真面目で繊細な自然な音色。
ギレリスのピアノが表出させる、風景と空気。

この記事の冒頭に載せた写真は、ドイツのアウクスブルク近郊で撮りました。2枚目は、アイルランド。
私にとってブラームスの音楽は、こういう色のイメージです。そして『リヴィエラ~』も。
深く濃い緑に、雲間から差し込む光。
洗練されすぎていない荒々しい、でもどこか懐かしい、土の匂いを感じさせる色。
高村さんがなぜ数あるピアノ協奏曲の中からブラームスのピアノ協奏曲第2番を選んだのかはわからないけれど、私の中であの物語とブラームスに共通するものは、この緑色です。
そしてこの色と空気を最も鮮やかに感じさせてくれるのが、私にとってはギレリスなのです(ただし小説のシンクレアの演奏としては、先ほども書いたようにポリーニの演奏が合っていると思う)。

アファナシエフは作家でもあるだけあって、言葉の表現が素晴らしいですね。ギレリスのピアノについての言葉、「うんうん、わかるわかる」と深く頷きながら読んでしまった。
アファナシエフのピアノも、一度聴いておけばよかったな。海外のピアニスト達が次回来日してくれるのは、いつのことでしょう…。

私の人生に対する考え方は、東洋的だと思います。人生には目的があるというのが、西洋の考え方です。アリストテレスは、人間は自己を実現し、目標を達成すれば、快楽を得ることができるという哲学を打ち立てました。しかし、中国の哲学では、人も事物もただ同じところを行き来するだけで、人生は絶え間なく変化し、向かうべき目標もなく、終点もないと考えられているようです。私の人生も同じです。出発点もなく、何の出来事もない。人に会い、本を読み、音楽を聴き、ピアノを弾く、ただそれだけです。

(ヴァレリー・アファナシエフ。『静寂の中に、音楽があふれる』より)





この2枚の写真も、アイルランドです。
上がクロンマクノイズ、下がディングル半島。


★オマケ★


シフ、あの後ずっと日本に滞在されていたんですね(そうかもしれないなあとは思っていましたが)。
あの状況のなかで日本に来てくれて、演奏をしてくれて、本当にありがとうございました。
またあなたのピアノを聴ける日を楽しみに
で、どこに帰国されたんだろう。イギリスかな?

そして、ブラジルの感染者数に「フレイレはご無事なのだろうか」と恐れおののいております。
どうかお元気でいらっしゃいますように。
そして絶対にまた来日してください