この前、ウチの子と話していた時、出てきた話題で、それをちょっと。
よく見かけたりする、ありがちな表現に「~~120%」というものがあります。これって、どうしてなんだろうね、ということについて、父が熱く語ったのでありました。かなりくだらないので、ご容赦願います。
私の推論は次のようなもので、必死に説明しました(笑)。
恐らく『宇宙戦艦ヤマト』の設定に原因があるのではないか、ということです。
記憶では大体次のような会話になっていたと思います。
「波動砲発射用意」
「エネルギー充填120%」
で、この後、「発射」とあいなるわけです。
<参考までに、「何で波動砲のエネルギー充填が120%なんだ?」という理由については知りません。多分水鉄砲みたいなもんなんじゃないでしょうか。水のタンク内容量が仮に「100ml」であるとして、実際に発射可能な水量は「90ml」でしかなく、残りの「10ml」は回路内とかタンクから完全に発射回路に辿り着かない部分として、常に残されてしまう、というようなことです。言うなれば「死腔」みたいなもんかな、と。であれば、発射量を100とすれば、死腔内を満たしておく別な量が必要なのだ、ということで、それが20%なのではないだろうか、というようなことです。波動砲の場合には、エネルギーロスの為とか、発射の必要最低条件なのかよく判りません。>
なので、多分『宇宙戦艦ヤマト』を見てた世代の人とかが、キャッチコピーを考えたりなんかする時に、ついつい「100%じゃないんだよ、もっと溢れているんだよ」というような気持ちを表現したくなり、「120%」という表記を用いてしまうのではないだろうか、と。
これを、わが子に判るように説明しようとした訳ですが、「宇宙戦艦ヤマトって何?」みたいになってしまって、長々と話してしまいました。波動砲についても説明が必要でした。でも、こちらの意図は伝わったようでした。親子における会話で、このような会話はきっと世の中では皆無であろう、という感想を親子ともども持ったわけでございます…。「ウチって変わってるよね」って中二に言われた。
まあ、よい。で、一応、サンプルを調査してみましたところ、出てきましたよ、やっぱり。googleさんって、すごーい。
愛情120%「シーザー」でハッピー120%
もう、まさしく典型的な例でございます。
タイトルからして、「愛情120%」、「ハッピー120%」でございます。
喜びを感じる時には、「うれしさ120%」ということのようでございます(笑)。
更に、文中には、「イルミネーションに彩られたお散歩広場でうれしさ240%!」というのもありましたです。昼だけでも120%なので、日暮れになればさらに120%が加わって倍になる、つまり240%ということでありましょうか。もう、ここまでくると、どうしてそれほどまで120にこだわるのか、全くの不明なのでございます。しかし、表現としては、これはありがちなのかもしれません。「~~120%」(若しくは、その倍数も?)を責めてはいけないんでございます(笑)。
因みに、ウチの子曰く、「120%って、微妙だよね。200%とかにしておけばもっと多いし、きりもいいのにね」と。確かに。
「大体、「おいしさ120%」みたいなのって、どう考えてもヘンだよね」とも言ってた。確かに。
全ては、「波動砲発射よーうい」「エネルギー充填120%」「はっっしゃやー!!」が悪いのでございます(←ウソ、笑)
よく見かけたりする、ありがちな表現に「~~120%」というものがあります。これって、どうしてなんだろうね、ということについて、父が熱く語ったのでありました。かなりくだらないので、ご容赦願います。
私の推論は次のようなもので、必死に説明しました(笑)。
恐らく『宇宙戦艦ヤマト』の設定に原因があるのではないか、ということです。
記憶では大体次のような会話になっていたと思います。
「波動砲発射用意」
「エネルギー充填120%」
で、この後、「発射」とあいなるわけです。
<参考までに、「何で波動砲のエネルギー充填が120%なんだ?」という理由については知りません。多分水鉄砲みたいなもんなんじゃないでしょうか。水のタンク内容量が仮に「100ml」であるとして、実際に発射可能な水量は「90ml」でしかなく、残りの「10ml」は回路内とかタンクから完全に発射回路に辿り着かない部分として、常に残されてしまう、というようなことです。言うなれば「死腔」みたいなもんかな、と。であれば、発射量を100とすれば、死腔内を満たしておく別な量が必要なのだ、ということで、それが20%なのではないだろうか、というようなことです。波動砲の場合には、エネルギーロスの為とか、発射の必要最低条件なのかよく判りません。>
なので、多分『宇宙戦艦ヤマト』を見てた世代の人とかが、キャッチコピーを考えたりなんかする時に、ついつい「100%じゃないんだよ、もっと溢れているんだよ」というような気持ちを表現したくなり、「120%」という表記を用いてしまうのではないだろうか、と。
これを、わが子に判るように説明しようとした訳ですが、「宇宙戦艦ヤマトって何?」みたいになってしまって、長々と話してしまいました。波動砲についても説明が必要でした。でも、こちらの意図は伝わったようでした。親子における会話で、このような会話はきっと世の中では皆無であろう、という感想を親子ともども持ったわけでございます…。「ウチって変わってるよね」って中二に言われた。
まあ、よい。で、一応、サンプルを調査してみましたところ、出てきましたよ、やっぱり。googleさんって、すごーい。
愛情120%「シーザー」でハッピー120%
もう、まさしく典型的な例でございます。
タイトルからして、「愛情120%」、「ハッピー120%」でございます。
喜びを感じる時には、「うれしさ120%」ということのようでございます(笑)。
更に、文中には、「イルミネーションに彩られたお散歩広場でうれしさ240%!」というのもありましたです。昼だけでも120%なので、日暮れになればさらに120%が加わって倍になる、つまり240%ということでありましょうか。もう、ここまでくると、どうしてそれほどまで120にこだわるのか、全くの不明なのでございます。しかし、表現としては、これはありがちなのかもしれません。「~~120%」(若しくは、その倍数も?)を責めてはいけないんでございます(笑)。
因みに、ウチの子曰く、「120%って、微妙だよね。200%とかにしておけばもっと多いし、きりもいいのにね」と。確かに。
「大体、「おいしさ120%」みたいなのって、どう考えてもヘンだよね」とも言ってた。確かに。
全ては、「波動砲発射よーうい」「エネルギー充填120%」「はっっしゃやー!!」が悪いのでございます(←ウソ、笑)