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まさかの利上げ決定

2007年02月21日 14時57分05秒 | 経済関連
クソッ、当面有り得ない、と考えていたのに、踏み切られた。

もっと強力に反対表明しておけばよかった。最近はYI論争にかまけてたし。

GDP統計の数字が悪くなかった、ということで、「踏み切れる」と判断したのだろう。日経平均は18000円にかなり接近してたしな(明日以降はやや下げるだろうと思うが、どうだろうか)。

チクショウ、(失礼、汚い言葉で)やられたよ…政府側からの強い「反対表明」は出てないから、というのはずっと流れていたしな…

踏み切った理由の大きな部分は、所謂エコノミスト連中とか金融機関の取引関係といった「同じ穴の狢」じゃなかった、業界内部に配慮したんだろう。「先月にはやると思ったから、○○を抱えちゃったよ」みたいなもんか?(←陰謀論)

福井総裁が「村上ファンドがらみで譲歩せざるを得なかった」とか書き立てるからだよ(笑)。それを打ち消す為には、必要なくても利上げに踏み切らねばならなくなるんだし。そういうのが必ず「バイアス」になってしまうんだって。関係あってもなくても、必ず結びつけられるから。

どっちにしろ、疑心を生み出すことになってしまうのさ。だから総裁になんて辞めろと言ったじゃないか。何をどう決めても勘繰られるのだよ。


ちょっと慌ててますが、追加です。
日銀の公式発表はまだ見てないけど、昔の記事を挙げておきます。

儲かっちゃった?福井総裁

思っていた通りの展開に、もう言葉もありません…
福井総裁の存在そのものが、政策決定(或いはそれに対する評価)を狂わせる元凶なんですってば。



「ロスト・ジェネレーション」と呼ばないで

2007年02月21日 14時22分01秒 | 社会全般
古い話を蒸し返すようで申し訳ありませんが、性懲りもなく朝日新聞の社説でばら撒いてるようなので。

こちら>asahicom :朝日新聞今日の朝刊-国際面

(一部引用)

私たちの社会には、こうしたハンディを理不尽な形で負わされた仲間がいる。就職氷河期といわれた90年代に就職活動をした25歳から35歳ぐらいの層だ。「ロストジェネレーション(失われた世代)」ともいわれる。
(中略)
こうした企業を増やし、低賃金の非正規雇用にあぐらをかく経営者に転換を迫ることで、失われた世代を支える仕組みを社会全体で考えたい。




まず第一点。
『「ロスト・ジェネレーション」ともいわれる。』って、言ってるのは、朝日新聞でしょ。自分たちでパクリの呼び名を付けて、広めようとしているだけなんじゃないか。何でも「カタカナ語」で言えばいいってもんじゃない。それに、過去の言葉との区別がつき難くなるし。

「ロスト・ジェネレーション」という言葉は次のようなものだ。
失われた世代 - Wikipedia


それから、こちら。
【海難記】 Wrecked on the Seap1


「ロスト・ジェネレーション」には反対を表明する。
前に考えたのは、「陥溺の世代」なので、これをを用いて欲しい(笑、冗談です)。まあ一般的にはなじまない呼称ではあるので、もっといいのを考えてみて下さい。


第二点。社説の論旨に沿えば、「高額所得にあぐらをかく新聞社」が率先して範を示せばいいではないか。まず朝日新聞社の平均給与を大幅に低下させるために大量に雇用してあげればよい。中身の薄い記事とか、感想文程度とか、間違いの多い記事とか、そういうレベルであるようなので、そのくらいであれば書ける若者も大勢いるだろう。大体、新聞社というのは、個人の能力にはあまり関係なく「競争から守られている」非効率な仕事なのであり、「既得権益」をガッチリガードしているのだ(ですよね?池田先生)。そういう既得権益を開放し、もっと若者をたくさん雇ってあげればよいではないか。

平均年俸が1千万円を超える必要性が「社会の木鐸」にあるのだろうか?新聞が大好きな「ジャーナリズム」とは、「金儲け」が目的なのではないか?崇高なジャーナリストの魂とか言っても、所詮金をガッポリ稼ぐことが一番大事なのではないか?「虚業」とかメディアはよく非難するが、新聞記事そのものは「モノづくり」じゃなく、実は「虚業」に過ぎないのではないか?

まずは朝日新聞社が、「理不尽なハンディを背負わされた」若者たちを大量に雇用してあげなさい。
自分でやってごらんよ、お説教する前に。「金儲けの為にやってるんじゃない」とか言うなら、できるよね?平均給与が1000万円以上の中小企業とかあると思う?滅多にないよ、きっと。なので、新聞社の人たちの給与を半分にすれば、年俸300~400万円程度の人たちを、高額所得者の2倍くらいは雇えるだろうね。年俸1500万円の人の給料を800万円にして、残った700万円を2人に配分できるんだよ?現実には、社会保障費等の事業主負担分があるから、もうちょっと減るかもしれないが、それでも年俸300万円以上貰える若者にとってみれば大助かりには違いないよ。

それとも、朝日新聞社は”仲間”を見捨てるのか?



オタカル・サブカル・オルタカル?

2007年02月21日 11時33分18秒 | 俺のそれ
初めて知った。ネット上でふと目にする言葉として、「サブカル」とか「オタカル」というのがあったが、自分の感覚では「(マイナーな、マニアックっぽい?)サブのカルチャー」とか、「オタクの(愛する世界の)カルチャー」というようなことかと思っていた。

だが、「オタカル」とはコレだった(笑)
オタカル2世 - Wikipedia

ゴメン、冗談。違いました。
こっち>オタカルとは - はてなダイアリー

へえ~、『「オタクVSサブカル」を略したサブカル語』だったのかー。
と、ここで疑問が。
・オタクとサブカルは違うの?

私には全く区別がついていなかった。大して興味もないし。「オタカル」とは”サブカル語”なんだって。ああ、オタクとは「そういう人たち」を示す言葉で、「サブカル」とは「そういう文化」を指す言葉なのかな。でも、何で違う「人間と文化」がvsなんだろう。ちょっとよく判らん。「オタク」とは、広義で言えば「オタクな人」と「オタクの文化」の両方を表すのかもしれん。うーむ、難しい。

では、「サブカル」とは何か?ということで、「サブカル」ならばkanoseに聞け!―じゃなく。失礼。ふざけました。
これだ>サブカルチャーとは - はてなダイアリー

ここでの説明によれば、『文化・カルチャーの一派で、主流(メインストリーム)の文化に対するカウンターカルチャーの一つ、主に若年齢層などのマイノリティによって形成される文化を指すことが多いと思う。』という、あまり自信なさげな曖昧な感じらしい。言葉って、難しいのね。使っているうちに、変容していくからね。

もう一つ見てみよう。
サブカルチャー - Wikipedia

うーむむ、長い(笑)。でも、「おたく文化」(ところで、「おたく」と「オタク」は違いがあるのでしょうか?よく判りません)も含まれているような、でも論争もあるようだ、と・・・・しかも「おたく文化」は「サブカルチャーの最大与党」って、イメージがわかり易く何となく面白い(じゃ、野党第一党は誰?)。サブカルチャーという言葉が定着するまでには、「オルタナティブカルチャー」すなわち「オルタ・カル」という用語が登場していた、と。ナルホド、ナルホド。


参考までに、「kanoseに聞け!」を実践してみれば、大変示唆に富む記事があったので、ご紹介。サブカル用語には関係ないけど。コメント欄が秀逸です。今読んでも、似たようなことの繰り返しが起こっているようです。
ARTIFACTハテナ系

「オタカル」の語源となっている「ユリイカ増刊号」の発売頃のお話。
kanose氏の『「10年以上前から良く聞く話ばかりで知識の継承というものが存在しない」のは、「自分は昔から知っている。他人は知らない」というのが優越感ゲームの鍵だからですね。実践ありがとうございます』は、「ズバリそうで賞」です。


いよいよ、「オルタカル」に辿り着きました。
結果的には、この用語は死んでいきました。「サブ」に負けたのです(笑)。
影響を与えたのかどうか不明ですけれども、事件もあったみたい。池田氏の発言内容とも関連しており、それがようやく判りました。

オルタカルチャー - Google 検索

なるほど、過去にはこうした事件があったんですね。パソコンを使ってはいたものの、ネット世界に興味はなかったので、昔の山形氏のご活躍というのを知らなかったのですが(笑)、中々先鋭的な芸風であった、ということでしょうか。そーでしたか。
でも、こういう昔の武勇伝時代から知っている、ということと、今の言説の中身とは直接的には関係ないように思えます。ブログ記事に書かれている内容を理解しようとすること、自分で考えて判断しようとすること、そういうものが必要なのではないかと。特に言論人ならば、「今は、いま」「昔は、むかし」だと思いますよ。内田樹先生風に言えば、「これを書いた時の私と、今の私は全くの別人である」というような感じでしょうか(笑)。

基本的には、書かれている中身が大事なのであり、対抗言論で対抗すべきなのです。その対抗言論は、「煽動力」―群集化させる「集団心理工学」(by 断固guy@最終弁当銘)の究極奥義?か―の優位性で帰趨が決する可能性が高いでしょう。それは「相手に理解できる形」で情報を提示することであり、(昨日書いた記事で挙げたリンク先にある)ペイジのいう「世界中のすべての成長が科学と技術によるものであるのに、誰もあなたがた科学者らに関心がないとすれば、それはあなたがたに深刻な宣伝活動上の問題があることになる」ということとも繋がっています。「正しいことを知らない」と愚痴をこぼし、優越感ゲームに陥っているとすれば、「知識の継承」は望めないでしょう。


<ところで:
グーグル検索で見つけた裁判の判決文を読むと、結構面白いですね。こんなことを言ってはアレですが、判決文を書いた裁判官はちょっと楽しんでいたところがなかったとは言えないようにも思えます。山形氏の記述部分なんかを読むと、キャラが際立っていますね(笑)。決してマネしたくはない芸風だけど(それ以前の問題として、マネできんけど)。善悪、正誤、とか色々あると思いますが、「人々を惹きつける何か」というものがあるということなのでしょう。池田氏が危惧を示していた「山形信者」という存在は、実際どの程度ネット上にいるか知りませんけれども、賃金論争にしても多くの一般人に興味をもたらした効果があったことは言えるかと思います。「経済学」という学問にとってプラスとなったかどうかは判りませんが。「経済学への興味」は広くもたらされたかもしれませんね。「酒は多聞~」じゃないや、坂本氏の意味不明解説も乱入してきたくらいですし。>