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続・賃金に関する論議~池田氏の批判は本当なのか?

2007年02月14日 22時26分49秒 | 経済関連
前の続きですが、字数がオーバーしたので分けました。

池田氏は記事の本文を書き換えたな。
こうだ。
『残念でした。価格は、どんな教科書にも書いてあるように、需要と供給で決まるのだ。その需要を決める要因の一つが所得だが、所得水準が上がれば価格が自動的に上がるメカニズムがあるわけではない(PCのように競争的な製品の価格は所得と無関係に下がり続けている)。ましてウェイトレスの所得と「平均生産性」には、何の関係もない。製造業の生産性が上がっても、たとえばジャズ喫茶の限界生産性が下がれば、そのウェイトレスの時給は下がるのである。』

アレ?『あるわけないだろ』は何処に行ったんでしょう?(笑)
初めにに引用した『残念でした』以下の部分を比較して読んでみて下さい。

『残念でした。所得水準が価格を決めるメカニズムなんてあるわけないだろ。価格は需要と供給で決まるのであって、その需要を決める要因の一つに所得はあるが、所得が上がれば価格が上がるといった1対1の因果関係があるわけではない。まして彼が引き合いに出していたウェイトレスの時給が、経済全体の「平均生産性」で決まるなどというメカニズムがあるはずがない。』

新たにジャズ喫茶まで登場させたようですが、まあ、これはいい。大した問題じゃない。けど、池田氏は有名なブロガーらしいのだが、全然当てにはならんな。
自分の主張に信念があるのであれば、変える必要性なんかないはずだ。正しい、と確信していたのであれば、それを貫けばいいのではないか?何故今更になって変えるのだろうか?他のαブロガーを批判していた割には、変ですね。素人相手だからか?(笑)


価格は需要と供給で決まる、それはそうだ。だが、全部が真実じゃない。現実には需要側も供給側も財やサービスも「移動制限」がある。原子みたいに(これってナンだけど例えば気体分子みたいに?ってことか)移動できるわけじゃない。池田氏はPCの価格が下がり続けていることを書き加えてきたが、全世界の需要量が増大してきたのであれば多分下がるだろう。インターネットプロバイダ料金は国際競争には無関係に下がり続けてきた。昔のダイヤルアップに比べれば数百倍とか数千倍もの性能になったが、価格は大幅に低下した。「インターネット接続サービス」というものを中国から輸入してきてるわけではないし、国際競争がなくても需要が増大すれば下がるのだ。携帯電話料金もそうだ。加入者が増大して需要が増えれば、価格は下がるだろう。それは経済学の教えに従うところだろう。サービスは、財と必ずしも同一に扱えない部分が必ずあると思っている。特に人的サービスの比重の大きなものはそうなんだろうと思う。それは供給者(労働者)を簡単に移動できないからだ。需要側もそうだろう。移動に大きなコストがかかるからだろうと思う。

最貧国で「ネイルアート」の商売をしようとしても、成り立たないだろう。日本人のネイルアーティスト(?と呼ぶのだろうか、ちょっと判らんけど)を連れて行って、商売をしようとしても需要が殆どないのでダメだろう。しかし、現実に日本国内では商売が成り立つ。ネイルアートという労働、提供サービスは、地域が変わっても内容は基本的に同じであろう。「その仕事に固有の生産性」が変わるとは思われない。だが、ある地域では商売として成り立ち、ある地域では成り立たない。これは当たり前。需要がないのは、その地域の「賃金(所得水準)が安すぎる」からだ。グローバル競争云々で、ネイルアートの仕事が変わるわけじゃない。もしも海外に激安のネイルアートの店があって、日本では1万円かかるのに、そこでは千円でできるとしても、実際には日本人はあまり利用しないだろう。そこに行くまでの時間や移動コストがかかるからだ。千円で営業している店の外国人は、日本に来て営業した方がはるかにお得なのに、中々やってこれない。それは移動コストとか地域的な障壁が存在しているからだろう。現実世界の中では、「誰も原子(分子)みたいに」振舞うことなんてできない。

日本の喫茶店でコーヒー1杯に600円も取る店があり、この店は生産性が低く国際競争力も低いから、グローバル競争に敗れて潰れる、とか言うのかもしれないが、実際にそれで営業していて、そこの従業員には法定最低賃金よりも高い時給(勿論中国の平均なんかに比べればべら棒に高い)をわざわざ支払って「営業している」んですよ(笑)。それは需要があるからで、もしもその価格に不満なのであれば、利用しなければいい。利益がなくなれば企業は必然的に撤退するのですから。しかし現実に営業可能というのは、経済学でいうところの合理的な結果なのであり、グローバル競争だの生産性が低いから云々ということなんかではない。「中国でコーヒー1杯が80円で飲める喫茶店があるからそこを利用します」、なんて言う日本人に出会ったことはないが(笑)。一杯600円の値付けというのは、経営(供給)側が需要者に「聞いて回って」決めるんじゃないんですよ。需要量が減ったからといって、すぐさま価格変動なんかは起こらないですよ(笑)。供給側が勝手に決めてるだけ。想定している利益率から、価格が設定されているのです。利益率算出には当然従業員の賃金(ウェイトレスの時給だな、笑)だって入っているに決まっていますよ。


話は変わるが、物々交換の世界を考えてみよう。
Aという島ではバナナが自然に常時膨大になっていて、誰でも自由に食べられるとする。別なBという島では、バナナを食べたことがなく、バナナの需要があるとしよう。Bの島ではバナナの代わりに、イモが常時大量に自由に採れるとする。で、Aの島で「バナナを採取し、船に運ぶ人」という仕事a1と、「バナナを船でBに運ぶ」という仕事a2というのができたとする(島Bからは島Aに行ける船がないものとする。これは技術水準がAで高く、Bにはそれができる技術がない、ということです)。それぞれ一人が始めたとしよう。Bの島に行き、バナナ10本とイモ10個を交換して返ってくるとする。で、仕事a2の人がイモ7個、仕事a1の人がイモ3個分が取り分だとしよう。その仕事が島Aでは「オイシイ仕事」であると思うのであれば続けられるだろう。

だが、島Aの人たちが別にイモと交換する為に島Bに行かなくてもいいと思うのであれば、誰も運ばなくなる。それは仕事の生産性とか国際競争なんかには関係ないだろう。「労力が大きい」かどうかである。思っているよりも労力が大きすぎる(例えば船が途中で難破したりして死ぬリスクとか)と感じるのであれば、誰もやらないのだ。もっと別な仕事、例えば魚を取るとか、金属を探す為に山を掘るとか、そういったことをやる。それは基本的には島Aでの生活環境・水準によるのである。逆に、イモとの交換がとてもよい商売であると感じる人たちが多ければ、島Aからバナナを運んでいく人々が増えていくだろう。それもある水準に達すると、それ以上はバナナを運ぶ仕事はそれ以上必要とされなくなる。島Bでの需要がいずれ頭打ちになってしまうからだ。多くの人が島Aから運搬するようになれば、交換比率はバナナ:イモが10:10だったのが10:8とかに低下するかもしれない。これは需給で決まる、と言えるが、島Aから運ぶ仕事の手間暇と、貰えるもの(この場合はイモだ)の価値の感じ方でしかない。イモの適正な絶対価格なんてないからだ(笑)。交換比率が1:1であれば継続されるが、バナナ10本に対してイモ5個とかまで落ちてしまうと、「こんなに大変な思いをして運ぶのはイヤ(損)だ」と感じるようになって、やはり誰も運ばなくなるかもしれない。先の仕事a1の人とa2の人の取り分にしても、貰えるイモが余りに少なくてバナナを採取して運ぶのはイヤだ、とa1の人が思うのであれば、Bにバナナを運ぶ商売を止めるかa1の人のイモの取り分を増やすしかないだろう。


なので、絶対価格を需給で決定するのは難しい。島Aでのa1やa2にかかる賃金コスト(労力)は正確に計算できない。イモの絶対価格も実際には存在しない。Bの島ではタダ同然なのだから。結局、ある仕事をやってもいいと思えるかどうか、ということに行き着くと思われ、それは自分が生活している社会環境、生活状況や期待・欲望という判断(つまりは人間の心の問題?)によるのだろうと思う。



賃金に関する論議~池田氏の批判は本当なのか?(追記あり)

2007年02月14日 13時04分36秒 | 経済関連
これまで専門家という人々が本当に正しいことを言っているかどうか、というのは割りと「当てにならない」というようなことを書いてきました。以前には、「反専門家主義」という記事も書きました。そして、今回も池田氏の論説に、そうした傾向が顕れていたように思えたので、素人なりの疑問を書いておきたいと思います。池田信夫氏は一応「経済学者」ということなのでしょうか?それとも、IT関係や電波関係の評論家なのでしょうか?私には正確に判りませんけれども、専門家なのであれば経済学について正しく理解しておられるはずなのですが、素人衆(あるふぁなブロガーの方も含まれるかもしれない)や学者でもない新進気鋭の評論・翻訳家(=山形氏、by Dr.中西)の言説に、専門家らしからぬ余裕のないツッコミをされているのを目の当たりにして、とても悲しくまた残念に思う次第です。はっきり申し上げれば、「オマエら、間違ってんだYO!」というのを、得意気に書いているのを見て、「何てレベルが…(以下自粛)」と思ってしまい、また期待ハズレでガッカリしました。貸金業関連の時もそうでしたが(笑)。


前置きが長くなりましたが、大変お詳しい方々の議論に参入するのも気が引けますけれども、池田氏の批判が果たして妥当なものと言えるか書いてみます。

池田氏は次のように述べています。

池田信夫 blog 生産性と「格差社会」

(一部引用)

ここで彼は「平均生産性」と「平均所得」が存在することを示している。それは当たり前だ。しかし両者が存在することが、どうして前者が後者を決めることになるのだろうか。たとえば同じように全国民の平均身長も存在するが、平均生産性は平均身長を決めるのだろうか?

経済の各部門の限界生産性は異なり、それによって賃金も異なる。その集計として平均は算出できるが、それは因果関係を意味しない。もちろん「生産性の高い国は所得も高い」ぐらいのことはいえるだろう。こういう関係を私は前の記事で「日本の所得水準が高いぶんだけ、絶対価格は中国よりも高くなる」と(わざと曖昧に)書いた。山形氏は、見事にこれに引っかかって「じゃあ池田くんの言う『所得水準』はどうよ? 所得水準が絶対価格を決めるメカニズムはあるんだよねえ?」という。

残念でした。所得水準が価格を決めるメカニズムなんてあるわけないだろ。価格は需要と供給で決まるのであって、その需要を決める要因の一つに所得はあるが、所得が上がれば価格が上がるといった1対1の因果関係があるわけではない。まして彼が引き合いに出していたウェイトレスの時給が、経済全体の「平均生産性」で決まるなどというメカニズムがあるはずがない。



ここで、用語の問題というのがあるかもしれませんので、私なりの理解で書いておきます。池田氏は「所得」と用いていますが(所得水準とか平均所得とか)、以下では「賃金」と書きます。「所得」というと、不労所得なんかも含まれるかもしれないので、全部の人が働いて賃金を貰っている、ということを念頭に書いていくためです。また、所得水準を決めるのはほぼ賃金所得であるということを前提に考えるためです。

まず資料として、以前に書いた記事で取り上げたペーパーがありますので、そちらをよくお読み下さればと思います。

デフレ期待は何故形成されたのか・3の中で示した、ESRI ディスカッションペーパーNo.90です。

このペーパーで取り上げられているアカロフらの論文がありますが(元の論文を読んだ訳ではないので是非ご自身で確認してみて下さい)、ここから見ていきたいと思います。

アカロフらの示した賃金交渉モデルでは、簡単に書くと次のような関数があります。

総合的利得=(V-受取賃金)^α(受取賃金-参照賃金)^(1-α)

V:雇用者一人当たりの期待付加価値額
α:企業の交渉力
1-α:労働側の交渉力

総合的利得とは企業側はなるべく労働者を低い賃金で雇って利益を多くしたい、労働側は受取賃金を多くもらいたい、ということです。この交渉の結果、双方の利得が最も大きくなれば一番良い、ということですね。付加価値額については、色々な定義があるかもしれませんが、とりあえず以前に書いた記事中に示していますのでそちらを見て下さい。

この賃金交渉モデルで示された「参照賃金」というのが、池田氏や山形氏の議論の根本にあるのではないかと思います。アカロフらは参照賃金を次のように想定していたようです。

参照賃金=期待機会利得=(1-u)W+uS

W:市場賃金
S:失業手当
u:失業率

これは、その会社に勤めないで別な会社に勤務した場合に得られるであろう賃金と失業手当の大きさで期待されるもの、ということになります。失業率はその確率を表すという意味です(恐らく元の論文では、生産財が一つしかなく、競合企業も同一財しか供給しない市場を想定しているのではないかと思いますが、読んでないので不正確です)。じゃあ、市場賃金って何よ?ということになってしまいますが、平たく言えば「別な会社の賃金」の相場、ということになるでしょうか。競合企業がどの程度あるかにもよりますが(市場全体で2つしか会社がなければライバル社の賃金ということです)、おそらくその平均ということになるでしょうか。失業手当は日本だと政府介入のものであり企業にその決定権限はありません。ここまで見てくると、参照賃金というのが、市場賃金や失業手当というものから想定される、「その社会における適当な相場」ということだと思います(相場というのは、世間並み、という意味合いであって、市場取引に関するものではありません)。ゲームクリエイターだとこれくらい、プログラマだとこの程度、派遣事務員ならこんくらい、メイド喫茶のメイドならこれぐらい…要はそういうようなことかな、と。

このモデルでは財を扱うので、サービスが同じように当てはまるとは言えない可能性はありますが、意味合いはほぼ同じではないかと思われます。もう少し続けます。参照賃金の伸びについては、次のように示されています。

参照賃金伸び率=期待物価上昇率+期待実質賃金上昇率+賃金プレミアム

ここで、賃金プレミアムというのを簡単に言いますと、失業率に関する関数で、失業率が高ければ労働者が企業を移動するのが大変な(リスクは高くなる)のでプレミアムは低下し、失業率が低いと条件の良い企業へ移りやすくなるので労働者を繋ぎとめておくプレミアムが上昇することになります。大事なことは、労働者が「これくらいは貰えるハズだ(貰うべき)」と考える賃金というのは、過去の賃金なんかを織り込んでいて、更に期待物価上昇率も今後貰うべき賃金の参考にしている、ということです。なので賃金低下が持続したり、デフレが継続するというのは、経済活動にとっては深刻な影響をもたらすのです。

現在の参照賃金は、過去の伸びの積み重ねによるので、賃金の高い国というのは低い国に比べればその歴史を積み重ねてきた、ということです。失業手当についても、社会全体の賃金水準が上がれば一緒に高くなるので、例えば最低賃金のような法規制などの影響も受けて高くなってきた、ということだろうと思います。


池田氏の批判を再掲しますが、『所得水準が価格を決めるメカニズムなんてあるわけないだろ。価格は需要と供給で決まるのであって、その需要を決める要因の一つに所得はあるが、所得が上がれば価格が上がるといった1対1の因果関係があるわけではない。』と述べています。これを見る限り、「価格決定は、賃金に関係ない」ということのようにも聞えますが、先のESRI のペーパーを見ていくと、次のようなことがわかります。

ある企業の財の需要関数=需要×(価格/平均価格)^-β
(β:価格弾性値)
平均価格というのは、その産業での平均価格です。また、価格は

価格=β/(β-1)×賃金/限界生産性

で表すことができます。すなわち、ある社会があってそこでの賃金というのがある水準の時、価格にそれが反映されてしまう、ということになります。池田氏のいう限界生産性は間違いではありませんが、理解が不十分なのではないでしょうか。企業の生産量Qが供給と同じであるとして、これは雇用量Nおよび技術水準の関数になります。で、限界生産性(dQ/dN)が与えられることになります。供給は別な言い方をすれば、価格/賃金比率の増加関数だそうですよ。「価格は需給で決まる」という金言を後生大事にするのも結構ですが、雇用者の賃金が上がれば価格は上がりますので。全業種同一に、とまでは言いませんけれども。月給1万円の業種と月給30万円の業種が、日本という社会に同時に存在しうる(最低賃金という法規制がないとして)、ということを現実に想定するのはとても困難であろうと思います。極端に安い業種が存在した場合、労働側の参照賃金は別な業種に変更可能なのであり、労働市場が厳しい移動制限があって移れないということがなければ、そんなに安い仕事に従事する必要性は存在しないでしょう。つまり、「一つの財」だけを扱っている市場ではライバル社しか選択余地はないでしょうけど、現実にはもっと別な業種という選択権が労働側にあるのですから(勿論移動にはそれなりのコストが必要でしょうけれど)。


次に「平均生産性」というものを見ていきます。

ESRI のペーパーでは、生産単位が小さい場合にはこちらの方が現実的、という表現になっています。つまりサービス産業のような小さい企業の多い場合には、限界生産性からのアプローチよりも現実的な考え方、と受け止められなくもないですね。

企業が撤退せずに存在する条件として、次のように表しています。

(pQ-WN)/pQ=r

p:価格
Q:生産量
W:賃金
N:雇用量
r:下限利益率(必要最小の利益率)

書き換えると、p/W×(Q/N)=1/(1-r) となり、平均生産性Q/N、価格、賃金というのはいずれも関連していると考えられます。
更に、

ある期における平均生産性=初期平均生産性×e^p×(供給量/Q')^-1/δ

Q':平均的稼働水準下での潜在的生産能力
-1/δ:供給量と平均生産性をつなぐ弾性値

と表すことができ、「平均生産性」については、これらで基本的な定義をすることができると思われます。

ここでは「日本全国のある財」について扱っているが、これを例えば「メイド喫茶」というサービスについて援用不可能と考えるのはあまり合理的とは思えませんね。


このように見てくると、池田氏が豪語していた(これは前からなのですけれども)、「(賃金が)価格を決めるメカニズムがあるわけないだろ」とか、「「平均生産性」で決まるなどというメカニズムがあるはずがない」とか、そういうのがいかに胡散臭いものであるかは判ったような気がします。勿論、現実には正確な時給や賃金が「一義的」に決定されたりはしませんね。それは「缶ビール市場」というのが日本に存在するとして、たとえ同一製品であっても、1缶210円のもあれば、168円のも、500円のもあるわけで。誰も「たった一つの」需給均衡価格なんて見たことなんかないんですから(笑)。個別の事例・市場を見ていけば、そりゃいろんな場合もあれば、生産性も違うし、業種毎でも大分違ってるでしょう。

でも、山形氏が説明していたのは、「日本という社会全体(=国際社会という枠組みの中の日本)で見たときには、どのように考えてみたらいいのかな」ということを、「経済素人にも判るように易しく書いてある」ということなんですね。池田氏は、ご自身のような「専門的立場」からすると物足りない・誤解を招く、という表現を含むものだ、ということを批判しているのかもしれませんが、そういう「専門的立場」から批判を加えるのであれば、ご自身の論説内容についても当然その水準を適用すべきだしそれが要求されて当たり前でしょう。因みに、池田氏が前の記事で説明に用いていた「要素価格均等化定理」に関して、以前に取り上げたので、参考までに一応挙げておきます(参考記事)。

何かと言えば「経済学、経済学」、「専門、専門」、「教科書はこう教えている」、最終的には「教科書嫁」(爆)、というような定型的な批判が多いのもアレですけれども、理屈を現実世界に適用していこうとする時に「理屈通りではないかもしれない部分については、自分はどういう風に考えるか」というのが、大事なんじゃないかな、と思うのですよね。特に専門を謳うのであれば、結論を豪語する前にまず論文を読むのも当たり前、他人に「何も判ってねーな」と面罵するのであれば、まず自分がやってみた方がいいと思いますね。アカロフなんて、私のような経済学素人でさえブログのネタに取り上げるくらいなんですから(笑)、著名学者の論文を読んでないとか知らないというのは、専門家のレベルとしてどういった評価となるんでしょう?門外漢の私には全く判らない訳ですが。


前に指摘した時の教訓は、全然活かされていないのではないでしょうか?>池田先生


関係ないけど、
TBしても、何故かはてなには届かないね。まあ、しょうがないか。

池田氏はこちらのTBを削除したそうです。「デフレ」の話なんて関係ない、ということですって。上の内容を読んで、価格とか賃金の話を書いているのに、何処にデフレの話をメインにしてるように読めるのでしょう?確かに文中には、ちょこっと触れていますが、殆どは違いますよね。「価格」と「物価水準」の違いを勉強しろ、ってアドバイスを頂戴しましたが、「物価水準」を示す式とか、上に書いてますか?どこをどう読むとそういう読み方ができるのか、不思議ではあります。

自分の都合が悪くなると、無視すればいい、「どうせ何の影響力もないザコブログだから」、ということがよく判りますね(笑)。こういう時こそ、「スルー力を発動!」ということなんでしょう。「デフレ」って、全然違うことを言って誤魔化すというのも、一体なんなんでしょうね。要は自分の評判さえ守ればいい、ということなんでしょう。これがアルファな人、ということです。