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最低賃金に関する議論~3

2009年08月08日 18時32分22秒 | 社会全般
賃金の下限が存在しなければ、たとえば次のような条件の仕事も認める、ということであろうか。

・ある会社が商品を生産するのに時給200円
・1日に16時間勤務すれば3200円の賃金が得られる

確かに一日に”3200円も”貰えるなら、生きていくだけなら可能なのかもしれない(笑)。毎日働けば、30日で96000円も稼げるからな。社会の失業が減らせて何よりだ。確かに失業した途端に食べられない失業者となって死ぬよりは、はるかにマシ。時給800円で生産している会社よりも、この会社の方が儲かるし、社会全体で見ても「働きたい人が働ける」のでいいんじゃないか(笑)。素晴らしき経済学。

働きたい人が優先的に働ける社会。
死を選ぶよりは時給200円の方がいい、という社会。

なんて素晴らしいんだ。
原材料価格が上昇して生産コストが増加しても、消費者側の需給は基本的には関係ないから、同じ価格のままになるってことだろうしね。そうすると、価格は需給で決まるままになるので、生産する企業側が原材料コストを価格には反映させられないけれども、賃金を削ればすむだけの話。時給を100円にすれば原材料コストの増加分を吸収できるなら、賃金を半分に減らせばいいだけ。これで楽々解決だ。労働者は賃金を失うと死ぬから、それよりはマシだもんね、確かに。


失業給付や最低賃金のような社会制度は、過去の人類の経験から生み出されてきたものではないかと思うが、よく知らない。でも、上記のような極端な労働条件というものを防ぐのに役立ってきたのではないのか?

本当に「借りたい人が借りられる」社会とか、「働きたい人が働ける」社会なんてものが、公正なのかどうか、大いに疑問はあるわけである。正しいというのなら無駄な制度は廃止するように政策変更をするべきだろうし、それを裏付ける理屈について経済学の理論で明らかにするべきだろうね。


もっと違ったイメージがあるので、それについて書いてみよう。

今、小型のボールが3個あって、大、中、小の3種類とする。これを菓子折りのような箱に入れる。この箱には、ボールの直径とピッタリ合う大きさの穴を開けた台紙が底に置かれているとする。穴以外は真っ平。ボールは自由に転がって、穴部分のくぼみに嵌ることができるようになっている。くぼみは大中小の3つなので、同じ大きさかボールよりも大きい穴の部分にボールが嵌ることができるわけである。ボール自身よりも小さい穴には、入れない。

さて、3個のボールを箱に入れてフタをし、箱を水平方向に適当に振ってみる。
そうすると、箱の中はどうなっているか?、ということだ。
色々な場合があるであろう。
3つともボールと同じ大きさの穴にピッタリ嵌って、動かないでいるかもしれない。それとも、どれかの穴は空きがあるかもしれない。ボールは平らな部分にコロコロと転がっているだけ、ということだ。大きなボールの穴には別な中か小のボールが居座って大きなボールに合う穴を塞いでしまうと、大きなボールは残りの中か小の穴には入れないので、いつまで経っても嵌る場所を見つけられず、コロコロと転がり続けるしかなくなる。

こういうのを幾度か続けてみると、一体何が判るのか?
少なくとも、3つのボールがそれぞれに合う穴にピッタリ嵌るというのは、毎回じゃない、ということだ。これが現実なのだ、ということ。


個々のボールが労働者、穴は仕事とかポストであるとしよう。
大きなボールは能力の一番高い労働者で賃金が最も高く、中くらいのボールはその次、小は一番下の賃金、ということだ。穴の大きさはそれに見合う賃金を提示している仕事、ということになる。労働者が自由に移動できる、ということがあるとしても、経済学理論みたいに毎回毎回穴の大きさに合うボールだけがピッタリと収まっている、なんてことは現実には起こらない、ということだ。穴に入れずにコロコロと平らな部分を彷徨うボール(=失業)が存在する状態はある、ということだ(確率の問題、といったことはあるかも)。余るボールはきっとあるよ、という話だ。

また、穴の数よりもボールの方が多ければ、必ず余る。しかも、余ったボールは死を意味する。賃金下限が存在し得ないなら、失業給付が存在しないのと同じだからだ。もし失業給付があるなら、これを下回る賃金は「存在できない」。賃金の方が低ければ失業給付を貰う方が得なので、労働者はそちらを必ず選択してしまうからである。死を回避する為には、ボール自身の大きさを小さくすれば、穴に入れる確率は高まるであろう。ボールを小さくする、ということは、すなわち「賃金引下げ」を自ら行う、ということだ。


実際の労働市場というのは、jこの箱みたいに毎回毎回全部を転がす程には振られることはない。殆どのボールが、今まで通りの穴に収まったまま、という状態なのだ。余っているボールが、空いた穴にサクッと収まれるかというと、難しいかもしれない。全部を流動化していいというのは、ボールの大きい人が穴に入れず、小さいボールのくせに大きな穴(=賃金の高いポスト)を”不当に”占拠していて、効率が悪いだろというような場合だ。

でも、普通はボールの大きさを正しく計測(評価)できるか、という問題がある。プロ野球選手みたいに、数字とか実績の評価をしやすい実力世界であればある程度は可能かもしれないが、普通の会社勤めとかであると結構難しかったりする。まるで「エースで4番」選手だと強いチームになれるという信奉者がいるかもしれないが、そんな人ばかりだと野球チームはうまく機能しなくなるだろう。個々の能力が高い人を集めてきたからといって、それで必ずしもうまくいくようになるわけじゃない。

またボールの大とか中の人たちの労働市場というのと、小という人たちは本当に同じように競合するのか、ということもあるだろう。ボールの小さい方の人たちというのは、恐らく中の穴にはそうそう簡単には飛び込めないようになっているのだ。採用側がそのようにボールを弾くからである。具体的にはどんな場合かというと、例えば中卒者とか、知的障害者か、障害者とは認定されないまでも知能テスト等で測定される水準がかなり低目の人とか、そういう人たちだ。

極端に低い賃金を提示されていても、他の賃金水準だと決して採用されないので、やむなく低賃金の仕事をしてしまう、ということだ。他に選ぶべき状態なんて、存在してないのだ。無職か、激安賃金か、だ。
働きたい人が働けばいい、か。

極端に小さい穴を提示すると、本来的には、「もっと大きい穴を提示する」企業が必ず現れるのでそちらの穴にボールが移動し、小さい穴の提示には誰も来ないということになるわけである。本当に競争が正しく働いていれば「誰も来ないので労働者が手当てできない」という状態になるのだ。それは企業側にとっては損になるので賃金を引き上げざるを得ず、そうすると「極端に小さい穴」は存在し得なくなるということだ。これが最低賃金のいらない世界、であるはずだ。しかし、現実は違う。

では、どう違うのか?
これまでの経済学の説明では何が不足なのか?
何が説明できてないのか?

そういうことを考えるのが学問なんじゃないの?(笑)


600円の仕事と700円の仕事があるとしても、全員が700円の仕事を選べるわけじゃない。仕事の存在を知らない、とかではなくても、判っていながらにして敢えて移らない、ということはよくある。それは移動のコストがずっと大きいからである。東京であっても、これは起こるよ。歩いて2分の場所の仕事と、電車で1駅の場所での仕事であれば、電車移動の分だけ差が生じるからね。それ以上に、転職とか転居ということになると、仮に有利な仕事がそこに行けばあるとしても、移動には大きな障壁が存在しているのさ。

ある大きさの励起エネルギーを超えられないと、エネルギー準位が一つ上がらない、というようなものだ。ある安定的な状態から、次の状態に移るまでには、そのエネルギー差よりもはるかに大きな山を超えない限り移れない、ということ。賃金の時給600円から700円という壁以上に、もっと大きな移動コストが存在するというのが普通なのではないのか、と。

更には、採用側は「700円のボール」と看做した労働者以下の労働者が応募してきた時には、必ず弾くわけだ。いくら「自分は700円のボールの価値を持っています」とアピールしてみたところで、600円のボールなのか700円のボールなのかという値踏みは採用側に判断基準や権限が与えられているのだから。労働市場は多くの場合分断されているのが現実なのではないか?菓子折りの箱を振るみたいに、簡単に移動できると思うか?いや、それとも「箱を振る」というのが、どの程度の大きなエネルギー(コストの大きさ?)なのか、ということを調べるべきではないのか?

最低賃金がある、というのは、穴の大きさに下限がある、ということだから。
ごくごく小さな穴に合う人が「穴には入れなくなるから」という理由で、いくらでも穴を小さくできる、ということだわな。大や中の穴の数も大幅に減らして、ずっと小さい穴を増やせば確かに「穴からあまるボール」を減らせるし、企業はもっと儲かるという仕組みなのだな。砂粒みたいに小さい穴であれば、そりゃあ多数の労働者があぶれることなく「ポストに就くことができる」には違いないわな。だから、そのポストは「時給200円」でもいいのさ。記事の最初に例示した通りにね。穴とそこに嵌るボールさえあればいい、というのを頭から信じきっている人たちはいるんだろう。そういう連中には、「働かない(失業給付を受けた)方がマシだ」という選択は存在していないのだろうね。


大体、単純な説明だけで明らかにできると考えていることの方が、異常だとは思う。
働くか働かないかを天秤にかけられるほどに余裕のある人と、「働く以外に食べられない」という人では、全く前提が違うだろ?極めて一般性に乏しい法則だか定理だかを用いても、あらゆる事例に適用でき説明できるはずがないであろう。どうしてそういうことを考えられないのか、私には全く判らない。


いま、ある島から別な島に荷物を運ぶ仕事があるとしよう。
船は時々難破する。難破した場合には、乗組員は死亡する。全員が過去に難破したことがある、という事例を複数知っているものとする。

・乗組員の賃金がいくらならば応募すべきか?
・運賃や賃金を決める要因というのは一体何か?
・他の仕事が存在するか否かで、賃金は変わると思うか?
・全員失業給付が受けられる権利を持つ場合には、賃金はどうなると思うか?

経済学では答えが決まっているのだろう(笑)。
たいそう論理的な学問らしいからね。