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子育て支援のこと

2009年08月20日 18時25分33秒 | 社会全般
先日来の宿題だったので、続きを書いてみる。

参考記事:

07年1月>女性がみんな働く社会環境をいち早く整備すべき

07年10月>社会保障制度改革再論~序

08年5月>野垂れ死にが47万人?の怪

08年12月>生産性と日本の戦略

09年5月>最近出されてる年金の話なんて


これまでの記事で指摘したように、民主党の「子ども手当」には批判的、というのが私の基本的立場。経済的支援としては額が大きくなりすぎる(他の諸政策とのバランス)、所得水準に無関係な現金給付には反対、効果にやや疑問(同じ金額を投入するなら、もっと他のやり方に投入すべきでは)、といったことがあるからである。


1)保育の需給を改善せよ

これは、大雑把に言えば「規制緩和」ということになる。これまでの保育の需給は、政策や規制によって「歪められている」と考えられるからである。その典型が「待機児童」という問題。これは大幅な需要超過状態なのに、この供給を大幅に制限しているから問題が起こるのだ、ということ。

そこで、これまでの認可、非認可保育園という垣根を破壊(or大幅に低く)すればよい、ということになる。この垣根は、実質的な参入規制となっているからである。だから保育園の数が増えず、需要はあるのに供給が足りないということになっているわけである。これを改めるのだ。

各家庭には、現金給付という形ではなくて「保育園を利用する権利」という形での「現物給付」を推進する、ということにするのである。認可保育園になる為、各種の規制や基準がうるさく、おっと失礼、細かく決められており、実質的に行政側が参入を阻んできたのだ。幼稚園とかの問題ともまた別だ。与党側の出した「3~5歳児教育費の無償化」なんてのも、視点というか利用者側の観点からは、大きくズレていると思う。「幼保一元化」だのといった、族議員たちの政治的闘争なんてのは、論外。時間の浪費である。そういう問題ではない。

もっと簡単に、
・保育所を増やせ
・運営事業者の参入規制をなくせ
・認可非認可の壁をなくせ
という目標を達成させる。


2)利用の仕方はどうするか?

これまでのやり方というのは、認可保育園には補助金を投入、それ以外には投入しない、ということだった。まずこれを止める。公営の保育園は、別に今まで通りにやってもらっていてもかまいませんよ。

まず、保育園を利用したい親には、子ども一人当たりで保育料のうち例えば5万円を「利用できる権利」として補填してあげるのだ。概ね公営保育園の保育料が無料で利用できる水準の補助を出す、ということ。これならば、利用したい親にとっては、これまでの公営保育園と同等水準ならば、ほぼ無料で利用できる、ということになる。

保育園の提供事業者たちは、もっと別な方法をとってもよい。
例えば、他の事業者たちとサービスを変えて、月額8万円の費用としてもよい、といった自由は残される。公的補助が5万円まで貰えるのだから、それを超える3万円は自分で負担することになるけれども、そういうサービスを受けたいという親が自由に選択すればいいだけだ。夫の稼ぎがあまりよくなくて、無料じゃないとダメという親は、そういう安い事業者の保育園に入れば済むだけである。なので、事業者間の競争は働く。同じ5万円の定額補助しかないとしても、サービスの優れた保育園は人気になるので利用者が増えるはずだからだ。町営保育園もうかうかしてられなくなるかもしれないし。

参入事業者というのは、これまで障壁があったろうと思うけれども、それはほぼなくせばいい。例えば、大型オフィスビルの企業群が連合して運営事業体を作り、ビルの一室に保育所を設けて共同運営してもよいということになるよ。園庭の規模がどう、とか、施設の設置基準がごちゃごちゃあったからではないかと思うが、そういうのを大幅に緩和すればいいのだ。

勿論、杜撰な管理とか不健康な環境なんてものは許されないから、例えば「保育園相談110番」みたいな利用者側の情報提供窓口を周知するとか、設置時に消防や建築検査などに似た感じで立入検査をするとか、開設者もしくは管理者への規制を確保しておくとか、そういうことである程度は対処可能ではないかと思う。そういうのは、労働基準の監督みたいなのと近いでしょう。杜撰な労働環境や就業条件なんかを「許しません」ということにすることが重要なのであって、企業の設置基準を大幅に規制すると産業は育たなくなってしまいますよ。

ですから、保育園の参入事業者を促進する方向に政策を変えるべき。需要があるなら業者の供給が増えるので、「待機児童」という状態はなくせる。育児休暇明けに、会社に復帰したいけれども「まだ保育所が見つからない」なんて困った事態もなくせる。


3)一律に現金給付するより有効

利用する人だけの分しか費用がかからないので、一律の現金給付よりも少なく済むはずだ。経済的余裕があり、専業主婦として子育てに専念したい、という人や、おばあちゃんに預けている人などには、利用料補助がないからである。もしも利用した人だけ得するじゃないか、ということなら、「利用しないで頑張った分」として、それこそ子ども手当として5千円でも1万円でも減税してあげるとかすればいいのではないか。

事業者に補助金を渡すと、企業努力が弱くなるかもしれないし、不正の温床となったりするかもしれないので、利用のあった分だけ補填する、という制度にする方がデメリットは少ないように思うが。それに利用者側の評判の悪い事業者は、排除される方向に行くだろうし。母親たちの情報ネットワークを甘くみてはいけないよ(笑)。だから、ある程度は競争原理が働くのでは。企業努力で経費節減に成功した事業者というのは、利用料無料なのに他事業者よりも多くの利益が出せるとか、経営的な余裕が生まれることで別な付加的サービスを充実させることができるかもしれないし。


4)更に支援するとするなら

これもまあ評価は分かれるかもしれないが、簡単に言えば「便利な○○おばあちゃん」みたいな役割かな。
急に保育園に子どもを迎えに行って欲しい、とか、病院に連れて行った後で家で看病してて欲しい、とか、突発的に夫も妻も会議で遅くなるので家でごはん食べさせて待っていて欲しい、とか、そういう「お助けおばあちゃん」っぽい役割の人がいたらいいよね、と。

昔だと、それこそおばあちゃんが母親の代わりに孫の面倒をみるとか、近所のおばちゃんか親戚のおばさんなんかがやってくれたであろう役割を、現代では「見つけるのがとても難しいよね」ということになっているんじゃないかな、と。これを、社会全体で、自分の孫だけじゃなく、ヨソの家の孫もみてあげられる人がやればいいんじゃないかな、と。

こういう時、「最低賃金」みたいなシバリがあると面倒になりやすいので、一般労働者たちは最低賃金を原則とするけれども、「世帯の主たる生計費用を得る目的ではない」という場合(特に、学生さんとか高齢者とか)には、適用基準を緩和してもいいと思う。高齢者の役割って、単に賃金の高さとかではなくて社会に必要とされることそのものが重要である(いわゆる生きがい論?っぽい話)ことが多くて、それに若い母親が困って誰かに相談したい時とかあるかもしれないし、そういう時にも子育て経験の豊富なおばあちゃんとかがいたらいいよね、ということは有り得るので。

でも、嫁と姑とで「教育の方針が対立する」みたいなこともあるので、どんな人に依頼するか、という部分はうまく調整をつけておける運営方法になっている方がいいな。いや、必ずしもおばあさんじゃないとこの仕事はできない、ということでもないけど、多分暇を持て余している高齢者は賃金がちょっとくらい安くてもやりたいという希望者はいるかもしれないという意味です。こういうのも、利用料が高くなってしまってはあまり意味がないので、多少の支援(利用料の補助とか)はあってもいいかもしれない。緊急の時って、ホント困ると思うんですよね。


ま、いずれにせよ、民主党案には疑問符。与党案の幼児教育無償化推進とかいうのも、路線がズレてると思うけど。


当方での推奨政策としては、

◎保育需給を改善し参入規制を大幅緩和せよ
◎利用料の直接補助にせよ
◎できる人(主としておばあちゃんを期待)が子育てに協力

だ。



公務員が不幸になってもオレが幸福になれるわけではない

2009年08月20日 11時07分06秒 | 政治って?
どうして日本人は、こういう方向へと向かいたがるのかねえ……。

【09衆院選】国家公務員の一時的な給与引き下げも 民主・岡田氏 - MSN産経ニュース

別に、公務員の給料を下げてみても、オレの手取りが増えるわけでもない(笑)。
何度か言ったけれど、逆に、「デフレの歯車」を回転させることに繋がるだけなのだよ。


デフレ期待は何故形成されたのか・3

公務員のボーナスカットは危険


世の中全体の賃金引下げ圧力増加は、極めて危険。特に人事院勧告で世間一般の賃上げ幅なんかにも影響を与えることが多いので、悪しき「横並び」で全体の賃金引下げを続けた結果が、過去の日本経済の失敗だったのだ。これを継続すれば、デフレの泥沼から抜け出ることはできなくなる。物価上昇圧力を高める方向に進ませる道を選択する以外にはないのだから。