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『わが家の歴史』の喫煙シーンがちょっと気になった件

2010年04月19日 20時02分20秒 | 俺のそれ
そういえば、時期はずれとなってしまったんだが。

中々に興味深いドラマになっていて、楽しめましたよ。
配役も、意図的な「年齢の逆転」という盲点を衝いて、兄弟なんかが年齢を重ねていった後の違和感を軽減するのに、大変効果的となっていましたな。ああ、こういう技は、舞台のものなのかもしれない。

お馴染みの、「三谷組(?、三谷作品?)」によく登場してくる人たちと、その他大勢の豪華な出演陣は本当に見ごたえがあった。

主な歴史的エピソードなんかをふんだんに盛り込み、「ああ、そういえば、そういうことがあったな」という記憶をなぞるのが楽しい。ダメなお調子者の父ちゃん役の西田は、どこかでみたような人物だなと思ったら、まるで「両さん」(こち亀の)という感じの人なんだな。あれこれ手をつけるけど、失敗ばかり。時代の先端を行きつつ、流行りを先取りしてくる嗅覚は見事なのだが、事業となると必ず破産というか破滅的結末を迎える、という、お約束が、まさしく両津的なんだな(笑)。


佐藤浩一の、毎度毎度の、あの暑苦しさ、あれって、天性の「昭和」の生き神というか象徴的人物像(*)なんだな。

(*):それがものの見事にハマっていたのが、例の問題ドラマ『官僚たちの夏』であった。ビッグ3や保守系の感情を逆撫ですることになったであろうドラマだったからだ。しかもそのメインスポンサーが何を隠そう○ヨタだったのさ。制作側の意図が、別に反米的ということではなかったにせよ、向こうにとっては「面白くない」ということになり、あのドラマは低視聴率が運命づけられてしまったはずだ。TBSはその”お仕置”を食らうことになったのではないのかな。あのドラマの再放送とかDVD化とかは、恐ろしくて実施できないであろう、ということは間違いないな、多分。
どこからか圧力がかかる、ということさ。そういうのがない、というのを果たして証明できるかな?



この『わが家の歴史』では、変な活動家の左翼かぶれが、どちらかといえば「悪いイメージ」として描かれており、配慮がうかがわれた。あと、佐藤に文句を言うシーンがあったのだが、その時にも「もう今はそういう時代じゃないんだ」みたいに言わせることで、これまでの関係を肯定的に捉えるように配慮されていた。TBSと同じ轍は踏まない、というか、フジ系だから当然といえば当然か(笑)。


ああ、それから、昔は確かに喫煙率が高かったのは事実だけど、いくらJTがスポンサーだからといって、今の時代にあからさまな「喫煙シーン」というのは、あまり用いられず、むしろ海外なんかでは回避されているように思うが、『わが家の歴史』ではやたらと何人にも喫煙させてるんだよね。


それって、どうよ?
とは思った。


んー、ドラマ制作だって、ひとつの「商売」でやってるんだし、金が入ってこなけりゃ作れないから、スポンサーの気分もよくしてあげなきゃけいないし、放送局の方針みたいなのもあるだろうし、板挟みとかちょっと辛い部分とか、そういうのはあるだろうね。
だけど、こういうのも反骨心といいますか、作り手側の矜持というのか倫理というのか、てやんでい、という風な部分がないと、靡くばかりでいいのかな、とか、そういうのは思いますよね。


ま、しかたがない、といえば、仕方がない、しょうがない、ということになってしまうと思うんだけど、残念な部分ではあるよね。昔から、音楽の人とか芸術関係の人たちとかって、そういうのと対峙してきたんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろうかな、とか。