いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

原子力関係者たちの懺悔を無視する日本のマスコミ

2011年04月17日 18時54分58秒 | 社会全般
日本のマスコミは、本当に終わっていますね。
原子力村の住人たちでさえ、こうして反省の弁を述べるというのに、マスコミの多くは救いようのないほどに腐っているのかもしれません。
ホント、どうしようもないですね。
クズの支配力がこれほど強い、ということでしょうか。

テレビとか、背に腹は代えられぬということで、金集めに必死になりすぎて、肝心なことは決して報じないということになっているのかもしれませんな。愚民化政策でもやってるつもりなのでしょうか。

はてなブックマーク - 原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」 (1/2) : J-CASTニュース


良識のある学者さんたちもおられるだろうから、反省するのは判ります。
けれども、そういうことを多くの国民には決して知らせようとしない、テレビや新聞というのは、反省などないということの証明みたいなものでしょうか。
端なくも、記事で書いた通り、ということかもしれないですね。

クズがクズを呼び、権力中枢にはクズばかり

産経が愚かな社説を書ける不思議~エイプリルフールだから?(笑)


真のクズどもは、反省など決して口にはしないし、「我々は間違ってなかった、選択や判断は正しかった」とか強弁してるだけなのである。それも誰がどう見ても無理とか、あり得ないとか、間違っているとか、思うことであっても、だ。



国交省の事故調が事故原因だけではなく、組織的な背景についても調査対象とする、というような報道が数日前にあったように記憶しているが、05年4月の福知山線の脱線事故が思い出された。

あの時にも、鉄道の専門家とかいう人たちが、JR西に入れ知恵したのだったか、「このカーブで脱線するのは130km/h以上」だの「カントがあるから片輪走行になんかならない」だのと解説していたように思う。
まあ、ウチのブログみたいに、専門家でも何でもないタダの素人が、「多分片輪走行みたいになっていたんじゃないか」とかブログに書いても、「車やバイクの経験とは違う」とか言われたりしたわけだ。でも、原理や挙動なんかは似ている部分はあると素人ゆえに思うわけだが。

その後の事故調査では、内側車輪が浮き上がって、片輪になっていたであろうことが推測されたわけである。専門家とかいう人間の解説なんて、当てにはならんな、と思ったものだ。



そして、今回の原発の問題にしても、本当に重要なことは無視されたままなのである。
多くの国民には意図的に隠されているのである。

日本のマスコミは、死んだも同然かもしれない。
テレビや新聞などの大マスコミは、信頼性が失われたのだ。


つまり、クズの支配力が最も強いのがマスコミなのだ、ということか。



どん底まで行った~福島第一原発

2011年04月17日 15時26分24秒 | 俺のそれ
細野補佐官が番組中に発言したと伝えられた。

細野首相補佐官が明かす 「福島第1原発ほとんど制御不能のところまで行った」 : J-CASTニュース

その気持ちは本当に分かるよ。
ぼく自身、もう駄目かと思ったから。1号機、3号機の水素爆発の後、4号機の建屋炎上で、まさしく「神頼み」に至ったわけだから。人間って、本当に窮地に追い込まれると、そうなるのも不思議じゃないと思いましたよ。


言ってみれば、危篤状態、というような感じだった。
3月15日、あの日が危篤状態の頂点に達した頃だったように思う。

福島第一原発の行く末

どうか”怒りの炎”を鎮め給え


仕事の合間にネットの速報なんかで状況を知るくらいしかなかった。リアルタイムで現地の映像とかを見ていたわけではないから、どうなっているのか心配であった。ほぼ諦めの境地というか、打つ手が何も見えない、という状態だった。

幸運にも、4号機は何故か自然鎮火した、とのことだった。まるで神頼みが通じたかに思えたのだった。
建屋内だと保温効果が働くが、爆発で外気に開放されたことで丁度「空冷」のような効果が働き、少し温度上昇が抑えられたのかもしれないが、実際どうなのか分からない。

福島原発の問題については、素人のヤマ勘が働いて、ただならぬ危険を察知したのかもしれない。12日以降、原発が気になって気になってしょうがなかったから。そうして、15日の危篤状態を迎えた頃には、本当にもうダメかもしれない、と思えたのだ。

この偶然の自然鎮火の後、機動隊、自衛隊、消防と、あの”決死隊”が続々と水をかけに向かうこととなったが、あれが一つの契機となったと思えるのだ。あそこで誰も現地には向かうことができない、ということになっていたら、放棄しか残されていなかっただろう。
あのお陰で、現地にいる東電他原発作業員たちとの協力が可能となって、兎に角、水をかけ続けるぞ、ということで状況悪化がそこで食い止められ、電源復旧などにも繋がっていった。


現在でも危険な状況には変わりないが、あの危篤状態よりかはマシではないかと思えるのである。近づけなかった時に比べれば、今は希望が残されているように思えるのである。


連日連夜、危篤状態が続いて、今もICUにいることに違いはないが、今にも死にそう、手の打ちようがない、次の手段を考えることさえできない、といった状態からは抜け出たように思うのだ。早く一般病棟に移れるといいのだが。
そんな感じだ。