「想定外だった」―大変都合の良い、便利な言葉である。
いくら警告していても、全く聞く耳を持たない独善的な連中にとっては、「聞こえない=考えられない・想定できない」ということになるだけなのである。同時に、自分以外の誰かor何かに、全ての責任と原因を求めることができるという、責任逃れの方便でもあるのだ。
卑怯者の常套手段というのは似ていて、「○○のせいだ、不可抗力だった、想定外だった」といったような、自分にとって都合の良いことばかりを言い募るのである。
この記事中で紹介した毎日新聞の記事には、神戸大の石橋先生の論説があったことが示されていた。05年の衆院公聴会においても、やはり同様の危険性の指摘を行ってきたとのことだ。
更に、こちらの記事でも、はやり危険性についての指摘があったことが紹介されていた。
>国内 / 巨大津波を予測していた男-活断層・地震研究センターの宍倉博士 / The Wall Street Journal, Japan Online Edition - WSJ.com
他にも、共産党の吉井議員が国会で指摘していたりしていたわけである。
これほど度重なる指摘をされていながらにして、想定外だった、というのは、冗談でも言えないであろう。むしろ、意図的に無視したか、知らないフリをしたか、都合の悪い意見なので握り潰した、としか見えないわけである。
東電という企業、これを指導すべき原子力行政や御用学者等専門家、それにまつわる政治家、その背後に蠢く権力サークルの連中、彼らにとって「想定外だったということにしたい」というだけなのである。彼らには、反省など存在しない。反省があれば、失敗や教訓を生かすことができるからである。だが、根本的にそれがなかった、ということだ。
何度も取り上げるが、2010年6月17日の1F2号機で起こった緊急停止と水位低下は、重要な教訓を与えていたはずなのである。あるはずの外部電源が遮断される、非常用ディーゼルが自動で起動するも回路に給電されない、という特徴的な事例だった。そのことをもっと注意深く、検討すべきだったのだ。何故なら、これに類する事例は、日本以外でも起こっていたからである。
医療だって、薬害問題だって、基本にあるのは「過去の失敗を教訓として次に生かす、防止策として役立てる」ということである。分野を問わず、あの失敗100選みたいなものであって、事故や失敗というものを分析して役立てるということが必要なのだ。それなのに、原子力事業に関しては、そうした体制が取られてこなかったのではないのかとしか思えないわけである。
さて、1F2号機の給電不可となってしまった事例と似ていたのは、スウェーデンの2006年のフォルスマルクで起こった事故だった。
>原子力資料情報室(CNIC) - ニュース記事
こちらの記事によれば、4系統の電源のうち2系統がダウン、おまけに制御室の計器類の電源ダウン等で状態把握が困難になったことも、福島第一原発の陥った状況に似ているのである。
電源喪失事故というのが、どういったものがあって、どのような対策を施すべきなのか、ということについて、もっと詳細に検討しておくべきだったのだ。その一つのチャンスが、昨年6月の2号機スクラムだったはずなのである。
(こうした事故の事例研究は、医療の症例検討と殆ど同じようなものであり、情報を公開し共有することが、次の改善に繋がってゆくものであると思う。医療事故情報なんかもそうだろう。)
因みに、下の方を見てゆくと、日本で起こった非常用ディーゼル発電機に関するトラブル発生は、福島第一原発でのものが多い、ということのようだ。他と比べても、頻繁のように思える。東電の(品質)管理状況は、問題がなかったのか。
引用すると、次の通り。
(2004年1月14日)福島第一1号炉で、非常用ディーゼル発電機ノズル部にひびが貫通。冷却水飛散。
(2004年9月7日)福島第一1号でディーゼル発電機の定例試験中で所内電源に接続できず。
(2005年8月6日)福島第一3号で定例試験中のディーゼル発電機から燃料油漏れ。
東電にとっても、原子力行政担当にとっても、幾度となく反省したり見直したりできるチャンスはあった、ということである。それを無視し、黙殺し、警告を封殺してきたのは、一体誰だったのか、ということだ。
「防げなかった」んじゃない、「防ごうとしなかった」んだよ。東電は、防ぐ気などなかった、ということだ。必然的に招かれた結果である、ということだ。これを人災と呼ぶのではないのか?
国と原子力行政担当は、不作為だったんだよ。
判っていながらにして、対策を講じなかった、ということさ。
警告を受けていながら、何もしなかったんだよ。
おかしいな、と思った時、詳しく調べることを怠ったんだ。原因を探る努力を怠ったんだよ。事業者である東電も、監督すべきNISAも、点検期間中であったのにも関わらず、知らないフリをして誤魔化したのだ。
これを懈怠というのではないのか。
その片棒を担いでいたのは、司法の連中だってそうなんだ、ということ。最高裁判事たちは、改心させられるチャンスを有していながら、正しい意見を行政に投げかけたりはしなかった。
このような連中が協同で招いた、日本の原子力史上最悪の結果が、Fukushimaの事故ということなのだ。人災と呼ぶに相応しい、必然の結果ということになるだろう。
そういえば、自民党などの過去の原子力行政を担っていた連中は、反省の弁が全く聞かれないが、それは何故なのか。
菅政権を批判して、目先を誤魔化そうという態度がミエミエなわけだが、自民党の方から未だに過去の反省はない。もしも自民党が政権を再び取るなら、過去の失政を封印して、緊急対応が不十分だった菅政権のせいだ、ということで、逃れようとするだけだろう。今回の失敗を招いた、それとも「呼び込んだ」と言うに等しい連中の手に、再び権限が移されてしまうということだ。
そうなったとき、東電追及はおろか、失敗原因についての、真の反省などあり得るわけがない。
これまで同様、「なかったことにしよう」ということにされるだけである。
これは、公明党も同罪。与党だった連中は、現政権が満足な結果を出さないことを責める前に、己の失敗を正直に告白すべきであろう。
民主党政権にしておくと、自民党の過去の悪行ないし不作為がバレるのが怖いから、必死で批判しているのかもしれないが。
いくら警告していても、全く聞く耳を持たない独善的な連中にとっては、「聞こえない=考えられない・想定できない」ということになるだけなのである。同時に、自分以外の誰かor何かに、全ての責任と原因を求めることができるという、責任逃れの方便でもあるのだ。
卑怯者の常套手段というのは似ていて、「○○のせいだ、不可抗力だった、想定外だった」といったような、自分にとって都合の良いことばかりを言い募るのである。
この記事中で紹介した毎日新聞の記事には、神戸大の石橋先生の論説があったことが示されていた。05年の衆院公聴会においても、やはり同様の危険性の指摘を行ってきたとのことだ。
更に、こちらの記事でも、はやり危険性についての指摘があったことが紹介されていた。
>国内 / 巨大津波を予測していた男-活断層・地震研究センターの宍倉博士 / The Wall Street Journal, Japan Online Edition - WSJ.com
他にも、共産党の吉井議員が国会で指摘していたりしていたわけである。
これほど度重なる指摘をされていながらにして、想定外だった、というのは、冗談でも言えないであろう。むしろ、意図的に無視したか、知らないフリをしたか、都合の悪い意見なので握り潰した、としか見えないわけである。
東電という企業、これを指導すべき原子力行政や御用学者等専門家、それにまつわる政治家、その背後に蠢く権力サークルの連中、彼らにとって「想定外だったということにしたい」というだけなのである。彼らには、反省など存在しない。反省があれば、失敗や教訓を生かすことができるからである。だが、根本的にそれがなかった、ということだ。
何度も取り上げるが、2010年6月17日の1F2号機で起こった緊急停止と水位低下は、重要な教訓を与えていたはずなのである。あるはずの外部電源が遮断される、非常用ディーゼルが自動で起動するも回路に給電されない、という特徴的な事例だった。そのことをもっと注意深く、検討すべきだったのだ。何故なら、これに類する事例は、日本以外でも起こっていたからである。
医療だって、薬害問題だって、基本にあるのは「過去の失敗を教訓として次に生かす、防止策として役立てる」ということである。分野を問わず、あの失敗100選みたいなものであって、事故や失敗というものを分析して役立てるということが必要なのだ。それなのに、原子力事業に関しては、そうした体制が取られてこなかったのではないのかとしか思えないわけである。
さて、1F2号機の給電不可となってしまった事例と似ていたのは、スウェーデンの2006年のフォルスマルクで起こった事故だった。
>原子力資料情報室(CNIC) - ニュース記事
こちらの記事によれば、4系統の電源のうち2系統がダウン、おまけに制御室の計器類の電源ダウン等で状態把握が困難になったことも、福島第一原発の陥った状況に似ているのである。
電源喪失事故というのが、どういったものがあって、どのような対策を施すべきなのか、ということについて、もっと詳細に検討しておくべきだったのだ。その一つのチャンスが、昨年6月の2号機スクラムだったはずなのである。
(こうした事故の事例研究は、医療の症例検討と殆ど同じようなものであり、情報を公開し共有することが、次の改善に繋がってゆくものであると思う。医療事故情報なんかもそうだろう。)
因みに、下の方を見てゆくと、日本で起こった非常用ディーゼル発電機に関するトラブル発生は、福島第一原発でのものが多い、ということのようだ。他と比べても、頻繁のように思える。東電の(品質)管理状況は、問題がなかったのか。
引用すると、次の通り。
(2004年1月14日)福島第一1号炉で、非常用ディーゼル発電機ノズル部にひびが貫通。冷却水飛散。
(2004年9月7日)福島第一1号でディーゼル発電機の定例試験中で所内電源に接続できず。
(2005年8月6日)福島第一3号で定例試験中のディーゼル発電機から燃料油漏れ。
東電にとっても、原子力行政担当にとっても、幾度となく反省したり見直したりできるチャンスはあった、ということである。それを無視し、黙殺し、警告を封殺してきたのは、一体誰だったのか、ということだ。
「防げなかった」んじゃない、「防ごうとしなかった」んだよ。東電は、防ぐ気などなかった、ということだ。必然的に招かれた結果である、ということだ。これを人災と呼ぶのではないのか?
国と原子力行政担当は、不作為だったんだよ。
判っていながらにして、対策を講じなかった、ということさ。
警告を受けていながら、何もしなかったんだよ。
おかしいな、と思った時、詳しく調べることを怠ったんだ。原因を探る努力を怠ったんだよ。事業者である東電も、監督すべきNISAも、点検期間中であったのにも関わらず、知らないフリをして誤魔化したのだ。
これを懈怠というのではないのか。
その片棒を担いでいたのは、司法の連中だってそうなんだ、ということ。最高裁判事たちは、改心させられるチャンスを有していながら、正しい意見を行政に投げかけたりはしなかった。
このような連中が協同で招いた、日本の原子力史上最悪の結果が、Fukushimaの事故ということなのだ。人災と呼ぶに相応しい、必然の結果ということになるだろう。
そういえば、自民党などの過去の原子力行政を担っていた連中は、反省の弁が全く聞かれないが、それは何故なのか。
菅政権を批判して、目先を誤魔化そうという態度がミエミエなわけだが、自民党の方から未だに過去の反省はない。もしも自民党が政権を再び取るなら、過去の失政を封印して、緊急対応が不十分だった菅政権のせいだ、ということで、逃れようとするだけだろう。今回の失敗を招いた、それとも「呼び込んだ」と言うに等しい連中の手に、再び権限が移されてしまうということだ。
そうなったとき、東電追及はおろか、失敗原因についての、真の反省などあり得るわけがない。
これまで同様、「なかったことにしよう」ということにされるだけである。
これは、公明党も同罪。与党だった連中は、現政権が満足な結果を出さないことを責める前に、己の失敗を正直に告白すべきであろう。
民主党政権にしておくと、自民党の過去の悪行ないし不作為がバレるのが怖いから、必死で批判しているのかもしれないが。