漢方学習ノート

漢方医学の魅力に取りつかれた小児科医です.学会やネットで得た情報や、最近読んだ本の感想を書き留めました(本棚3)。

「弁証論治」と「方証相対」の違い

2017年07月30日 15時20分57秒 | 漢方
 診断治療方法の特徴を、中医学では「弁証論治」、日本漢方では「方証相対」と表現します。
 この二つの違い、わかったようでわかりにくい・・・ネットで検索してみました。

■ 「中医学とは(女性と子どもの漢方学術院)より抜粋
◇ 中医学のソフト面の特徴
 中医学の大きな特徴に日本の漢方医学と比較して理論をとても重視する点が挙げられます。中国では公的に統一されたテキストをもとに学習されているので、当然といえば当然です。テキストを製作する上で理論的な矛盾や無理があるという指摘はありますが、明確に公式な見解がある点では日本の漢方医学と異なります。
 これは決して日本の漢方医学に全く理論がなく、行き当たりばったりの治療を行っているという意味ではありません。あくまでも相対的な視点に立っての話です。しかしながら、江戸時代に活躍した吉益東洞が陰陽五行論を否定したように、漢方医学は形而上学的な基礎理論よりも実践的な治療技術を追及する傾向にあります。
 その代表例が方証相対(ほうしょうそうたい)と呼ばれる日本漢方独自の診断と治療を統合したシステムです。方証相対においては病者の呈している症状(証)からダイレクトに治療に用いられる漢方薬(方剤)が決定されます。これだけではとても分かりずらいので下記で具体例をもとに解説してみます。

(例)【ここにとある病気の人がいます。この人は急に強い寒気がして身体が震え、肩がこわばり頭痛もします。汗はあまり出てはいません。その他の目立った症状はまだありません。】

 日本の漢方医学の場合、これは葛根湯証にあたるので治療には葛根湯が用いられます。なぜ葛根湯を用いるのかと問われれば「この病人は葛根湯証であるから」というトートロジーのような回答になります。傷寒論によれば上記の【急に強い悪寒がして~】以下は葛根湯を用いれば治るということ知られています。つまり、呈している症状と治療する漢方薬がすぐに結びつくのです。
 漢方医学は上記のような文献上の知識に加えて、先人が積み重ねてきた経験を由来とする口訣(方剤を使用する上での重要なポイント)、体力レベルや病気の深度といった中医学と比較して簡略化された理論などを土台として方証相対を運用しているのです。
 一方で中医学は趣が異なります。中医学的には【急に強い悪寒がして~】以下の諸症状からこの人は六淫の邪のなかの寒邪を受けたと考えます。そして寒の邪は消化器系症状や呼吸器系症状が無いのでまだ深くは侵入しておらず表寒・表実証(表寒実証)であると確定できます。表寒・表実証の治法は辛温解表剤であり、辛温解表剤のひとつが葛根湯です。したがって、この病者には葛根湯が用いられることになります。
 上記のように、症状の診断・証の確定・治法の決定・方剤の投与を一体的に行うことを弁証論治(べんしょうろんち)と呼びます。具体例は単純なケースでしたが、もし病者が複雑な慢性病であると気・血・津液の過不足や五臓のどこに問題があるのかなど複数の理論を経て弁証論治が行われます。
 見ての通り、日本漢方の場合はとてもシンプルであり実践的な治療スタイルともいえます。しかし、その途中で健康とは何か、病気の状態はどのような状態であるのか、病気を起こす原因はどのようなものであるのかといった定義付けや基礎理論がやや疎かになった面は否定できないでしょう。
 この漢方医学における方証相対と中医学における弁証論治という治療シークエンスの違いは両医学のソフト面の特徴を端的に表しているといえるでしょう。


 うん、この説明わかりやすいですね。

■ 「症例から学ぶ中医弁証論治」(焦 樹徳:著、東洋学術出版社)の序文より
 日本の漢方学習者から,「弁証論治と方証相対とはどう違うのか」との質問を受けたことがある。筆者は,両者は基本的には同一のものであると考える。いわゆる方証相対という考え方は,現代中医学にはない。また『傷寒雑病論』のなかにも出てこない。しかし後世の人びとは,学習と暗記に便利なように,某某湯(方)は某某証を主治するとか,某某証は某某湯(方)が主治する,といった方法が採られたため,「方証相対」という方法が次第に形成されていったと考えられる。それで,これも実際は「弁証論治」の範疇に属すものと考えられる。なぜなら,「証」というからには弁別・認識という思考過程を必要とするからである。
 いわゆる「相対」とは,機械的固定的な関係をいうのではない。1つの薬方は1つの病証を治療するが,時・地・人などの要因によって薬方の使用は制限を受け,具体的な病情にもとづいて弁証論治を行ってはじめて,方と証とが相い応じて疾病が治療できると,仲景先師はすでに述べているのである。もし方と証とを機械的に絶対固定的なものとしてしまうと,人の命を危うくし,また壊病をつくる原因ともなる。
 私の個人的な見解を述べさせてもらうなら,中医学の学習研鑽には,いわゆる「方証相対」の方法を用いてもよい。この方法を用いると暗記やまとめに便利であるばかりか,学習や研究の助けともなる。しかし実地臨床においては,必ず「弁証論治」の法則を指導原則として,臨機応変にこれを活用していくことが肝要である。医者たる者は,『素間』『霊枢』を深く究め,医理に精通してはじめて,複雑に変化する病態がよく把握でき,理・法・方・薬の選択も適切となる。
 疾病は複雑で変化し易いが,しかし認識して規則性を求めることは可能である。弁証論治とは中医理論を指導原理として,陰・陽・寒・熱・虚・実・表・裏・真・仮・合・併・営・衛・気・血・臓・腑・経・絡などの各種病証について弁別してゆくものである。それゆえ弁証論治とはかなり厳格で規範性をもつものではあるが,臨床的によく見られる陰中に陽あり,陽中に陰あり,陰陽転化,寒熱錯雑,虚実兼挟,伝変従化,同中有異,異中有同,風寒暑湿,気至遅早,老幼壮弱などの複雑な状況をも注意して混乱なく弁別しなければならない。このように弁証論治もまた,人・時・地の制限を受けるから,融通性をもたせて活用すべきである。この辺のことが理解されれば,仲景先師の「思い半ばに過ぎん」の境地である。


 なるほどなるほど。
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