「腹診の全てー腹診伝承ー」(山田光胤)
第60回日本東洋医学会 教育講演
(日東医誌 Kampo Med Vol.60 No.6 573-582, 2009)
腹証について確認したいことがあり、ネットで検索してたどり着いた文章です。
腹証とは、日本漢方で発達した病態概念で、腹診(患者さんのお腹をさわってその緊張状態や反射を評価する診察方法)による所見を意味します。
各漢方薬に対応する腹証が決まっており、それを守れば効果が期待できると云うことです。
著者(演者)は日本漢方界の重鎮。
以前、製薬メーカーからいただいた有名な先生方の腹診の様子を記録したDVDを見たことがありますが、この山田先生の方法が一番わかりやすい印象が残っています。
それを文章にしたものを見つけ、かぶりつくように読みました。
腹診の歴史からひもとき、腹診の方法論、所見の捉え方が一通り書かれています。
知識の整理・再確認として大変参考になりました。
<備忘録>
□ 腹診の歴史:
・腹診は「難経系」「傷寒論系」「折衷派系」の三系統に分類される。
①難経系:「腎間の動」という腹部大動脈の拍動と、腹壁全面を区分して五臓に配当した諸部位の様相とにより証を判定し、針灸術のよりどころ。とした
②傷寒論系:腹壁を形成する筋層の全面的な表現から虚実・寒熱を判定し、諸処に出現する種々なる腹壁反射を触知し、それらに関連する薬方を探るもの。腹壁に表れる種々なる反射相を腹証とよび、特定の薬方には対応する一定の腹証があることが経験的に集積された。
現在行われている腹診は、主として傷寒論系腹診である。
□ 傷寒論系腹診の伝承:
・後藤艮山(1659-1733)による「艮山腹診図説」
・吉益東洞(1702-1773)による「東洞先生腹診候」「東洞先生腹診口伝」
・六角重任による「古方便覧」(1782) ・・・東洞の門人
・稲葉文礼による「腹証奇覧、四編」(1800) ・・・鶴 泰栄(東洞門下ではないが継承者)の弟子
・和久田叔虎による「腹証奇覧翼8冊」(1809-1853) ・・・文礼の弟子
明治以後、日本漢方が行っている腹診は「腹証奇覧」と「腹証奇覧翼」の二書に基づいている。
明治期に和田啓十郎が「医界之鉄椎」を表し、これを読んで発奮し門人になって古方漢方を研究し復活させた医師が湯本求真であり、その書「皇漢医学」を読んで発奮し門人になって学技を継承したのが大塚敬節である。
大塚敬節らによる「漢方診療の実際(※)」(1941)は腹診を記述し腹証を図解した。その増補改定版である「漢方診療医典」(1969)が現今の漢方腹診の根幹である。
※ 「漢方診療の実際」は日本漢方の三流派(古方派、後世方派、折衷派)による合作である。
(古方派)大塚敬節
(後世方派)矢数道明
(折衷派)木村長久
(薬学者)清水藤太郎
□ 胸脇苦満の伝承
胸脇苦満とは、季肋下腹壁の、一種の抵抗と圧痛。
大塚敬節によると「胸脇苦満は胸脇の部に患者自身が充満感を覚え、他覚的には医師が季肋下から母指を胸腔内に向かって押し込むようにし、胸脇苦満があれば指頭に抵抗を覚え、患者は息詰まるように感じ苦痛を訴える。この抵抗と苦痛は胸脇苦満の程度によって強弱がある」(漢方診療医典)。
1.胸脇苦満という症候名は『傷寒論』の小柴胡湯の条文(宋本96条、康平本94条)に記載されている。
2.後藤艮山は、胸脇苦満は自覚症状であって、他覚的症状を伴う腹証とはまだ認識していなかったようだ。
3.胸脇苦満を他覚的症状としての腹証であることを初めて解説したのは吉益東洞である。「小柴胡湯の腹は、先ず大抵胸脇苦満と云い、両方の脇骨のはずれの処にきっと手に触るものありて、按ずれば胸へこたえ痛むなり」(東洞先生家腹診論)。
4.稲葉文礼は「腹証奇覧」で東洞説を継承したと思われる腹証図を示している。
□ 胸脇苦満の諸相
・胸脇苦満は柴胡剤用いるべき腹証である。
・この腹証は、顕著にわかりやすく現れることもあるし、微弱でわかりにくい腹壁反射のことも少なくない。
・出現時期;
(急性症)発病後5-6日を経た時期に現れる。疾患が治癒するに及んで、胸脇苦満は消失する。胸脇苦満は陽証で出現し、陰証では出現しない。
(慢性症)出現する時期は特定できない。疾患が軽快するに従って、胸脇苦満の強さが減弱する傾向がある。
・左右差:両側に同じ強さで現れることは少ない。右側が顕著で左側が弱いことが多い。右側のみに現れることが最も多い。左側のみに現れることは希である。この現象と臨床との関連は不明である。
・胸脇苦満の強さと、柴胡剤に配合される柴胡の分量は、必ずしも関係がない。
(大柴胡湯)6g
(柴胡加竜骨牡蛎湯)5g
(小柴胡湯)7g
(柴胡桂枝湯)5g
(柴胡桂枝乾姜湯)6g。
□ 心下痞硬の諸相
・心下部・腹壁の中心部に、少し硬い抵抗を触れ、自覚的には胃部不快感を訴える腹証。
・胃炎が腹壁に反射したものと思われる。
(実証)大柴胡湯証などでみられる。腹壁全面の腹筋筋張力が強いので、反って心下痞硬がわかりにくい。
(虚実間証)半夏瀉心湯証が代表的。
(虚証)六君子湯、四君子湯、人参湯証など。心下部の抵抗の現れ方も微弱であり、慎重に按圧すると他の部位よりわずかに硬く触れる程度。
□ 心下部振水音(胃内停水)の諸相
・腹壁を軽打・振動させると水の音が聞こえる証(拍水音ともいう)。
・飲んだ水分と分泌した胃液が停滞している状態。
・消化・吸収・運動力の低下があり、臓腑筋層の止汗を伴うもので、虚証であって、胃下垂や内臓下垂が存在することが多い。
・茯苓、朮、沢瀉、猪苓などの利水剤が配合された薬方や、虚証に対応する薬方の証。
(虚実間証)茯苓飲、茯苓沢瀉湯、五苓散、苓桂朮甘湯
(虚証)六君子湯、四君子湯人参湯、真武湯など
□ 腹部動悸(腎間の動)の諸相
・健康人は、平素は腹壁上に腹大動脈の拍動は伝播しない。
・傷寒論系腹診:心下悸、臍上悸、臍傍悸(基本的に臍の左側、まれに右側)、臍下悸
・意義:
①虚証:虚証では腹壁の筋層、脂肪層が菲薄なことが多く、腹腔内のは工藤が腹壁外で触知される。
⇒虚証に対応する諸種方剤
②自律神経失調:この腹証を呈する患者は精神不安、情動不安等を呈する。
⇒実証なら柴胡加竜骨牡蛎湯、虚証なら柴胡桂枝乾姜湯(11)、加味逍遥散(24)、桂枝加竜骨牡蛎湯(26)などを用いる。
③腎虚:特に下焦・身体下部の機能が減退した場合の臍下悸。
⇒八味丸証であるが、胃腸虚弱の脾虚証には対応しない。
□ 腹皮拘急(腹直筋緊張)の諸相
両側の腹直筋緊張が緊張して硬く触れる腹証。体気・体力気力が衰えた場合で、虚証であって、腹痛やけいれん性便秘を伴う場合が治療対象となり、小建中湯、桂枝加芍薬湯などの証が多い。
□ 正中芯の諸相
腹壁の菲薄な虚証に現れ、小建中湯、人参湯、真武湯などの証である。
大塚敬節先生が提唱した腹証で古医書の傷寒論系腹診書には記載がない。
□ 「胸脇苦満+腹皮拘急」の解釈
・柴胡桂枝湯証で、急性症には少なく、慢性症で多くみられる。
・「腹証奇覧」にはなく、大塚敬節先生が初めて「漢方診療医典」に記載した証である。
・その後、近似した証が四逆散(35)と抑肝散にも現れることを口述している。四逆散(35)と抑肝散(54)証は、柴胡桂枝湯の腹証に対比すると、胸脇苦満が強く表れ、かつ、腹直筋上部がより顕著に緊張しているという違いがある。また、四逆散(35)と抑肝散(54)の腹証はよく似ていて、その相違は筆述し難い。外症と、対応する病症の違いに従って使い分けなければならない。
第60回日本東洋医学会 教育講演
(日東医誌 Kampo Med Vol.60 No.6 573-582, 2009)
腹証について確認したいことがあり、ネットで検索してたどり着いた文章です。
腹証とは、日本漢方で発達した病態概念で、腹診(患者さんのお腹をさわってその緊張状態や反射を評価する診察方法)による所見を意味します。
各漢方薬に対応する腹証が決まっており、それを守れば効果が期待できると云うことです。
著者(演者)は日本漢方界の重鎮。
以前、製薬メーカーからいただいた有名な先生方の腹診の様子を記録したDVDを見たことがありますが、この山田先生の方法が一番わかりやすい印象が残っています。
それを文章にしたものを見つけ、かぶりつくように読みました。
腹診の歴史からひもとき、腹診の方法論、所見の捉え方が一通り書かれています。
知識の整理・再確認として大変参考になりました。
<備忘録>
□ 腹診の歴史:
・腹診は「難経系」「傷寒論系」「折衷派系」の三系統に分類される。
①難経系:「腎間の動」という腹部大動脈の拍動と、腹壁全面を区分して五臓に配当した諸部位の様相とにより証を判定し、針灸術のよりどころ。とした
②傷寒論系:腹壁を形成する筋層の全面的な表現から虚実・寒熱を判定し、諸処に出現する種々なる腹壁反射を触知し、それらに関連する薬方を探るもの。腹壁に表れる種々なる反射相を腹証とよび、特定の薬方には対応する一定の腹証があることが経験的に集積された。
現在行われている腹診は、主として傷寒論系腹診である。
□ 傷寒論系腹診の伝承:
・後藤艮山(1659-1733)による「艮山腹診図説」
・吉益東洞(1702-1773)による「東洞先生腹診候」「東洞先生腹診口伝」
・六角重任による「古方便覧」(1782) ・・・東洞の門人
・稲葉文礼による「腹証奇覧、四編」(1800) ・・・鶴 泰栄(東洞門下ではないが継承者)の弟子
・和久田叔虎による「腹証奇覧翼8冊」(1809-1853) ・・・文礼の弟子
明治以後、日本漢方が行っている腹診は「腹証奇覧」と「腹証奇覧翼」の二書に基づいている。
明治期に和田啓十郎が「医界之鉄椎」を表し、これを読んで発奮し門人になって古方漢方を研究し復活させた医師が湯本求真であり、その書「皇漢医学」を読んで発奮し門人になって学技を継承したのが大塚敬節である。
大塚敬節らによる「漢方診療の実際(※)」(1941)は腹診を記述し腹証を図解した。その増補改定版である「漢方診療医典」(1969)が現今の漢方腹診の根幹である。
※ 「漢方診療の実際」は日本漢方の三流派(古方派、後世方派、折衷派)による合作である。
(古方派)大塚敬節
(後世方派)矢数道明
(折衷派)木村長久
(薬学者)清水藤太郎
□ 胸脇苦満の伝承
胸脇苦満とは、季肋下腹壁の、一種の抵抗と圧痛。
大塚敬節によると「胸脇苦満は胸脇の部に患者自身が充満感を覚え、他覚的には医師が季肋下から母指を胸腔内に向かって押し込むようにし、胸脇苦満があれば指頭に抵抗を覚え、患者は息詰まるように感じ苦痛を訴える。この抵抗と苦痛は胸脇苦満の程度によって強弱がある」(漢方診療医典)。
1.胸脇苦満という症候名は『傷寒論』の小柴胡湯の条文(宋本96条、康平本94条)に記載されている。
2.後藤艮山は、胸脇苦満は自覚症状であって、他覚的症状を伴う腹証とはまだ認識していなかったようだ。
3.胸脇苦満を他覚的症状としての腹証であることを初めて解説したのは吉益東洞である。「小柴胡湯の腹は、先ず大抵胸脇苦満と云い、両方の脇骨のはずれの処にきっと手に触るものありて、按ずれば胸へこたえ痛むなり」(東洞先生家腹診論)。
4.稲葉文礼は「腹証奇覧」で東洞説を継承したと思われる腹証図を示している。
□ 胸脇苦満の諸相
・胸脇苦満は柴胡剤用いるべき腹証である。
・この腹証は、顕著にわかりやすく現れることもあるし、微弱でわかりにくい腹壁反射のことも少なくない。
・出現時期;
(急性症)発病後5-6日を経た時期に現れる。疾患が治癒するに及んで、胸脇苦満は消失する。胸脇苦満は陽証で出現し、陰証では出現しない。
(慢性症)出現する時期は特定できない。疾患が軽快するに従って、胸脇苦満の強さが減弱する傾向がある。
・左右差:両側に同じ強さで現れることは少ない。右側が顕著で左側が弱いことが多い。右側のみに現れることが最も多い。左側のみに現れることは希である。この現象と臨床との関連は不明である。
・胸脇苦満の強さと、柴胡剤に配合される柴胡の分量は、必ずしも関係がない。
(大柴胡湯)6g
(柴胡加竜骨牡蛎湯)5g
(小柴胡湯)7g
(柴胡桂枝湯)5g
(柴胡桂枝乾姜湯)6g。
□ 心下痞硬の諸相
・心下部・腹壁の中心部に、少し硬い抵抗を触れ、自覚的には胃部不快感を訴える腹証。
・胃炎が腹壁に反射したものと思われる。
(実証)大柴胡湯証などでみられる。腹壁全面の腹筋筋張力が強いので、反って心下痞硬がわかりにくい。
(虚実間証)半夏瀉心湯証が代表的。
(虚証)六君子湯、四君子湯、人参湯証など。心下部の抵抗の現れ方も微弱であり、慎重に按圧すると他の部位よりわずかに硬く触れる程度。
□ 心下部振水音(胃内停水)の諸相
・腹壁を軽打・振動させると水の音が聞こえる証(拍水音ともいう)。
・飲んだ水分と分泌した胃液が停滞している状態。
・消化・吸収・運動力の低下があり、臓腑筋層の止汗を伴うもので、虚証であって、胃下垂や内臓下垂が存在することが多い。
・茯苓、朮、沢瀉、猪苓などの利水剤が配合された薬方や、虚証に対応する薬方の証。
(虚実間証)茯苓飲、茯苓沢瀉湯、五苓散、苓桂朮甘湯
(虚証)六君子湯、四君子湯人参湯、真武湯など
□ 腹部動悸(腎間の動)の諸相
・健康人は、平素は腹壁上に腹大動脈の拍動は伝播しない。
・傷寒論系腹診:心下悸、臍上悸、臍傍悸(基本的に臍の左側、まれに右側)、臍下悸
・意義:
①虚証:虚証では腹壁の筋層、脂肪層が菲薄なことが多く、腹腔内のは工藤が腹壁外で触知される。
⇒虚証に対応する諸種方剤
②自律神経失調:この腹証を呈する患者は精神不安、情動不安等を呈する。
⇒実証なら柴胡加竜骨牡蛎湯、虚証なら柴胡桂枝乾姜湯(11)、加味逍遥散(24)、桂枝加竜骨牡蛎湯(26)などを用いる。
③腎虚:特に下焦・身体下部の機能が減退した場合の臍下悸。
⇒八味丸証であるが、胃腸虚弱の脾虚証には対応しない。
□ 腹皮拘急(腹直筋緊張)の諸相
両側の腹直筋緊張が緊張して硬く触れる腹証。体気・体力気力が衰えた場合で、虚証であって、腹痛やけいれん性便秘を伴う場合が治療対象となり、小建中湯、桂枝加芍薬湯などの証が多い。
□ 正中芯の諸相
腹壁の菲薄な虚証に現れ、小建中湯、人参湯、真武湯などの証である。
大塚敬節先生が提唱した腹証で古医書の傷寒論系腹診書には記載がない。
□ 「胸脇苦満+腹皮拘急」の解釈
・柴胡桂枝湯証で、急性症には少なく、慢性症で多くみられる。
・「腹証奇覧」にはなく、大塚敬節先生が初めて「漢方診療医典」に記載した証である。
・その後、近似した証が四逆散(35)と抑肝散にも現れることを口述している。四逆散(35)と抑肝散(54)証は、柴胡桂枝湯の腹証に対比すると、胸脇苦満が強く表れ、かつ、腹直筋上部がより顕著に緊張しているという違いがある。また、四逆散(35)と抑肝散(54)の腹証はよく似ていて、その相違は筆述し難い。外症と、対応する病症の違いに従って使い分けなければならない。