漢方医学の国際標準を決める際に、中国・韓国・日本の3カ国が争っているそうです。
発祥は中国ですが、韓国・日本に伝わるとともに独自の発展を遂げただけに、統一するのは難しそう。
もっと複雑な様相を呈しているのがチベット医学。
独自の医療なのでしょうが、チベットという国がないので国際機関に申請できません。
そこを狙われて、中国とインドが「自分の国の伝統医学である」と争っているようです。
迫害した地域の伝統医学を乗っ取るなんて、中国らしい。
人間、権力を持つとろくなことを考えません。
■ 中印争い、無形遺産でも ヒマラヤのチベット医学 「アジア発」
(共同通信社2017年12月22日)
国境対立を抱える中国とインドが、ヒマラヤ山脈や周辺に伝わるチベット医学を、自国の文化として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録しようとせめぎ合っている。
自国領で発展したと主張する中国に対し、インドは伝統医療アーユルベーダと関連が深いと訴える。
審査は来年パリで行われる見通しで、両国のロビー活動が激しくなりそうだ。
▽脈診
「先祖代々のアムチ(チベット医学の医者)だ。
60年前にはラサ(現・中国チベット自治区)で修行した」。標高約4千メートルの、チベット文化圏に入るインド北部レー近郊の村。仏画を背に香が漂う診療所で、アムチのコンチョク・チョザンさん(85)が話した。
ラダック地方に約200人残るアムチの1人。
手の脈や尿などから患者を診察し、ヒマラヤで採取した希少な薬草を自ら調合し処方する。謝礼として穀物などを受け取る。「チベット医学は、脈が臓器に通じていると考える。西洋医学の影響で患者は減ったが、2日に1人は来るよ」と語る。
▽注目
チベット医学はヒマラヤやチベット高原に古来伝わる。
中国軍の1950年のチベット侵攻や59年のダライ・ラマ14世亡命などで離散した難民が各地に伝え、近年、代替医療として欧米などで注目され始めた。
中国の環球時報やインド紙によると、中国は3月ごろ、チベット医学の入浴法が「中国で発展した」として無形遺産の登録を申請。インドも対抗するように、アーユルベーダやインド仏教がチベット医学に影響を与えたとして申請した。インド北部でもチベット医学が伝えられ、モディ政権も保護しているからだ。
インド国立チベット医学研究所(レー)のタシ・ストブゲス研究員(42)は「中国の遺産となれば、われわれの文化が奪われた気持ちになる」と主張する。
▽複雑
一方、インドの保護下にあるチベット亡命政府(北部ダラムサラ)の立場は複雑だ。
亡命政府は61年から、ダラムサラでチベット医学・暦法学研究所を始め、難民らをアムチとして教育・認定。インド内に約60カ所の診療所も開いた。ラダック地方などインドの土着アムチとも連携する。
しかし、文化発展の立役者にもかかわらず、国でないために遺産申請は難しい。
亡命政府職員で難民2世のテンジン・ニャンダクさん(41)は中国の申請を「チベットの独自文化を奪う行為」と強く批判。
インドに対しては「われわれのこれまでの努力も認めてほしい」と言葉を選んで話した。
※チベット医学
中国の漢方やインドのアーユルベーダのようなアジア伝統医療の一つ。
チベット医学・暦法学研究所(インド)などによると、8世紀ごろに大きく進歩したが、1959年のダライ・ラマ14世の亡命以降、中国チベット自治区で医学書などが燃やされた。
一方、61年に亡命先のインドで同研究所ができ、ブータンやインド北部のチベット文化圏にも独自のチベット医学が残る。
昔、今から40年ほど前でしょうか。
テレビ番組で、日本とソ連の一般市民が行ったテレビ討論が思い出されます。
そこで北方領土の問題が取り上げられました。
双方、独自の理論・根拠を持ち出して「ソ連の領土だ」「日本の領土だ」と主張合戦でらちがあきません。
そのとき、日本の女子高生の一言で会場がシ〜ンとなりました。
「北方領土は、日本の領土でもソ連の領土でもなく、そこに住んでいる人たちの土地だと思います」
発祥は中国ですが、韓国・日本に伝わるとともに独自の発展を遂げただけに、統一するのは難しそう。
もっと複雑な様相を呈しているのがチベット医学。
独自の医療なのでしょうが、チベットという国がないので国際機関に申請できません。
そこを狙われて、中国とインドが「自分の国の伝統医学である」と争っているようです。
迫害した地域の伝統医学を乗っ取るなんて、中国らしい。
人間、権力を持つとろくなことを考えません。
■ 中印争い、無形遺産でも ヒマラヤのチベット医学 「アジア発」
(共同通信社2017年12月22日)
国境対立を抱える中国とインドが、ヒマラヤ山脈や周辺に伝わるチベット医学を、自国の文化として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録しようとせめぎ合っている。
自国領で発展したと主張する中国に対し、インドは伝統医療アーユルベーダと関連が深いと訴える。
審査は来年パリで行われる見通しで、両国のロビー活動が激しくなりそうだ。
▽脈診
「先祖代々のアムチ(チベット医学の医者)だ。
60年前にはラサ(現・中国チベット自治区)で修行した」。標高約4千メートルの、チベット文化圏に入るインド北部レー近郊の村。仏画を背に香が漂う診療所で、アムチのコンチョク・チョザンさん(85)が話した。
ラダック地方に約200人残るアムチの1人。
手の脈や尿などから患者を診察し、ヒマラヤで採取した希少な薬草を自ら調合し処方する。謝礼として穀物などを受け取る。「チベット医学は、脈が臓器に通じていると考える。西洋医学の影響で患者は減ったが、2日に1人は来るよ」と語る。
▽注目
チベット医学はヒマラヤやチベット高原に古来伝わる。
中国軍の1950年のチベット侵攻や59年のダライ・ラマ14世亡命などで離散した難民が各地に伝え、近年、代替医療として欧米などで注目され始めた。
中国の環球時報やインド紙によると、中国は3月ごろ、チベット医学の入浴法が「中国で発展した」として無形遺産の登録を申請。インドも対抗するように、アーユルベーダやインド仏教がチベット医学に影響を与えたとして申請した。インド北部でもチベット医学が伝えられ、モディ政権も保護しているからだ。
インド国立チベット医学研究所(レー)のタシ・ストブゲス研究員(42)は「中国の遺産となれば、われわれの文化が奪われた気持ちになる」と主張する。
▽複雑
一方、インドの保護下にあるチベット亡命政府(北部ダラムサラ)の立場は複雑だ。
亡命政府は61年から、ダラムサラでチベット医学・暦法学研究所を始め、難民らをアムチとして教育・認定。インド内に約60カ所の診療所も開いた。ラダック地方などインドの土着アムチとも連携する。
しかし、文化発展の立役者にもかかわらず、国でないために遺産申請は難しい。
亡命政府職員で難民2世のテンジン・ニャンダクさん(41)は中国の申請を「チベットの独自文化を奪う行為」と強く批判。
インドに対しては「われわれのこれまでの努力も認めてほしい」と言葉を選んで話した。
※チベット医学
中国の漢方やインドのアーユルベーダのようなアジア伝統医療の一つ。
チベット医学・暦法学研究所(インド)などによると、8世紀ごろに大きく進歩したが、1959年のダライ・ラマ14世の亡命以降、中国チベット自治区で医学書などが燃やされた。
一方、61年に亡命先のインドで同研究所ができ、ブータンやインド北部のチベット文化圏にも独自のチベット医学が残る。
昔、今から40年ほど前でしょうか。
テレビ番組で、日本とソ連の一般市民が行ったテレビ討論が思い出されます。
そこで北方領土の問題が取り上げられました。
双方、独自の理論・根拠を持ち出して「ソ連の領土だ」「日本の領土だ」と主張合戦でらちがあきません。
そのとき、日本の女子高生の一言で会場がシ〜ンとなりました。
「北方領土は、日本の領土でもソ連の領土でもなく、そこに住んでいる人たちの土地だと思います」