気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

●幻の作品 -マグレブの国への旅-

2006-04-11 06:00:59 | マグレブの国への旅
マグレブの国に旅したのはもう7年前になろうとしています。
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手垢で汚れている旅行ガイドブックと1999年の手帳を見ながら、アラビア語で「日の沈む国」を意味する“マグレブの国”と称されるモロッコへの旅を振り返ってみました。カサブランカ、違和感を楽しむ入口となる地に入り、その後、鉄道とバスでモロッコを巡りました。喧騒の地マラケシュ、厳しい日差しと乾燥が待ち受けるアトラス山脈を超えたあと迎えてくれる中継地ワルザザード、エルラシディアを経て、華麗な迷路の旧市街メディナを誇るフェズ、そして再びカサブランカからこの国をあとにしました。

マラケシュは、現地で“スーク”と呼ばれる市場と「ジャマエルフナ」と言う名の大広場に面白さが凝縮されています。屋根のある迷路を形成するスークの中は、細い路がくねくね曲がり、人間とともにロバや馬も歩いています。鉄職人、革職人、貴金属、染色職人、絨毯など様様なスークに分かれています。においもすごく楽しいです。香辛料のにおい、ロバの糞のにおい、日本から離れた遠い国のにおいです。未開の地というわけではないけれど、決して不潔という意味ではなく昔が残っている社会がここにあります。また夜のジャマエルフナの活気は語り尽くせないほどにぎやかで、毎日、日が沈みかけるとどこからともなく現れた人々がたくさんの屋台の席を埋め尽くします。蛇使いの笛の音が聞こえます。生きている町です。躍動している町です。人と広場と屋台とカバブを焼く煙と香辛料のにおいがお祭り騒ぎ、まさしく喧騒となります。

喧騒のマラケシュに対して落ち着きのある華麗なフェズ。そこには「フェズエルバリ」と呼ばれる巨大な迷路の旧市街メディナがあります。イスラムの異文化、アフリカのベルベルの異文化によって造られた、日本から見れば特殊な色彩と違和感。ときに日本の京都や中国の雰囲気を感じさせる小さな広場がメディナのなかにあったりもします。ペイズリーに似た模様が自然にあしらわれた壁や床や扉。人が造った町、その建物・城郭の形や模様や大きさ。決して大きいということを言っているのではなく、大きいにしろ小さいにしろ違和感を持たせる高さや広さに存在感があり過ぎて、そういった風景を提供している建物は造られたものではなく、造ったはずの人間と共存し自らその模様や色合いに成長した生き物であるかのようにさえ感じさせてくれます。

旅に何を求めるのか? 日本では味わえない色彩や明かり、風景や違和感。僕は遺跡や美術に特別興味があるわけではないので、観光化した有名な遺跡に行っても大きな感動はあまりおきなかったりします。モロッコは決して物足りなさを感じさせない、脳に大いに刺激を与えるだけの色彩や明かりや違和感をもっています。

それともうひとつ、旅をする側、感じる側に受け入れる感受性がなければ味わえない醍醐味があります。地元とのふれあい・吸収・接触です。出会いです。その土地の人とのつながりを持てるかが、その旅を年月を経たあとも心に強く残すことができる、大きな鍵となります。モロッコでは、うまくふれあい・吸収・接触がもてました。うるさいガイド、喧騒のマラケシュのBARで出会った地元の若者男女イリアスやノラ。絨毯屋のセールス、ホテルの受付、フェズの迷路をさまよいたどり着いたレストランで知り合ったスペインのお金持ち奥様、おねだりされお駄賃をあげた代わりに写真のシャッターをきってもらった3歳に満たないような子供。ただ出会いは偶然でもあるけれど、僕自身が、モロッコに惹かれ興味を持ち、ナチュラルに吸収できるような心の態勢になっていたのではないかとも、今現在の自分と照らしあわせて、そう感じたりします。

さらにもうひとつ大切だと思うものは現地で行ういろいろな手続きです。ホテルや交通手段を予約せず、現地で手配する面倒くさい手続きそのものに、いろいろなイベントが生まれます。ふれあい・吸収・接触ができます。間違いや想定外のこともおこり予定通りに進まないことも多々あります。しかしその時間は決して無駄なものではなく、不思議なことに自信につながったりするものです。読めないアラビア語の時刻表をじっくり見つめたり、言葉の通じない人に地図を見せたりしながらバスと鉄道とホテルを思い存分、現地で手配したことが、出発前の不安と緊張との引き換えに、充実感や大きな感動を僕自身にプレゼントしてくれました。

カサブランカから空港へ向かう道路は、来たときと同じように、神秘的な明るさの電灯が広い路を照らしていました。白い落ち着きのあるどっしりとした重厚な建物が道路沿いにたっていました。いつかまた訪れてみたい国、感じてみたい国、触れてみたい、話してみたい、見てみたい、臭ってみたい、味わいたい、惑わされたい、、、違和感、肌触り、色彩、臭い、形、模様、自然、そして人々。マグレブの国は僕にそう感じさせてくれました。

●落選通知

2006-04-10 23:37:30 | マグレブの国への旅
でっちゃんはほんと旅が好きです。知らないところに行って、知らない人と知り合いになり、日本からず~っと遠くでもしでっちゃんがここで行方不明になっても、誰にも発見されないだろうなぁ~っていうところに行きたいし、行くのが好きです。普段、プライベートでは乗ることがないJALの雑誌SKYMARKにはエッセイが連載されていました。一般の人から募集した旅に関するエッセイ。でっちゃんが応募したのは昨年の6月頃だったような気がします。締め切り間際の、第10回JAL「世界の旅」エッセーコンテスト。

落選通知が来たのは、待てど待てどなかなか来なくて、もしかしてと期待を持ちながら待っていた、確か8月だったような気がします。

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拝啓 残暑の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

このたびは第10回JAL「世界の旅」エッセーコンテストにご応募いただき、誠にありがとうございました。
今回も皆様より海外の旅への思いが込められた約670作品もの多数のご応募いただきました。
先日行われました、浅田次郎氏、黛まどか氏による厳選な審査の結果、でっちゃん様の作品は選外となりましたことをご通知申し上げます。
今後ともJALグループをお引き立て賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。  敬具
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ほんの少し、いや大分、期待していました。もしかしたら入選するんじゃないかと。文章自体はでっちゃんと、そして一人の人と、大学の先生にしか見せていません。見せた人には、なんだか素人っぽくないと言われました。万が一、当選したら、サインくださいだなんて言ってくれました。がっくしでした。明日、「マグレブの国モロッコへの旅で感じ、求めたもの」紹介します。

●マグレブの国への旅(終)/⑯

2005-05-23 23:38:00 | マグレブの国への旅
アトラス山脈を越えてマラケシュ、ワルザザート、エルラシディア、フェズ、メクネス経由で戻ったカサブランカは、もう初めて来たカサブランカとは違っていた。都会のこの町はじゅうぶんアラブとアフリカの文化の刺激を与えてくれる町ではあるに違いないが、あまりにもサハラへと通ずる内陸の、色彩、臭い、喧騒、違和感が強すぎたために、色あせてしまいまいした。最後の日にはオイスターレストランで食事をしました。オイスターバーとかオイスターレストランは、最近日本でもたくさんありますが、当時はまだでっちゃんは行ったことがなかったので新鮮でした。偶然、日本の年配の女性と外国人の人が食事していました。

空港へ向かう道路は、来たときと同じように神秘的な、電灯が太い大きな路をてらしていました。白い落ち着きのあるどっしりとした重厚な建物が道路沿いにたっていました。いつかまた行ってみたい国、感じてみたい、触れてみたい、話してみたい、見てみたい、臭ってみたい、近づきたい、味わいたい、さらされたい、惑わされてみたい、、、そんな違和感、肌触り、色彩、臭い、形、模様、自然、そして人々。でっちゃんにはそう感じる国でした。そう感じさせた旅でした。そう感じることができる旅を自分ですることができました。。。。

●マラケシュ心中 (中山可穂 著)

2005-05-22 22:36:42 | マグレブの国への旅
今日、品川のプリンスシネマで映画を見てきました。「クローサー」ジュリア・ロバーツ、ナタリー・ポートマン、、、四人が織り成す恋愛模様。ところどころ心が引き裂かれる思いのする別れの場面がありますが、わざわざ言わなくてもいいのにと、別れ話を切り出す側が他の男、女と寝たことをはっきり打ち明かすといった場面。身勝手な理由なのに切り出されたほうは思い切りかっこ悪くなって泣いてつらくて相手に罵声も浴びせる。心が引き裂かれる瞬間でした。自分が見ていない場面を想像してしまい、正直に告白して欲しいと相手に願いながら、事実を知れば複雑な思いにとらわれ、事実を知らなければ相手に問いただす。本当のことかどうかわからないこととを告白されて安心したときは、相手の気持ちが終わった瞬間だった。、、、、

写真の展覧会で、被写体が泣いてる写真を見ているナタリーにJロバーツの彼が、この展覧会をどう思うかと質問するのですが、ナタリーの言葉はすごく印象的でした。「悲しいものは悲しい。つらいものはつらい。けれど人間はそれを美しいと思いたいんだ」のようなことを言っていました。うまく説明できません。今日はなまけもののでっちゃんです。ごめんなさい。本当は説明したいのだけれど、あるいは言い表せないことを必死に伝えそのまま表現したいのですが、眠いので面倒くさくなっています。

さて15:30の回待ちのあいだ本屋さんをウロウロしていたところ一冊の本が目にとまりました。「マラケシュ心中」作者は中山可穂さんという人。これまで知らなかった人なのですが、この題名を見て気にならないわけがないです。でっちゃんとしては。立ち読みをさらさらしただけで内容は把握する時間はありませんでした。でもスペインのアルへシラス、モロッコのタンジェ、フェズ、エルフード、エルラシディア、マラケシュといった地名がでてきました。マグレブの国をでっちゃんの文章から想像されている方に、別の人の記したマグレブの国も堪能してもらえば人による感じ方の違いとこの国の魅力いや逆に魅力を感じきるまでの迷路に通ずる可能性も楽しんでもらえると思います。それからテレビのコマーシャルとかで映画「サハラ」が紹介されていたりするけど、まさしくマグレブの国の厳しく人を容易には近づけさせてないけれど、決していけないわけではないところで、大きな魅力の一つです。

●マグレブの国への旅⑮/温泉とエステ

2005-05-21 22:39:23 | マグレブの国への旅
フェズ近郊に豪華なエステ・温泉の施設があります。その名はテルム・ド・ムーレイ・ヤコブ(Thermes de moulay yacoub)。モロッコの王様も愛用しているとかとのことでした。お値段は320ディルハム(4000円弱)ですが、モロッコの物価なのでそこそこのものですし、結構近代的な施設でした。ホテルのパレ・ジャメイからタクシーで。ホテルのコンシェルジュに確認したところ現地で2時間待機してタクシー代金は300ディルハム(3600円)とのことだった。銀行に寄ってお金を両替してタクシーに乗り込んだ。すごく感じのいい親切な運転手さんで、約束どおり、2時間ほど待っていてもらうことになりました。エステ・温泉のこの施設の受付ではいろいろなコースが用意されていた。よくわからないので、エステも体験してみることにして、温水プール、サウナ、マッサージのコースで320ディルハムにした。水着にバスローブに着替える。女の人が案内してくれてサウナ、温水プールをゆっくり楽しんで、とりはマッサージ。至福の心地よさと日記には書いてあるが、全く覚えていません。でも寝てしまいそうになって、終了したときに、「えっもうおしまいなの?」と残念がったような気もします。

モロッコの厳しさが待っていました。。。!!いよいよホテルへ帰るのですが、タクシーの運転手さんはまたしても嘘つき野郎になってくれちゃいました。もう3時間もたってるから400ディルハムだと料金を引き上げようとする。無茶苦茶むかついた。ちょっと言い合いになったけど、帰るすべなないので、350ディルハムということで送らせた。

翌日、フェズをあとにしました。日記は何も記していません。鉄道の旅でカサブランカまで6時間ほどでした。途中メクネス(町の名前)ですごい今風のいけてる女の子達を発見して驚きました。イスラムの国なのにローライズっぽいジーンズにミニシャツでビビびっくりでした。カサブランカからマラケシュまでの鉄道ではいきなりガイド君が近づいてきていろいろ交渉しようとしてきましたが。帰りは特段面倒くさいことはなかったかな。到着したカサブランカの町は入国初日の驚きはありません。もちろんエキゾチックですが、モロッコを放浪してきたでっちゃんにとってはカサブランカは都会なので刺激は小さくなっていました。

●マグレブの国への旅⑭/サファリン広場

2005-05-17 23:47:46 | マグレブの国への旅
21JUNE 1999, Monday 昼までホテルにてお休み。そしてお店の閉まっているメディナをうろつく。13:00~16:00は昼休みでお店は閉店らしい。きれいで感じのよい店でお昼ご飯。歩いても歩いても、たどりつけないパレ・ジャメイ。同じところをくるくると回ってしまい、なかなかホテルにもどれない。これぞ大迷路のフェズのメディナである。FIGAROJaponに載っていたフェズの街角のサファリン広場にさしかかったが、まさしく掲載されている写真そのままだった。オリエンタルな中国的な雰囲気もかもし出している小さな広場。とりあえず迷って不安な散策中に唯一安心できる場所だった。困ったので、おとなしそうな少年にホテルまで案内してもらった。3、4時間は歩いたようで、最後にホテルまで案内してくれた少年にはチップ10ディルハムあげた。これってもしかするとあげすぎなのかもしれないけどよくわからなかったので、、、ホテルではプールで一泳ぎして、プールサイドでユングを読んで、夕方6:30頃まで一服してからいざ出陣。

前日、ベリーダンスが見られるアル・ファシディアというレストランに行ったのだが、そのときに近づいてきたモロッコの人と出会い頼みもしないのにいろいろ案内しようとする。彼はガイドではないというが、やってることは非公認ガイド。自分の知り合いのお店につれていってはでっちゃんに何かを買わせ、マージンをもらうのが彼の商売。欲しかった手提げ籠カバンをスークで探す。彼、名前はモハちゃんというようなのだが、この際と思って3、4件案内させた。60ディルハム(720円)の籠を値切って50ディルハム(600円)で購入。

続いて絨毯屋さんに案内させた。モハちゃんの知り合いのベルベル絨毯屋さんに案内された。モロッコの絨毯は大きく二種類あります。一つはベルベル絨毯で生地は粗いもの。もうひとつはアラブ絨毯でこちらのほうが高級です。いい感じの絨毯があったけどアラブ絨毯を買いたかったので違う店に改めて案内してもらった。絨毯屋さんもフェズではマラケシュほどはアグレッシブではありません。ゆっくりゆっくりと絨毯を広げていきます。申し訳ないなと思いながら、店を出て政府公認のアラブ絨毯屋さんへ。入口は小さいけれど中に入ると大きな倉庫になっている。城壁の中の簡単に見過ごしてしまいそうなところにある絨毯屋さん。店員さんはやり必死になってとにかく買わせようとする。そうは問屋が卸さないとばかりになかなかウンとは言わないでっちゃん。優柔不断にありがいいな、でもこっちのほうがいいな、あれはちょっと高すぎるな、どうしよう・・・・ 最終的には4300ディルハム(5万円ちょっと)の絨毯を買いました。現金は持っていないので、ここではクレジットカードで会計しました。一部70ドルを現金で支払いました。日本までは船便で送ってもらう手続きをしたのですが、正直本当に到着するのか半信半疑で、まあそのときはそのとき、この旅先での絨毯購入の交渉というのが醍醐味とばかりに、だまされたとしてもまいいやと取引を終えたのでした。絨毯が日本に到着するのは約1ヶ月かかるとのことでした。

無事、でっちゃんの実家にしばらくして到着しましたが、船賃は着払いでした。

●マグレブの国への旅⑬/ファッションatフェズ

2005-05-15 22:52:37 | マグレブの国への旅
写真を見る限りフェズでのでっちゃんの写真はバックパッカー派のファッションではありません。そもそもバックパックでの旅は2004年のペルーが初めてだったのですが、パッケージツアー自体はほとんどしたことはありません。

1999年6月20日から22日にかけての写真を見てみるとこんなファッションでした、でっちゃんは。。。ホテルの一階ラウンジバーでチェックインを待っている間にとったものは、青山骨董通りにあった今はなきセレクトショップのアドバンスド・チキュー(advanced chique)で買ったMeditareniaの千鳥格子のパンツに、JPトッズのドライイングショーズ、アニエスベーの古い白のTシャツ、あるいはその上に羽織った白のCANALIの半袖シャツの姿。優雅に決めています。渋谷パルコの白山眼鏡で買った黄色の眼鏡。この眼鏡はすごく気に入っていたのですが、メキシコのオアハカ州の人知れないビーチで波にさらわれてしまい今は手元にありません。顔にはひげが生え出しています。でっちゃんは旅のときはひげをそりません。厳密に言うとあごと鼻の下に残して、適当に手入れはします。たとえばアメリカなどはひげをそる文化なので、伸ばしっぱなしの場合は変な人といった印象を与えてしまうので、伸ばしながらも適度に手入れしているという雰囲気にしています。ラウンジバーは落ち着いた雰囲気で、カウンターには花が飾られています。壁には絵が飾られています。天井は比較的低いです。ソファに腰かけた写真もありますが、おそらく新市街のホテルをでるときに取った写真なのだと思いますが、エンジ色のソファで少し模様が入っています。落ち着いた決して安物といったものではないです。ここではTシャツとパンツ姿、五つ星ホテルのパレ・ジャメイラウンジバーでは半袖シャツを羽織っています。

6月22日の写真は白のアニエスベーのシャツに高田KENZOのアバンギャルドなワイルドなパンツ姿、靴はニューバランスのスニーカー、マラケシュで買った籠カバンを手にもった姿です。おそらくアニエスベーの白のシャツは二日続けてきていたんだと思います。暑いけど乾燥しているので、気にならなかったのだと思います。でっちゃんはあまりこういうの気にしません。神経質なところもかなりあるとは思いますが、トイレが汚い国への旅も克服してきました。このKENZOのパンツはやや短い丈でベルトではなく紐で結ぶようになっています。デザインは木の皮をはがしたような紺やこげ茶の染物のような縦じまが、きなりの白地に入っています。ホテルのどこかでとっています。23日の写真は、またしても骨董通りのセレクトショップのアドバンスド・チキューで買った北欧のデザイナーのフサイン・チャラヤン(Husswin chalayan)の黄色地に霧吹きで描いたようなぼやけた竹のような模様が茶色で入ったTシャツに黒のボクサートランクス姿で、ベランダでワイルドに決めています。ちょっとセクシーなフェロモン漂わせていると自分では思います。もどって21日にパレ・ジャメイの部屋でとった写真は、学生時代に神戸元町のエミスフェール(今は青山のベルコモンズから北上したところで細々とお店を構えています)で買ったグレーのTシャツとKENZOのパンツ姿で、部屋の押し入れの前で決めたショットとなっています。ちなみにマラケシュで現地人の遊び人のイリアスと一緒にとった写真でのでっちゃんは、弟にもらった足を切って短パンにしたジーンズと海島綿の紺のポロシャツ姿でした。

このように写真をとっていますが、実は旅先で写真をとるのは結構苦労する作業なのです。恋人と旅しているわけではありません。友達と旅しているわけではありません。パッケージツアーで旅して一緒に回っている人が居るわけでもありません。一人なので、オートシャッターでとるか、、チップを渡して人にお願いするかなのです。チップは必要なのかどうか分からないのですが、あげることが多かったです。そんなときに微妙に迷ったり、遠慮したり、ずーずーしくしたり、それが経験として異文化の人との接し方の訓練ともなっていき、その次の段階でさらに進んだコミュニケーションに踏み込めるわけです。ところで、恋人とメキシコを旅した英語の先生のサラというオーストラリア人を思い出しました。すごくきれいでスタイルもグンバツだけどもともとは田舎ものといったいい人でした。彼女がメキシコを恋人と旅した話は僕が2002年にメキシコを旅する決心をした後押しとなりましたが、恋人とそんな旅をすると一生思い出に残り、別れることはできないだろうし、別れても一生その恋人は彼女の人生からは、記憶からは、離れないだろうなとつくづく感じたものでした。

●マグレブの国への旅⑫/パレ・ジャメイ(Hotel Palais Jamai)

2005-05-14 02:00:56 | マグレブの国への旅
ところどころ折り曲げられたり、ボールペンで記しがついていたり、紙の色が変色していたり、手垢がついていたり、地球の歩き方モロッコ1999~2000版は、小学校時代いや中学でも、高校のときでも三学期を迎えた教科書のようになっています。フェズという町はモロッコにとってかかせないところです。喧騒のマラケシュに対して、落ち着きのあるフェズ。フェズの旧市街(メディナ)は二つあるのですが、その一つ大きなほうはフェズ・エル・バリ(FEZ EL BALI)と呼ばれています。FIGAROJaponでは"永遠に出られぬラビリンス・巨大迷路"と称されていますが、ほんとに巨大迷路な町です。

どうしても泊まりたかった五つ星ホテル、あこがれのパレ・ジャメイ。モロッコ三大ホテルの一つで19世紀に建てられた建物を1930年代にホテルにしたそうです。小高い丘の上にあるパレ・ジャメイには新市街で一泊したホテルの前からタクシーで到着。晴れた日の正午頃で、意外と静かな感じの入口でした。シティホテルのように多くの人が出入りしているわけでもなく、人影はまばら、予約せずにいきなりフロントに、部屋をお願いしました。今考えると格式高いホテルでしたが、予約も何もせずに来る人は珍しいのではなかったかと思います。受付もやや時間がかかり、係りの人もあまり急いでくれません。一番安い部屋をお願いしたのですが、時間が時間だったのでお掃除の時間でもありすぐに空いている部屋ということで、案内された部屋はメディナが見下ろせる側ではありませんでした。広さはほどほどだけれど、一階の入口が近くにある部屋で情緒のない部屋でした。せっかくきたんだから安い部屋ではなくいい部屋にとまろうと、フロントに電話してみました。一階から上がってきてくれた人に次に紹介された部屋にも満足せず、その次に案内された部屋でようやくOKしました。宿泊代はどんどん上がっていきSingleでは一番高い部屋となりました。これは最初から想定されていた手続きなのだろうかとも思いました。でもここからならメディナの夜景が見れると、すごく夕暮れが待ち遠しく感じました。

数日前に、アメリカのクリントン大統領の奥さん、ヒラリーさんが訪問してたとホテルの人が言っていました。FIGAROJaponに紹介されているパレ・ジャメイの部屋の写真はほんとすくきれいです。サルトルの恋人ボーボワールも愛したそうです。木の天井、壁はきなりの白で木の素材がポイントとなっている窓の上側のカーテンをかける部分、ダブルベッドの頭側のデザイン、部屋の明かりは上品でこぶりな電球。ベッドにしかれたシーツカバーは茶系でエトロっぽいデザインで、シックな薄緑の小さ目の枕が三つ並べられている。床に敷かれたカーペットとのコントラスト、絨毯の色合いは落ち着いた高級骨董品的な雰囲気がかもし出されていました。

●マグレブの国への旅⑪/マリカ・ウフキル

2005-05-11 22:55:14 | マグレブの国への旅
マラケシュを出てフェズまでの間に立ち寄った二番目の中継地はエルラシディアでした。ワルザザートからバスで7時間半の道のりでした。泊まったホテルは全く記憶には残っていないけれど、一泊135ディルハム(1600円くらい)と手帳には記してあります。まず街中を散策、特に興味のわくところではなかったけれど、学生風の若者を多く見かけました。案の定、話しかけてくる人が現れました。一人の学生。メクネス(町の名前)でアートを勉強しているのだが、休暇で実家に戻ってきているとのことだった。最初はフレンドリーでいい奴っぽい感じがしました。歩いているとついてくる。なんとなく会話をしたがっていていろいろ話し掛けてくる。知らない奴が親しげに、とにかくついてくる。やっぱり警戒しちゃうのが普通でしょ。。。いいかげん、面倒くさくなってきて、それと変にかかわると逃げられなくなる危険性も感じてきたので、少々辛らつな態度をでっちゃんは示し始めました。何を言ってきても無視。知らん顔して方向を変えました。向こうもちょっと腹が立ってきたみたいだけど、毅然とした態度で無視するなり、「一人出歩きたいんだ」とはっきり言いつづけました。でも、しつこいんだ、、、この人。腹が立つけど、しつこいんだ。これが。イライラしながら振り切ろうとしましたが、しつこく話し掛けてきます。腕を引っ張ろうともします。でも知らん振りをしました。はっきり「一人で歩きたい。」と英語で言いました。中途半端な英語で、相手が話してきた英語に対しては、よく意味が分からないという振りをしました。英語がうまくはなせないからということで、日本語で話しました。これを繰り返してコミュニケーションが取れない振りをして、なんとか振り切りました。はぁ、はぁ、はぁ、、、。

翌日はいよいよフェズに入ります。朝9:00発のバスがフェズの新市街に到着したのは夕方6:00でした。しょっちゅう停車してほんとにいつになれば着くのか、今どのあたりにいるのか、停車してトイレに言っている間にバスは出てしまわないだろうか、乾燥した空気のせいで、のどが切れるように痛く、日差しも厳しく、岩と砂だけの景色のなかのバスの道のりはほんと疲れました。バスの中では心理学者ユングの本を読んでいました。

日テレで「ザ!世界仰天ニュース」という番組が放送されていた。11日(水)9時~。大阪出張から早く帰ってきてたまたまテレビを見ていたのですが、監禁された美女マリカ・ウフキルさんのことが扱われていた。カサブランカの風景、マラケシュや首都ラバトやマラケシュといった町の名前がでてきてついつい見入ってしまいました。

●マグレブの国への旅⑩/旅に求めるもの

2005-05-09 04:05:10 | マグレブの国への旅
旅に何を求めるか?日本では味わえない色彩や明かり風景や違和感を感じるような光景に浸れることが脳に刺激を与えてくれる。遺跡や美術に特別興味があるわけではないので、観光化した有名な遺跡に行っても大きな感動はあまり起きたりしなかったりする。実際にすごいところに行って感動もしたけど、少し物足りなかった世界の地もある。モロッコは決して物足りなさを感じさせない、脳に大いに刺激を与えるだけの色彩や明かりや違和感をもっている。イスラムの異文化、アフリカのベルベルの異文化によって作られた日本から見れば特殊な色彩と違和感。フェズの写真を見ていると日本の京都と中国の雰囲気を感じさせる小さな広場がメディナのなかにあります。エトロのペイズリーに似た模様が自然にあしらわれた壁や床や扉。人が作った町の建物や城郭の形や模様や大きさ、決して大きいということを言っているのではなく、大きいにしろ小さいにしろ違和感を感じさせる高さや広さに存在感があり過ぎて、そういった風景を提供している建物自身は作られたものではなく、作ったはずの人間と共存し自らその模様や色合いに成長した生き物のような気がします。

それともうひとつ、旅をする側、感じる側に受け入れる感性がなければ味わえない醍醐味があります。ローカルとのふれあい・吸収・接触です。出会いです。その土地の人とのつながりをどれだけ持てるかが、その旅を年月を経たあとも心に強く残すことができる、大きな鍵となります。モロッコでは、うまくふれあい・吸収・接触がもてました。うるさいガイド、喧騒のマラケシュのBARのイリアスやノラ、実は別のノラという女の子とその母親にもカフェで出会ったりもしています。絨毯屋のセールス、ホテルの受付、スペインのお金持ち奥様、お駄賃を上げた代わりに写真のシャッターをとってもらったフェズの3歳くらいの子供、これからフェズでもいろいろ紹介していく子供達。ただ出会いは偶然でもあるけれど、でっちゃん自身が、モロッコに惹かれ興味を持ち自然と吸収していくような心の態勢になっていたのではないかと、今の自分と照らし合わせて感じたりします。

さらにもうひとつ大切だと思うものは現地で行ういろいろな手続きです。ホテルを予約、交通手段を予約して行っても、感動は半減したりします。面倒くさい手続きそのものに、いろいろなイベントが生まれます。ふれあい・吸収・接触ができます。間違いや想定外のこともおこり予定通りに進まないことにもなります。しかしその時間は決して無駄なものではなく、自信にもつながったりするのが不思議なものです。バスと鉄道とホテルを思い存分、現地で手配したことが、出発前の不安と緊張との引き換えに、充実感や大きな感動となった原因です。