気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

 ●やっと一年終わりました。

2008-12-29 21:03:54 | weblog
ほんとたいへんだったなああ。この一年。
あと二日ありますが、今日でお仕事は御休みに入らせていただきました。
ほんとに疲れた。しんどかったなああ。ゆっくりしたいです。心底休みたいです。

帰省は大晦日ですが、元旦は家族で京都に行く予定です。かわいい姪っ子と両親と弟夫婦でのんびり過ごせたらと思います。両親と一緒にいるとほんとに心が休めます。せんだって帰省したときもそう思いました。一人暮らしが長いと帰省して家族との共同生活にイライラすることもありましたが、今は違います。お正月もぎりぎりいっぱい帰省することになっています。いろいろなことを忘れて気にせず、思い出しても気にしないでいられる、そんな環境は家族といるときです。ゆっくり甘えてこようと思っています。

 ●クリスマスの季節の本多劇場

2008-12-20 11:01:48 | weblog
最近、竹中直人さんのお芝居の広告か、記事かを見たので、さきほとインターネットでもクリックしてみた。行ってみたいかどうかのチェック。一度、竹中直人さんのお芝居を本多劇場に見に行ったことがあってすごく面白かったからです。そのときは出演がファンの木村佳乃さんだったことも理由の一つでした。

実は会社の女性を誘っていったのでした。僕は休みをとっていました。当日に女性を誘ったような気がしました。チケットは当日チケットが少しあり早くいけば買えると電話で確認したので行くことにしたのでした。もちろんチケットは会場のかなり前の時間に並んで待つことになっていました。お芝居が終わって二人で晩御飯も行きました。彼女は会社の人気女性でした。下北沢の居酒屋に二人、オフィスとは全然違うところで。僕も彼女のこと好きは好きでした。もし他に好きな人がいなければ。話もあうし、感覚もあうし。ただ僕にはすごく好きな人がいたからこちらの彼女に踏み込むことはできなかったのです。僕にとっては仲良しの女性というカテゴリーにせざるをえませんでした。クリスマスだったような気がします。


4年前か5年前でした。ブログには書いているかもしれないからあとで見直してみたいと思います。

 ●かきたてられる人

2008-12-20 10:22:31 | weblog
年末だというのに新商品が決まってしまい落ち着けない日々となっています。ほんと疲れるぜ、、、

さて全く見ず知らずの人で電車が同じになることがあったり、ふと通りかかるお店で見かけたり、などといったことでついつい覚えてしまう異性について考えてみます。田舎の中学校に行っていた僕は一時間に二本程度の電車だったのでそこで一度かわいい人がのっていると思ったあと、同じ時間の電車の同じ場所に乗っていたりするとすぐ好きになってしまっていました。そこまでならなくても、自分のタイプの女性というものはよく現れたような気がします。

しかし最近は、というか、東京は人が多すぎて、それに電車ということでいえば本数が多すぎて同じ人を見かけることが少ないです。そんななかで、その日に見かけるとラッキーと思ったり、正直「いい女だなああ」と本能をかきたててくれちゃう人がいます。会社の最寄駅から地下道を歩いて会社のあるビルまで歩く途中の別のビルに向かう女性で一人「うう、う」と男心というか男本能をかきたてらる人がいます。一か月に一度見かけるかどうか程度ですが、見かけると「うう」と僕はかきたてられます。

あそこのお店の店員さんのことが気になるとか、クリーニングやさんの店員さんが気になるとか、同じビルの他のフロアの会社の人でたまに見かける人とか。それにしてもこんなにたくさん人がいる東京なのに、そういうかきたてられる人と出会うことがすごく少ないのはなぜでしょうか?


女性の場合は、最初からかきたてられるということは少ないのかもしれません。お喋りしてコミュニケーションできて惹かれる、そしてかきたてられる、のでしょうか。このあたりは僕は男なのでわかりません。
男性の場合、僕の場合ですが、コミュニケーションして惹かれていくというパターンは少ないです。最初からかきたてられる人とコミュニケーションしたくなるような気がします。ただかきたてられたとしてもコミュニケーションして、これからもコミュニケーションし続けたいと思うかどうかは別です。コミュニケーションは合わない場合、かきたてられ続ける場合もあるし、かきたてられなくなる人もいます。


どんな人が好きと聞かれたとき、かきたてられる人なのか、かきたてられる人は置いておいてそんな人の中でどんな人が好きかって答えたらいいのだと、今、何の文脈もなく思いました。

 ●結婚式

2008-12-15 12:26:15 | weblog
ヤフーの路線で検索し、朝9時ごろの電車に乗って新横浜駅に向かいました。横浜市の地下鉄を活用して到着した新横浜駅。学生時代からとは様変わりのきれいな駅に変身していました。向かうは神戸のKitano Clubです。

新神戸駅に到着すると友達が一人待っていてくれていました。小学校の塾のときからの友達Oゴン君。てくてくと気持ちいのいいお天気のもと歩くこと10分。坂をあがるときれいな建物がありました。受付を済ませると中学時代からの友人がすでに何名か到着していました。すこし遅れて他の東京組も姿を現しました。

自分の結婚式のための勉強にもなると思い、チャペルでの結婚式に関して基本的な流れを頭にインプットしました。どんな花嫁さんが登場するのかとみんな興味津々です。同じ歳だとの情報しかなかったのですが、ウエディングドレスの新婦さんはとってもきれいでした。女性の好みにうるさい一人の友人が珍しく綺麗だとほめていました。

チャペルを出るとすぐにレストランへ。フランス料理が出てくる前にビールがつがれ、整ったところで、シャンパンにて乾杯。とても素敵でおいしいお料理でした。さて着席すると今日の中学時代からの顔ぶれは僕を含めて11人が招かれていました。建築確認会社のOゴン、銀行マンMチャン、官僚Oギルビー、公務員K、銀行マンHカズ君、開業医のK君、気象衛星公務員パチパチ君、重工産業設計Aっく、偉そうにしている電機Oト、焼き肉屋K。でした。中学・高校と同じ学校だったぼくたちは、結婚式のたびに顔を合わせ昔話に興じます。子供がそろそろ中学受験だという友達もいるなかで、独身は僕とAックだけです。今回結婚した新郎はかっこいいスポールマンなのですが、とにかく好みがうるさかったのでしょう。全く結婚の気配がなかったのに、突然の結婚でした。

きっかけは結婚相談所での紹介とのこと。こんな綺麗な人を紹介してもらえるとは驚きです。僕もまじめに結婚相談所かネット恋愛にチャレンジしてみようかと思います。

 ●ドア・ツゥ・ドア36時間の旅 3 フォルタレーザ到着

2008-12-07 22:06:07 | Door to door 36時間の旅
アトランタから約10時間、サンパウロにつきました。到着すると入国審査を終えて荷物をピックアップして税関へ、そして一旦ゲートの外に出て乗継航空のカウンターに向かってチェックイン手続きとなります。英語がほとんど通じないこの国で手振りでチェックイン。次の飛行機まではまたまた3時間ほどあったと思います。やはりはじめてのブラジルは緊張します。みんながみんな怖い人のように思えてしまいます。手持ち荷物をしっかり抱え、そして空港内の銀行にて両替をしました。手持ちのユーロをブラジルレアルに交換しました。

一息ついて再びdomestic flightのゲートに入って行きました。待っている間に小さな本屋さんで英・ポルトガル語辞典を購入。そして最初の目的地、フォルタレーザ(Fortaleza)へと向かう便を待つのでした。日本にて旅行会社に紹介してもらったこのブラジル北東部の町は人口300万人。ビーチリゾートというふれこみでした。空港に到着するとゲートを出ても僕の名前を持って待つ人はいません。送り迎えをお願いしていたものの誰もいないことに不安と緊張となりました。

ここで出番となったのが国際電話のできる携帯電話。サンパウロで早速自宅にメールと電話をして、ほんとにつながることを確認しておきましたが、フォルタレーザでも早速役にたちました。公衆電話をかけようとしましたが、掛け方がわからず、携帯電話のお出ましです。宿にはすぐつながりました。英語もかたことで通じました。タクシーですぐだから、空港内の案内書からタクシーを拾っておいでとのこと。しあkたなくタクシーで最初に宿に向かったのでした。全く不安とは裏腹で安心なタクシーでした。

 ●先生との関係

2008-12-06 14:08:38 | weblog
今週は自分的には忙しい週というか、変わった週でした。
仕事的にではないです。まずは月曜日、顔を忘れかけていた女性とのデート。一か月半以上前の合コンで知り合った女性とです。おしゃれなおでん屋さんにて3時間以上過ごしました。お酒好きな彼女とわかっていたので、最初のビールの次は焼酎吉六をボトルでお願いしました。そのほうが安上がりに決まっているからです。水割りで済むかと思うと、ソーダ割りにする彼女は何本もソーダ水もオーダーすることになりました。こちらはそれほどお酒強いわけでないので、そろそろお酒のペースが鈍っても彼女は一人がぶがぶ飲んでいます。千鳥足の彼女を駅まで連れてその日はお別れしました。彼女が千鳥足なので手をつないで駅まで引っ張って行きました。ぎゅっと握ることはしていないのですが、やはり手をつなぐのは嬉しいものです。

木曜日は会社を休み、夕方ジャズダンスのレッスンに行きました。実はダンスの先生のことが僕は好きなのです。でもまだ20代半ばだと思うし、世界が違うし、先生と生徒なのに、気を使われてしまうとギクシャクしてしまうので、そこが先生と生徒の難しいところなのです。一年以上前から知っているのですが、最近土曜日の他のクラスの代行を彼女が二回行ったときに久々にレッスン受けることができ、このたびメールのやり取りをできるようになっていました。思い切ってこの前お食事に誘わせてくださいとメールしたところ、木曜日のクラスのあと生徒さんと行くことがあるのでその機会ができれば行きましょうとのことでした。しかしステージのリハーサルが夜あるので年内のチャンスとしてはクラスのあとの夜のリハーサルがない18日のみです。飲みに行くことになれば連絡くれることになっており、でっちゃんは9時半から参戦することになっています。

やはり二人でお食事というのは難しいのでしょうか?

続いて、昨日の金曜日は、少し前の合コンの隣の席になった女性と晩御飯。月曜日の彼女も金曜日の彼女も洋服にはほとんど興味がないタイプです。でもデートに誘ってみたいなと合コンの時は思ったのでした。デートの予定なく一人酒は淋しく、そんな感じです。建築士の彼女のお話は少し新鮮でした。

そんな金曜日はお昼に、あの人とも偶然ばったり会えたりと、なにかと文章にはなる週でした。かといって、文章になったとしても、忙しいというわけではなくまた恋人がいない理由が見つかり恋人ができたわけでもなく、アラフォーからジャスフォーを目前にして人生に焦りと淋しさを感じる日々です。


ダンスのかわいい先生の話ですが、初めての生徒二人、毎週来ていると思われる二人、それとでっちゃんだけだったのですが、新人さんのためにストレッチのやり方を先生が紹介しました。僕は先生とペアになるように言われ、ストレッチで攻められる側だけを行いました。でもはっきり言ってドキっとする状況がありました。まずはあぐらではないですが、足の裏を合わせて座り、腰からどんどん折り曲げて前に倒れるストレッチ。先生が背中に乗っています。どうやらお腹を僕の背中に乗せているみたいです。胸はあたっていません。一生懸命、前に倒れようとしたのですが、先生の肌がうすいダンス着だけを隔てて僕の背中では感じられます。体を折り曲げが深くなるごとに先生のお腹の僕の背中への触れかたが動き、ぬくもりが伝わってきます。嬉しかったです。正直、少し、僕の大切な部分が緊張しかけ始めました。続いては開脚です。先生と迎え合わせになってギリギリまでたくさん足を開かされます。割とたくさん開くほうなのですが、ギリギリの状態からは先生も足を開いて、僕の両足を開かせたままあ固定させます。正面に向き合ったまま至近距離で、今度は先生が両腕で僕を抱え込むような体制になり僕のお尻のあたりに手をまわしてギュッと抱きしめるような体制です。すいません。ここで僕の大切な部分は危なくなりました。先生からはいい匂いもしてきます。女性はどうしていい匂いがするのでしょうか?石鹸なのか、香水なのか、肌の匂いなのか? 一生懸命、頭を無にすることで大切な部分をコントロールでき大きくなってしまうことはありませんでした。さらに開脚のまま体をねじり足の方向に前屈するエクササイズが次に行われました。先生は僕の片方の足にまたがるというか、先生の足で挟み込んで背中を教えてくれます。先生の足なのか太ももなのかよくわかりませんが、はさんでもらっている温もりを感じながらストレッチを行いました。こんなことがあったら男としてはさらに先生と仲良くなりたいと思うのが当然ではないでしょうか?

 ●中目黒の飲み屋

2008-12-04 20:47:27 | weblog
学生時代にアルバイトしていたお店が中目黒にあります。
中目黒に住んでいた6年ほど前までのかれこれ7年弱の間にも、学生時代ぶりに何回か行ったこともあります。そのとき生き残っていたことに感動したものでした。失われた90年代を生き抜いてきたのですからびっくりです。

最後に行ったときから再び時を経て最近行ってみました。大きく変わりつつある中目黒ですが、まだしっかりと地に足をつけて商売されていました。中目黒時代はそんなにお酒を飲まなかったからわかりませんが、今ではなぜこのお店がはやっているかよくわかります。バブルの時代ほどのはやり方はしていませんが、きちんとお客さんがついています。内側を囲むカウンターだけのお店の串揚げ屋さん。落ち着くのです。そしてお酒が安いのです。お酒が好きな人なら毎日いける店なのです。料理も串揚げだと一本づつ頼めます。以前は二本からでしたが。自分の好きなだけ少しづつ、お酒を飲みながらいただけるのです。18年前のお客さんも今回もいらっしゃいました。「串八」という線路沿い、祐天寺側に1分歩いたところにあります。

しきるママの経営者としての手腕は見事だと思います。昭和58年からやってるとのことでした。