気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

●心の漂流とかゆいかゆい

2005-05-31 22:48:21 | weblog
●インディペンデント/実存主義で書こうとしてましたが、タイトルが重過ぎますので素直にかけるタイトルに変えてみます。
皮膚科の先生に通っているのですが、きのうも夜かゆいかゆい状態になりました。薬ものまずに様子見してみるということだったのですが、昨日は薬を飲んで寝ました。ゴールデンウイークに先生に診断してもらいました。

「最近変わったことない?悩んでることない?あるいは人事異動があったり、会社で人が入れ替わったり、そういったことでもいいけど、何か悩んだりしてることはないかなあ~」
心の中で『えっ、何の話だろう?』とつぶやいたあと、「えっ、一応心当たりあります。、、、」

でっちゃんは二月、あることですごく怒り、悲しみ、どうしようもない気持ちになったことがありました。心は、おおしけで嵐のなかを漂流するかのうような状態になり、どこまでさまようのかといった状況になりました。今でも漂流はしていますが、人生思うようにはいかないとまたこういうことも人生の試練、他の人からすれば全然たいしたことでもないし、心の経験なんだと言い聞かせてすごしています。でも腹立ちます。と、こんなことを少し内容を明確にして先生に話しました。先生は、それでろ聞き入ってくれました。75歳くらいの老人先生は若干頼りないところもあるし、けれどこんな心のカウンセリングもしれくれてうれしくもあり、いっきにでっちゃんは心を許してしまいました。まあ、心のストレスが原因でかゆかゆいアレルギーが発生することがあるそうです。

●引き抜き屋さん

2005-05-30 22:41:24 | weblog
今日は引き抜き屋さんとお茶をしました。知らない人との待ち合わせは少し緊張するものです。今回も数日前、突然電話をもらって、数日後折り返し、お茶しましょ~ってことになりました。電話のかんじからすると、経験の少ない人があたれば八卦で電話してきたんだろうな?という感じでした。前もって情報交換だけでという前置きのもと、いざ待ち合わせ場所にたどり着きました。時間ですがどの人かわかりません。もしかしたら美人がくるかもしれないと少し心は小躍りしていました。

電話をよこした人はジュニアっぽい女性で、もう一人シニアらしき女性も参加した2対1のお話となりました。第一印象、嫌な奴だ、失礼な奴だ、こいつらと喋る気しないな。12年前を思い出しました。でっちゃんが就職した会社を辞めて、再就職先を探していたときに訪問した紹介屋さん。めちゃくちゃ嫌な女性が担当で、頭ごなしに馬鹿にされたことがありました。どうせ今ごろそんな人たちも定住せずいろいろ仕事変わってるんじゃないの、と自信を持って言いたい。本日、一方的にああだこうだと話してくる彼女はアメリカンスタイルの横柄な態度で、ときにここぞとばかりおとなしくしていたでっちゃんも急スピード口調で質問やらこの場の設定背景を明確にして応対。いろいろ他の会社の話も教えてもらいながら小一時間でした。

これは彼女達の戦法なのかとも考えながら、いろいろなインタビュアーがいるもんだと思いました。

●不思議ないとこのコレクション

2005-05-29 22:09:57 | weblog
前回の重苦しいタイトルは置いといて、、、今日はいとこの結婚でお食事会があったのでいなかに帰ってきました。お食事したところはでっちゃんの中学と高校も近くにある田んぼだらけの田舎です。のんびりしながら当時と町並みを比較して想像していました。正直、変わりましたが、それほど変わったはけではなく田舎のままです。今日の主役の従弟は不思議なタイプです。ポンコツのオートバイを30台ほど、ポンコツの車を9台ほど持っていたり、スパゲティを作るのが得意だったり、園芸の趣味もあったり、最近はお漬物をつけることにはまっているようで、彼のブログにはお漬物のなすびがでています。
どうしてポンコツのオートバイをそんなに持っているのかという質問に、うまく答えられないようでしたが、でっちゃんが「こういうことなんじゃない?」と言って代わりに言葉に表してあげました。

「捨てられてる犬とか猫がいて、かいくてかわいそうでついつい家に持ち帰って育ててしまう気持ちじゃない。。。」
「まあ、そんなもんやな。」

ということです。田舎なので置き場所は適当に宝物を隠しているようにどこかに保管してるみたいです。

●インディペンデント / 実存主義

2005-05-25 23:58:23 | weblog
最近、皮膚科にかかっています。2月頃から全身かゆくてたまらない日が続いていました。頭から背中から胸から足まで。もっぱら夜にかゆくなります。花粉症の薬を飲んでいたのですが、数年前に処方してもらって残っていた薬だったので期限切れとなっていたかもしれません。そんな薬が体にあっていなかったのかなとも思ったりしていました。あるいは季節の変わり目なので体調に変調をきたし一時的なものなのかな~とかんがえたりもしていました。でもひどくかゆいのでゆっくり休んでいたゴールデンウイーク中の金曜日に近所の先生に見てもらったのです。

一応、体全身を見てもらいましたが、とくに発疹はでていないし、変だねぇ~ というのが先生の反応でした。あたかも僕の言ってることが大げさであるかのように、信じいないような反応を先生はするのです。アレルギー体質かどうか、簡単にチェックしてもらいました。生まれてこれまでそんなことは言われたこともありませんでしたが、季節の変わり目はかゆくなることがありました。それと18のとき高校を卒業して大学入学で上京してきたときに、新築のちっちゃなワンルームマンションで生活を始めたときに蕁麻疹らしきもので半年くらい悩まされたことはありました。いわるゆるシックハウス症候群だったんじゃないかなと数年前からそう思っていました。話はとびましたが、少しアレルギー体質みたいだねというのが結論でしたが、引き続き、先生は不思議がるのでした。

診療ベッドに横になっているでっちゃんにふと先生は話し掛け始めました、、、「最近、、」 (続)

●マグレブの国への旅(終)/⑯

2005-05-23 23:38:00 | マグレブの国への旅
アトラス山脈を越えてマラケシュ、ワルザザート、エルラシディア、フェズ、メクネス経由で戻ったカサブランカは、もう初めて来たカサブランカとは違っていた。都会のこの町はじゅうぶんアラブとアフリカの文化の刺激を与えてくれる町ではあるに違いないが、あまりにもサハラへと通ずる内陸の、色彩、臭い、喧騒、違和感が強すぎたために、色あせてしまいまいした。最後の日にはオイスターレストランで食事をしました。オイスターバーとかオイスターレストランは、最近日本でもたくさんありますが、当時はまだでっちゃんは行ったことがなかったので新鮮でした。偶然、日本の年配の女性と外国人の人が食事していました。

空港へ向かう道路は、来たときと同じように神秘的な、電灯が太い大きな路をてらしていました。白い落ち着きのあるどっしりとした重厚な建物が道路沿いにたっていました。いつかまた行ってみたい国、感じてみたい、触れてみたい、話してみたい、見てみたい、臭ってみたい、近づきたい、味わいたい、さらされたい、惑わされてみたい、、、そんな違和感、肌触り、色彩、臭い、形、模様、自然、そして人々。でっちゃんにはそう感じる国でした。そう感じさせた旅でした。そう感じることができる旅を自分ですることができました。。。。

●マラケシュ心中 (中山可穂 著)

2005-05-22 22:36:42 | マグレブの国への旅
今日、品川のプリンスシネマで映画を見てきました。「クローサー」ジュリア・ロバーツ、ナタリー・ポートマン、、、四人が織り成す恋愛模様。ところどころ心が引き裂かれる思いのする別れの場面がありますが、わざわざ言わなくてもいいのにと、別れ話を切り出す側が他の男、女と寝たことをはっきり打ち明かすといった場面。身勝手な理由なのに切り出されたほうは思い切りかっこ悪くなって泣いてつらくて相手に罵声も浴びせる。心が引き裂かれる瞬間でした。自分が見ていない場面を想像してしまい、正直に告白して欲しいと相手に願いながら、事実を知れば複雑な思いにとらわれ、事実を知らなければ相手に問いただす。本当のことかどうかわからないこととを告白されて安心したときは、相手の気持ちが終わった瞬間だった。、、、、

写真の展覧会で、被写体が泣いてる写真を見ているナタリーにJロバーツの彼が、この展覧会をどう思うかと質問するのですが、ナタリーの言葉はすごく印象的でした。「悲しいものは悲しい。つらいものはつらい。けれど人間はそれを美しいと思いたいんだ」のようなことを言っていました。うまく説明できません。今日はなまけもののでっちゃんです。ごめんなさい。本当は説明したいのだけれど、あるいは言い表せないことを必死に伝えそのまま表現したいのですが、眠いので面倒くさくなっています。

さて15:30の回待ちのあいだ本屋さんをウロウロしていたところ一冊の本が目にとまりました。「マラケシュ心中」作者は中山可穂さんという人。これまで知らなかった人なのですが、この題名を見て気にならないわけがないです。でっちゃんとしては。立ち読みをさらさらしただけで内容は把握する時間はありませんでした。でもスペインのアルへシラス、モロッコのタンジェ、フェズ、エルフード、エルラシディア、マラケシュといった地名がでてきました。マグレブの国をでっちゃんの文章から想像されている方に、別の人の記したマグレブの国も堪能してもらえば人による感じ方の違いとこの国の魅力いや逆に魅力を感じきるまでの迷路に通ずる可能性も楽しんでもらえると思います。それからテレビのコマーシャルとかで映画「サハラ」が紹介されていたりするけど、まさしくマグレブの国の厳しく人を容易には近づけさせてないけれど、決していけないわけではないところで、大きな魅力の一つです。

●マグレブの国への旅⑮/温泉とエステ

2005-05-21 22:39:23 | マグレブの国への旅
フェズ近郊に豪華なエステ・温泉の施設があります。その名はテルム・ド・ムーレイ・ヤコブ(Thermes de moulay yacoub)。モロッコの王様も愛用しているとかとのことでした。お値段は320ディルハム(4000円弱)ですが、モロッコの物価なのでそこそこのものですし、結構近代的な施設でした。ホテルのパレ・ジャメイからタクシーで。ホテルのコンシェルジュに確認したところ現地で2時間待機してタクシー代金は300ディルハム(3600円)とのことだった。銀行に寄ってお金を両替してタクシーに乗り込んだ。すごく感じのいい親切な運転手さんで、約束どおり、2時間ほど待っていてもらうことになりました。エステ・温泉のこの施設の受付ではいろいろなコースが用意されていた。よくわからないので、エステも体験してみることにして、温水プール、サウナ、マッサージのコースで320ディルハムにした。水着にバスローブに着替える。女の人が案内してくれてサウナ、温水プールをゆっくり楽しんで、とりはマッサージ。至福の心地よさと日記には書いてあるが、全く覚えていません。でも寝てしまいそうになって、終了したときに、「えっもうおしまいなの?」と残念がったような気もします。

モロッコの厳しさが待っていました。。。!!いよいよホテルへ帰るのですが、タクシーの運転手さんはまたしても嘘つき野郎になってくれちゃいました。もう3時間もたってるから400ディルハムだと料金を引き上げようとする。無茶苦茶むかついた。ちょっと言い合いになったけど、帰るすべなないので、350ディルハムということで送らせた。

翌日、フェズをあとにしました。日記は何も記していません。鉄道の旅でカサブランカまで6時間ほどでした。途中メクネス(町の名前)ですごい今風のいけてる女の子達を発見して驚きました。イスラムの国なのにローライズっぽいジーンズにミニシャツでビビびっくりでした。カサブランカからマラケシュまでの鉄道ではいきなりガイド君が近づいてきていろいろ交渉しようとしてきましたが。帰りは特段面倒くさいことはなかったかな。到着したカサブランカの町は入国初日の驚きはありません。もちろんエキゾチックですが、モロッコを放浪してきたでっちゃんにとってはカサブランカは都会なので刺激は小さくなっていました。

●マグレブの国への旅⑭/サファリン広場

2005-05-17 23:47:46 | マグレブの国への旅
21JUNE 1999, Monday 昼までホテルにてお休み。そしてお店の閉まっているメディナをうろつく。13:00~16:00は昼休みでお店は閉店らしい。きれいで感じのよい店でお昼ご飯。歩いても歩いても、たどりつけないパレ・ジャメイ。同じところをくるくると回ってしまい、なかなかホテルにもどれない。これぞ大迷路のフェズのメディナである。FIGAROJaponに載っていたフェズの街角のサファリン広場にさしかかったが、まさしく掲載されている写真そのままだった。オリエンタルな中国的な雰囲気もかもし出している小さな広場。とりあえず迷って不安な散策中に唯一安心できる場所だった。困ったので、おとなしそうな少年にホテルまで案内してもらった。3、4時間は歩いたようで、最後にホテルまで案内してくれた少年にはチップ10ディルハムあげた。これってもしかするとあげすぎなのかもしれないけどよくわからなかったので、、、ホテルではプールで一泳ぎして、プールサイドでユングを読んで、夕方6:30頃まで一服してからいざ出陣。

前日、ベリーダンスが見られるアル・ファシディアというレストランに行ったのだが、そのときに近づいてきたモロッコの人と出会い頼みもしないのにいろいろ案内しようとする。彼はガイドではないというが、やってることは非公認ガイド。自分の知り合いのお店につれていってはでっちゃんに何かを買わせ、マージンをもらうのが彼の商売。欲しかった手提げ籠カバンをスークで探す。彼、名前はモハちゃんというようなのだが、この際と思って3、4件案内させた。60ディルハム(720円)の籠を値切って50ディルハム(600円)で購入。

続いて絨毯屋さんに案内させた。モハちゃんの知り合いのベルベル絨毯屋さんに案内された。モロッコの絨毯は大きく二種類あります。一つはベルベル絨毯で生地は粗いもの。もうひとつはアラブ絨毯でこちらのほうが高級です。いい感じの絨毯があったけどアラブ絨毯を買いたかったので違う店に改めて案内してもらった。絨毯屋さんもフェズではマラケシュほどはアグレッシブではありません。ゆっくりゆっくりと絨毯を広げていきます。申し訳ないなと思いながら、店を出て政府公認のアラブ絨毯屋さんへ。入口は小さいけれど中に入ると大きな倉庫になっている。城壁の中の簡単に見過ごしてしまいそうなところにある絨毯屋さん。店員さんはやり必死になってとにかく買わせようとする。そうは問屋が卸さないとばかりになかなかウンとは言わないでっちゃん。優柔不断にありがいいな、でもこっちのほうがいいな、あれはちょっと高すぎるな、どうしよう・・・・ 最終的には4300ディルハム(5万円ちょっと)の絨毯を買いました。現金は持っていないので、ここではクレジットカードで会計しました。一部70ドルを現金で支払いました。日本までは船便で送ってもらう手続きをしたのですが、正直本当に到着するのか半信半疑で、まあそのときはそのとき、この旅先での絨毯購入の交渉というのが醍醐味とばかりに、だまされたとしてもまいいやと取引を終えたのでした。絨毯が日本に到着するのは約1ヶ月かかるとのことでした。

無事、でっちゃんの実家にしばらくして到着しましたが、船賃は着払いでした。

●マグレブの国への旅⑬/ファッションatフェズ

2005-05-15 22:52:37 | マグレブの国への旅
写真を見る限りフェズでのでっちゃんの写真はバックパッカー派のファッションではありません。そもそもバックパックでの旅は2004年のペルーが初めてだったのですが、パッケージツアー自体はほとんどしたことはありません。

1999年6月20日から22日にかけての写真を見てみるとこんなファッションでした、でっちゃんは。。。ホテルの一階ラウンジバーでチェックインを待っている間にとったものは、青山骨董通りにあった今はなきセレクトショップのアドバンスド・チキュー(advanced chique)で買ったMeditareniaの千鳥格子のパンツに、JPトッズのドライイングショーズ、アニエスベーの古い白のTシャツ、あるいはその上に羽織った白のCANALIの半袖シャツの姿。優雅に決めています。渋谷パルコの白山眼鏡で買った黄色の眼鏡。この眼鏡はすごく気に入っていたのですが、メキシコのオアハカ州の人知れないビーチで波にさらわれてしまい今は手元にありません。顔にはひげが生え出しています。でっちゃんは旅のときはひげをそりません。厳密に言うとあごと鼻の下に残して、適当に手入れはします。たとえばアメリカなどはひげをそる文化なので、伸ばしっぱなしの場合は変な人といった印象を与えてしまうので、伸ばしながらも適度に手入れしているという雰囲気にしています。ラウンジバーは落ち着いた雰囲気で、カウンターには花が飾られています。壁には絵が飾られています。天井は比較的低いです。ソファに腰かけた写真もありますが、おそらく新市街のホテルをでるときに取った写真なのだと思いますが、エンジ色のソファで少し模様が入っています。落ち着いた決して安物といったものではないです。ここではTシャツとパンツ姿、五つ星ホテルのパレ・ジャメイラウンジバーでは半袖シャツを羽織っています。

6月22日の写真は白のアニエスベーのシャツに高田KENZOのアバンギャルドなワイルドなパンツ姿、靴はニューバランスのスニーカー、マラケシュで買った籠カバンを手にもった姿です。おそらくアニエスベーの白のシャツは二日続けてきていたんだと思います。暑いけど乾燥しているので、気にならなかったのだと思います。でっちゃんはあまりこういうの気にしません。神経質なところもかなりあるとは思いますが、トイレが汚い国への旅も克服してきました。このKENZOのパンツはやや短い丈でベルトではなく紐で結ぶようになっています。デザインは木の皮をはがしたような紺やこげ茶の染物のような縦じまが、きなりの白地に入っています。ホテルのどこかでとっています。23日の写真は、またしても骨董通りのセレクトショップのアドバンスド・チキューで買った北欧のデザイナーのフサイン・チャラヤン(Husswin chalayan)の黄色地に霧吹きで描いたようなぼやけた竹のような模様が茶色で入ったTシャツに黒のボクサートランクス姿で、ベランダでワイルドに決めています。ちょっとセクシーなフェロモン漂わせていると自分では思います。もどって21日にパレ・ジャメイの部屋でとった写真は、学生時代に神戸元町のエミスフェール(今は青山のベルコモンズから北上したところで細々とお店を構えています)で買ったグレーのTシャツとKENZOのパンツ姿で、部屋の押し入れの前で決めたショットとなっています。ちなみにマラケシュで現地人の遊び人のイリアスと一緒にとった写真でのでっちゃんは、弟にもらった足を切って短パンにしたジーンズと海島綿の紺のポロシャツ姿でした。

このように写真をとっていますが、実は旅先で写真をとるのは結構苦労する作業なのです。恋人と旅しているわけではありません。友達と旅しているわけではありません。パッケージツアーで旅して一緒に回っている人が居るわけでもありません。一人なので、オートシャッターでとるか、、チップを渡して人にお願いするかなのです。チップは必要なのかどうか分からないのですが、あげることが多かったです。そんなときに微妙に迷ったり、遠慮したり、ずーずーしくしたり、それが経験として異文化の人との接し方の訓練ともなっていき、その次の段階でさらに進んだコミュニケーションに踏み込めるわけです。ところで、恋人とメキシコを旅した英語の先生のサラというオーストラリア人を思い出しました。すごくきれいでスタイルもグンバツだけどもともとは田舎ものといったいい人でした。彼女がメキシコを恋人と旅した話は僕が2002年にメキシコを旅する決心をした後押しとなりましたが、恋人とそんな旅をすると一生思い出に残り、別れることはできないだろうし、別れても一生その恋人は彼女の人生からは、記憶からは、離れないだろうなとつくづく感じたものでした。

●マグレブの国への旅⑫/パレ・ジャメイ(Hotel Palais Jamai)

2005-05-14 02:00:56 | マグレブの国への旅
ところどころ折り曲げられたり、ボールペンで記しがついていたり、紙の色が変色していたり、手垢がついていたり、地球の歩き方モロッコ1999~2000版は、小学校時代いや中学でも、高校のときでも三学期を迎えた教科書のようになっています。フェズという町はモロッコにとってかかせないところです。喧騒のマラケシュに対して、落ち着きのあるフェズ。フェズの旧市街(メディナ)は二つあるのですが、その一つ大きなほうはフェズ・エル・バリ(FEZ EL BALI)と呼ばれています。FIGAROJaponでは"永遠に出られぬラビリンス・巨大迷路"と称されていますが、ほんとに巨大迷路な町です。

どうしても泊まりたかった五つ星ホテル、あこがれのパレ・ジャメイ。モロッコ三大ホテルの一つで19世紀に建てられた建物を1930年代にホテルにしたそうです。小高い丘の上にあるパレ・ジャメイには新市街で一泊したホテルの前からタクシーで到着。晴れた日の正午頃で、意外と静かな感じの入口でした。シティホテルのように多くの人が出入りしているわけでもなく、人影はまばら、予約せずにいきなりフロントに、部屋をお願いしました。今考えると格式高いホテルでしたが、予約も何もせずに来る人は珍しいのではなかったかと思います。受付もやや時間がかかり、係りの人もあまり急いでくれません。一番安い部屋をお願いしたのですが、時間が時間だったのでお掃除の時間でもありすぐに空いている部屋ということで、案内された部屋はメディナが見下ろせる側ではありませんでした。広さはほどほどだけれど、一階の入口が近くにある部屋で情緒のない部屋でした。せっかくきたんだから安い部屋ではなくいい部屋にとまろうと、フロントに電話してみました。一階から上がってきてくれた人に次に紹介された部屋にも満足せず、その次に案内された部屋でようやくOKしました。宿泊代はどんどん上がっていきSingleでは一番高い部屋となりました。これは最初から想定されていた手続きなのだろうかとも思いました。でもここからならメディナの夜景が見れると、すごく夕暮れが待ち遠しく感じました。

数日前に、アメリカのクリントン大統領の奥さん、ヒラリーさんが訪問してたとホテルの人が言っていました。FIGAROJaponに紹介されているパレ・ジャメイの部屋の写真はほんとすくきれいです。サルトルの恋人ボーボワールも愛したそうです。木の天井、壁はきなりの白で木の素材がポイントとなっている窓の上側のカーテンをかける部分、ダブルベッドの頭側のデザイン、部屋の明かりは上品でこぶりな電球。ベッドにしかれたシーツカバーは茶系でエトロっぽいデザインで、シックな薄緑の小さ目の枕が三つ並べられている。床に敷かれたカーペットとのコントラスト、絨毯の色合いは落ち着いた高級骨董品的な雰囲気がかもし出されていました。