批判できる?
こんにちは。
デンマンです。
あなたは批判ができますか?
日本では“批判する”と言う事を“悪口を言う”ことだと誤解している人が実に多いですよね。
あなたはどうですか?
日本では、批判する事が良い事とは受け止められていません。
あなただってそう思うでしょう?
仲良くやりましょう。
これが日本での建前ですよ。
でも、会社の帰りに赤提灯にでも入れば、課長や部長の悪口をしゃべって憂さ晴らしをする。
これが本音ですよね。
うへへへへ。。。
あなただって思い当たる事があるでしょう?
とにかく日本では“仲良くしましょう”と言うのが建前です。
でもね、欧米ではこのように建前と本音がはっきりしていません。
だから、日本の“赤提灯”のようなストレス解消の場所は必要がないのですよ。
なぜ?
なぜなら、本音で生きている人が日本に比べれば圧倒的に多い。
ここ、カナダでもそうです。
僕のこれまでの経験でも、日本のように本音と建前を使い分けて生きている人にお目にかかるのは極めて稀です。
“批判のないところに進歩なし!”
欧米人ならば当然のことと考えている人が圧倒的に多いですよ。
しかし、“批判する”ことを“悪口を言う”ことだと誤解している人が多い日本では批判できる人は珍しい。
また、そうできる人は仲間はずれにされるか、付き合いにくいと思われて敬遠される。
でしょう?
あなただって思い当たる事があるでしょう?
あなたにだって、僕の話している事が分かると思うのですよ。
おととい(5月20日)書いた記事(『自分発見!』)の中で僕はラベンさんの次のコメントを紹介しました。
初めまして。
"自我"ですが、自分の考えをしっかりと持っていれば、
"自我"は自然と身に付くものと私は考えております。
ただ、昔からの出る杭を打つ風潮と、他者との協調性のみを促す教育が、
却って自分の考えを持たない者を生み出し、
自分の考えを以って自己主張の出来る者を蔑む社会を
形成しているものと考えられます。
然し…、記事の数が凄いですね。
1日平均4個のエントリーですか。
私には到底真似出来るものでは無いですね…。
Posted by Rabenschwarz
at 2007/05/19(土) 16:56
『漱石と虞美人草 (PART 3 OF 4)』のコメント欄より
なぜ日本では批判する事が当たり前のように考えられていないのか?
ラベンさんが指摘しているように
昔からの出る杭を打つ風潮と、他者との協調性のみを促す教育が、
却って自分の考えを持たない者を生み出し、
自分の考えを以って自己主張の出来る者を蔑む
まさに日本にはこのような風潮があります。
僕も身をもって経験した事が何度もあります。
■ あなたの考えは間違っていますよ。
■ あなたの見方は正しくありません。
■ あなたの言ったことには賛成できません。
このようなことは日本では相手に向かってなかなか言えませんよね。
上司に向かっては、なおさら言えないでしょう。
でも、僕は海外では何度となく言いましたね。
一度などは支店長(きれいな金髪のカナダ人女性でした)と意見の対立をして午後9時から午前3時までオフィスで討論(論争)し続けたことがありましたよ。
もちろん酒は一滴も飲みませんでした。(僕は完全な下戸です!)
後で彼女のボーイフレンドから苦情を言われましたよ。
“いくら仕事熱心でも、午前3時まで女性を引き止めて討論するのは考え物だぜ”
僕は引き止めた訳じゃないんですよ。
支店長も僕の熱心さに打たれて、もう時間だから帰るわ、と言い出せなかったのだと思います。
もちろん僕だって夢中で議論していたから時間の観念なんてすっとんでいましたよ。
でも、クビにはなりませんでしたよ。
その覚悟でまくし立てましたが。。。
とにかく、6時間英語で議論する程度には英語がしゃべれます。
大学で教えた事もあります。
でも、僕は英語が堪能だとは思っていません。
“日本男児の心意気”で喋り捲(まく)るだけですよ!うへへへへ。。。
ちょっと脇道へそれました。
とにかく本音で批判できない日本人はストレスがたまるだろうと僕は思いますよ。
だから自殺も先進国の中では一番ですよね。
1日に約百人が自殺しています。
ガンもストレスの影響があると医学的にも認められていますよね。
だから日本人には胃ガンが多いのでしょうね。
つまり批判すると言う事は健康にとっても良い事なんですよ。
批判する事によって社会的にも良くなってゆく。
日本ではダメな政治家がまともな批判をしないから、いつまで経っても日本の政治が良くならない。
しかも、批判精神がないから、年金をごまかした政治家をまともに国民が批判しない。
“仲良くやりましょう”といって許してしまう!
それで、未だに年金をごまかした政治家が国会議事堂の中をうろついている!
アメリカを見てください!
大統領といえども悪いことをすればニクソン大統領のように辞めさせられてしまう。
辞めさせられる前に、結局ウォーターゲート事件の責任を取って自分から辞めましたが。。。
現在のカリフォルニア州知事のアニーちゃんの前の知事は、州民にとって良からぬ事をやったというのでリコールによって辞めさせられてしまった。
つまり、州民の投票によって辞めさせられてしまった。
空席になった知事のイスを、今度は選挙によってアーニーちゃんが獲得したという訳ですよ。
“批判のないところに進歩なし!”
どうですか?
僕の言う事は間違っていると思いますか?
ところで批判の基本は何だと思いますか?
“敵を知り己を知れば百戦危うからず”
『孫子の兵法』の中のこの格言だと僕は信じています。
つまり、批判する時には相手が書いたことをじっくりと読む必要がありますよね。
さらに、その書いた相手の事も充分に知る必要がある。
しかし、それだけでは足りない。
自分のことを知らなければならない。
泳ぎができないのに川の中に飛び込む者はまず居ませんよね。
もし、そのような者が居たら、そいつは間違いなく馬鹿ですよ。
なぜなら、
“馬鹿は死ななきゃ治らない!”
泳ぎもできないのに川に飛ぶ込んだら死んでしまいますよ!
ところが、批判と言う事になると、このような愚か者を良く見かけますよね。
後で述べる“えっけん君”がこの良い例ですよ。うへへへへ。。。
自分が泳ぎもできないのに川の中に飛び込んでくる。
本物の川の中なら溺れ死んでしまうのですよ!
真剣勝負をする技量がないのに、刀を持って立ち向かってくる。
切られて死んでしまうのはえっけん君なんですよ。うしししし。。。
えっけん君のことはまた後で。。。
ところで、先ほど紹介したラベンさんですが、上のコメントはまともなコメントです。
まさにポイントを得ていますよ。
僕も読んで納得できました。同感です。
しかし、この後で紹介する投稿をラベンさんが書いた事によって馬脚を現してしまったのですよ。
つまりラベンさんは“批判の基本”を守っていないんです。
僕には直感がありました。
この直感が往々にして良く当たるのですよ。
僕は次のように書きました。
ラベンさんのようにURLをしっかりと書いて意味のあるコメントを書いてくれる人が極めて少ないということです。
一ヶ月に一つもらうか二つもらうか?
その程度なんですよ。うしししし。。。
なぜ?
もちろん僕はその理由を良く理解しています。
ラベンさんは、おそらく僕の他の記事をたくさん読んでいないのだと思います。
だから、思い付くままに、つい書きたくなってコメントを書いたようです。
当然の事ですが、僕はラベンさんのコメントをもらって、ありがたいことだと思いながら読んでいます。
僕は必ずといって良いほど返信を書きます。
しかも、このようにしてブログの記事で取り上げます。
だから、中には“自分”を晒される事を極度に嫌う人が居ます。
そういう人は僕にはコメントを絶対書きません。
過去に“よしださん”という人が居ました。
2児の父親でしたが、僕と投稿のやり取りをして形勢が悪くなると
自主退会して、僕の掲示板に書いたすべての投稿を削除してシンガポールへ逃げてしまいました。
この“よしださん”との面白い投稿のやり取りは次のリンクをクリックして読んでみてください。
■ 『すみれさんに対する、即時の謝罪を求めます。 2005年 4月 14日』
『自分発見! 2007-05-20』より
つまり、ラベンさんがじっくりと相手の文章を読んでいない人だと言う直感があったのですよ。
要するに、僕の他の記事を読んでいないのです。
僕を知ろうと思うのであれば、僕が書いた多くの記事がありますから、その記事を読んでいれば次のようなトンチンカンな投稿を書かないものです。
"引用"は、毒にも薬にもなる
要は、引用を自分の考えを伝える主役とするのではなく、飽くまでも自分の言葉を補う脇役的存在としなければならないのである。引用が多い文は見た目はまともに見えるが、所詮は他者の考えの一部を丸呑みして消化不良を起こしている状態なので、実際に何を考えているかを判別するのは非常に難しいものがある。引用元をしっかり咀嚼していれば、自ずと自分の言葉の方が多くなるし、引用する文は僅かで済む。これゆえ、丸呑みした文と咀嚼された文の見分けは簡単につく。
ぶっちゃけると、「他人の引用はもう聞き飽きた。君自身の考えを、自分の言葉で示してくれ。」と言う事である。
by Rabenschwarz
『"引用"は、毒にも薬にもなる ─咀嚼 or 丸呑み─』より
ラベンさんは、この記事を自分のブログに書いてから僕の記事にトラバクを飛ばしてくれたのです。
明らかに、僕の“引用”について“批判”しようとしているのです。
ラベンさんの言おうとしている事はもっともな事なんですよ。
もちろん僕も同感するところです。
しかし、ラベンさんは僕の他の記事を読んでいないから僕が他人の文章を引用していると誤解してしまった。
僕は長い記事を引用していますが、それは僕自身が書いた記事なんですよ。
つまり、自分の記事を引用しながら、あくまでも僕は自分の考えを自分の言葉で表現している!
もし、ラベンさんが僕の他の記事を読んでいたら、僕が自分の記事をしばしば引用する人だと言うことが理解できているのです。
でも、僕の他の記事を読んでない!
しかも、文中の引用先のオリジナルの記事も読んでない。
僕が引用した記事のリンクをたどって読んでいれば、その記事を書いたのが僕だということも分かるのです。
ところが、ラベンさんはチェックしていない。
ラベンさんが著者のことを良く理解せずにコメントを書く人だという事は
冒頭に引用したラベンさんのコメントからでも良く分かる事なのです。
然し…、記事の数が凄いですね。
1日平均4個のエントリーですか。
僕のことを良く知っている人であれば、僕が1日に記事を2つづつ他のブログに書いていることを知っています。
AREKAOのブログは、僕が比較的最近書き始めたブログです。
ライブドア、SO-NET、WABLOG、フルーツブログ、FC2、はてなダイアリー。。。
このようなところで僕は書き始めたのですよ。
上のブログには事実上語数制限がないから、僕の長い記事も1ページで収まる。
AREKAOでは、1ページの記事を3部か4部に分けなければならない。
だから手間がかかるのですよ。
使い勝手が悪いからやめたいのです。
でも、AREKAOで僕の記事を読んでくれる人が多いので今でも書き続けているのです。
ラベンさんはこの事も知らない。
だから、“1日平均4個のエントリーですか”と驚いている。
つまり、ラベンさんはじっくりと相手を見極めないで衝動的に物事を判断する傾向がある。
思い込みが激しい人で、その時の気分しだいで書いてしまうような迂闊なところがある。
このような事を上のラベンさんの2つの文章から推測する事ができるのですよ。
つまり、僕の考えでは“批判の基礎”をしっかりと守っていない。
“敵を知り己を知れば百戦危うからず”
だからまったく批判になっていない。
なぜなら、その根拠が誤解に基づいてるからです。
僕の引用を批判しているのであれば“トンチンカンな投稿”と言ったのはそのためです。
では、次に泳ぎも知らないのに川に飛び込むのはどういう男なのか?
その代表的な人物として“えっけん君”という興味深い人物を紹介します。
(もう知っている人もかなり居るでしょうが。。。爆笑)