成りすまし馬鹿の源流(PART 1 OF 4)
Subj:じゃあ、今夜はこれまで...
ジェームズ・ヘリオットさんの本を読みながら
眠ります。。。 \(*^_^*)/ キャハハハ。。。
Date: 10/08/2009 2:28:02 AM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月10日 月曜日 午後6時28分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com
あのね 霧積(きりづみ)温泉には
デンマンさんが教えてくれた
あの防人の歌の碑は 無いの。
そうですよう。。。そうですよう。。。
霧積温泉という名前を聞いたのも初めてだったけれど、
防人の歌碑が霧積温泉にあるのならば、
僕はこれまでに調べたときに、霧積温泉に出くわしているはずだものね。
だから、不思議に思っていたところです。
碓氷峠の見晴らし台に
「日の暮に うすひの山をこゆる日は
せなのが袖もさやにふらしつ」
があって、
うん、うん、うん。。。。
そうですよう。それは、よく知っています。
そこから 霧積温泉まで 山道で中山道が
今も登山コースになっているの。
あの碑から 昔の人のように3時間下って歩いて
霧積温泉につくの。
3時間も歩くのは大変だね?
でも、軽井沢タリアセン夫人と一緒に歩くのならば
僕は5時間でも6時間でも喜んでお供しますよう!
\(^δ^)/ キャハハハ。。。
「人間の証明」で麦わら帽子を
渓谷で落して亡くした、あのフレーズを
ずーっと 気になっていて やっと 行けました。
この「人間の証明」と麦わら帽子のことでずいぶんと調べましたよう。
森村誠一の推理小説を原作にして1977年に角川春樹が映画を作ったんだよね。
それから、テレビでドラマ化されたり、リメイクの映画が作られたり、
日本ではずいぶんと話題になったということが書いてあった。
僕は1977年頃は海外放浪の真っ最中だったから、日本のことはほとんど知らなかった。
でも、思い出しましたよう。
『人間の条件』を調べている時に、「人間の証明」に出くわしたんですよう。
なぜ麦わら帽子?
森村誠一が小説を書く20年ほど前、大学3年生のときに霧積温泉に行った。
その時に饅頭(まんじゅう)か何かの包み紙に西条八十の「麦わら帽子を 渓谷で落して亡くした」という詩が書いてあった。
それを読んで感動したと言うのですよう。
この詩からインスピレーションをもらって小説「人間の証明」のあらすじが思いついたと書いてあった。
小百合さんのために詩の全文を書き出します。
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
『西条八十詩集』(弥生書房)より
この詩を初めて読んだ時、僕はそれほど感動しなかった。
戦争中、あるいは戦前の言葉遣いだったからかもしれない。
イマイチだった。
でも、批評を読むと、この詩が素晴しいと言う人は多い。
(中略)
上の批評・感想を読むと映画の出来はどうやらイマイチだったようだけれど、小百合さんが書いたとおり、「麦わら帽子を 渓谷で落して亡くした」というフレーズは、ずいぶんと有名になったらしいね。
僕は、小百合さんが書いたものを読むまで、まったく知らなかった。
読んだことも聞いたこともない。
ただ、「人間の証明」には、思い当たることがあった。
それで、いつものようにハマリ込んでしまった。
小百合さんのおかげで興味深い記事が書けそうです。
ありがとう!
じゃあ、今夜はこれまで。。。
ジェームズ・ヘリオットさんの本を読みながら眠ります。
(\__/)
(+'.'+)
(")_(")
じゃあねぇ~
Zzzzzz...
『人間の証明 (2009年8月19日)』より
デンマンさん。。。また、オイラをお呼びですか?
呼んでないよう!。。。んも~♪~。。。どうして出てくるんだよう?
だってぇ~、タイトルを見てくださいよう。
確かに、成りすまし馬鹿と書いてあるけれど、オマエを呼ぶつもりじゃなかったのだよう。
でも、どうせオイラを祭りあげるのでしょう?
オマエは“祭り”にこだわるねぇ~。。。
「祭り」
現在進行のイベントや事件などについて、2ちゃんねらーが異常な盛り上がりを見せる状態を「祭り」と呼ぶ。
2ちゃんねるではニュース速報板、ニュース速報(VIP)板やネットウォッチ板などで多く発生し、その他の板で発生することはまれである。
「祭り」は、彼らがニュースやインターネット上のウェブサイト、ブログやSNSなどから「祭りを起こすネタ」を2ちゃんねる内で取り扱い、多くの人間により(ブログやSNSなどに関しては、主にネットウォッチ板の住民による)様々な行動にでる、という流れで起こる。
この結果、サイト上は殺到した2ちゃんねらーによって批判的なコメントが集中砲火的に寄せられ、時にはサーバのダウンを引き起こすこともある。
いわゆる「炎上」である。
執筆者のその後の対応によっては、さらに2ちゃんねらーを挑発することとなり、事態が悪化することもある。
その結果、「祭り」の被害にあった者は、精神的な損失の他、場合によっては社会的な損失(失職・逮捕・損害賠償など)を被る場合もある。
「祭り」に加わるような一部の2ちゃんねらーは、やり玉に挙げられる相手のことを考慮することなく、彼らから見て不愉快な対象を積極的に見つけ出し、その対象を糾弾という大義名分のもとで2ちゃんねるの掲示板や対象者のブログ等で大勢の人間で罵倒する傾向が強い。
しかもそれは、「祭りだワッショイ」などの言葉に代表されるように往々にして遊び感覚であり、一部の2ちゃんねらーは思想や意見の違う者のブログやウェブサイトに攻撃することを正当化して、これらの行為を批判する者に対しても攻撃を行うことがある。
また、「非があるのだから何をされても文句は言えない」といった言いがかりのような理由づけで、「晒し」(対象の未開示個人情報などを2ちゃんねる上で公開すること)や、威力業務妨害などその他不法行為に及ぶケースがしばしば発生する。
「2ちゃんねらー」より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オイラは、デンマンさんがてっきり2ちゃんねるで祭られると思ったのですけれど、祭られていませんよね。どうしてでしょうか?
あのなァ~、オマエの認識はかなりいい加減なんだよう。オマエは、かつて次のように書いた。
何を反省するのか?
どう反省するのか?
それを書くことが批判です。
批判を読み取れないのですか?
リンク先に書いてあることを理解して反省点をみつけだせないデンマンさんが未熟ですね。
リンク先には
「ネットでおかしな行為をする人は祭られる」といった趣旨の文章がかいてありますね。
ここから導き出される答えをデンマンさんにわかりやすく説明すると
「デンマンのブログは祭られるほどおかしい」です。
ここまでは理解できますか?
理解できたらコメントをください。
あと、私に連絡をとりたい場合もその旨をコメントください。
批判に「自分がない」とのことですが、「自分」の言いたいことはリンク先にありますね。
「自分」がなくともいいたいことが伝わるなら自分は必要ないでしょう。
あなたは他人意見に「自分」を求める必要がありません。
by 通りすがりのHクン (別名: 成りすまし馬鹿)
(2006-01-02 16:23)
『小泉純一郎君からのコメント (2006年1月2日)』のコメント欄より
『社会的自我の欠如 (2009年5月30日)』に掲載
でも、僕は2ちゃんねるで祭られてないよう。オマエは、わざわざ次のようなコメントを書いてくれたけれど、GOOGLEで検索しても、結局、見つからなかったよう。
バンクーバー馬鹿へ
2ちゃんねるの某スレでお前が久しぶりに基地外ジジイとして話題になってるぞ。
by 成りすまし馬鹿
2009/07/28 11:01 PM
『即興の詩 可憐な命』のコメント欄より
『2ちゃんねると成りすまし馬鹿』に掲載
(2009年8月4日)
(すぐ下のページへ続く)