仏陀とキリストと娼婦
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デンマンさん。。。 どうして急に宗教のお話なのでござ~ますかァ~?
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いけませんか?
しかも、宗教とは対立するような“娼婦”まで持ち出しているのは、なぜでござ~ますか?
“宗教”と“娼婦”は対立するのですかァ~?
だってぇ~、お寺に娼婦がたむろしているなんてぇ、聞いたことがござ~ませんわァ~。。。
そんなことはありませんよ。。。 昔、昔、。。。お寺と娼婦は切っても切れない関係にあったのですよ。。。 その証拠に『ウィキペディア』にもちゃんと次のように書いてありますよ。
神聖娼婦
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神聖娼婦は宗教上の儀式として神聖な売春を行った者である。その儀式を神聖売春または神殿売春という。
古代近東地域における神聖娼婦
イナンナもしくはイシュタルは女神官の儀式用髪飾りを付けて表される
チグリス川とユーフラテス川に沿った古代近東にはバビロンのイシュタルの神殿をはじめとした多くの聖地や神殿、「神の家」が存在しており、ヘロドトスは『歴史』の中で神殿売春の慣習を伝えているが、多分に誤解を含んでいるという主張もある。
サミュエル・ノア・クレーマーの聖婚:古代シュメールの信仰・神話・儀礼によると、後期シュメールおよびアッカドの王サルゴンは、アキトゥと呼ばれる新年祭の10日目に神殿で行われる王と女神の結合の儀式に神聖娼婦を参加させることで、その正当性を確立させたとされる。
西暦4世紀にキリスト教を奉じるローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が女神の神殿を破壊し、キリスト教化したことによって、神聖娼婦の習慣は終了した。
メソポタミア
古代メソポタミアの巫女は、寄進を受けた者に神の活力を授けるために性交渉を行う風習があった。
『ギルガメッシュ叙事詩』でもギルガメッシュの友エンキドゥの獣性を鎮めるために、娼婦を派遣して性交渉を行ったとの記録があり、当時は売春行為は、現在とはかなり違い神聖な儀礼であった事をうかがい知る事ができる。
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また、古代メソポタミアのイシュタルや古代ギリシアのアフロディーテ、北欧神話のフレイヤなど、多くの神話では愛と美を司る女神は性に奔放な姿で描かれているのも、こうした神殿娼婦の影響によるものと考えられている。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは古代メソポタミアにおいて神殿売春が行われていたと初めて言及した人物である。
アジア
デウキ(英語版)とは、古にされた契約を果たして宗教的な利益を得るために少女が地元のヒンズー教の寺院に捧げられる、ネパール西部の古い習慣である。
少女は売春婦として寺院に奉仕し、それはインドのデーヴァダーシーの習慣と類似している。
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この習慣は無くなりつつあるが、少女はまだ捧げられている。
日本
日本における金精様などの生殖器崇拝の起源も、農作物の豊穣祈願である。
交接を伴う祭祀も多く見られ、各地の闇祭のほとんどが性交の儀礼を伴なっていた。
筑波山にはカガイと称する性の解放祭があり、宇治には闇祭(別名:種もらい祭)という露骨な性の取引があったという。
また白拍子や加賀女等の遊女が主役の祭りも多く、中山太郎は「巫女が日本における遊女、遊郭の起源である」と書いている。
祇園八坂神社の「神輿迎え」、沖縄の尾類馬、遊女供養の下関の赤間宮の先帝祭などでは遊女が舞いを奏し、播磨の鎮守賀茂神の祭りや摂津の住吉大社では遊女が祭りの主役であり「この地こそ神功皇后の勅許以来日本最初の遊郭であった」と唱えられているという。
ゆえに各地方の遊郭は神社を中心に発達した。
伊勢の古市に遊郭が整備されたのは決して近年の話ではなく、「大昔から全国に渡り『夫婦連れての伊勢参宮したのでは御利益がない』という諺が行われている裏面には、道者は必ず古市で遊ばなければならぬように仕向けられていたのである」と述べている。
出典: 「神聖娼婦」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ。。。 昔は、マジですご~いことになっていたのですわねぇ~。。。
当時は売春行為は、現在とはかなり違い神聖な儀礼であったのですよ。。。
現在は、どうして神聖な儀礼ではないのでしょうか?
野放しにすると性病が蔓延して人類が滅亡してしまうからですよ。。。 それで、野放しに性行為をすることは野蛮で非道徳的な行為だと言われるようになたのです。
。。。で、どうして、デンマンさんは このような話題を取り上げる気になったのでござ~ますか?
実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。
釈迦の入滅
釈迦はマガダ国の首都ラージャガハ郊外の鷲の峰を下りて北に向かい、ガンジス河の南岸パータリ村に行った。
そこでマガタ国が新しい都を建設しているのを見学してから河を渡り、ベーサーリに着く。
ここで釈迦は財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けてからベールヴァ村に行き、そこで雨季を過ごす。
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そのとき肉体の苦痛を感じ、入滅の近いことを覚悟する。
釈迦は自分の亡きあとの教団のあり方を弟子のアーナンダ(阿難)に告げた。
「自分の亡きあと、よく自らを灯りとなし、自らをよりどころとなし、他人をよりどころとせず、法を灯りとなし、法をよりどころとなして、他をよりどころとすることなかれ」
雨季が終わって北上し、パーヴァー村でチュンダという鍛冶屋から食事の招待を受け、それが原因で釈迦は食中毒を起こす。
その後クシナーラーに着き、郊外のサーラ樹のもとで弟子たちに寝床を用意させて横たわる。
そして老年の修行者スバッダを教化して最後の弟子とし、付き添いの弟子たちに見守られながら、「もろもろの現象は移り行く、汝ら怠らず努力せよ」ということばを残して入滅する。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
75-76 ページ
『お経の基本がわかる小事典』
著者: 松濤弘道
2004年11月1日 第1刷発行
発行所: PHP研究所
あらっ。。。 「お釈迦様の入滅」を取り上げるなんて、どうして急に抹香臭(まっこうくさ)い事にデンマンさんは興味をもたれたのでござ~ますか?
あのねぇ~、上の箇所を読んで、お釈迦様の考え方が 死後500年たって生まれたキリストに影響を与えたのではないか?。。。 そう思えたのですよ。
まさかァ~。。。!? 500年も経ってからお釈迦様がキリスト様に影響を与えたなんて考えられませんわァ~。。。 でも、なぜ、そう思われたのでござ~ますか?
だから、娼婦ですよ。。。 お釈迦様は財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けたのですよ。
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娼婦アンバパーリーの招待を受けた事とキリスト様と関係があるのでござ~ますか?
卑弥子さんはキリストと娼婦のマグダラのマリアの話を知っているでしょう!?
マグダラのマリア
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マグダラのマリアは、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。
マリヤ・マグダレナとも転写される。
正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。
伝説中のマグダラのマリア、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』 (Golden_Legend)などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。
娼婦をも意味する「罪の女」(the Sinner)との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」(The Penitent Mary Magdalene)を主題とする絵画、彫刻が多く制作される。
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このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。
イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ったのちにその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられた。
ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張している。
しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。
出典: 「マグダラのマリア」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
でも。。。、でも。。。、マグダラのマリアが娼婦だったという証拠はないのではありませんか!?。。。 それは、あくまでも伝説の域(いき)を出ていないのでござ~ますわァ。
確かに、それは単なる伝説かもしれないけれど、昔の人は言ったものですよ。。。 “火の無い所に煙は立たぬ”と。。。 マグダラのマリアが娼婦だったと信じている人は 意外に多いのですよ。
つまり、そういう話が生まれたのも、お釈迦様が財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けた事実と関係あると、デンマンさんは主張するのですか?
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あのねぇ~、僕は別に娼婦に拘(こだわ)っているわけじゃないのですよ。。。 お釈迦様が娼婦だろうが、乞食だろうが、貧乏人だろうが、お金持ちだろうが。。。 とにかく、財産だとか地位だとか、性別に拘らずに、人間を平等に扱ったという、その精神ですよ。。。
つまり、“平等の精神”がキリスト様に受け継がれたとデンマンさんは考えているのですか?
だってぇ、そうでしょう! キリストはユダヤ人なのですよ。。。 ユダヤ人は選民思想に凝り固まっている人々だと言われている。。。
選民としてのユダヤ人
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ユダヤ教において、選民性(chosenness)は、ユダヤ人が選民である: 神との契約のなかにあるという信仰である。
この思想はトーラー(モーセ五書)の中に最初に見出され、後のタナハ(旧約聖書)で詳述される。
このことに関する多くの事柄がラビの文学で見出される。
タナフ(ヘブライ聖書)によれば、選民としてのイスラエルの性格は、神のミツワー(commandments, 「命令」と訳すべきところだが、「戒め、おきて」などとも訳された)へのobedience服従、従順によって特徴づけられる。
"今、もしあなたがたが、本当に私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは全ての国々の民の中にあって、私の宝となる。
全世界は私のものだから。
あなたは私にとって祭司の王国、聖なる国民となる"
(出エジプト記 19章5, 6節)。
"主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも多かったからではない。
事実、あなたがたは、全ての国の民のうちで最も数が少なかった。
しかし、主はあなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖達に誓われた誓いを守られたから。"
(申命記 7章7, 8節)
出典: 「選民としてのユダヤ人」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
“ユダヤ教”と言うのは、いわばユダヤ人のための宗教なのですよ。。。 だから、ユダヤ教徒はユダヤ人以外の人に、まず宣教することは無い。。。 キリストは、ユダヤ人でありながら、ユダヤ教の外に出たのですよ。。。 なぜなら、人種に関係なく人間は平等だというお釈迦様の考え方に感動したからですよ。。。
でも。。。、でも。。。、お釈迦様の生きた時代とキリスト様の生きた時代は約500年近くも隔たっているのですわァ~。。。 これをどのようにデンマンさんは説明するのでござ~ますかァ~?
簡単なことですよ。。。 お釈迦様の前世の話が書かれている“ジャータカ”の説話は500年以上も経ってから『千夜一夜物語』の中にも脚色されて出てくるのです。
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■『ブッダと千夜一夜物語』
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■『絹の道と千夜一夜物語』
お釈迦様が亡くなったあと、“シルクロード”を通じて お釈迦様の“人間平等の精神”がユダヤの地に住んでいたキリストの耳に達するのも充分に考えられることなのですよ。
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