愛の擬人法 (PART 1 OF 3)
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小さな赤い花
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わたしをあなたの庭に咲く
小さな赤い花にしてください
そして、お水を注ぎながら
何かお話を聞かせてください
わたしは何も言えないけれど
あなたの言葉を聞きながら
いろんなことを思うのです
あなたに愛されるように
いつまでも綺麗に
咲いています
だからわたしのことを
忘れずにいてください
by merange (めれんげ)
2010.02.19 Friday 10:24
『即興の詩 小さな赤い花』より
(デンマン注: 旧『即興の詩』サイト【閉鎖】)
『永遠の愛のコラボ』に掲載
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デンマンさん。。。 あんさんは、どないなわけで “愛の擬人法” というタイトルを付けはったん?
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分かりきった事を訊いたらあかん。。。 めれちゃんが詠んだ“小さな赤い花”という詩を わては冒頭に引用したのやでぇ~。。。 この愛の詩を読めば、“愛の擬人法”で詠まれている事が分かるやないかいなァ~。。。
それは おかしいんとちゃうん?
何がおかしのやァ~?
「わたしをあなたの庭に咲く 小さな赤い花にしてください」と言うてますねん。。。
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つまり、“擬人化”やのうてぇ“植物化”。。。、そうやなかったら“お花化”ですやん。。。
あのなァ~、めれちゃん。。。 確かに、表面的には めれちゃんが“小さな赤い花”になる、と言うてるねん。。。 そして「あなたに愛されるように いつまでも綺麗に 咲いています」よと詠んでいる。。。 そやけど、“小さな赤い花”にも心があって、「あなたに愛されるように いつまでも綺麗に 咲いています」ということは、“小さな赤い花”を擬人化していることやでぇ~。。。 その辺に咲いているチューリップの花は「あなたに愛されるように いつまでも綺麗に 咲いています」とは絶対に言わんでぇ~。。。 そやから、上の詩は“愛の擬人法”に基づいて めれちゃんが詠んだのやがなァ~。。。
そうやとしても、なんで あんさんは急に“愛の擬人法”を取り上げはったん?
実は夕べ バンクーバー市立図書館で借りた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのやがなァ~。。。
果たして、それは擬人法か?
『万葉集』の巻1に、天智天皇(在位668~671)が、皇太子時代に作ったとみられる歌が収められている。
中大兄(なかのおほえ)[近江宮(あふみのみや)に天(あめ)の下治(をさ)めたまひし天皇]の三山(みつやま)の歌一首
香具山は 畝傍(うねび)ををしと
耳成(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき
神代(かみよ)より かくにあるらし
古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき
反歌
香具山と 耳成山と あひし時
立ちて見に来(こ)し 印南国原(いなみくにはら)
[第二反歌、左注省略] (巻1の13、14)
香具山、畝傍山、耳成山は、大和三山と呼ばれる山々であり、三山の性別については、8百年にも及ぶ論争のあるところだが、仮に訳すと、
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香具山
香具山は畝傍山を横取りされるのが惜しいと、耳成山と争った……
神代からこうなので
いにしえもそうだっら
今の世も妻を争うらしい
(まして、自分も)
(略) 注意してほしいのは、「香具山は……」と、突然歌いだすことである。
山が恋をするということについて、何の説明もない。
そればかりか、この歌は、人も恋するように山も恋をするのだろうというようには、歌っていないのである。
逆だ。
神代から三山は互いのツマを争った。
古もそうだった。
だから、今もそうなのだ、というのである。
神代から山も恋をする。
だから、今も人は、恋をするのだ、という論法である。
今日のわれわれの考え方から見ると、人と人以外のもの、生命を持つものと生命を持たないものの垣根が、きわめて低いのである。
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畝傍山
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耳成山
(中略)
万葉学徒の多くは、こういう擬人化は、中国文学の影響を受けたからだと説く。
しかし、私には、疑問だ。
仮に中国文学の影響によって、こういう表現が生まれたとしても、もともとの思考法と合致したから、意識せずに受け入れられたと考えるべきだ。
擬人化の技巧を学んで表現したと考える必要などないのではないか。
(中略)
有名な持統天皇(在位690~697)の歌の解釈も、われわれはどうも誤ってきたようだ。
天皇の御製歌(おほみうた)
春過ぎて 夏来(きた)るらし 白たへの
衣(ころも)干したり 天(あま)の香具山
(巻1の28)
通説では「春が過ぎて夏がやって来たらしい。 真っ白な衣が干してある。 天の香具山を見ると」ないし「香具山に」と解釈される。
しかし、素直に歌をみると、「干したり」は「干している」ということだから、誰か人が香具山に衣を干したとは、書かれていない。
この点に着目した、万葉研究の俊英・鉄野昌弘は、「春が過ぎて、夏がやって来たらしい。 真っ白な衣を干している、天の香具山が」と解釈し、少なくとも中世においては、香具山が白い衣ないし、白い衣のようなものを纏(まと)うと解釈されてきたことを明らかにした。
つまり、「香具山自身が、白い衣を干す」のである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
20-25ページ
『日本人にとって聖なるものとは何か』
著者: 上野誠
2015年1月25日 初版第1刷発行
発行所: 中央公論新社
つまり、本の著者は「香具山自身が、白い衣を干す」のは“擬人法”ではのうてぇ、奈良時代の人は 心から素直に、そう思っていたと言うてるわけやねぇ~。。。
そういうこっちゃがなァ~。。。
でも、それは可笑しいと思うわァ~。。。
なして めれちゃんは、可笑しいと思うのやァ~。。。?
ハイキングなどして、山の中の深い林などに入ると、ひんやりとして、どこか うら寂しゅうなってぇ~、妙に不安と言うか、恐ろしいと言うかァ~。。。 深い林のどこかに妖精か神様が居るような。。。 そんな気にもなりますやん。。。 それに。。。、大きな、大きな岩などが山の中や、海岸に突き出ているのを見ると、何かいわくがあって、神様がそこに置いたような。。。 “山の精”か、“海の精”がその大きな岩の中に宿っているような気もしますねん。
うん、うん、うん。。。 確かに、そのような“恐れ”や“不思議な感覚”を わても体験したことがある。。。
そうですやろう!?。。。 それは人間なら、誰しも体験することやと思いますねん。。。 それは、“擬人化”と言うよりは、人間が自然に感じる“恐れ”や“不思議な感覚”を“妖精”や“神様”と感じる素直な感性やァ、とわたしは思いますねん。
なるほど。。。、なるほど。。。、
そやけど、「香具山自身が、白い衣を干す」のは“擬人法”やァ、と思いますゥ。
それは、どないなわけやねん?
「香具山自身が、白い衣を干す」には、香具山に手も足も生えており、衣を洗濯して、その衣を絞って、それで両手で持って広げて、香具山の麓に。。。、つまり、自分自身のお腹の辺りに広げて干すということですやん。。。
確かに、そういうことやなァ~。。。
それは、人間が自然に感じる“恐れ”や“不思議な感覚”を“妖精”や“神様”と感じる素直な感性とちゃいますやん。。。 人間の想像の産物やと思いますねん。。。 つまり、あまりにも“擬人化”してますやん。。。 手足がなければ、洗濯することも、干すこともできしまへん。。。 子供のように、素直な目で山を見れば、とても手と足があるようには見えへん。。。 つまり、「香具山自身が、白い衣を干す」のは大人のイマジネーションですやん。
ほおォ~。。。 なるほど。。。、なるほど。。。、めれちゃんの言わんとすることが わてにも分かるような気がしてきたわァ~。。。
そうですやろう?。。。 ところで、あんさんは どないなわけで上の文章を引用しやはったん?
有名な持統天皇(在位690~697)の歌の解釈も、われわれはどうも誤ってきたようだという箇所に わては引っかかったのやがなァ~。。。
その歌のどこに引っかかりはったん?
あのなァ~、本の著者は次のように書いている。
万葉研究の俊英・鉄野昌弘は、
「春が過ぎて、夏がやって来たらしい。
真っ白な衣を干している、天の香具山が」と解釈し、
少なくとも中世においては、
香具山が白い衣ないし、
白い衣のようなものを纏(まと)うと
解釈されてきたことを明らかにした。
わてに言わせてもらえば、香具山が白い衣を纏っていようが、香具山に白い衣が干してあろうが、そないなことは枝葉末節のことやねん! 歌の肝心なところは、そないな所にはあらへん!
あんさんの言わはる肝心な所ってぇ、いったいどこやねん?
ちょっと次の小文を読んで欲しいねん。
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私たちが生きてゆく過程で必要なのは、
すでに分かりやすい形に
加工されている情報を摂取し、
頭を太らすことだけでなく、
情報という形になっていない情報を、
どのくらい自分の力で噛み砕き、
吸収していくかということなのである。
それは、うまく世の中を渡れる知識を
手っ取り早く獲得することとは一線を画し、
いかに自分が人間として、
生き生きした時間を開拓するか
ということにつながっているのである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
257ぺージ 『考えの整頓』
著者: 佐藤雅彦
2012(平成24)年1月27日 第3刷発行
発行所: 暮らしの手帳社
つまり、あんさんは 加工されている情報を摂取し、頭を太らすことだけではダメだと言わはるのォ~?
その通りやがなァ~。。。 歌の表面的なところだけを捉(とら)えたところで、歌の本当の意味は解らへん。。。 香具山が白い衣を纏っていようが、香具山に白い衣が干してあろうが、そないなことは どうでもええねん。
つまり、あんさんは情報という形になっていない情報を、自分の力で噛み砕き、吸収した、と言わはるのォ~?
そうやがなァ~。。。
それやったら、余計な事は言わんでもええさかいに、細木数子のようにズバリ!ズバリ!とその肝心な所というのを言うてくれへん?
あのなァ~、万葉集には歴史的な意味が込められた和歌が、実は、たくさん載せられているのやがなァ。。。 万葉集には藤原氏、あるいは、当時の実力者に対する批判が込められた和歌がたくさん載せられておるねん。。。 そのような観点から歌の意味を考えると実に面白い読み物なのやァ。
。。。で、あんさんによると上のお歌の意味はどないになるのォ~?
上の歌の本当の意味を探るには、まず次のニュースを読む必要があるねん。
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女帝誕生
讚良(さらら)皇女が
皇位を継ぐ。
殺人鬼の父親の陰謀により祖父が自決。
祖母も祖父と共に自殺。
母親は二人の死が夫の陰謀だと知って
半狂乱になる。
その夫の子供を宿していたが、
建皇子(たけるのみこ)を出産すると
幼少の讚良皇女に我が子を託して
二人のあとを追うように自殺。
建皇子は家庭の暗い影の下で
唖者として生まれ
体も不自由だった。
8才の短い命を閉じた。
讚良皇女は女帝になったが、
その生い立ちは不幸の連続だった。
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あらっ。。。 このような新聞が当時あるわけあらへん。。。 あんさんがデッチあげたのですやろう?
わてが劇的に書いてみたのやがなァ~、わてが当時生きており、しかも日本新聞の編集長やったら、このような新聞を出していたかもしれへん。 これは歴史家が誰も言うてないことやけど、わては讚良皇女、つまり 後の持統天皇が境界性人格障害者やったと信じてるねん。
でも。。。、当時、そのような病名はなかったのとちゃうん?
もちろん、なかったのや。 でもなァ~、わての話を聞けば、めれちゃんも納得すると思うのやァ~。。。
どないな話やのォ~?
あのなァ~、讚良皇女は4才の時に可愛がってくれたおじいさんとおばあさんが亡くなってしもうたのやがなァ~。。。 しかも、お母さんは半狂乱になって精神に異常を来たし、二人のあとを追うように自殺してしもうたァ。
マジで。。。?
このような悲惨な事件を満5才になるかならないかのうちに讚良皇女は経験したのやでぇ~。。。 この悲劇が幼少の頃の讚良皇女の心に与えたトラウマは、境界性人格障害となって後の彼女の性格形成に大きな影響を与えたのやァ。
ホンマかいなァ~。。。?
ホンマやでぇ~。。。 成長するにつれて父親(後の天智天皇)が行った非情な所業のことも讚良皇女は知るようになるねん。 この父親の生涯は、敵対する者や皇位継承のライバルを謀略でもって抹殺する歴史やったァ。 その手にかかって亡くなった相手には、次のような人たちがおるねん。
● 蘇我蝦夷
● 蘇我入鹿
● 古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)
● 有間皇子
● 蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)
。。。
あらっ。。。 この人たちは天智天皇によって命を奪われたのォ~?
そうやがなァ~。。。 ところで、讚良皇女は満12才の時に、姉の大田皇女(満13才)と共に大海人皇子に嫁いだのやでぇ~。。。 もちろん、政略結婚やァ。 中大兄皇子(後の天智天皇)にとって一番のライバルは大海人皇子やった。 何とかして大海人皇子を自分の協力者にしたい。 言ってみれば、二人の娘を人質として大海人皇子に渡したようなものやァ。 それほどまでにして中大兄皇子は大海人皇子を懐柔しようとしたのやがなァ。
。。。で、大海人皇子は懐柔されはったん?
いや。。。、その甲斐もなく、やがて天智天皇は大海人皇子によって暗殺されてしまうねん。 目には目を歯には歯を! この当時の必然やったァ。
そのような話は歴史の時間に聞いたことがあらへん。
ここでは詳しく話をする時間があらへん。。。、めれちゃんも ぜひ次の記事を読んでみて欲しいのやァ。
(すぐ下のページへ続く)