マチュピチュとインディー・ジョーンズ(PART 1)
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デンマンさん。。。 どうして“マチュピチュとインディー・ジョーンズ”にわたしがビキニになって登場するのですか?
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いけませんか?
だってぇ~、わたしがビキニになって登場する理由がないじゃありませんか!
ありますよ。。。 ジューンさんがマチュピチュで両手を広げてルンルン気分で写っているけれど、上の写真を見て“ビキニになったら、この人はどのような体形をしているのだろうか?”。。。 そう想いながらジューンさんのビキニ姿を想像していたネット市民もいると思うのですよう。。。 (微笑)
それで、デンマンさんが気を利かせて わたしのビキニ姿を貼り出したのですかァ~?
そうです。。。 いけませんかァ~? (微笑)
とにかく、どういうわけで“マチュピチュとインディー・ジョーンズ”なのですかァ~?
あのねぇ~、夕べ バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。
ハイラム・ビンガムと
『インカの秘密』
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さまざまな議論のおかげで、ヒーローとしてのハイラム・ビンガムの名声は急落の憂き目に遭うのだが、それ以前でさえ、アメリカにおける彼の、この上ない空威張りの探検家という役柄は、さらに忘れがたい冒険家に取って代わられていた。
それはインディー・ジョーンズである。
ビンガムの生涯がこの映画のヒーローの原材料になっていることを立証する試みはいくらもあった。
二人とも考古学を少しかじった大学の教授であること。
ともに地図の空白の箇所を探しては、そこで貴重な遺物を探検していること。
二人が中折れ帽子(フェドーラ)を被っていること。
『レイダーズ・失われたアーク(聖櫃)』の冒頭のシーンで、インディーは転がりくる巨石よりさらに早く走るのだが、この場面はマチュピチュからほど遠からぬ、ペルーのとある地域という設定だった。
インディーとビンガムの、もっともストレートなつながりが見られるのは、1954年に作られたB級映画『インカの秘密』だろう。
映画は見栄えのいい二大スターを主役にしている。
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一人はチャールトン・ヘストンで、クスコ出身のハードボイルドなトレジャー・ハンター、ハリー・スティールを演じている。
もう一人の主役はマチュ・ピチュで、演じるのはそのものずばりの本物だ。
『レイダーズ』で衣装を担当したデボラ・ナドゥールマン・ランディスは、チームのメンバーといっしょに『インカの秘密』を繰り返し何遍も見て、ハリー・スティールのファッションを見倣ったという。
二人のトレジャー・ハンターはともに暗い色調が大好きで、レザーのジャケットを着込んで、頭に被っているのはもちろん中折れ帽だ。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
364-366ページ 『マチュピチュ探検記』
著者: マークアダムス 訳者: 森夏樹
2013年10月15日 初版第3刷発行
発行所: 青土社
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ハイラム・ビンガムという実在した冒険家が“インディー・ジョーンズ”のモデルだというのですか?
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そうなのですよ。
ハイラム・ビンガム
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(1875年11月19日 - 1956年6月6日)
アメリカの探検家、政治家。
ペルーのマチュ・ピチュ遺跡の発見者。
インディアナ・ジョーンズのモデルとされる。
ビンガムは、ハワイ王国時代のハワイのホノルルに生まれた。
彼は、1650年にコネチカットをアメリカ領にし統治したトーマス・ビンガムの末裔であった。
彼の祖父また、ハワイで最初のプロテスタント宣教師であった。
1892年までの10年間、オアフ・カレッジ(現「プナホウ・スクール」)に学び、その後、マサチューセッツ州のアンドーヴァーにあるフィリップス・アカデミーで学んだ。
イェール大学、カリフォルニア大学バークレーで学んだ。
1905年に歴史学と政治学でハーバード大学の学位を取得した。
1907年にイェール大学で南アメリカの歴史を教える講師となる。
1908年、サンティアゴで開催された全米科学者会議に代表として出席。
その帰路で、古いスペイン貿易ルートを探検し、ペルーに立ち寄る。
そこでオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)というインカ時代の都市を見学して強い興味を覚える。
1911年、イェール大学ペルー探検隊を組織して、ペルーへ入る。
そして同年の7月24日、マチュ・ピチュを発見。
1912年と1915年にも、イェール大学およびナショナルジオグラフィック協会の援助を受けて、ペルーのインカ遺跡を調査している。
この調査は、ナショナル・ジオグラフィック誌が1913年4月号のすべてをマチュ・ピチュ特集にした事で有名になった。
軍人時代
第一次世界大戦が始まると考古学者の道から軍人へと転向することを決める。
1916年からコネチカット州の州兵の大佐を務める。
1917年にはパイロットの資格を得て、アメリカ陸軍航空隊学校の運営に関わる。
その後、フランスで航空学校で指揮官を務める。
政治家
1922年から2年間、コネチカット州の副知事を務める。
1924年にはコネチカット州知事に当選を果たす。
同年の12月16日には上院議員に当選。
1933年、上院議員選挙に民主党の候補者に敗れてしまう。
第二次世界大戦中は、幾つかの海軍の訓練施設で講義を行った。
1951年から1953年までは、国家公務員任用委員会の給与策定委員会の議長を務める。
また、伝記の執筆や幾つかの会社の経営に携わるなどの生活を送った。
1956年6月6日、ビンガムはワシントンD.C.の自宅で死去した。
出典: 「ハイラム・ビンガム」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ジューンさんは、マチュピチュを発見したハイラム・ビンガムが“インディー・ジョーンズ”のモデルだということを マジで知らなかったのォ~?
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知りませんでしたわ。。。 “インディー・ジョーンズ”というのは映画の中だけの架空の人物で、実在の人物とは全く関係ないと思っていましたわァ。
それで、マチュピチュを訪れてみてジューンさんは、どのような感じを受けたのォ~?
日本人観光客がメチャ多かったですわァ~。
ん。。。? 日本人観光客がメチャ多かった。。。!? それが、ジューンさんの感想なのォ~?
うふふふふふ。。。 わたしがマチュピチュの感想を述べるよりは、すでに『ウィキペディア』にも書いてあるので読んでみてくださいなァ。
マチュ・ピチュ
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マチュ・ピチュは、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷(英語版)に沿った山の尾根(標高2,430m)にある、15世紀のインカ帝国の遺跡である。
当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400m。
マチュ・ピチュから、さらに千メートル程高い場所に、その首都があった。
アンデス文明は文字を持たないため、この遺跡が何のために作られたのか、首都との関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていない。
多くの言語で「Machu Picchu」と呼ばれるこの遺跡名は、「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を地名化したものの転写である。
山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。
一方、遺跡の背後に見える尖った山はワイナ・ピチュ (若い峰)で、標高2720m。
山頂には神官の住居跡とみられる遺跡があり、山腹にはマチュ・ピチュの太陽の神殿に対する月の神殿が存在する。
この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。
遺跡の面積は約13km²で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。
熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。
行政上クスコ県に属しており、クスコの北西約70㎞に位置する。
2015年の第39回世界遺産委員会終了時点ペルー国内に12件あるユネスコの世界遺産のうちでは、クスコとともに最初(1983年)に登録された。
南緯13度で、10月から4月までの雨季と乾季に分かれる。
未だに解明されていない多くの謎がある遺跡でもある。
2007年7月、新・世界七不思議の1つに選ばれた。
ハイラム・ビンガムの遺跡発見
アメリカの探検家ハイラム・ビンガムは、1911年7月24日にこの地域の古いインカ時代の道路を探検していた時、山の上に遺跡を発見した。
ビンガムは1915年までに3回の発掘を行った。
彼はマチュ・ピチュについて一連の書籍や論文を発表し、最も有名な解説「失われたインカの都市」がベスト・セラーになった。
この本は『ナショナル・ジオグラフィック』1913年4月号ですべてをマチュ・ピチュ特集にしたことで有名になった。
また1930年の著書『マチュ・ピチュ:インカの要塞』は廃墟の写真と地図が記載され説得力のある決定的な論文となった。
以後、太陽を崇める神官たちが統治したとか、あるいは太陽の処女たちが生贄にされたといった定説が形成された。
マチュ・ピチュとは間違えて付けられたといわれている説がある。
遺跡に名前は決まっておらず、ビンガムが地元民に遺跡の名前を尋ねたところ、地元民は今立っている山の名前を聞かれたと思ってマチュ・ピチュと答えたことで遺跡の名前がマチュ・ピチュであると間違って伝わった、という説である。
ビンガムはイェール大学の教職を辞してからコネチカット州の副知事、知事を経て上院議員になったが、彼のインカ調査への影響力は死後40年近くも残っていた。
それは1つに彼の情熱的な文章のせいであった。
ただし最近になり、マチュ・ピチュはすでにペルー人が発見していたという説が浮上した。
それによると、クスコの農場主アグスティン・リサラガが、ビンガムより9年早い1902年7月14日にマチュ・ピチュを発見していたという。
真偽のほどは今後検証されるであろうが、ビンガムの息子がその事実を述べられているということ、またこの人物について複数の証言があることからも、事実である可能性は高い。
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出典: 「マチュ・ピチュ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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。。。で、ジューンさんはマチュピチュを訪れて、何か面白い発見でもあったのォ~?
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ありましたわァ。。。 デンマンさんもビックリするような大発見です。。。
まさかァ~。。。?
実は、マチュピチュ遺跡のふもとには、マチュピチュ村と呼ばれる村があるのです。。。 その村の初代村長をつとめたのが、何と日本人だったのですわァ~。。。
そんな事があるわけないでしょう!?
デンマンさんは絶対に信じないだろうと思いましたわ。。。 でも、この話はマジなのです。。。 その人の名前は野内与吉(のうち よきち)さんというのです。。。
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畑や鉄道、水力発電などを整備し、村の発展を支えたというのですわァ。。。 デンマンさんも次のYouTubeのビデオクリップを見れば この話がウソではないと思います。。。
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ほおォ~。。。 大正時代の遠い昔にペルーへ移住した人がいたんだねぇ~。。。 日本人の血の中には、かつて大陸から日本列島へやって来たという“海外飛躍遺伝子”がDNAの中で眠っていたのですよォ~。。。
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デンマンさんのDNAの中にも、その“海外飛躍遺伝子”が眠っているのですかァ~?
いや。。。 もう ずいぶん前から起きていますよ。
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