安心できない@病院(PART 1)
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デンマンさんは、病院で安心できないのですか?
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いや。。。 最近 病院へ行ったことがないのですよ。。。
あらっ。。。 病院へ行くほどの病気をしたことがないのですか?
そうなのです。。。 カナダへやってきてからもう30年になろうとしているけれど、小型機のパイロットの免許の更新で定期検査を受ける以外に病院を訪れたことがありません。。。
デンマンさんは健康そのものなのですねぇ~。。。
僕の母方の家系は長寿の家系なのですよう。。。 外祖父母は二人とも90歳を越えても、かなり元気でしたからねぇ~。。。
。。。で、どういうわけで安心できない@病院というタイトルにしたのですか?
実は、最近『病院の悪い評判』という記事にコメントをもらったのです。
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■『拡大する』
■『病院の悪い評判』
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行田総合病院も中央病院も似たり寄ったりでしょう。
総合病院では、
脳梗塞をメニエールと誤診しても、
患者にはなんの説明もせず、
説明を求めると弁護士が出て来る様な所です。
何十年か前の体質でしょうね!
総合病院もダメな病院ですよ。
Posted by ダメな病院体質 at 2018年08月22日 07:45
説明を求めると弁護士が出て来るなんて、
日本の医療の悪質体質を象徴していますね。
それほどに、日本の医者の質が低下しているようです。
最近、バンクーバー市立図書館で『文藝春秋』(2017年新年号)を借りて読みましたが、
3人の反主流の“名医”が日本の医療の問題点を指摘していました。
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医療が専門化して、データを見て診療し、
患者を診ていないということです。
専門馬鹿になっているわけです。
医者が自信を失っているということも指摘していました。
大学の外科の教授の中には論文を書けても手術ができない者もいるとか。
そういう教授に教わった外科医は、手術がへたくそで
群馬医大病院で、そういう外科医にかかって何人も死亡者が出ているとか。。。。
とにかく、良識ある日本の医者たちも、日本の医療体制を抜本的に見直さなければならないと言っているのです!
そうでない限り、日本の医療体制の将来は暗澹たるもののなるだろうということです。
Posted by Denman at 2018年08月23日 03:37
8月22日にコメントをもらって、翌日、デンマンさんが返信を書いたのですか?
そうです。。。
日本が高齢化社会になるにつれて、やはり病院のお世話になる人が増加したということなんでしょうねぇ~。。。
そういうことです。。。 だから、病院や医療についてネット市民の関心も高まっているのですよ。。。 実際、僕の『徒然ブログ』でも、コメントがついた記事『病院の悪い評判』は、他の記事と比べてダントツで読まれているのです。。。
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■『肥後ズイキが性具になったきっかけは?』
■『病院の悪い評判』
。。。で、最近 デンマンさんはバンクーバー市立図書館で『文藝春秋』(2017年新年号)を借りて読んで、日本の医療が悪くなっていることを感じ取ったのですか?
そういうことですよ。。。
次のように書いてあったのです。。。
1) 医学部で“人間”を鍛えろ
小山靖夫(栃木県立がんセンター名誉所長)
栃木県立がんセンター名誉所長・小山靖夫氏(87)は、消化器系外科医として腕をふるい、共に仕事をした医療者は誰もが尊敬の念を抱くといわれる人物だ。
入学した岡山大学では、奨学金がもらえるというので 精神科を目指したが、岡山県の水島工業地帯で、貧困者の治療をするうちに「診断結果がよくわかる」外科を目指すことになった。
大阪大学第二外科教室に入り、1962年に国立がんセンターに勤務する。
1986年に栃木県立がんセンター病院長に就任し、1997年に退職した。
現在は同センター内の『こやま文庫』にカフェを開き毎週水曜日の午後、無料でがん患者の相談を受けている。
いま医師と患者さんの感覚に大きなギャップが生まれています。
医師がパソコンの画面に向かったまま、がん患者さんに余命を告げるなどというのは決してあってはならないことですが、日常の診療の中で起こるようになってしまった。
こうした話を聞くようになったのは、近年、医療の専門化が進んできてからのように思います。
専門化は世界中で起きている現象ですが、日本は特に医学部の教育に問題があるのではないでしょうか。
今の大学には『悪い医者』の典型のような教授が多すぎます。
細かい専門領域にはまり込んで“外の空気”に触れず、患者さんが一人の人 間であることを忘れ、人と人との関わりをトータルに見る視点がないのです。
そういった臨床経験に乏しい教授が確実に増えています。 (略)
米国の医学教育も手放しでは評価できませんが、うらやましく思うのは文系、理系を問わず4年の学部を卒業してから、医師になる課程に入っていく点です。
一度他の分野を覗いたり、社会に出てから医師になるので、患者さんと接するスキルも備わっている。
ところが日本の場合は高校を卒業していきなり医学部です。
これまでは大学に2年間の教養課程があり、そこで人間としての常識を学んだのに、最近は教養課程を短くするという馬鹿なことを始めでいます。
これでは一人の人間として患者を診るこ ができない医師を増やすだけで、絶対に止めるべきでしょう。
この背景には学校や家庭の医学部信仰も影響しているのかもしれません。
最近は高校で成績がいいと教師が『医学部へ行け』なんて薦めるようですが、これはちょっとおかしいですよ。
私たちの時代には考えられない。
医学部に行くのは医者の息子の息子か、医療という行為や生き物に興味を持つ学生が多かった。
私が物理学や化学などの純粋なサイエンスではなく、医学の道に進んだのは生物が好きだったからです。
医療というのは本来、理詰めだけでは理解したり、解決できないところがたくさんある学問です。
患者さんと向き合い、試行錯誤しながら自分自身を修練させていかなくてはなりません。
そのことを理解できず、人間と話をするのが嫌いだという人は、医師に向いていません。(略)
患者の物語に耳を傾けよ
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医師が自分の意見や提案を聞いてもらうには、まずは患者さんの言葉に耳を傾けることが肝要です。
患者さんが自分の話す『病気に関する語』を医師と共有できたと感じれば、それまで溜め込んでいたものを吐き出してくれ、患者さんとの関係はいっぺんに変わります。
この『こやま文庫』のカフェには、栃木県立がんセンターだけでなく、外部の病院にかかっている患者さんも結構やってきます。
がんを患った方のまわりに、家族など隠し事なしに相談できる相手がいる場合は救われますが、そうでなければ主治医に頼るしかありません。
その医師とコミュニケーションがとれなければ、患者さんは孤独になってしまう。
ここは『なんでも気軽にお話しできますよ』という場所ですから、お茶を飲み、駄菓子を食べながら、直接医師に訊けないことを患者さん同士で話し合ってもいいし、私に話しかけてくれてもいい。
こわばった顔で来た人も、帰るときはすっかり顔つきが変わっていますよ。
(中略)
私は87歳です。
歳をとれば病気になるのは当たり前で、私も前立腺がんになりました。
放射線治療とホルモン療法を続けて、もう3年になるでしょうか。
二人に一人はがんになる世の中で、死ぬまで健康であり続けられるというのは空想です。
ややもすると、『病人や年寄りは世の中のお荷物』という発想になりかねません。
だからこそ、医療と社会の信頼を再構築していくことが急務であり、そのための第一歩は医師が患者さんを一人の人間として診ることだと思います。
2) 患者に尽くす総合医になれ
増田 進 (83歳) (緑陰診療所)
東北大学医学部を卒業後、1963年に岩手県沢内村(現・西和賀町)の旧沢内病院に赴任。
村役場の健康管理課長を兼任しながら医療、保健、福祉を一体化させた「沢内方式」を確立した。
当時の沢内村は、老人医療費無料化や早期検診など独自の施策を打ち出し、国の老人保健事業にも大きな影響を与えた。
その屋台骨を支えたのが増田氏だった。
現在は西和賀町のホテル内に「緑陰診療所」を開院し、鍼治療を中心とした自由診癖を行っている。
患者さんが求めているのは、体や心、そして自分の生活まで視野に入れて面倒を見てくれる誰かです。
その求めに応えられるのは、知識や技術を専門的に学び、マニュアル化した治療方法に慣れ切った医師ではない。
本当の意味での総合医です。
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僕が沢内病院にいたときは、『一人総合病院』なんて笑っていたぐらいで、本当になんでもやりました。
頭も胸も開けたし、耳も眼も診た。
本当に専門医が必要な患者さんは1%ぐらいなんです。
やろうと思えば99%の病気や怪我は総合医で対処できると思います。
僕が医者になった頃(1958年)は、世の中に内科と外科しかありませんでした。
インターンの頃に麻酔科が独立し、同時に胸部外科ができ、それから心臓外科ができました。
その頃から次々に専門分化が進みましたが、中でも僕が納得できないのが心療内科です。
心療内科が診る病気は医者なら誰でも診察できなければいけないと思うのですが、専門家を育てるようになったために医者が患者と会話をしなくなってしまった。
所定の薬を出して症状が改善しなければ『精神的なものだね』と心療内科に回し、あとは心療内科が薬を処方するだけ。
ひどい話です。
地域に根ざした町の医者は、本当の意味で患者に尽くせる総合医であるべきです。
総合医なら患者さんの顔を見て、話を聞き、その体に触ればほぼ診断がつきます。
検査は正確を期すための補助手段に過ぎません。
専門医はこれができない。
(中略)
専門化が進んでどうなったかといえば、大病院や大学病院は流れ作業になりました。
挙げ句の果てに臓器を間違えて取ったり……。
「患者が怖い」若手医師
こんな笑い話があります。
ある患者さんが『腰が痛い』というので、担当医はMRIを撮ってヘルニアと診断し、手術をした。
ところが『まだ痛い』というので、再度MRIを撮ったが、異常がないので『治ってます』と言ったとか。
この医者は何を治したんでしょうか。
手術後に患者さんが『痛い』と訴えているのに、『問題ありません』と告げるなんてサギみたいなものですよ。
専門医になったために、患者さんとの信頼関係を築けなくなっていると思うことがあります。
(中略)
1960年、沢内村で老人の医療費が無料化された。
1969年には東京都が追随し、1973年には国も実施した。
無料化で沢内村の老人医癒費は2.4倍になったが、国は実に5.5倍にも高騰し、10年後には一部有料化に切り替わった。
なぜ沢内村に比べて国の医療費は高騰し続けたのか。
沢内病院の副院長に就任した1963年、村の健康管理課長も兼任しました。
面白いのは、課長になると病院の患者さんだけでなく、住民全体に対して責任を持つわけです。
つまり視点が病院から離れて地域に向かった。
そして、地域の人々の健康に貢献すべきだと考えるようになった。
そして全住民の健康管理台帳を作って予防活動を始めました。
特に病気の早期発見は徹底的にやった。
当時は補助金による検診が始まっていたのですが、個別に実施されていたものをまとめ、一年に一回病院に泊まってもらって『人間ドック』を始めた。
看護師や検査技師を含めた医 療者全員に、この仕事が誰のためなのかをわかってもらうために検査も流れ作業にせず、住民と顔を合わせるようにしました。
老人医療費は無料にしたけれど、予防に力を入れたため全体の医癒費はそれほど上がらなかったのです。
老人保健法が実施される時、当時の厚生省は沢内村から資料を持っていき、それをベースに基本健診を始めたのです。
ところが沢内村を出た瞬間、健診は『患者探し』になってしまった。
それまで普通に暮らしていた人たちを『太り過ぎ』『コレステロールが高い』と脅かし、薬を出すシステムを作ったのです。
人間ドックが病気の早期発見に役立つのは確かですが、多少数値が高いからといって、元気に暮らしている人を病気の“予備軍”に仕立て上げるなんて、とんでもない話。
データなんてうんと甘く見なければ、みんな病人になってしまいます。
(中略)
でもよく考えてください。
病院が黒字になるのは病人が増え、その地域が不健康になるということです。
私たちがやった早期発見や予防は住民を健康にするため。
住民が健康になれば病院は赤字になるので、住民を健康にするための地域医療をやりながら、病院を黒字にしろと言われても困るのです。
老人医療費無料化も、住民の健康管理をしながら、医療と福祉・保健を一体にした運営があればこそ可能でした。
それを、医療機関が儲けようと待ち構えているところに、老人医療無料化だけ放り込んでは、破綻するのも当然です。
今の日本は医者個人も、医療制度も、本当の意味で患者のためのものになっていないことが不幸です。
昔、地域医療のシンポジウムで若い医師にこんなことを言いました。
『金と名誉を一回捨ててごらん。そうしたら、新しい世界が開けるよ』
金と名誉を考えなければ、医者ほど幸せな職業はないのです。
この診療所ではね、調子が悪ければ患者さんに文句を言われ、よければ『おかげさんで』と言われる。
手応えが伝わってくるから面白いんだ。
そういう 面白さを、今の若い医者は知ってほしいですね。
3) 保健医療制度を改革せよ
幕内雅敏(日本赤十字社医療センター院長)
幕内雅敏氏(70)は東京大学名誉教授で、肝臓がん手術の世界的権威。
東大退官後は日本赤十字社医療センター院長を十年にわたり務めている。
1993年に世界で初めて成人生体肝移植の手術を成功させたほか、「術中エコーによる幕内方式」など「世界初」の手術法を数多く考案して、肝臓がん手術の分野で世界的に評価されている。
深刻な問題なのは、医師の偏在です。
1980年代には毎年2、100人もの医師が日本外科学会に入会し ていたのに、1990年代から減少し始め、2004年には500人まで激減。
現在は千人前後を保っていますが、圧倒的に数が足りません。
なぜこんなことになったかといえば、若い人が 『ラクをして儲かる職場・診癒科』を志向するようになったからです。
私が大学を卒業した頃は、まずどこかの医局に入局しました。
右も左もわからないうちにその医局で知識と技術と経験を叩き込まれ、診療の楽しさや手術の道を究める喜びなどを教えられました。
今は医局に所属せずどの科を選んでもいいから、学生が何を考えるかというと、どの科へ行ったらラクして儲けることができるかを計算するわけです。
これは難しいことではない。
初期研修で多くの科を回れば、自ずとわかってきます。
最近、美容外科などを目指す人が増えているのも儲かるからでしょう。
一般外科を選ばないのは、仕事がしんどくてお金にならないから。
単純です。
(中略)
では具体的にどうすればいいか。
外科など人気のない診療科の医師を一定数確保していくためには、現場で奮闘する勤務医の収入を上げること、つまり診療報酬や病院給与システムを変えなくてはいけません。
現在、公的病院の給与システムは基本的に誰が何をやっても平等。
差がつくとすれば時間外労働だけで、これまで何件の手術をしたかといった経験値は給与に反映されません。
これは日本の医療界に『技術料』という概念がないからです。
(中略)
学会は、手術が適切に行われたかを検証するためにナショナルクリニカルデータベース(外科手術・治療情報のビッグデータ)事業を行っています。
そのデータを使えば簡単に医師の評価ができるし、適切な評価をすれば医師はもっと技術を習得しようと頑張るでしょう。
そして結果的によりよい医療を提供できることになり、それは患者のためになる。
ところが国はやろうとしません。
これではいくら医師の数を増やしても、外科医が増えることはない。
医師偏在を解消するための『技術料』の導入を検討すべき時期なのです。
手術のできない外料教授
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手術のできない外科教授が多過ぎるのです。
一般に大学病院の外科の教授となれば、最高の医療技術を持っていると思われているでしょう。
しかし、実際はまともに手術ができない教授がいることはほとんど知られていない。
外科の教授には、教室のリーダーとして医局員に外科手術を教え、未来の優れた外科医を育てる使命があります。
自分の専門領域であれば、たとえ困難な手術でも新しい発想で手術方法を考え、患者の会を救うのが教授の役目です。
それなのに、手術がヘタクソ、ましてや手術室に来ないという教授が大学病院で大手を振っている。
そんな奴は『クビにしろ』と言いたいのです。
(中略)
群馬大学病院で腹腔鏡手術や開腹手術で多くの患者さんが亡くなりました。
患者への説明不足など様々な原因があるでしょうが、あの大学で指導的立場にある教授は、あまり手術場に来なかったといわれ、過去に懲戒処分を受けているような人物です。
それでも教授会に自浄作用がなく、解雇できない。
しかも、その教授は日本外科学会の中でも枢要なポストに就いています。
そういう教授の下にいる医局員は気の毒としかいいようがない。
手術の腕がどんどん落ちるし、真面目に手術に向き合う外科医は居づらくなってしまう。
こうして悪貨が良貨を駆逐するように、手術ができる人は みんな外に出て行ってしまうのです。
死亡事故が続出したのも当然の帰結と言っていいでしょう。
出典:『文藝春秋』(2017年新年号)
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調のため。
これを読むと、病院で治療を受けるのが怖くなりますねぇ~。。。
。。。でしょう?
デンマンさんは、病気になっても病院へは行かないのですか?
できれば行きたくない。。。 だから、病気にならないように最善の努力を払っているのですよ。。。
でも。。。、でも。。。、病気になったらどうするのですか?
あのねぇ~、人間にも動物にも病気を治すだけの自然治癒力があるのですよう。。。 だから、犬橇を引く野生に近いハスキー犬などを見ていると、病気になると、静かに伏せて出来るだけエネルギーを消費しないようにして安静にして自分の自然治癒力に身を任せるのです。。。
でも。。。、でも。。。、私も、デンマンさんも野生の動物とは違いますわ。。。
でもねぇ~、人間にだって、たとえば、癌に対するナチュラル・キラーが体内で頑張ってくれる。。。 でも、過労だったり、食べ過ぎたり、飲みすぎたり、メタボだったりする人は、免疫力も低下しているし、ナチュラル・キラーの威力も低下している。
デンマンさんは、常に免疫力とナチュラル・キラーの威力を最大に保つように努力しているのですか?
そうです。。。
それでも、たとえば、癌になったら?
僕は食事療法、自然治癒力療法で、出来るだけ医者の厄介にならないように自分で治します。。。
でも。。。、でも。。。、そういう人って、まず居ないと思いますわ。。。
でもねぇ~、質の悪い医者に出会って殺されるよりもマシですよ。。。
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