クラシック鑑賞 22 (PART 1)

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デンマンさん。。。、どういうわけでオイラと たびたびクラシック鑑賞するのですかァ~?

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実は、僕はクラシックは、どちらかと言えば苦手なんだよ。。。
それなのに、どういうわけで、最近オイラと たびたびクラシックを鑑賞するのですか?
オマエは不満なのォ~?
いいえ。。。 デンマンさんと共にクラシックを鑑賞することができるなんてぇ~、天にも昇るような気持ちです。。。 この際、スキップして喜んでもいいですか?

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あのさァ~、いくらなんでも、それはオーバーじゃないのォ~? オマエが以前のようにスキップして喜んだら、この記事を読みにやって来たネット市民の皆様が呆れて他のブログへ飛んでしまうのだよ!
分かりました。。。 じゃあ、スキップして喜びたいのですけれど、デンマンさんが そのように言うのであれば、じっと我慢したいと思います。。。で、いったいどのクラシックの曲を鑑賞するのですか?
オマエが“前奏曲集”の中で書いていた記事から選んだのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!
20.1 Luigi Nono (1924-1990)
Luigi Nonoが死んだ。日本の音楽雑誌の中の小さな記事で、その事を知った。それだけだった。その後は何も無かった。少なくとも、ここカナダでは何の話題も見当らなかった。Post-Webernの一角が崩れたというのにである。
私が持っている彼の作品のレコードを全部取り出して、ひとりで全部聴いた。
全部と言ってもあまりない。売っていないからである。聴いた曲は次の通りである。
<<España en el Corazón>> 1952年
<<Memento: Romance de la Guardia civil española>> 1953年
<<Il canto sospeso>>(部分) 1956年
<<Ha venido-Canciones para Sylvia>> 1960年
<<Omaggio a Emitio Vedova>> 1960年
<<Sur poute di Hiroshima>> 1962年
<<La fabbrica illuminata>> 1964年
<<Ricorda cosa ti hanno fatto in Auschwitz>> 1965年
<<a floresta é jovem e cheja de vida>> 1966年
<<per Bastiana Tai-yang cheng>> 1967年
<<Y entonces comprendio>> 1970年
<<Como una ola de fuerza y luz>> 1972年
<<……sofferte onde serene>> 1976年
L. Nonoは孤立した存在であった、と私は思う。彼が生息する空間は、この世界には存在し得なかったのではないであろうか。その意味で、彼の精神的な状況は真の前衛であった。自由主義諸国と自称する不自由な国々は、彼の革命的な信念を受け容れなかった。社会、共産主義諸国と呼ばれる、元労働者による官僚主義の国々は、彼の前衛的な書法上の自由を認めてはいなかった。双方の傀儡的な政党や勢力も同様であった。何処で、彼が呼吸していられたのか、私には、訝しく思われる程である。私は、ひとりの人間として断固、主張しよう。彼は、彼の音楽と共に、生き抜く自由と権利があったはずだ、と。そして、それはまた、我々の自由と権利でもある、と。彼の告発は資本主義に対してのそれだけではなかった。人類の、この世界の市民の本来的な自由を抑圧する一切の全体主義、権威主義から官僚主義までに亘っている。それ故に、彼の主張するところは、充分に普遍性があった、と私は考えている。最も個人の尊厳を踏みにじり、他人の世界に、いや他人の内面にまで土足で踏み込んでくるのは、それは官僚主義であり、権威主義であるからである。
国家といえども、運命共同体ではない、あり得ない。
では、彼の音楽は? H.H. Stuckenschmidtは、革命的な信條と音楽上のmodernismusの総合、というNonoの立場が、果たして生きていく力を持っているか否か、これは時間が証明するであろう。――と書いていた(Musik des 20 Jahrhunderts)。そこでは、批評家の見解は事実上放棄されている。Stuckenschmidt にとってはNonoの問題は他人ごとなのである。私は、共産主義者ではない。クリスチャンくずれの、老人見習いの境遇にある個人である。それでもなお、Nonoの問題は私の問題でもあるのである。
W. Gieselerは、作品が、その意図された革命的効果を引き出しているのは、音楽からでは全くなく、使用されたtextからなのだ。……今日まで確かな事は、政治的な内容のtext が、必ずしも、音楽の一定のあり方を生み出す訳ではない、ということである。という事は、engagementの音楽は、音楽がいかにつり合っているかということ(それは音楽とは全く無関係である)によるのではなく、作曲家のそのtext に対する態度から生ずるからである。――と書いている(Komposition im 20. Jahrhundert)。
私は、これを読んだ時、例えば、筋書きを知らずにOperaを聴き、言葉が解らずにLiedを聴く事が、あたかも、聴き手にとって音楽を理解するに最良の態度である、と主張されたように受け取った。政治的なmessageに限って、それはそれほどまでに音楽とは全く無関係であり得るのであろうか。悪しきAkademistは聴き手を疎外する、という意味で、やはり官僚主義的である。はっきりと私は言おう。音楽がいかにtextにつり合っているかは、textを伴った作品に於いては、必須であるどころか、その本質である、と。さもなければ、古くは典礼音楽もまた、その宗教的な効果を引き出しているのは、音楽からでは全く無く、使用されたtextからなのだ、という事も認めなければならないであろう。言葉を伴った作品は、音楽とtextの総合としてしか存在し得ないはずである。
ソプラノが悲鳴をあげている時は、愛をささやいている場面の時ではない。そのpassageを楽器が鳴らす時は、その悲鳴を引用しているのである。仮に、音楽が何かを表現するのに微力であったとしても、音楽と共に、総合としての作品はそれを表出する。それこそを、私はtextに対する態度、と呼ぶと共に、Nonoは充分に作曲家としての役割を果たしている、と思うのである。
全く、Nonoのように自己の役割を完全に果たしきっている人、個人の姿をみる事は感動的である。私は、Post-Webernの音楽を支持するつもりはない。それでも、私は、Nonoに、Luigi Nonoの音楽に共鳴しているのである。
蛇足(コーダ):
<Engagement>という言葉を<政治参加>と翻訳すべきではない。それは、J.P. Sartreの場合にしろL. Nonoの場合にしろ、彼らの哲学、思想、主張、作品を矮小化するからである。<Engagement>は<政治>に限って言われた訳ではないはずである。<Engagement>は<engagement>のままでよい。その方が実際的でもある。
全く、二十世紀の最大の問題は官僚主義であった。これは、まだ続くのか。
初稿:1990年12月29日、改訂:2006年2月14日。
84-85ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書-作品 1の1』より
デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

あのさァ~、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やイタリア語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。
それは、オマエの極めて個人的な見解だと思うのだよ! むしろ独断と偏見だと言っていい。。。 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!
134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?
いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。
マジで。。。?
僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。
20.1 ルイジ・ノーノ
(1924-1990)

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ルイジ・ノーノが死んだ。
日本の音楽雑誌の中の小さな記事で、その事を知った。
それだけだった。
その後は何も無かった。
少なくとも、ここカナダでは何の話題も見当らなかった。
新ウィーン楽派の中核メンバーであるアントン・ヴェーベルン以降の作曲家の一角が崩れたというのにである。
私が持っている彼の作品のレコードを全部取り出して、ひとりで全部聴いた。
全部と言ってもあまりない。
売っていないからである。
聴いた曲は次の通りである。
《心の中のスペイン》 1952年
《思い出: スペイン治安警備隊のロマンス》
1953年
《断ち切られた歌》(部分) 1956年
《シルヴィアの歌が聞こえてきた》 1960年
《エミリオ・ヴェドヴァへのトリビュート》 1960年
《広島の途中で》 1962年
《光の工房》 1964年
《アウシュヴィッツの出来事の追憶》 1965年
《森は若くて人生に満ちている》 1966年
《バスティアナのために》 1967年
《そして、彼は理解した》 1970年
《力と光の波のように》 1972年
《苦悩に満ちながらも晴朗な波》 1976年
ルイジ・ノーノは孤立した存在であった、と私は思う。
彼が生息する空間は、この世界には存在し得なかったのではないであろうか。
その意味で、彼の精神的な状況は真の前衛であった。
自由主義諸国と自称する不自由な国々は、彼の革命的な信念を受け容れなかった。
社会、共産主義諸国と呼ばれる、元労働者による官僚主義の国々は、彼の前衛的な書法上の自由を認めてはいなかった。
双方の傀儡的な政党や勢力も同様であった。
何処で、彼が呼吸していられたのか、私には、訝しく思われる程である。
私は、ひとりの人間として断固、主張しよう。
彼は、彼の音楽と共に、生き抜く自由と権利があったはずだ、と。
そして、それはまた、我々の自由と権利でもある、と。
彼の告発は資本主義に対してのそれだけではなかった。
人類の、この世界の市民の本来的な自由を抑圧する一切の全体主義、権威主義から官僚主義までに亘っている。
それ故に、彼の主張するところは、充分に普遍性があった、と私は考えている。
最も個人の尊厳を踏みにじり、他人の世界に、いや他人の内面にまで土足で踏み込んでくるのは、それは官僚主義であり、権威主義であるからである。
国家といえども、運命共同体ではない、あり得ない。
では、彼の音楽は?
ハンス・ハインズ・スタッケンシュミットは、「革命的な信條と音楽上のモダニズムの総合、というルイジ・ノーノの立場が、果たして生きていく力を持っているか否か、これは時間が証明するであろう」と書いていた(『20世紀の音楽』)。
そこでは、批評家の見解は事実上放棄されている。
スタッケンシュミットにとってはルイジ・ノーノの問題は他人ごとなのである。
私は、共産主義者ではない。
クリスチャンくずれの、老人見習いの境遇にある個人である。
それでもなお、ルイジ・ノーノの問題は私の問題でもあるのである。
ヴァルター・ギーゼラーは、作品が、その意図された革命的効果を引き出しているのは、音楽からでは全くなく、使用されたテキストからなのだ。
……今日まで確かな事は、政治的な内容のテキストが、必ずしも、音楽の一定のあり方を生み出す訳ではない、ということである。
という事は、「エンゲージメント(engagement)の音楽は、音楽がいかにつり合っているかということ(それは音楽とは全く無関係である)によるのではなく、作曲家のそのテキストに対する態度から生ずるからである」と、ヴァルター・ギーゼラーは書いている(『20世紀の作曲』)。
私は、これを読んだ時、例えば、筋書きを知らずにオペラを聴き、言葉が解らずに歌詞を聴く事が、あたかも、聴き手にとって音楽を理解するに最良の態度である、と主張されたように受け取った。
政治的なメッセージに限って、それはそれほどまでに音楽とは全く無関係であり得るのであろうか。
悪しき伝統主義・権威主義は聴き手を疎外する、という意味で、やはり官僚主義的である。
はっきりと私は言おう。
音楽がいかにテキストにつり合っているかは、テキストを伴った作品に於いては、必須であるどころか、その本質である、と。
さもなければ、古くは典礼音楽もまた、その宗教的な効果を引き出しているのは、音楽からでは全く無く、使用されたテキストからなのだ、という事も認めなければならないであろう。
言葉を伴った作品は、音楽とテキストの総合としてしか存在し得ないはずである。
ソプラノが悲鳴をあげている時は、愛をささやいている場面の時ではない。
そのパッセージを楽器が鳴らす時は、その悲鳴を引用しているのである。
仮に、音楽が何かを表現するのに微力であったとしても、音楽と共に、総合としての作品はそれを表出する。
それこそを、私はテキストに対する態度、と呼ぶと共に、ルイジ・ノーノは充分に作曲家としての役割を果たしている、と思うのである。
全く、ルイジ・ノーノのように自己の役割を完全に果たしきっている人、個人の姿をみる事は感動的である。
私は、新ウィーン楽派の中核メンバーであるアントン・ヴェーベルン以降の作曲家の音楽を支持するつもりはない。
それでも、私は、ルイジ・ノーノに、彼の音楽に共鳴しているのである。

蛇足 (コーダ):
<エンゲージメント>という言葉を<政治参加>と翻訳すべきではない。
それは、ジャン=ポール・サルトルの場合にしろルイジ・ノーノの場合にしろ、彼らの哲学、思想、主張、作品を矮小化するからである。
<エンゲージメント>は<政治>に限って言われた訳ではないはずである。
<エンゲージメント>は<エンゲージメント>のままでよい。
その方が実際的でもある。
全く、二十世紀の最大の問題は官僚主義であった。
これは、まだ続くのか。
初稿:1990年12月29日、改訂:2006年2月14日。
(赤字はデンマンが強調)
84-85ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書-作品 1の1』より
デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

オイラが書いた上の文章のどこにデンマンさんはムカついたのですかァ~?

いや。。。 ムカついたわけじゃない。。。 でもさァ~、僕にはルイジ・ノーノの上のどの曲を聴いても、素晴らしいとは思えない! はっきり言うと、雑音に近いのだよ。。。 癒されるどころか不快を通り越して、僕は気が変になるんじゃないかと思って、すぐに聴くのを止めて次の曲を聴いたのだけれど、また不快になって、すぐに聴くのを止めて次の曲に移ったのだけれど、同じことの繰り返しだったよ。。。
それは、ルイジ・ノーノの音楽を侮辱していると思います。
オマエは、一人で全部の曲を聴いたと言ったけれど、よく精神が異常にならなかったねぇ~。。。
生きているルイジ・ノーノが それを聞いたら、デンマンさんは呪い殺されますよう。。。
あのさァ~、オマエは「彼は、彼の音楽と共に、生き抜く自由と権利があったはずだ、と。 そして、それはまた、我々の自由と権利でもある」と書いているけれど、それは僕にも十分に理解できるのだよ!
つまり、ルイジ・ノーノは彼の音楽と共に、生き抜く自由と権利があるとデンマンさんは理解しているのですねぇ~?
そうだよ。。。 それと同時に、聴く方も彼の音楽に対して好感を持つか? それとも嫌悪感を持つか? それを感じる自由と権利があると思うのだよ。。。
それは当然の事でしょうねぇ~。。。 でも、オイラが問題にしているのは、自由主義諸国と自称する不自由な国々は、彼の革命的な信念を受け容れなかった、ということですよ。。。
でもさァ~、自由主義諸国と自称する不自由な国々だってぇ、受け入れるか? 受け入れないか? それを決める自由と権利があると思うのだよ。。。
つまり、ルイジ・ノーノは、彼の音楽を受け入れる国へ行けばいいというだけの事だと、デンマンさんは言うのですか?
その通りだよ! オマエも国家といえども、運命共同体ではない、あり得ないと書いている。。。 僕もその通りだと思うよ。。。 だから、ルイジ・ノーノは、彼の音楽を受け入れる国へ行けばいいのだよ。。。
もし、どの国も受け入れないとしたら?
そしたら、徳川家康のように待つのだよ!

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鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

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鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス

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鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

ルイジ・ノーノは、待つだけしか選択肢がないのですか?

だってぇさァ~、ルイジ・ノーノは死んでしまったのだよう。。。 日本が彼の音楽を受け入れないと決めたとしても、首相の安倍さんや閣僚を殺せないし。。。 現在の日本国民に自分の音楽を好きになってもらおうとしても、編曲したり、新しい曲を書くことができない。。。 だから、墓の中に入っているルイジ・ノーノは、待つしかないのだよう。。。

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(すぐ下のページへ続く)