お皿をぺろぺろ(PART 1)
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デンマンさん。。。 ついに、猫と犬を飼ったのですか?
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いや。。。、僕のマンションはペットはダメなのですよう。。。
あらっ。。。 残念ですわねぇ~。。。
真由美ちゃんの黒猫のマヤは元気ですか?
相変わらず遊び好きで私が帰ると、もうまとわりついて離れません。。。
じゃあ、真由美ちゃんが結婚して子供ができたら、上の猫のように、赤ちゃんをペロペロ舐めるかもねぇ~。。。
そうですねぇ~。。。 なんだか上の猫のクリップを見るとほほえましいですよねぇ~。。。 ところで、どういうわけでお皿をぺろぺろというタイトルにしたのですかァ~?
あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で本を借りて読んでいたら、次の箇所に出くわしたのですよう。。。
ショートケーキ
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小学3年生のある日、友達の誕生会に招かれたときのこと。
ぼくは初めてイチゴのショートケーキを食べたんです。
気がついたら、お皿をぺろぺろなめていました。
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「あら、辻口君、そんなに気にいったん。 辻口君のうちにはこんなにおいしいお菓子ないんでしょう」
「ヒロんちはまんじゅうとか羊羹とか、じいちゃんばあちゃんが食うもんしか売っとらんしな」
こんなにおいしいお菓子が、世の中にあるんだと衝撃を受けました。
とくに生クリームのおいしさにびっくりして。
確かにうちの店にはこれほどおいしいお菓子はないと思いました。
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辻口博啓 (パティシエ)
国内外のコンクールで数々の優勝経験を持つ。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
33-34ページ 『わたしが子どもだったころ 3』
編者: NHK「わたしが子どもだったころ」制作グループ
2012年3月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 ポプラ社
確かに、こういう時って誰にもありますよねぇ~。。。
真由美ちゃんは、食べ物の中では何に いちばん感動したァ~?
私は小学生の時にモンブランを食べて、こんな美味しい物があるんだと感激して、お菓子職人になる夢を持ちましたわァ~。。。
モンブラン
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モンブランとは、栗をふんだんに使ったケーキである。
山の形に似せて作ったことからこう呼ばれる。
名前の由来は、アルプス山脈のモンブランであり、フランス語で「白い山」を意味する。
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フランス語ではモン・ブラン・オ・マロン(Mont Blanc aux marrons)、栗のモンブランの意。
または短くMont Blancとも。
地方によってはトルシュ・オー・マロンと呼ばれる。
尚、上に降りかけられる白い粉砂糖は雪を表している。
山名と同様にイタリアではモンテ・ビアンコ(Monte Bianco)と呼ばれる。
由来
このケーキはフランス・サヴォワ県と隣接するイタリア・ピエモンテ州の家庭菓子が原型であり、当初はクリのペーストに泡立てた生クリームを添えたデセール(冷菓)であった。
これをもとに、モンブランを看板メニューとする1907年創業のパリ1区リヴォリ通りの老舗カフェ「アンジェリーナ」が、クリームをメレンゲ上に搾り出した形に発展させた。
もっとも、この製品化の時期は詳らかではない。
このケーキには、長時間シロップに漬けられて形の崩れたマロングラッセをつぶし、ペースト状にしたものがかけられる。
その形はモンブラン山を真似たものであり、フランスでは山の丸みを帯びたドーム状の曲線が、イタリアでは氷河に削り取られた峻厳な岩肌がケーキに投影されることとなった。
日本では東京・自由が丘の「モンブラン」初代店主・迫田千万億が1933年にフランス・シャモニーを旅した際にこれを知り、つくる許可を取った。
土台をメレンゲからカステラにし、クリのクリームもヨーロッパの茶色のものではなく、日本人になじみ深い黄色の甘露煮を用いるアレンジを加え、持ち帰りのできるガトー(焼き菓子)として完成させた。
これは日本で初めてのことであったが、名が広がることを望んだ迫田が「モンブラン」を商標登録しなかったため、黄色いモンブランは日本全国に普及する。
そして1984年の「アンジェリーナ」日本進出を契機に、わが国にも茶色いモンブランは進出、同様に支持されるに至っている。
バリエーション
日本ではクリ以外にも、サツマイモやカボチャなどが使われる。
また、栗のクリームに抹茶を混ぜ込んだ抹茶のモンブランや、ココアを混ぜ込んだチョコレートモンブランなどもある。
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更には栗を使用せず、生クリームにいちごやマンゴー等の果汁を混ぜ込こんで風味付けをしたモンブランもある。
出典: 「モンブラン (ケーキ)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なるほどォ~。。。 モンブランねぇ~。。。 僕も、モンブランが好物ですよう。。。 真由美ちゃんがお菓子職人を夢見る気持ちになったのが分かる気がします。。。
。。。で、デンマンさんは?
あのねぇ~、上の本の中で辻口さんが「小学3年生のある日、友達の誕生会に招かれたときのこと。 ぼくは初めてイチゴのショートケーキを食べたんです。 気がついたら、お皿をぺろぺろなめていました」というのを読んだ時に、小学校3年生のときに館林から転校して来た小野田猛君の家に遊びに行ったときに、お母さんが出してくれた紅茶のことを僕は思い出したのですよ。。。
紅茶ですか?
そうです。。。 今ならば、珍しくもなんともないけれど、当時 僕はコーヒーも紅茶も飲んだことがなかった。。。 昭和30年代の行田市の「銀座」、本町通りには、当時は喫茶店なんてなかった。。。 十万石の本店でお店の一角をテーブルと椅子を並べてソフトアイスクリームを食べさせていたけれど、ハイカラな店といえば、そのぐらいでした。。。
。。。で、デンマンさんには「紅茶」が外国の飲み物の初体験だったのですかァ~?
そうなのですよ。。。 あの味に、僕は西洋を感じました。。。 コーヒーを初めて飲んだのは中学生の頃だったと思うのです。。。 そう言えば、中学1年生の遠足の時に、友達と初めてコカコーラを飲んだけれど、あの刺激的な味は旨いとは思わなかった。。。 なんとなく薬を舐めたような感覚でしたねぇ~。。。
つまり、上の本を読んで小学生の時の紅茶を飲んだ初体験が生々しく思い出されたというわけですかァ~?
そういうことです。。。 でも、それだけではなかった。。。 次の箇所を読んだら考えさせられましたよ。。。
与一さんの話
わたしが奉公にきたとき与一さんは三十前くらいだったでしょうか。
包丁さばきとか、盛り付けるときのまなざしとか、その仕事ぶりは小僧の目から見てもきれいだった。
寡黙で下の者に声を荒らげることもなく、どこか近寄りがたい雰囲気もあって、ひそかにあこがれていました。
夜中にひとり試作をくり返して、かつおの焼き霜降りとか、すずきの湯引きとか、独創的な料理を考え出すなど、研究熱心で腕のいい料理人でした。
その与一さんがある晩、一冊の本を持ってわたしのところにやってきました。
「おまえちゃんと勉強してるか。 読み書きできるか。 おれが確かめてやる。 これを読んでみよ」
それは日本料理の教科書みたいな本で、献立とか作り方が書いてある。
わたしは言われるままに声を出して読みました。
与一さんはそれをじっと聞いている。
へんだなあとは思いつつ、そのときには気づかなかったのですが、与一さんは実は字が読めなかったのです。
大正時代、東北の田舎で生まれ育った与一さんは、学校へもろくに行かれないまま、遠く静岡まで奉公にきて、努力して一人前の板前になった人です。
三十代なかばで独立し自分の店をもったのですが、ほどなくして自殺してしまった。
いくら腕が良くても、読み書きができなければ一人前の料理人になれない、ましてや店の経営はむりでしょう。
そのことを隠して仕事をつづけるのはどれほどつらかったことか。
職人としての腕がたつだけにその苦悩は深く、前途を悲観したんだと思います。(略)
「技術だけではだめなんだ、勉強しなければ。 おれは負けない、負けないぞ……」
与一さんの死は、いろいろなことを教えてくれました。
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小野二郎
大正14(1925)年静岡県生まれ。
7歳で割烹旅館「福田屋」に奉公。
平成19年から4年連続で世界中のレストラン約600万件の中から、約100件が選出されるレストランガイド「ミシュラン」の三ツ星を獲得。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
222-223ページ 『わたしが子どもだったころ 1』
編者: NHK「わたしが子どもだったころ」制作グループ
2012年3月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 ポプラ社
どうですか、真由美ちゃん? 上のエピソードを読んで。。。?
与一さんと私は同じ職人なので、なんとなく身につまされるお話ですよねぇ~。。。
真由美ちゃんにも何か苦い経験がある?
ありますよう。。。 私はバンクーバーにやって来て、最初にベーグル職人として働きたくて、いろいろと求人広告に応募したのですけれど、英語が話せなかったので、全部ダメでした。。。
だけど、日本で一応英会話の勉強したんでしょう?
そうです。。。 自分なりに、これぐらい英語がしゃべれれば大丈夫かな?。。。と思ったのですけれど、全然ダメでした。。。 ベーグルの作り方を知ってはいても、やっぱり、チームワークで働くので、ミーティングだとか、時にはお客様との対応などもあって、英語の会話力がやっぱりないとダメだったんです。。。
それはそうだろうねぇ~。。。 ずっと黙ったままで仕事ができるわけではないもんねぇ~。。。 英語でコミュニケーションができなければならないのは、どんな仕事でも同じですよ。。。
与一さんの場合は字が読めないのだから、やっぱり、相当なハンディーがあったでしょうねぇ~。。。 それに劣等感とか。。。
そうですよう。。。 次郎さんも書いているように職人としての腕がたつだけにその苦悩は深く、前途を悲観して自殺してしまったのですよう。。。
。。。で、デンマンさんにも、何か似たような経験があるのですかァ~?
ありますよう。。。 僕が初めてトロントに着いた時、それは僕の初めての海外旅行でもあったのですよ。。。
つまり、デンマンさんがカナダに移住したときですねぇ~。。。
そうです。。。 1週間ぐらいしてから、下宿も決まって、落ち着いたので銀行に口座を開こうとした。。。、トロント・ドミニオン銀行のトロント本店に行ったのです。。。 でも、女子行員にいくら僕が説明しても、思うように口座が開設できないのですよう。。。
どうしてですか?
口座にもいろいろな種類があるでしょう。。。 たとえば、小切手が切れる口座だとか、日本で言えば、普通貯金口座だとか、定期預金口座だとか。。。 僕はガイドブックを読んで、小切手も切れるし、しかも利子もつくような口座が開きたいと言ってるのだけれど、相手の女子行員は、全く僕の言うことが理解できないみたいで、挙句の果てに、同僚の女の子を呼んできて「あなた、この人の言ってることわかる?」とか何とか言って、そのうち「なんだか、わけの分からない事を言ってるのよねぇ~」とか言って、一緒に僕を馬鹿にして笑っているのですよう。。。
それでは デンマンさんもアタマにくるでしょう?
そうですよう。。。 今ならば、間違いなく「テメエたち、いいかげんにしろよう! この馬鹿アマ! その態度は何だァ~! 支店長を出せ!」と喚いて、大騒ぎを起こすことができるけれど、残念ながら喧嘩するほどの会話力がなかった!
それで、どうしたのですか?
諦めるしかないですよう。。。 これは何が何でも会話力をつけるしかないと思って、カナダ人の馬鹿アマを教えるぐらいの会話力を身につけようと努力しました。。。 やがてバンクーバーにやって来てから、州立ランガラ・カレッジでコンピューターのソフトウェアを教えるようになったのですよ。。。
つまり、この事が言いたかったのですか?
いや。。。 まだ他にも言いたいことがあるのですよう。。。 僕は、かれこれ半年以上も あの悪名高い「現実主義者」と名乗る男とコメントのやり取りをしているのだけれど、この男が 自分でも認める「クズの廃人」超絶馬鹿野郎なんですよう。。。
マジで。。。?
真由美ちゃんも次の記事を読めば、この男の愚かさが分かります。。。
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■『クズの廃人 現実主義者』
この愚かな男は、なぜ愚かなのか?と言うと、自分で「生きる価値のないクズの廃人」と認めているくせに、大きな顔をしてネットで教養のない、意味不明なコメントを書き込んで、嫌われ、憎まれ、恨まれているのですよう。。。
つまり、「生きる価値のないクズの廃人」だと認め、悲観していながらも、自殺しないで雑草のごとく生きながらえているのですか?
その通りですよう。。。 で、なぜ生きていられるのか?
デンマンさんは不思議に思ったのですか?
そうです。。。 与一さんのエピソードを読んでから考えさせられたわけです。。。
。。。で、納得のゆく答えが見つかったのですか?
見つかりました。。。 この男は偏差値が30台で、クソ大学に入学したのだけれど、手に負えなくて、このまま大学に留年させておくと大学の評判が更に悪くなるので、理事会で議論した結果、仕方なく卒業させたのです。。。
つまり、字は読めるのですねぇ~?
そういうことです。。。 要するに字が読めれば自殺しないと言うことですか?
いや。。。 そうじゃありません。。。 字が読めても自殺する人は後を絶たないのだから。。。
じゃあ、「現実主義者」と名乗る人は「生きる価値のないクズの廃人」だと認め悲観しているのに、どういうわけで自殺しないのですか?
簡単なことですよ。。。 与一さんは職人としての腕がたつ。。。 しかも、三十代なかばで独立し自分の店をもったのですよ。。。 つまり、職人としての才能と自尊心があった。。。 ところが与一さんは字が読めないために、思うように経営が成り立たない、そのため悲観して自殺してしまった。
「現実主義者」と名乗る人はクソ大学だけれど、大学を出てますよねぇ~。。。
そうです。。。 でもねぇ~、この男には、字が読めても、与一さんと違って他人に誇れる、社会に誇れる、技術を持っているわけじゃない、業績があるわけじゃない。。。 プラスと思えるようなものが何一つないわけですよう。。。 とにかく偏差値が30台だから。。。 本人は「生きる価値のないクズの廃人」だと思い込んでいる。。。 でも、失うものや誇れるものが何もないから、「悲観するにしても」悲観する材料が何もないわけですよう。。。 夢も希望も元々何も無いのだから。。。 要するに悲観したくても悲観できない!
だから、嫌われながらも、恨まれながらも、憎まれながらも、ノー天気に、のほほんとして惰性で生きているわけですかァ~?
そうですよう。。。 それ以外に考えられないでしょう?
それほど、無責任で、無気力で、無関心で、無努力で、無感動な人間がいるのでしょうか?
だから、「現実主義者」と名乗る男がその見本ですよう。。。
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