町子さんとエスカルゴ (PART 2 OF 3)
投稿日時: 2008/07/14 04:21 (ロンドン時間)
日本時間: 7月14日 午後12時21分
バンクーバー時間: 7月13日 午後8時21分
6歳上の叔母さん
末っ子だったの?
そうです。そうです。。。
13人の末っ子です。
間が4人亡くなっています。
だから デンマンさんの
お姉さんになって いろいろ 買ってくれたり
連れて行って くれたり、お世話したかったのね。
デンマンさんは 幸せ。
確かにその通りですよう。
僕は、この叔母には甘えっぱなしです。
この叔母は、ずいぶんと苦労しましたよう。
夫は高校の英語の先生でした。
でも、高校を辞めて、運送会社を起こそうとしたのです。
夫の実家が運送会社をしていたからでしょう。
でも、それはうまくは行かなかった。
それで、本屋を始めたのですよう。
でも、これもうまくは行かなかった。
本屋のチェーン店ができたり、
アマゾンが日本に進出したりで、
個人本屋はやってゆけなくなった。
結局、借金がかさんで、家も土地も銀行に取られてしまいましたよう。
この叔父は診断ミス・診療ミスで亡くなってしまったのです。
この時のことを叔母からの手紙を基にして書きました。
時間があったら次のリンクをクリックして読んでみてください。
■ 『診断ミス・診療ミスによる死亡例』
固有名詞は仮名にしてありますが、内容はそのままです。
叔母の手紙も、名前は仮名ですが、そのまま書きました。
2時間10分の国際電話。
電話ではあっという間に時間が流れ、
喫茶店の思い出まで 連れてきてくれて
声って不思議ですね。
鼻や耳で記憶を フッ っと呼び戻す時って
一瞬で はやい。
うん、うん、うん。。。
そうです。そうですよう。。。
ずいぶんと叔母は苦労しましたが、
“夢とロマン”をこの叔母は、今でも持っています。
それを必ず僕とは話しますね。
叔母とは1歳の時から長い長い付き合いになりました。
『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より
デンマンさんの叔母さんも苦労しやはったんやねぇ~?
そうなのですよう。考えてみたら、僕は叔母には甘えっぱなしだったですね。小百合さんも書いているけれど、全くその通りだったですよう。
だから デンマンさんの
お姉さんになって いろいろ 買ってくれたり
連れて行って くれたり、お世話したかったのね。
デンマンさんは 幸せ。
でもねぇ、心残りは、恩返しするつもりが、大事なときに恩返しができずに、叔母と叔父の借金がかさんで、家も土地も銀行に取られてしまったのですよう。
それほど大きな借金だったのですか?
そうなのですよう。ちょうどバブルの時期で、銀行もお金を貸したくって仕方が無い。だから、叔母も叔父も深く考えないで大金を借りてしまった。でも、バブルが崩壊したら、銀行の態度も手の平を返すように変わってしまって、結局、家も土地も銀行に取られてしまいましたよう。
それで、叔父さんは診断ミス・診療ミスで亡くなってしまったのォ~?
そうなのですよう。運が悪いと言ってしまえばそれまでだけれど、運の無い人ってそういうものなんですよね。叔父の人生は、波乱に富んでいたけれど、結局、“嗚呼、無情!”という人生でしたよう。
。。。で、話は変わりますけれど、デンマンさんも佐野の山の家に行ったのォ~?
行きましたよう。
田舎だったでしょう?
そうなのですよう。僕は、町子さんから聞いていたからビックリしなかったけれど、何も知らずに行ったら、腰を抜かさないまでも、山奥に来てしまったと思って、熊が出てくるのではないか?とビビッてしまうでしょうねぇ。うへへへへ。。。
露天風呂にも入ったのォ~?
入ったのですよう。町子さんの時には、初代の露天風呂だったでしょう?
初代ってぇ~。。。?
僕の時には使えなくなった風呂桶がサンデッキの片隅に置いてあって、新しい風呂桶だったのですよう。古いのを見て、町子さんが入ったのはこれに違いないと思いましたよう。
そうですねん。わたしの時には風呂桶は一つしかありませんでしたわ。
それで、覗き魔がやって来ませんでしたか?
あんな山奥に、覗きに来る物好きは居ませんわよう。うふふふふ。。。
僕は軽井沢の別荘にも行ったのですよう。
あらっ。。。小百合さんは軽井沢に別荘を買ったのォ~?
そうなのですよう。田中角栄が持っていたという別荘も見てきましたよう。
すごいのですか?
大きな敷地に、玄関まで門からかなりあって、別荘の一部しか見えませんでしたよう。
小百合さんの別荘も角さんの別荘のすぐそばなの?
いや、同じ旧軽井沢でも、少し離れていて、小百合さんの別荘は管理し易いようにと一戸建てではなくマンションですよう。
あら、そうなの?さっちゃんはステータスシンボルが欲しくなったのかしら?
実は、僕も、初めそう思ったのだけれど、話を聞くと、子供の頃から軽井沢に夢とロマンを持っていたようです。
小百合さんの聖地
軽井沢は ずーっと 願いだったから、
分かっていますよう。
軽井沢は、小百合さんにとって子供の頃からの“聖地”ですからね。
ついに、一生に一度の“巡礼”を実現したようなものですよう。
小百合さんも、実は、“夢とロマンの人”なのですよう!
でもバンクーバーは 私と子供のふる里で
夏の間 子育てをのんびりできた ふる里ですよ
時がたっても 忘れられない場所になりました。
あの家に着いた日 「ただいま~」っと大声で入る
夏のスタートでした。
そうでしょう。。。そうでしょう。。。!
■ 『本音と小百合さん』
(2008年1月11日)
小百合さんも上の記事の中で書いていましたからね。。。
“13年間、私の心の支えでした”と。。。
軽井沢は13年間 持ち続けて いけるかな~
どうかな?
とにかく、小百合さんは夢とロマンを実現させたのだから、充分に、人生で意味のあることを成し遂げたのですよう!
小百合さんが夢とロマンを実現する様子を、僕は遠くからじっくりと見させてもらったのです。
ちょうど、その時期に小百合さんと再会したと言うことに、僕は運命的なものを感じるのですよう!
そのこともあって、僕はなぜか小百合さんに“ハマッテ”いるのですよう!
うしししし。。。
実は、小百合さんは“夢とロマンの人”ばかりじゃなく、“女っぽい女”でもあるのです。
デンマンさんは、私がレンゲさんのような
ロマンチックな女だと期待しているようですが、
私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。
主人も私のことを「中性脂肪」だと言います。
小百合さんは、このように言うけれど、小百合さんにも旦那にも
小百合さんの中に“女っぽい女”が見えない。
なぜ?
次のような事を言う人が居るのです。
人は、接する相手によって意識、無意識的に言動も人格像も
微妙に(あるいは大きく)変わるし、
本質的な欠損や美点は案外自分には分からず、他人にしか見えない。
でもそれが、人がこの世で生きていると言うことだ。
「自分の事は自分が一番良く分かる」というのは、
たしかに一半の真理だが、一半でしかない。
残りの半分は、むしろ本人にはわかり得ないものだ。
夏目房之介・著書『孫が読む漱石』
(255ページの終わりから256ページにかけて)
そうですよう!その通りです!
小百合さんにも見えない、旦那にも見えない“女っぽい女”を、このデンマンは、小百合さんの中にしっかりと見ているのですよう!
。。。で、どう言う所が女っぽいの?
例えば、次のようなところです。
(すぐ下のページへ続く)