朝の0830から1600まで病院。予約無しなので、長いこと待たされる。視野検査のため。司法試験の択一受験の特例措置申請のための添付診断書を書いてもらうため。待ち時間、iPodが大活躍。高橋愛ちゃんのラジオを聞く。待ち時間あっという間。
2年前の診察の時は、心が不安だった。択一試験に落ちて、職を探すために、障害者手帳取得のために診断書を書いてもらう。この時は、心不安定。待合い室で、小さい子供をつれた順番待ちの家族を見るだけで、悲しくなった。網膜色素変性症な私デスペア。視野が狭い私。そのことをなんとか、周りの患者に知られまいとしていた。
時が流れ、今日。暗い検査室に向かう私と看護師。暗いところも見えない私。それに気づき、手を差し出す看護師。昔の私なら、断っていただろう。今日は、自然と手を差し出し、看護師に手を引かれる。すんなり受け入れることができた。自然な感情。特に屈辱感とか被差別感とかは感じない。これが私。
検査も終わり、診察。気になるのは、私の視野。狭まっているのは日常生活においても感じていたが、検査結果としても確実に狭まっていた。普通ならショック。医者もそれを見越して、丁寧に言葉を選んで、視野が狭まったことを説明する。でもね、今日の私。司法試験受験生の私。まったくショックはない。悲しみはない。検査結果が、私に確実に、試験時間の延長を与えてくる。プラス105分。択一はこれでほぼ受かるだろう。
でもね、病院の自動支払機で料金をはらい(どんどんリストラ、これも大学が独立法人化されたせいか、でもこの自動支払機は非常に便利)、病院を出ると。ヤツが私の心を襲ってきた。そうそれは7年前、択一に受かり、論文の直前勉強をしていた時に感じた、絶望感。努力が報われないとの絶望感。どうせ目が見えなくなるのに・・・との絶望感。この絶望感がまた、私を襲う。
獲得した(or捕獲した)はずの絶望感が、多大な努力を必要とする時、そう司法試験の勉強をしようとするときには、絶望感が私の心を捕獲する。
「ばかだなぁ おまえは。去年、一昨年合格者が1500人の時も、お前は視野が狭かったのに、どうして特例措置を申請しなかったんだぁ。ばかだなぁ、おまえは。今年は合格者500人だぜ。無理だ。無理だやめておけ。」
絶望感が私に語りかける。
「万が一受かったとしても、視野の狭いお前が弁護士になって、現場に赴いてバリバリ仕事をこなせるのか?せいぜい、市役所の法律相談ぐらいの仕事だろうよ。金儲けは無理だねお前には。かといって、手弁当の人権派弁護士になろうにも、お前は視野が狭く、活動範囲がせまいので、役にたたねぇーよ。つらい勉強の後にも、つらい現実しかお前にはないんだよ!!」
この絶望感のすばらしい論理を、私は崩せない。
崩せないけど、なぜか私には、希望がみえてきたよ。
絶望感が提示する論理は真理。だから、崩せない。それにやっと気づいたよ。崩せないすなわち、崩す必要がない。絶望感を消滅させようとするのではなく、その絶望感を獲得すればいい。その上で、なにか別の私の論理をつくればいいんだ。なんだ、やっと分かったよ。それが希望なんだな。絶望と希望はオールタナティブのようで、実は、アンビバレント。分けることはできないものなんだね。やっと分かったよ。
今度こそ、絶望感を獲得できそうだよ。
(●´ー`)< がんばるベアー!
ウン!
川v)<フフッ 無理 無理。
2年前の診察の時は、心が不安だった。択一試験に落ちて、職を探すために、障害者手帳取得のために診断書を書いてもらう。この時は、心不安定。待合い室で、小さい子供をつれた順番待ちの家族を見るだけで、悲しくなった。網膜色素変性症な私デスペア。視野が狭い私。そのことをなんとか、周りの患者に知られまいとしていた。
時が流れ、今日。暗い検査室に向かう私と看護師。暗いところも見えない私。それに気づき、手を差し出す看護師。昔の私なら、断っていただろう。今日は、自然と手を差し出し、看護師に手を引かれる。すんなり受け入れることができた。自然な感情。特に屈辱感とか被差別感とかは感じない。これが私。
検査も終わり、診察。気になるのは、私の視野。狭まっているのは日常生活においても感じていたが、検査結果としても確実に狭まっていた。普通ならショック。医者もそれを見越して、丁寧に言葉を選んで、視野が狭まったことを説明する。でもね、今日の私。司法試験受験生の私。まったくショックはない。悲しみはない。検査結果が、私に確実に、試験時間の延長を与えてくる。プラス105分。択一はこれでほぼ受かるだろう。
でもね、病院の自動支払機で料金をはらい(どんどんリストラ、これも大学が独立法人化されたせいか、でもこの自動支払機は非常に便利)、病院を出ると。ヤツが私の心を襲ってきた。そうそれは7年前、択一に受かり、論文の直前勉強をしていた時に感じた、絶望感。努力が報われないとの絶望感。どうせ目が見えなくなるのに・・・との絶望感。この絶望感がまた、私を襲う。
獲得した(or捕獲した)はずの絶望感が、多大な努力を必要とする時、そう司法試験の勉強をしようとするときには、絶望感が私の心を捕獲する。
「ばかだなぁ おまえは。去年、一昨年合格者が1500人の時も、お前は視野が狭かったのに、どうして特例措置を申請しなかったんだぁ。ばかだなぁ、おまえは。今年は合格者500人だぜ。無理だ。無理だやめておけ。」
絶望感が私に語りかける。
「万が一受かったとしても、視野の狭いお前が弁護士になって、現場に赴いてバリバリ仕事をこなせるのか?せいぜい、市役所の法律相談ぐらいの仕事だろうよ。金儲けは無理だねお前には。かといって、手弁当の人権派弁護士になろうにも、お前は視野が狭く、活動範囲がせまいので、役にたたねぇーよ。つらい勉強の後にも、つらい現実しかお前にはないんだよ!!」
この絶望感のすばらしい論理を、私は崩せない。
崩せないけど、なぜか私には、希望がみえてきたよ。
絶望感が提示する論理は真理。だから、崩せない。それにやっと気づいたよ。崩せないすなわち、崩す必要がない。絶望感を消滅させようとするのではなく、その絶望感を獲得すればいい。その上で、なにか別の私の論理をつくればいいんだ。なんだ、やっと分かったよ。それが希望なんだな。絶望と希望はオールタナティブのようで、実は、アンビバレント。分けることはできないものなんだね。やっと分かったよ。
今度こそ、絶望感を獲得できそうだよ。
(●´ー`)< がんばるベアー!
ウン!
川v)<フフッ 無理 無理。